木崎加奈
「……君か。敵だと思って殴りかかるとこだったよ」
「随分と物騒な言い草ですね。こちとらわざわざ連中の目を掻い潜って、遠くのコンビニまで買い出しに行ってあげたってのに」
「腹が減っては戦はできぬって言うだろ? それに、もし見つかったときのこと考えると――」
「洗脳を解いて、情報収集までこなせるわたしが適任だった……ですよね? 自分の役目くらい、教えられずとも理解してますよ。はい楓くんの分」
ペットボトルのお茶とおにぎりを投げて寄越してくる。神様になってから空腹には耐性が付いたが、それでもエネルギー補給は大切だ。
「ありがとう。向こうの様子はどうだった?」
「いたって普通でした。今のところ、蛇神の洗脳はこの村の範囲に収まっているみたいですね」
朗報だ。相手の勢力圏が小さければ小さいほど、明日の“作戦”の成功率も高くなる。
文字通り身体を張る身としては、精度はともかく、どのくらい勝ち目があるのか是が非でも把握しておきたかった。木崎を食料調達に向かわせたのは、その偵察も兼ねてのことだったのである。
「絢音ちゃん。これ、食べ物と飲み物が入ってます。中の二人に届けてくれますか?」
「りょーかいっ」
「待って。暗いから明かりも持ってきなよ」
懐中電灯を差し出す。絢音はそれを受け取ってから、僕に向かってヒラヒラと手を振った。
「それじゃ楓さん、また後でねっ!」
「ん。おやすみ」
走り去っていく細身の背中は、さっきよりも元気そうに見える。僕の言葉が励ましになったみたいで、良かった。
「わたしには言ってくれませんでしたね」
「妬いてんの?」
「んな訳ないでしょうが」
ぶっきらぼうに答えた直後、ボウッと、暗闇の中に青白い光が生じる。木崎の狐火だ。多分、灯りの代わりだろう。木崎はそれを掌で掬うように掴むと、足下の地面に優しく置いた。術主の手から離れても、炎は勢いを保ったままだ。
風が吹く。その度に狐火が不規則に揺れる。木崎の顔にかかった影も、炎に合わせて際限なく形を変えていた。
こいつと二人きりになるのは――前に拷問されたとき以来か。
「……木崎。君に訊きたいことがあるんだけど」
「どうぞ」
「八十五点って何?」
返ってきたのは苦笑だった。
「不服ですか?」
「君にしては高い評価だなと思った」
「二百点満点ですよ」
「……っ、ああ、そう。で? 結局あれは何の点数なんだよ」
どうせ対したことじゃないだろうが、気になったので問い質す。木崎がカッと目を見開いた。
「とぼけないでくださいな」
「何が?」
「何がって、さっき絢音ちゃんに言ったでしょう? “手出しはさせない”、“君を守る”って。あれですよ」
「う、うん? 確かに言ったけど……」
だからどうしたというんだろう。
「うっそもしかして気付いてないっ!? あーもう、これだから無自覚な男は! 鈍感! たらしっ! 女の敵っ!」
「なっ……!? そ、そこまで言わなくてもいいだろ!?」
「はぁ? 真っ正面から口説いたくせに、よくもまあそんな戯言をほざけたものですね」
「別にそういうつもりじゃない! あれは単に、僕たち全員で絢音ちゃんを守るって意味で……」
そこまで弁明したところで、僕はふと冷静になって、数分前の記憶を遡ってみることにした。
そういえば顔が赤くなってたよな。あの時は特に気にしなかったけど……。
彼女が挙動不審になったのって、僕の言葉のすぐ後だったな……。
――何があっても、君に手出しはさせないよ。
――事が終わるまで君を守るって意味。
間違いなく僕、そう言っちゃったよな。あの文脈からすれば、誰だってそういう意味で理解するよな……。
あれ……?
もしかして、勘違いされてた……?
「だ、大丈夫」
「何が大丈夫なんですか?」
「何がって、そりゃ、その、えっと……」
僕は頭を抱えそうになった。
大丈夫じゃない! ぜんっぜん大丈夫じゃないよ! 今更気付いても遅いけど!
「……他の話にしよう?」
「はーい」
しばらく弄られるかと思ったが、意外にすんなりと引き下がってくれた。普段はゲスくて性悪なくせに、こういう加減は本当にわきまえてるよな……。
「そういえば楓くん、カラコンは付けないんです?」
「え?」
「目立つでしょ、そんな色じゃ」
「ああ、普段は付けてるんだよ。だけど君たちに隠す意味は無いし、いいかなって思って外した」
僕の左目の話だ。半神になった反動で変色した眼球は、稲穂を思わせる鮮やかな黄金色をしている。中途半端に外国人みたいで不気味だなと悩んだのも過去の話。時間が経つうちに慣れてきた。今では密かなお気に入りである。
「片目だけってのは謎ですよね」
「半分は人間だからじゃないかな。……先に食べていい?」
「いいですよ、私もお腹減ったんで食べましょっか。おにぎり焼きます?」
「遠慮しとく。てか君の狐火、料理にも使えるんだね」
「普通の炎に出来る事なら、何でも」
得意げに頷いて、弱火で海苔を炙っていく。辺りに香ばしい匂いが漂い始めた。
「……そういう妖術、どこで身につけたんだい?」
「“妖術”というよりは、霊力の使い方の問題ですね。妖怪として生きる中で出会った、同じ妖狐や精霊たちから教わりました。最初は結城くんも一緒に学んでたんですけど、何というかその……はい。センスがなくって。彼は途中で方針転換して、肉体を強化する方に突き進んでいったんです」
「だけど君は続けたんだね」
「そしてその結果こうなりました」
「……なるほど」
木崎には師匠がいたってわけだ。逆に言えば、彼女ですら独学は難しかった、と。
「何を羨ましそうな顔してるんですか。私からすれば楓くんの方が恵まれてますよ? ちょっと前まで非力な人間だったのに、マヤの七光りで強くなりやがって」
「そんなことない。僕は弱いよ」
「そうですかぁ?」
「黒羽が鍛えてくれるから、少しはマシになったかもね。だけどまだまださ」
おにぎりを食べつつ答えれば、木崎は嘲るようにフンと鼻を鳴らした。
「戦いに勝つだけが強さじゃないのに。青くなっちゃって」
「っ、分かってるよ! だけどそれでも……もう、何も出来ないのは嫌なんだ」
拳に自然と力がこもる。四ヶ月前、人間から現人神になった運命の三日間の記憶は、今でも鮮明に覚えている。
恋のときめきに満ちた旅。だけど同じくらい、痛みもあった。
僕を庇って結城に噛まれ、車体に激しく叩きつけられた黒羽。
僕を守りながら戦って、殺される寸前まで追い込まれた黒羽。
僕を一人で逃がした末に……詳しくは話してくれないけど、きっと酷い目に遭わされたであろう黒羽。
もがき苦しむ想い人の姿に、僕がどれだけ心を冷やしたか。
どれだけ苦しく辛かったか。
どれだけ……無力感に苛まれたか。きっと木崎には分かるまい。そもそも半分はお前のせいだ。
強くなるのが端から無理なら、こうも悩むことはなかっただろう。
だけど幸か不幸か、人間を辞めたことで伸び代が出来てしまった。だからこそ僕は、強くなりたい、ならなくちゃいけないと思うようになったのだ。
「黒羽に甘えてばかりじゃ、ダメだなって」
「……」
「好きな娘は、やっぱり大切にしたい。無理かもしれないけど、守れるようになりたいんだよ。僕だって一応、男だから」
「初耳でした」
何だとお前。
「馬乗りされて真っ赤になってたから、てっきり初心な乙女だとばかり」
「……いや、もっとマトモな感想は無いわけ?」
聞き捨てならない返事だったので、低めの声でケチを付けさせてもらう。すると木崎は腰に手を当て、呆れた様子で長々と息を吐き出した。
「だったらこっちも言わせて貰いますけどね。ウジウジグダグダと悩んでばっかいないで、ちったあ自信を持ちなさいよ。仮にもあなた、銀狼マヤから神の位を授かった男でしょうが」
「神……そんな風に見える?」
「見えますって! 今のあなたはただ単に、自分の力を使いこなせてないだけです。質でも量でも、わたしたちのそれを遥かに上回っている力をね」
本当だろうか。自覚は無い。けれど、かつては敵だった木崎の口から告げられたことだからか、不思議と説得力を持って聞こえる。
「楓くん。あなたは喩えるなら鳳凰の雛。あるいは灰の中で燻る種火。鍛錬を積めば、これからもっともっと強くなれる。わたしが逆立ちしても出来ないようなことだって、覚醒したあなたは片手間でこなしてしまえるかも」
「……ありがとう。そんな自分はまだイメージ出来ないけど」
「あら、私だって狐の頃は、ここであなたとこんな話をするなんて思ってもいませんでした。未来は現在の積み重ね、いつだって不透明なんですよ?」
木崎が微笑む。回りくどくて分かりにくい、実に彼女らしい励ましの言葉。心の重荷が少しだけ取れたような気がした。
そして同時に僕の脳内で、とある一つの可能性が芽生えてくる。
こいつは前まで、敵だった。だけど今は、味方だ。それなら――。
「おっと、顔付きが変わりましたね」
「……木崎」
「何でしょ」
「一つ、お願いがある。いいかな」
「どうぞ。おおかた予想は付いてますけど」
どうやら読まれていたらしい。こいつのことだからハッタリかもしれないが。
「手伝って欲しいんだ。君の言うとおり僕に伸び代があるなら、明日に備えて少しでも強くなっておきたい。その方が勝つ確率も上がるからね。だけど僕一人だけじゃ、出来るのは精々が格闘術の練習くらいだろ。黒羽に頼んでも、それは同じこと」
「つまり、一言にまとめると?」
「僕を鍛えて欲しい。君の好きなように」
真剣な口調で頼み込む。すると木崎はスッと目を細めて、僕の顔を正面から舐めるように眺めた。
「随分と真っ直ぐ来ましたね……。このわたしに、敵に塩を送れ、と」
「敵? 仲間の間違いだろ。君が自分でそう言ってたじゃないか」
「言いましたっけ?」
「とぼけんな」
「冗談です、冗談」
こいつのことだから冗談に聞こえないんだよな。
「……ま、別に構いませんよ。あのとき殺さないでくれた借りもありますし、お望み通り。木崎特製短期集中コースでお届けしましょう。メニューは……悩みますね。どうしようかな。あ、そうだ」
木崎は悪戯っ子のような笑みを浮かべて、続けた。
「ちょっとした“火遊び”とか、楓くん興味あります?」




