王の駒
「黒羽さんって、すごい綺麗な身体してるんだね」
家の付近を見回っていた最中、絢音が突然そんなことを言ってきた。
「そうか?」
「うん、アスリートみたいで素敵だと思う」
向けられる賞賛の眼差しに、私は頬を掻きながら応えた。
「大したものではないよ。必要に駆られてこうなっただけさ」
「その返事からして既にカッコいいんだよなー。スタイルもバツグンだしさ、まさに理想的な体型って感じ」
「理想的か。そう見えるのなら嬉しいな。まあ、そっちも私と似たり寄ったりだろうが」
歩きながらそう言えば、絢音はピクリと片眉を持ち上げた。
「ご明察。さすが黒羽さんだね」
やっぱりか。立った姿や歩き方からして、そうじゃないかと思っていたんだ。
「隠してるつもりはなかったけど、言う前から気付かれてたかー。どうして分かったの?」
「簡単さ。背筋が真っ直ぐ伸びているのは、体幹がしっかりと鍛えられている証拠。私たちを助けたときだって、山から家まで止まらずに走り続けていただろ? 体力が無いやつに、あんな真似は出来ないからな」
何か習っていたのか? 私が問い掛ける。絢音はパチリとウインクをしたあとで、両手を持ち上げてファイティングポーズを取った。
「カラテ。受験生になってからは、止めちゃったけど。今でも時々自主練はするから、そこまでなまってはいないと思うよ」
シュッシュッと短い息を吐きながら、絢音は私に鮮やかなローキックを披露してくれる。
切れのある動きだった。見回りの最中に襲撃を受けたら、そのときは絢音を守りながら戦うつもりだったが、これなら多少は自衛してくれそうな気がする。
「上手だな」
「でしょ? ありがと」
素直に感想を述べると、絢音は嬉しそうに頬を綻ばせた。
「ま、黒羽さんの方が強そうだけど」
「妖怪だからな。人間の女の子には負けないよ」
「……ちょっと触ってみてもいい?」
「何を」
「腹筋」
「腹筋? なんで私の腹なんか」
「だって絶対すごいやつじゃん。服で隠しても無駄だ! アタシには分かるんだよ!」
「誰かに似て物好きだな……。見るだけなら別に構わないが」
「触るのは?」
「駄目だ」
「駄目なの?」
「触っていいのは楓だけと決めてる」
軽く手を振ってあしらう。すると絢音は口元を押さえて、キャーと黄色い声を上げた。
「つっよ」
「日々そうあろうとしている」
「そんな意味じゃないんだけど」
「……どういう意味なんだ?」
こちらの質問には答えず、絢音は機嫌良さげに鼻を鳴らし、それから頬をニヤリと緩めた。
「黒羽さん、本当に恋人のことが好きなんだね」
「好きだが?」
間髪入れずに私は答えた。迷う類の問い掛けでもないし、返答を躊躇うようなこともない。好きなものを好きと言う、どうして恥ずかしさを覚える必要があろうか。ついさっきムキになったのはこの際置く。
「私は生涯あいつのものだし、あいつは生涯私のものだ。誰にも渡さない」
「ヒュウ、素敵。じゃあさ、もしも誰かが彼氏さんを奪おうとしたらどうするの?」
「一度目は追い払う」
「二度目は」
「潰す」
それはもう容赦なく。
世間一般の基準からすれば、こんなことを言う私は“重たい”女なのだろう。それも含めて受け入れてくれている楓には、はっきり言って感謝しかない。
絢音が歩きながらのびをした。
「なーんか妬けちゃうなぁ」
「何だと?」
今、さらっと気になる言葉を口にしなかったか。
妬けるってことは、つまり嫉妬だ。羨ましくて妬ましいのだ。本人は軽い気持ちで放ったのかもしれないが、妬みの対象が誰かによっては、私の中での重要度が変わってくる。
私に?
それとも楓に?
つい数十分前に出会ったばかりの相手を、どこまで追求していいのか真剣に考えていたとき。不意に、私の視界に別の人影が飛び込んできた。
私たちのいる場所から、緩やかな坂を下った先だ。まだ距離は離れているものの、複数の村人がこちらに向け歩いてくる。二人、三人、四人。どこからともなく現れては、合流して数が増えていく。あっという間に十人を越えた。
何だこれ?
嫌な予感を覚えた私は、村人に意識を集中させる。直後……その集団から紛れもない敵意を感じ取って、こめかみに焼けるような感覚が走った。
「今すぐ戻るぞ!」
「え、どうしたの突然?」
私は絢音の手を取って告げた。
「新手が来てる。それも大勢だ」
※
「考えてみれば、少し前から私はおかしかったんだよ」
錯乱状態に陥って数分。ようやく落ち着きを取り戻した男は、ぽつりぽつりと話し始めた。
「頭がですか?」
「黙ってて」
木崎に目線で圧を送ってから、男に手振りで続きを促す。
「どうぞ」
「うむ。たしか、そう……八月の終わり頃だった筈だ。あの日はひどく熱い夜でね。横になったはいいものの、私はなかなか寝付けなかった。そうしていると突然……枕元に白蛇が現れたんだ」
「白蛇が?」
「夢か現実かは分からんがね」
夢であって欲しいものだ。吐き捨てるように男が呟いた。
けれど僕らは、その白蛇が現実に存在することを知ってる。
「蛇の鱗は、夜の中でそれはもう美しく輝いていた。畏れと同時に魅了されてしまったよ。今、自分の目の前にいるのは神様のような御方なのだと強く信じ込んだ。そしてその日から……時々、脳内に声が聞こえるようになった」
「声……啓示みたいなものですかね」
「そうだとばかり思っていたよ。どうしてあのとき、病院に行くという発想が浮かばなかったのか」
自虐的な笑みを浮かべる男。何だか妙に素直になったな、と僕は内心で不思議に思う。暗示が解けたからだろうか?
「声は何かを命令することもあれば、ご立派な説教を垂れることもあった。私はその声を心からありがたがり、疑いもせずそれに従った」
「……なら、絢音ちゃんを襲ったのも」
「声の言う通りにしただけだ」
それって責任逃れじゃない? 思わずそう口走りそうになったが、彼を責めても意味が無いと考え直す。これは魔女裁判じゃない。大事なのは理由と、原因だ。
感情はひとまず脇に置き、僕は男に質問を重ねていく。
「彼女、娘さんですよね。自分で変だと思わなかったんですか?」
「まったく」
「今はどうです」
「見ての通りだ。おかげで正気に返ったよ。あれを崇めていた当時の私も、気持ち悪くて仕方ない」
憑き物の落ちたような顔でため息を吐く。絢音を殺そうとしていた際の、殺意溢れる雰囲気はもうそこにない。
無害なら解放しようかと思ったが、結城たちに反対されたので、男の拘束はそのままにしておいた。
ともあれ、こいつの証言でハッキリしたことがある。
暗示をかけたのは蛇神だ。あの神は罪のない村人を洗脳し、自分にとって都合のいい駒に仕立て上げていたのだ。僕たちを追ってこなかったのも、自分で動く必要が無かったと考えれば納得がいく。
――何故そんなことを?
手下を増やしたかったのか? ……いや、違う。それはあくまで手段であって、目的じゃない。他に理由がある筈だ。
思い付きそうで思い付けない。すぐそこまで出かかっているのに……。
「ところで、私からも一つ訊かせてもらえないだろうか」
男の声に考えを遮られた。無視するのは流石に可哀想なので、仕方なくそちらに耳を傾ける。
「君らは一体何者なんだね? 一般人ではないようだが」
「……どう見えます?」
「警察、それとも自衛隊の某か」
「自衛隊」
頼もしい響きだ。銃や戦車が神様に効くかは謎だが。
「ただの大学生ですよ」
学籍は持っているので、嘘じゃない。だけど男は信じてなさそうだった。真一文字に口を閉じ、訝しむように眉をひそめる。
そんな顔されても、これ以上あなたに教えることはないんだけど。
それはそうと、ここからどうしよう。男から聞けそうな事は全て聞いたし、黒羽たちと合流して移動するか。蛇神に場所が割れていると分かった以上、同じ場所に長く留まるのはリスキーだ。
結城と木崎に考えを伝えようとしたそのとき、玄関の方からガチャリという音が聞こえた。
少しすると、廊下に続く戸が開かれて、黒羽と絢音が息を切らせて飛び込んできた。
「楓! 無事か!」
僕の顔を見た黒羽は、一瞬だけ安心した顔をしたが、すぐに表情を険しいものに戻した。
何だろう、とてつもなく嫌な予感がする。
「そんなに慌ててどうしたのさ」
「敵だ」
「……っ、嘘だろ! 今どこ!?」
「すぐ近くまで来てる」
黒羽の報告に舌打ちが漏れた。最悪だ。兵は神速を尊ぶと言うが、どうやら蛇神に先手を打たれたらしい。
「急いでここを出よう」
「了解」
そうと決まれば行動は早かった。元より纏める荷物もない軽装備の四人、すぐに撤退の準備が整う。結城はナイフを食器棚に戻した。
「じゃあねお父さん。アタシこの人たちと行くから」
縛られたままの男を一瞥した絢音は、躊躇いもなくそう吐き捨てる。暴力を振るわれかけたからだろう、妙に刺々しい声色だった。
娘からのお別れ宣言に、男は訳が分からないといった様子でおどおどしている。哀れな傀儡にかける励ましもなく、僕たちは彼を置いて玄関に向かった。
……一応、後で絢音に事情を伝えとくとしよう。これがきっかけで家庭崩壊に陥ったら、さすがにあの男が可哀想だ。
手早く靴を履き、僕は玄関の扉を開いた。
しかしそのまま外へ出ようとしたところで、無数の視線に射竦められ、身体が本能的に硬直する。
「……遅かったか」
虚ろな目をした村人の集団が、玄関の前で陣を組んで待ち構えていた。




