スウィートでスマートな尋問
例外なく、人には誰しも、得意不得意というものがある。
勉強が出来る人。
運動に長けた人。
他人と関わるのが上手い人。
一人で物事を進めるのが好きな人。
そして……。
※
「任せたよ。君らはこういうの得意そうだし」
気絶した男をキッチンの椅子に座らせ、ビニール紐で丁寧に縛り付けた後のこと。彼の尋問、もとい情報収集を、僕は狐たちにやらせようと決めていた。
自他共に認めるお人好しな僕に、他人の心を追い詰める作業は不向き。対する二人は血気盛んで、暴力を振るうことに僕よりは躊躇いがない。それならば、多少の不安こそあるものの、適材適所を地で行く方が確実――そう判断したのだ。
「好きにしちゃっていいですか?」
テーブルの上から木崎が訊く。もちろん駄目だ。行儀の悪さには目を瞑りつつ、彼女を指差して警告を発した。
「絢音ちゃんに顔向け出来ないようなのは厳禁。危ないと思ったら僕が止めるから」
「そんなぁ! 任せてくれると言ったのに!」
「死人は出したくないからね」
「えー、面白くない」
不満げに口を尖らせる。何するつもりだったんだお前。
「それで、具体的にはどこまでがオッケーなんです?」
「無駄な血は流さないように。出来るだけ脅しで吐かせて」
「つまりお手柔らかにしろってこった。甘ちゃんのお前らしい発想だぜ」
結城が人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。右手に握った果物ナイフで、口笛を吹きながら鉤爪を手入れしていた。
そっちはそっちでどっから持ち出してきたんだ。キッチンの戸棚か? ちゃんと片付けろよ……。
「出来るだけ脅しで、ね……。ま、リーダーの命令なんで従いますけど。いずれにせよまずは、この鉄パイプ男にかかっている“暗示”を解除するところからですね」
「……暗示? それってどういう……」
「こいつが登場した場面を思い出してください。違和感を覚えませんでしたか?」
木崎の言葉に促され、脳内の記憶を遡る。違和感。違和感か……。
「表情が、不自然だった……?」
応えた僕に、木崎はパチンと指を鳴らした。
「パーフェクト! 明らかに虚ろな目をしてましたよね。あれは自分の意思というより、誰かからの命令に従っている風でした。現に――ほら。この男をよく見てください」
言われて意識を集中する。近くから、遠くから、色々な角度から男を観察していると、やがて僕の目にもそれが見えてきた。
妖艶な赤色の霧のようなものが、男の身体にうっすらと纏わり付いていたのである。
「分かりました? こいつにかけられた暗示の痕跡です。これが有効である限り、この男は口を割りません。録な情報が出てこない」
「だから最初に、その暗示を解除する必要がある……と。理解したよ。策は考えてあるの?」
「わたしの霊力で干渉し、暗示を上書きして抹消します。見ててください」
言うやいなや、木崎は軽やかにテーブルから飛び降りると、男の頭頂部へおもむろに手を当てた。僕には聞き取れない声で何かを呟き、念を込めるような動作を数回ほど繰り返す。
どことなくインチキ霊能者っぽさが漂うが、彼女の場合は本物だ。掌から男へと、不可視の力が水のように流れていく。
手際の良さに感心する一方で、僕は同時に悔しさを抱いてもいた。
人間を辞めてしばらく経つ。だけど未だに、妖術とか幻術とか、そっち方面のことはよく分からないままだ。
語弊がありそうなので言っておくと、別に努力を怠っているわけではない。マヤや蛇神の次元には達せなくとも、力を持て余さない程には使いこなせるようになりたい。そう思っているのだ。
霊力は多分ある。黒羽曰く、それなりに素養もあるらしい。
完璧じゃないか、と喜べたのも束の間。肝心の先生がどこにもいなかった。黒羽はそういうのが苦手で、切り裂きの術を教えるので精一杯。マヤは現在も放浪中で、居場所は誰にも分からない。独学など間違いなく無理。鍛えようにも鍛えられないのだ。
何というか、宝の持ち腐れだよな……。
「俺の嫁、頼りになんだろ?」
「ああ。悔しいけど認める。観察力があるし頭もいい。探偵に向いてそうだね」
ため息を添えて結城に応える。ちょうどそのあたりで、暗示の上書きが終わったのか、木崎は男から手を離した。
それからおもむろに流し台の方へと向かう。コップを二つ引っ張りだし、なみなみと水を注いで戻ってきた。
推測。使用目的、ちょっと冷たい目覚まし時計。僕の基準ではセーフだ。
「一つでよくない?」
「まあ見ててくださいな」
邪悪なウインクが返ってくる。そのまま彼女は何食わぬ顔で、片方のコップに入っていた水を男の顔面へとぶっかけた。
水滴が辺りに飛び散り、びしょ濡れになった男はハッと目を覚ます。
「グッドモーニン。危害は加えないのでお静かにお願いします」
「む……え、は!? な、何者だお前たちは! この家で何をしてい」
もう一度びしょ濡れになった。なるほど二つ目は沈静用と。
「黙りなさい、ミスター鉄パイプ。従う方が身のためですよ」
「ぐ、ぐぬぅ……」
自分が身動き出来ない状態にあると気付いたのか、男は憤然としながらも口をつぐむ。
想定通り、僕がいなくとも上手くいきそうだった。僕は壁際まで後ずさり、事の次第を遠くから見守ることにする。
木崎と入れ替わりで、結城が前に進み出た。
「よ、おっさん」
「な、何だ」
「アンタがやらかしたおイタの件は、取り敢えず水に流してやる。その代わり、覚えてること全て話しな」
威圧的な態度でナイフを向ける。それが何かしら癪に障ったらしく、男は唐突に声を荒げた。
「はん! ふざけるなよ、チンピラ崩れの若造どもめ。こんなことをしてただで済むと思っているのか! 警察を呼ぶぞ! 警察だ! お前ら全員まとめて留置所にぶち込」
「話せ」
結城が腕を一振りする。放たれたナイフは男の耳を掠め、背後の壁に深々と突き刺さった。
「ひ、ひいぃ!」
「おっと悪いな、手が滑った」
アウト……いや、セーフかな。血は出てないな? よし、セーフってことにしておこう。
「安心しろよ、おっさん。別にアンタをズタズタに引き裂こうって気はねぇ。ちーっとばかし素直になってくれれば、それで十分だ。だけどもし、アンタが意地でも強情なままでいるってんなら、もう何回か手が滑っちまうかもしんねぇなぁ?」
壁からナイフを引き抜くと、男の前でこれ見よがしにチラつかせる。離れようとする男だったが、全身が拘束されていて立ち上がることすら出来ない。
勝敗の決まりきった睨み合いの末、男はついに白旗を上げた。
「分かった、話す。何が知りたいんだ」
「あなたの記憶と自覚についてです。あなたは家の中に土足で入り込み、持っていた鉄パイプで絢音ちゃんを襲おうとした。寸前でそこの彼が止めに入って、腕の骨を折る大怪我を負わせました。覚えてないとは言わせませんよ?」
「……ああ。たしかに覚えている」
「何故あんなことをしたんですか? わたしたちを狙うならまだ分かります。だけど彼女は娘でしょう」
「……」
「あなたに黙秘権は無いんですけど」
机を指先で何度も叩いて、木崎が男にプレッシャーをかけていく。
男は無念そうな様子で俯いたが、結城がナイフの柄でを頬を小突くと、諦めたように頭を持ち上げた。
「……と、思っていた」
「はい?」
「そうする他ないと思っていたんだ! 理由は自分でも分からない。しかしあのときの私は、お前たちが応接間にいると理解出来、そして皆殺しにせねばならぬと感じていた! 衝動的に身体が動いていたんだ!」
「……要するに、自分は悪くない、と」
「そうとも! 何故あんなことをしたかだって? 私が知りたいよ!」
「……」
なるほどね。
男の懺悔を聞き終えた僕は、心の中でそう呟いた。
自分の意思では無い。ということは、やっぱり木崎の予想通り、この男は暗示をかけられていたのだろう。本人の様子からして嘘ではなさそうだし、現にさっきの話し方も、自分で自分の発言を疑問視するような感じだった。
男は単なる使い走りで、背後に彼を操っていたモノがいる。どうもそいつは僕たちを敵視し、抹殺しようと謀略を巡らせているようだ。蛇神か、正体不明のエックスか、あるいは他の第三者か。それはまだ分からないが……物騒なことだ、まったく。
成人男性一人でどうにかなると思われているあたり、僕たちも随分舐められたものだが。
「ああ、分からない。分からない。分からない」
男はガクガク震えながら、同じ言葉を何回も繰り返す。
「どうしてだ。どうして私はあんなことをした……?」
怯えるような独白に、僕たち三人は顔を見合わせた。




