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比翼の烏  作者: どくだみ
2-2:狂乱の蛇神
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村人、襲来

 絢音の瞳が恐怖に染まる。腰を抜かして動けない彼女に、男は過たず狙いを定めると、緩慢な動作で鉄パイプを持ち上げた。


 させるか……!


 弾かれたように立ち上がった僕は、二人の間へ反射的に割って入った。

 腕を十字にクロスさせ、振り下ろされる鉄パイプを正面から受け止める。メシリという嫌な破砕音が、腕の骨を伝って駆け上がってきた。

 一拍遅れて痛みを知覚する。全身から嫌な汗が噴き出した。


「ぐあっ……!」


 絢音の盾になれた。そこまではいい。だがここからの反撃が出来そうにない。

 よろめく僕を鬱陶しげに睨んでから、男は再び攻撃の動作に入る。慌てて身を守ろうとするが、傷付いた腕は反応が鈍くて、上手く言うことを聞いてくれなかった。

 脳裏に浮かぶは脳天をかち割られる未来。背筋が氷のように寒くなる。

 ああ、これはまずいかも――――。


「二人ともしゃがめ!」


 鋭い声が鼓膜を揺らす。咄嗟に身体を低くした僕の頭上を、黒羽の回し蹴りが掠めていく。

 優雅で力強い一撃は、男の横っ面を的確に捉え。応接間の壁へ顔面を叩きつけると同時に、その意識を速やかに刈り取った。

 助かった。

 崩れ落ちる男を横目に見つつ、僕は絢音へと向き直る。


「大丈夫?」

「う、うん。お兄さんは……!?」


 青ざめた顔でおそるおそる肩に触れてきた。彼女を心配させないよう、強気な笑みで以てそれに応える。


「僕は、何とか……」

「大丈夫なわけないだろうが! 痩せ我慢するな!」


 僕の言葉を遮るように、問答無用で持ち上げられる身体。黒羽が僕の下に手を回し、お姫様抱っこでソファまで運んでくれる。

 恥ずかしさを覚える暇も無く、そのまま柔らかな生地の上へ寝かされた。


「動くなよ。余計に痛みが酷くなるぞ」


 凜々しい口調で放たれた命令に、僕は何かしら返事をしようとして……結局まともな言葉が出てこず、大人しく彼女の指示に従う。力を抜いて全身をソファに預けた。

 今更ながら、右腕の感覚がない。どうなっているのか気になって、片目でチラリと確かめる。そしてすぐに後悔した。

 肘と手首の真ん中付近に、巨大な青あざが浮かんでいたのだ。その現実味の無さときたら、まるでシールか何かをペッタリと貼り付けたよう。医学知識が皆無の僕でも分かる。これは……重傷だ。


「ちょっと失礼しますよ」


 木崎が傍らに膝を付き、あざの箇所をいきなり握りしめてくる。芯まで響く激痛に、僕の喉から情けない悲鳴が上がった。


「あっ、ごめんなさい。完全に折れてますね」

「楓に触るな! お前らはその男を見張ってろ!」


 黒羽が木崎を押しのけて怒鳴った。「仕事ですって」「しゃあねーな」と呟きつつも、二人はそそくさと僕から離れていく。

 それを確認した黒羽は、すぐさま僕に意識を戻した。

 色々と言いたそうな感じだ。気丈に振る舞ってこそいるものの、隠しきれぬ不安が顔色に滲み出ている。……そんなに気を病まなくていいのに。もう、心配性なんだから。


「汝の身体には神の力が流れている。この程度の怪我なら、放っていても完治する筈だ。だが、それでも骨の再生には時間がかかる」

「オーケー。どうするよ」

「汝に私の霊力を回す。回復も多少早まるだろう」

「……え?」


 驚きで思考が固まった。

 いつぞやの記憶が脳内でフラッシュバックする。霧の川原で交わした柔らかな感触と、レモンのようなほろ苦い味。あのときから今日までに、同じような営みを何度も重ね、おかげで僕も慣れてはいる。

 いやいや、だとしてもちょっと待って欲しい。今は流石に状況が状況っていうか。少々周りが騒がしいっていうか。


「こ、ここでするの……?」

「移動する必要があるのか?」


 あるに決まってんだろ! 人前だぞ! 見物人いるぞ!

 ……と、柄にもなく大声を上げるのも、僕の心の中でだけの話。実際は、何も気にしていないような彼女の目付きに、声にならない声で異議を唱えるのが精一杯だった。

 だって、ほら。女性の方が大丈夫なのに、男がまごまごしてるのって、なんかダサいし……。


「どうした?」


 黒羽が眉をひそめる。通常通りの彼女を前に、僕も潔く覚悟を決めた。

 ええい、ままよ!


「……お願い」

「分かった。では腕を貸せ。少し沁みるが、傷口に直接――」

「あ、そっちなんだね」


 うわ恥ずかしい。完全に早とちりじゃん。


「今のはどういう意味だ」

「何でもない」


 口にしたくない理由だったので目線を逸らした。直後に顎が掴まれて、強引に黒羽の方を向かされる。


「……ッ」

「言え」


 有無を言わせぬ鋭い口調。誤魔化すのは無理そうだ。

 ……知らんぞ、どうなっても。


「だから、その……前みたいに、口でするのかな、って」

「は?」


 数秒の沈黙を挟んで、黒羽の顔が真っ赤に染まった。


「へ、あっ、えっと、うぁ……」


 すごい速度で斜め下を向いた瞳。

 魚みたいにパクパクと動く口。

 消え去った余裕。

 面白いくらいに上擦る声。


「な、汝は、その。そっちの方が、いいのかっ……?」


 反則だ。

 それが唯一の感想だった。


「不埒ですよね」

「不埒なのかな?」

「不埒じゃね」


 部屋の入り口から軽口が飛んでくる。黒羽がキッと顔を上げた。


「うるさいぞ貴様らッ! 邪魔だ! 散れッ!」

「キャー! みんな聞きました? 邪魔なんですってよ! きっと私たちを追い出してから、二人きりでモニョモニョするに違いありませんね!」

「違いないのかな?」

「違いねぇんじゃね」

「うるさいと言っているだろうが! 殺されたいのかッ!」


 耳まで真っ赤になりながら怒鳴る黒羽に対し、三人の見学者が大人しくなる気配は無い。

 自暴自棄じみた表情で、黒羽が僕を真っ直ぐに見据える。周囲の視線から隠すように、細長い身体で僕の上に覆い被さった。

 こうなるともはや勝ち目など無く、僕はなすがまま乙女にさせられる。


「ジッとしてろよ」

「えっ、あ……」

「分かったら返事!」

「は、はいっ!」


 他にも何かを言おうとした気がするが、彼女からの口付けによって封殺された。

 黒羽特有のいい匂いが、僕の思考を一瞬で塗り潰していく。視界は水の幕を張ったようにぼやけ、全身が燃えるように熱くなった。

 どこからか押し殺した歓声が聞こえる。だけどここまでくれば周りが何を言おうが最早どうでもいい。

 腕の痛みはいつの間にか和らいでいた。


「ハッ」


 荒っぽく息を吐きながら、黒羽が手の甲で口元を拭う。烏というより荒鷲のような凛々しさに、僕はいつかみたく見惚れてしまった。

 なんかもう。

 なんかもう……!

 本当、男前すぎやしないか僕の彼女。


「……ちょっと過激じゃない?」

「悪い。野次馬どもに見せつけたかった」

「わお」


 見せつけられた野次馬たちを見る。放心状態が一名、目を見開いているのが一名、恥ずかしそうにそっぽを向いているのが一名。効果は抜群のようだ。

 ……ただ、僕もあまり人の事を言える立場じゃない。

 刺激的な医療行為のせいで、気まずい空気が室内に流れている。それを打ち払うべく、僕は何も無かった風を装って立ち上がった。


「……それでさ。その男、結局のところ何者なわけ?」

「アタシのお父さんだよ」


 絢音が一歩、前に進み出る。戸惑いに満ちた声だった。


「君の?」

「間違いなくね。だから、さっき殴られそうになったときも、訳が分からなくって動けなかった。だけどどうしてあんなこと……」

「襲ってきた理由に心当たりは?」


 無言で首を横に振る絢音。そりゃそうだろう。むしろあったら驚きだ。


「なら、本人に訊いてみようか」


 放置しておくわけにもいかない。うろ覚えだが、絢音に攻撃を仕掛けたときのこいつはどこか様子がおかしかった。もしも蛇神と何らかの関係があれば、邪魔者どころか貴重な情報源にさえなり得る。


「……じゃあ、黒羽。一つ頼みたいことがあるんだけど」

「どうした」

「絢音ちゃんと一緒に外を見回ってきてくれる? 他にも仲間がいるかもしれないから」

「構わないが……二人でか?」


 不可解そうに問い返す黒羽だったが、直後に僕の意図を悟ったらしい。合点のいったような表情で、パチリと華麗にウインクを決めてみせた。


「承知した。行こうか、絢音」

「う、うん」


 黒羽に手を引かれ、二人は部屋をあとにする。

 その足音が十分に遠ざかったところで、木崎が面白そうに口笛を吹いた。


「楓くんってば紳士的」

「……やっぱり分かった?」

「分かりますよ。父親が尋問される姿を、絢音ちゃんに見せたくなかったんでしょう?」


 その通り。意味があるかは不明だが、僕なりに考えた末の気遣いだ。

 絢音の父親が従順なら話は早い。だが彼の反応いかんによっては、多少荒っぽい手を使う必要が出て来るかもしれない。その場合、実の娘が見るにはいささか心苦しいものになりそうだったので、適当な理由をでっちあげて遠ざけたのだ。

 一人で行かせなかったのは、彼女の安全を考慮してのこと。黒羽がいれば、何か起きてもきっと大丈夫だろう。

 ちなみに、僕が絢音の護衛に付かなかったのは――。


「爪を剥ぐのはアリですか?」

「ナシに決まってるだろ」


 ……こっちにもブレーキが要るからだ。

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