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比翼の烏  作者: どくだみ
2-1:新たなる波乱の予感
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予期せぬ訪問者

「――遅い! 遅いぞ楓っ! そんなんで私に勝つつもりか?」


 高らかな笑い声を上げながら、黒羽が身体を反転させて回し蹴りを放ってくる。

 ガードのために構えた腕へ、ハンマーで殴られたかのような衝撃が走った。そのまま吹き飛ばされそうになるのを、歯を食い縛って堪えながら、僕は両足に力を込め、全身をバネにして彼女を押し返す。

 反撃とばかりにパンチを繰り出すが、すんでのところで烏の脚に受け止められた。ならばと今度はキックを放つも、足を振りかぶったところで脛を蹴られる。

 悶絶する僕を尻目に、悠々と上昇していく黒羽。僕が飛べないことを踏まえての振る舞いだろう。


 ここは、九鳥大学に程近い山の中。

 およそ一般人が立ち入らないような、鬱蒼と木々の生い茂るその奥深くで、僕たちはしのぎを削っていた。

 もちろん本気の殺し合いではなく、あくまで戦闘の練習だ。遡ること三ヶ月前、僕が「強くなりたい」という思いをぶちまけたあの日から、基礎的なトレーニングと並行し、二日に一回の頻度でこうして稽古をつけてくれている。

 ルールは簡単。黒羽を捕まえたら僕の勝ち。僕をねじ伏せたら黒羽の勝ち。良く言えば実践的、悪く言えばスパルタなやり方だった。


「ほーらどうした、今日こそ私を押し倒すんじゃなかったのか」

「……っ、ほんっと素早いよね、君はさぁ!」


 上空の黒羽へ向けて僕は悪態をつく。

 翻弄されているように見えるが、実はこれでもマシになった方だ。最初の頃は彼女に着いていくことさえままならなかった。

 本気の黒羽は矢のように速い。しかも僕より戦い慣れしてるせいで、一撃一撃が何気に洗練されているときた。

 目視で距離を測る。あそこまで……ジャンプで届くだろうか。人間のときより身体能力は強化されているけど、烏を相手に空中戦は避けたいところだ。


「……油売ってないでさっさと降りてきたら? それともそっから僕に手が届くわけ?」


 試しに挑発してみると、黒羽はニヤリと口元を歪めた。


「いいぞ。下手に相手の土俵で戦おうとせず、自分の得意な間合いに持ち込むんだ。私はそれを強いられて負けたことがあるからな。同じ轍を踏んで欲しくない」

「そう。ご教授ありがと」

「どういたしまして。――そら、行くぞ!」


 漆黒の翼を折り畳む。黒羽が一気に距離を詰めてきた。

 正面から迎え撃ったのでは弾き飛ばされそうだ。タイミングを合わせて身体を捻り、攻撃を脇に逸らす。勢いを利用して回し蹴り。黒羽は上半身を反らしてそれを回避すると、滑るように宙を移動して、再び僕から一定の距離を取った。


「うん、今のは惜しかったな」

「……っ、待て!」

「はは、こっちだこっち!」


 遠ざかっていく黒羽と、必死に追いかける僕。接近しなければ彼女を捕まえることは出来ない。しかしこのまま鬼ごっこを続けても、いたずらに体力を磨り減らすだけだ。

 ……ちょっと冒険してみるか。


「急々如律令、斬!」


 印を組む。手頃な木の枝を目掛けて呪文を唱える。

 少しズレたが命中した。付け根から折れた枝は、予想通り黒羽の背後へ。彼女の進行を遮るような位置へと落下する。

 黒羽が思わず速度を落としたのに合わせて、僕は全力で地を蹴り、その首元へと手を伸ばした。

 そう、単純なスピードでは敵わない。逆に言うとそこさえ殺してしまえば……僕だって彼女に追い付けるのだ。


「――捕まえた!」

「ほう、なかなかやるじゃないか。だが……」


 パチッと、黒羽がウインクをしてみせる。いつしか翼は人間の腕に変わっていた。


「少々、私だけを見過ぎだな」


 黒羽の指が僕の顎に這わされ、そのまま上方向へ押し上げられる。突然のことに面食らった僕は、抵抗できぬまま無防備に上空を見てしまった。

 視線の先には晩秋の太陽。真夏のそれにも劣らぬ強さで、燦々と輝いていて……。


「っっ!?」


 熱と光が眼球を貫く。焼かれるような痛みを受けて、僕は思わず(うずくま)ってしまった。

 慌てて黒羽から離れようとするが、彼女がこの隙を見逃す筈もない。瞬きの間にその姿が消え……直後。背後から降ってきた烏の脚に、胴体をガッチリと鷲掴みにされる。

 振り払おうとするも時既に遅し。僕はそのまま地面に押し倒された。


「私の勝ち。チェックメイトだ」

「……ああ、くそ。また負けたよ。この前は勝てたから今回もって思ったんだけど」

「そう簡単に連勝などさせんさ。最初と比べれば段違いに手強くなってる。だが私に届くのはまだ先だな」


 おつかれ、と優しい囁き声。耳元を撫でていく甘い吐息。あまり女性慣れしていない僕は、それだけでドキッとなってしまう。黒羽が笑う気配があった。


「……それ、毎回同じことするよね。僕の反応でも気に入ったの?」

「何か問題があるか? 私のために強くなろうと、必死に頑張っている汝の姿。これが愛しくないわけないだろう」


 愛しい、なんて言葉を臆せず口に出すあたり、僕より一枚も二枚も上手(うわて)だ。

 最近こういうことが増えた気がする。本性を現した、と言うか。自分の感情に対して正直になった、と言うべきか。つまるところ、スキンシップに遠慮がなくなった。脈絡もなくめちゃくちゃ触ってくるし、めちゃくちゃ抱き締めてくるし、めちゃくちゃ甘えてくる。

 動物か? と最初は思ったけど、考えてみれば動物だった。

 好意を示してくれるのは、正直に言ってもの凄く嬉しい。僕だって出来るだけそれに応えようとしている。だけど唐突に頬を擦り寄せてきたり、座ってたら無言で肩を抱き寄せたりするのは止めて欲しい。……いや、別に止めなくていい。本音ではもっとして欲しいまであるけど、要するにその……心臓に悪いのだ。可愛いときと凜々しいときのギャップとか特に。


「怪我はしてないな? …………んっ、と。やっぱり身体を動かすと気分がいい」


 上機嫌で思い切りのび(・・)をする黒羽。艶やかな汗が引き締まった肉体に流れ、陽光を反射して美しく煌めく。健康的なその姿に、何とも言えないときめき(・・・・)を覚えるのはきっと僕だけじゃないだろう。

 それから彼女は僕を解放すると、腹の下に腕を回して、抱き起こした。


「そろそろ帰ろうか、楓」


 ※


「ところで今日の夕飯は何にするんだ?」

「何がいい? お昼に買い物行ったから、食材は色々とあるよ」

「むう、そうだな……前に食べたあれが美味しかった。葉っぱの上に豚肉を乗っけたやつ」

「冷しゃぶ? 作るの楽だしそれにするね」

「あとあれだ。びいる? わいん? よく分からんが、酒とかいうやつも飲んでみたい」

「どうしたのいきなり」

「飲むと楽しくなる飲み物なんだろう? 汝と飲めば、もっと楽しい筈だ。相乗効果だ」

「じゃあ……今お金持ってないし、ご飯食べる前にコンビニで買おうか」


 手を取り合って歩きつつ、そんな雑談を楽しむ霜月の夕べ。山と自宅を何度も行き来する内に、いつのまにかお決まりになっていたやり取りだ。

 黒羽と一緒に暮らし始めたあの日、僕たちは簡単な約束を交わした。家事は二人で分割し、決して片方に押し付けないこと。

 僕と黒羽は対等な間柄、要するに人生のパートナーなのだから、日々の負担を分かち合うのは至極当然である。

 ちなみに僕が調理と洗濯、黒羽が掃除と皿洗いの担当だ。最初は黒羽も台所に立っていたのだが、力が強すぎて卵を握りつぶす、包丁の扱いが雑すぎて恐ろしい、塩と砂糖を間違えるといったトラブルの果てに一線を退(しりぞ)いてもらった。

 闘志は消えてないようなので、また今度練習に付き合おうと思う。


「いつも私の意見を通してばかりで悪いな……――ん?」


 アパートに着き、階段を使って三階まで上った直後。黒羽が不意に足を止める。

 どうしたの? と訊きかけて、まもなく僕もその理由に気付いた。

 扉の前に、誰かが立っている。

 誰だ? 何となく見覚えがあるような姿だ。あれは――。


「……え?」


 そこで訪問者の正体を悟った僕は、思わず自分の目を疑った。


「ったく、やっと帰って来やがったか」


 一人の女性をその腕に抱え。こちらの存在に気付いた()は、ふてぶてしげな表情で舌打ちをかます。


「トロいんだよ。俺らがどんだけ待ってたと思うんだ?」


 人混みでも目立つ鮮やかな金髪。ガッシリとした体格。荒っぽさの伝わる声。どれもこれも見覚えしかない。

 かつて僕の命を狙った妖怪、宗像結城がそこに立っていた。

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