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比翼の烏  作者: どくだみ
第2部
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プロローグ(下):遭遇の記憶

「あーちゃんはさ、どんな人がタイプなん?」


 唐突に声をかけられて、考え事をしていた宮野絢音(みやのあやね)はハッと我に返る。

 声の主は、目の前で弁当を食べている同い年の友人だった。

 何を言ったか完全に聞き逃してしまったので、ペロリと舌を出して問い返す。


「ごめん、なんて?」

「だーかーらー。好きな人のタイプ。上条くんみたいなイケメン爽やか系がいいとか、上条くんみたいなクール系がいいとか、そんな感じのやつ」


 妙にうっとりした声で友人が答えた。

 彼女の言う上条くんとやらは、絢音も知っている。成績優秀、運動神経良し。元サッカー部のエースで人当たりもいい。モテそうな要素をこれでもかとばかりに詰め込んだ優等生さんだ。絢音は別に興味ない。今まで特に関わりもなかったし、そもそも彼のような男らしいタイプは好みじゃないのである。

 ちなみに二人とも恋人はいない。そして上条くんには恋人がいる。友人の想いは最初から破綻しているわけだが、本人曰く「だからこそ推せる」のだそうだ。深淵を覗きそうな気がしたので、それより詳しくは絢音も聞いていない。


「んー、アタシは同い年より年上がいいかな。優しくて、包容力のあるタイプ?」

「お兄さん系?」

「そうそう、お兄さん系! 小さい頃から面倒見て貰ってた、近所の優しいお兄さんみたいな!」

「いるの?」

「いない!」

「予定は?」

「ない!」


 突き抜けそうなほど爽快に答えて、二人で「あっはー!」と笑い転げた。

 開かれた窓から爽やかな風が入ってきて、絢音の髪を盛大に巻き上げていく。

 それは、夏休みを目前に控えた、七月の末のことだった。


 ※


 田舎の公共交通機関は、一時間に数えるほどしか本数がない。

 例えば電車。朝の通勤時でさえ、二十分おきとかがザラにある。一本逃せば遅刻確定など当たり前で、しかも二両編成のワンマン電車とかだから、乗客数は少ないのに混雑する。東京で山手線に乗っているエリートの方々には、上りと下りで一本の線路を共有している路線など想像も出来ないに違いない。

 はたまたバス。あまりに僻地だとそもそもバス停が無かったりするが、電車に比べれば小回りのきく方だ。一時間強に一台のペースでやってくるバスは、年季を感じる古ぼけたダークグリーン。乗客の密度と平均年齢が、地域の置かれた現状を実に分かりやすく教えてくれる。

 高校から、電車に揺られること一時間半。そこから自転車でさらに三十分。

 絢音の家はそんな場所にある。

 終業式を終え、友達と昼ご飯を食べて帰宅すると、時刻は午後の三時を過ぎていた。

 二階の自室に鞄を投げ込み、仏壇の母親に手を合わせ。踵を返してまた外に出る。

 絢音は高校三年生、つまり毎日が受験勉強に追われる日々だ。塾には通っていないから、復習も演習も自力で進めていかねばならない。先生からは、このままの成績を維持すれば目標の九鳥大学は手堅いと言われたが、だからといって手を抜いていいわけじゃないのだ。

 けれど今日くらいは、ちょっと頭を休めてもいいだろう。気分転換がてら、久々にあの方(・・・)へ会いに行ってみよう。

 携帯を胸ポケットに。ワイヤレスのイヤホンを右耳につける。流れ出すのはクイーンの『we will rock you』。あまりゴチャゴチャとしていない、シンプルで力強いメロディーがお気に入りのポイントだ。手拍子のような伴奏に合わせ、聴きすぎて丸暗記してしまった歌詞を口ずさむ。


「ロッキュー!」


 同年代の友達からは、いささか理解されにくい趣味である。

 向かうのは自宅の裏手。草木の生い茂る山の中へ、舗装されていない一本の道が伸びている。虫除けスプレーと飲み物を準備したあとで、絢音は意気揚々とその道を進んでいく。

 真夏でも森の中、特に木陰は思いのほか涼しい。蚊やら蜘蛛やら毛虫やら、虫嫌いが見たら発狂しそうな生き物たちも多いが、絢音にとってはそんなのいつものことだった。

 田舎に住むと、必然的に自然との関わりも増える。軒下に鳥が巣を作るなど日常茶飯事。窓を開ければ蝶が入ってきたり、網戸とガラス窓の間にカエルが入り込んでいたり。初めは気持ち悪いかもしれないが、慣れてしまえば友達になれる。虫愛づる姫君ってやつだ。

 ただしゴキブリは別。あいつはまあ生き物ですらないので、好きになれないのも致し方ないと思う。


 しばらく歩いて、周囲から人の気配が完全に無くなったころ、ようやく目的地が見えてきた。

 周囲を杉の木に囲まれた、ちょっぴり開けている場所。苔むした鳥居のその先に、小さな木造の祠が立っている。

 参拝をしに来たのではない。

 ここに住む一匹の白蛇に、絢音は会いに来たのだった。


「蛇神様、こんにちは!」

「はいこんにちは。久しぶりだが元気そうで何よりだよ」


 朗らかな声で応答して、祠の奥からするすると這い出てきたのは、絢音の足ほどもある太さをした純白の大蛇。その身に纏った不思議な雰囲気と、怪しく光る深紅の瞳は、それ(・・)が通常の生き物でないことをありありと示している。

 大の男でも逃げ出しそうな存在を前に、絢音は臆することなく、慣れた様子で隣へと腰を降ろした。


「今日も熱いね」

「そうだねぇ。だが麓に比べてここは快適だろう?」

「蜘蛛の巣とか張ってるけど」

「ははは。彼らも大切なこの山の仲間さ。あまり嫌わないでおくれよ」


 蛇神が笑う。絢音は両腕を伸ばしてから、その場でごろりと横になった。


「蛇神様のそのスタンス、めっちゃロックだね」

「ロックなのかい?」


 互いに遠慮の無い口調で、一人と一柱は雑談を交わす。信者と崇拝対象……というよりは、気心の知れた友人同士のような関係だった。


「ところで絢音。最近、何か変わったことはあったかな?」

「うーん……別に! 蛇神様は?」

「驚くなかれ、なんと眷属が出来ちゃったんだよね」

「うわ、すごい! 眷属ってことは、王様と家来みたいな感じでしょ?」

「家族と言って欲しいな」

「家族」

「そうとも。君みたいに元気の良い、二匹の狐たちさ。今は遠くに出掛けているけど、しばらくしたら戻ってくる」


 どことなく楽しげな口調で蛇神が言った。


「まだ今度、君にも紹介するとしよう」


 ※


 しばらくその場で涼んだあと、絢音と蛇神は山の散策に出掛けた。

 散策といっても、踏み固められた土の道を通って祠の近くをグルリと一周する簡単なものだ。詳しくは知らないが、蛇神がまだ人々からの信仰を集めていた頃、参拝客によって自然と作られたものらしい。当時の蛇神は今よりもずっと大きく、神としての力も比べものにならないほど強大であったそうだ。

 しかし年月を経るにつれ、次第にこの地から人がいなくなり、信仰を失った蛇神は自ずと没落していったのだという。

 絢音が歩く、その下に。語られることのない歴史が眠っている。

 そう考えると、何だか愛着が湧いてくるから不思議だ。


「……おや、ちょっとストップだ」


 ぼんやりと考え事をしながら進んでいた絢音を、蛇神が唐突に尻尾で制した。


「っと。何、どうしたの?」

「あそこを見たまえ。どうやら引き返さねばならんらしい」


 言われて前方に注意を向けた絢音は、直後「あっ」と息を飲む。

 大量の土砂で道が塞がれていたのだ。きっと、この前の大雨で地盤が緩んだのだろう。山のように積み上がっていて、通るのはちょっと難しそうだ。

 仕方なく来た道を戻ろうとしたとき、土砂の中で何かが光った。


「今のなに?」

「はて。宝の類でも出てきたのかな」


 笑って、蛇神が土砂へと近付いていく。

 特に警戒することもなく、絢音もそのあとに続いた。

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