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比翼の烏  作者: どくだみ
おまけ
45/95

番外編:彼女がイケメンすぎて困ってる(後)

 恋人の馴れ初めというのは、文字通り十人十色だと思う。

 大学のサークルで一緒だった。

 合コンで知り合った。

 仕事の同僚。

 幼馴染み。

 エトセトラエトセトラ。

 ふとしたきっかけでトントン拍子に事が進むときもあれば、長年続いてきた関係が一歩上の段階に昇華して、永遠を誓い合う仲になることもある。その人にはその人なりの出逢いがあり、誰もが皆、自分だけの物語を持っているものだ。

 僕の場合、その物語は少しばかりドラマチックで、少しばかり特殊だった。

 霧に覆われたある夏の日。突然現れた狐の化け物と、そいつから僕を守ってくれた女性。命を賭けた戦いのあとで、僕は彼女の秘密に触れた。昔助けた烏の妖怪であること。これまでもずっと僕の傍にいたこと。一度は別れを告げたけれど、そのあとでまた何やかんやあって、最終的に恋人という関係で落ち着いた。

 ここで強調したいのは、僕たちの関係は僕が守られる側で、彼女が守ってくれる側だったということだ。

 別にそれが嫌なわけではないが、実を言うとちょっぴり不満もある。

 立場が逆だと思う。

 分かっている。色んな関係があっていい。男女のステレオタイプに固執するつもりもない。黒羽の掠れた低音ボイスで「守ってやる」「私の後ろに」なんて囁かれたい欲求もまあ無いわけではない。

 だけどそれでも、好きな相手は守ってあげたいし、守れるようになりたい気持ちがあるのだ。

 一応、男だし。

 賛否両論あるかもしれないけど、戸籍上はそうなっているのだし。

 だから……。


「自分を鍛えて欲しい、だと?」

「うん。お願い」


 怪訝そうな顔をする黒羽に正面から向かい合って、僕は真剣な口調で頼み込む。

 半神になっても変わらないネガティブ思考で、何日もの間、散々に考えた末の言葉だった。

 暦の上では、8月がもう終わろうとしている頃。しかし暑さは弱まる気配さえ見せない。部屋に備え付けの冷房は、新品のくせして微妙に効きが悪く、おかげで僕たちはじんわりと汗をかいていた。設定温度を下げてもいいのだが、そうすると今度は黒羽が身体を冷やすのである。

 お洒落に興味など無さそうな黒羽は、今日も今日とて機動性重視のタンクトップを着ていた。肌の露出する面積は非常に広く、引き締まった肉体もよく見える。だから何だというのか? その解答は僕からは言えない。


「……汝の頼みなら断る理由はない。だが、どうしていきなりそんなことを言い出したのか、聞かせてもらえるか?」


 応えて、黒羽は手元の麦茶を勢いよく飲み干す。液体が食道を下っていく音と共に、曝け出された綺麗な喉が、トクントクンと脈打って見えた。


「ぷはっ……! うん、やはりこの時期の冷たい飲み物は美味しいな! 沢の水を思い出すよ」

「好きだね、それ。でも氷は入れないんだ?」

「私たち烏は体温が高いからな。汝にとっては物足りない温度でも、私には丁度よかったりするのさ」

「そっか」


 頷いて、そこからしばらく奇妙な沈黙が流れた。

 僕の言葉を待っているのだろう、黒羽は髪の先を弄りながらこちらを見つめている。無理矢理に聞き出そうとしないのがありがたかった。


「……どこから、話そうかな」


 ポツリポツリと、口火を切る。

 難しいのは最初だけで、始めてしまえばそこからは楽だった。


「黒羽は、さ。どうして僕が君を好きになったのか分かる?」

「汝が私を? ……ぬ、そうだな。結果に満足してあまり考えたことはなかった。汝を守ろうとしたからか?」

「それもある。だけどね、僕にとって一番大きかったのは別の理由なんだ」

「というと?」

「……見せてくれただろ(・・・・・・・)、何もかも」


 黒羽は微かに目を見開いたが、そのまま無言で続きを促してくる。


「君の記憶。僕と出逢ってからの全て。明るいことも、苦しい思いも、包み隠さず打ち明けてくれた。黒羽だって覚えてるよね?」

「……」

「これまで、そして多分これからも、あんなことしてくれるのは君だけだと思った。だから好きになった。好きでいたいと思えたんだ」


 友人に裏切られた直後だったから、余計に心を揺さぶられたのかもしれない。

 他人との交際なんて、簡単そうでいて難しい最たる例だ。どれだけ親しい間柄でも、他人の心は読み解けない。笑顔の裏には怒りが潜んでいたりするし、好かれているようで実は嫌われていたということもある。

 そこまで理解した上で自分らしい付き合いを続けられるのなら、それは強い人だ。僕はそうじゃない。あれこれと深読みして気を使って、結果的に息苦しさを感じてしまう、そんな損なタイプなのだ。

 だけど黒羽は、見せたいところも見せたくないところも全て曝け出してくれた。あの瞬間に僕は、彼女を信じてもいいって確信出来たのだ。

 絶対に裏のない好意を向けられて、自分でも驚くほどに嬉しかったのだ。


「……私は、嫌われるだろうと覚悟していたぞ」

「ひどいすれ違いだね」


 そう言って力なく笑うと、黒羽は小さく肩を竦めてみせた。まったくだな、って感じだろうか。


「続けてくれ。それがどうして“強くなりたい”に繋がったんだ?」

「簡単だよ。君と同じ事が僕には出来ないからさ」

「……」

「ずっと近くにいたからって、僕の全部を知ってるわけじゃないだろ? 君に見せてない部分だってある。見て欲しくないとこも同じくらい多い。別に黒羽が嫌いとかじゃなくって、僕は元からそういう性格なんだ。自分だけのゾーンを残しておきたいタイプ? だけど……何て言えばいいかな、それだと対等になれない。だからその穴埋めじゃないけど、好きな相手を守れるくらい強くなりたい。無理ならせめて、君の手を煩わせないくらいには。……ごめん、グチャグチャな説明で」


 支離滅裂になりながら、何とか言葉を絞り出す。

 要するに、僕は自分が情けないのだ。黒羽が僕に向けてくれた想いの半分も返せていない。だったら別の方法で……となるのだが、それも無理。彼女を守れるだけの力量が無い。人間をやめて力は強くなったけど、未だに彼女には追い付けない。

 これまで自分は弱かったし、別にいいやと吹っ切れてもいた。強くなりたいと思えただけ、多少は成長したと言えるのだろうか。


「……汝は既に強いだろう」

「強くない」

「木崎を倒して、私を助けてくれたじゃないか」

「上手く意表をつけたからさ。今もう一度戦ったら、分からないよ」


 首を横に振りながら、あの日の記憶を脳内に呼び起こす。

 余裕の勝利を収めたように見えても、実際は危ない綱渡りだった。挑発的な台詞とタイミング、人間は弱いという木崎の先入観。それら諸々を組み合わせた一世一代の大博打。もしも彼女が慢心せず、冷静に僕と相対していたなら、ああも容易くねじ伏せることは出来なかっただろう。


「だからといって、私に相談してくるのは本末転倒じゃないか?」

「仕方ないだろ! 君が一番適任なんだよ。君より強い人とか知らないし、一人でやろうにもやり方が分かんないんだから」


 思わず荒げてしまった声に、黒羽がビクリと肩を震わせた。


「……っ、ごめん」


 気が昂ぶった。そう、目を伏せて謝罪する。黒羽は何も言わなかった。一瞬、視線を持ち上げて確認すれば、彼女は瞑目して何かを考え込んでいる。

 どうしたんだろう。僕が不思議に思ったそのとき、彼女は唐突に瞼を開き、それから僕に向けて腕を開いた。


「楓」

「……黒羽」

「おいで」


 微笑む黒羽。似たような台詞を、黒羽に化けた木崎も言っていた気がするけど、今回の彼女は間違いなく本物だ。

 戸惑った僕が動けないでいると、黒羽は業を煮やしたのか、自分からこちらへとにじり寄ってくる。

 僕の背中に腕を回し、包み込むようにして優しく抱き締めた。彼女の体温を肌で感じる。甘い香りが世界を満たして、胸の鼓動は勢いよく駆け上がる。


「あ、あの……」

「私に守られるのは不満か?」


 心地良いアルトが耳元で囁かれる。僕は慌てて否定した。


「違っ……そうじゃない。そうじゃないけど……」

「無理に言わなくていい。汝の気持ちは分かっているから」


 すぐ傍から。甘い吐息が僕の頬を撫でていく。

 蕩けそうだ。


「想ってくれるだけで十分。……私がこう言うと、汝は気に入らないんだろうな」

「僕ってわがままだからさ。君が毎晩、こっそりとトレーニングしてたりするのを見ると、僕も何かしたいなって」


 応えれば、黒羽が息を飲む気配があった。


「気付いていたのか」

「あ、図星? トレーニングの部分は予想だったんだけど」

「なっ……――謀ったな」


 照れ隠し混じりの素っ気ない呟き。ちょっと顔が赤い。分かりやすいなぁ、と思いながら、僕は彼女を抱き締め返す。


「真夜中にさ、隣で寝てる人がごそごそ動いてどっかに出掛けるんだもん。さすがの僕だって目が覚めるよ」

「しょうがないだろ。身体が鈍るのは良くないが、汝との時間も削りたくないんだから」


 待って、ずるい。

 そんなこと言われたら、もう何も言い返せない。肯定も、否定も、ちょっとした嫌味も無し。ただ無言で頷いて、両腕に力を込めるくらいしか出来なくなってしまう。

 黒羽が僕の頭を撫でると、故意か偶然か、胸元に柔らかいものが押し付けられる事態となった。目を白黒させる僕だったが、わざわざ彼女を押しのけようなどとは想わない。

 沈黙を破ったのは黒羽からだった。


「……よし」


 一つ、大きな息を吐いて、黒羽が僕を解放する。それから僕の手を握り、引っ張るようにして立ち上がらせた。


「着いてこい。望み通り汝を鍛えてやろう」

「……っ、今から?」

「ああ。善は思い立った日にしろ、というだろ?」


 ちょっと違う。


「初めから私と同じメニューをこなすのは難しいから、段階を踏んで過酷にしていこう。言っとくが遠慮はしないぞ。覚悟しておけ?」


 ニヤリと口元を緩める黒羽。大丈夫かな、という不安が早くも生まれてきたが、何とかなるだろうと僕は思い直す。いや、何とかしてみせようじゃないか。僕だって男なんだ。引っ込むくらいなら当たって砕けろ……!


「……オーケー。徹底的にやっちゃってよ」


 不敵な笑みを作ってみせれば、「任せろ」と自信ありげな返事が返ってくる。

 かくして、ちょっぴりハードな僕の肉体改造計画は幕を開けた。

 この努力に意味があるのかは、今の段階ではまだ分からない。

 あるということにしておこう。

 命の形を変えたのだから。自分の生き方くらいなら、きっと簡単に変えられる。

 そう信じようと思う。

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