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比翼の烏  作者: どくだみ
おまけ
43/95

番外編:とある真夏のとある客

 八月中旬、お盆。

 タクシードライバーの鷲津浩一にとって、この季節はかき入れ時だった。

 一般人なら仕事を休み、実家に帰ってゆっくり過ごす。ナスやキュウリで精霊馬を作り、親戚一同で墓参りに出掛ける。そんな感じなのだろう。

 しかしインフラ関係の職に着いているからにはそうもいかない。社会を支えているのは自分たちであり、雨の日も雪の日も風の日も働き続けることが使命だ。――というのが彼の信念である。もちろん、過度な疲労は事故に繋がりうるので、休む日は全力で休息を取る。

 今は、熊本駅の東口付近で客待ちをしているところだ。

 横を向けば……帰省してきた家族連れだろうか。小学生かそこらの子供が、祖母らしき女性に駆け寄って、何やら楽しげな会話を弾ませている。

 平和なものだな、と鷲津は思った。微笑ましい、とはならない。数週間前のとある体験がきっかけで、そんなことを感じる余裕は無くなってしまった。

 巨大な狐の怪物と、それから逃げる若い男女のカップル。

 これまで何人もの客を乗せてきたが、彼ら以上に印象的な者はいなかった。

 あの日の出来事を、鷲津は適当に誤魔化して報告した。

 が、嘘だということはすぐにバレたらしい。同僚の話だと、車体の傷からドライブレコーダーの記録まで、上層部は徹底的に調べつくしたそうである。その結果どうなったかというと、あの夜の一件は文字通りなかったことになり、自分は一週間の休暇を命じられた。

 十中八九、もみ消されたのだろう。化け物に襲われた、なんて文章を報告書に残す訳がない。

 だが、と鷲津は思う。社会が彼らを受け入れなくとも、せめて自分だけは、あの日見たものを忘れずにいよう。既知の世界が全てではないと、身を以て教えてくれたあの青年たちを。

 とは言うものの……実のところ、気になる部分もある。

 あの後、彼らはどうなったのだろうか。途中で命を落としたか、それとも無事に生き延びているだろうか。可能なら後者であって欲しい。そして欲を言うならば、事の顛末をもう少し詳しく聞きたいところだ。


「……おっと」


 後ろの窓がノックされた。どうやらお客らしい。慌てて扉を開く。


「失礼しました。どちらまで行かれますか?」


 乗り込んできた二人組に、鷲津はいつも通りの質問を投げかけ……次の瞬間。バックミラーに映った彼らの顔を見て、ハッと息を飲んだ。


「……お久しぶりです、ドライバーさん」


 噂をすればなんとやら。考えるだけでも効果があるらしい。

 あの日出会った青年と少女が、元気そうな様子でそこにいたのである。

 生きていましたか。思わずそう言いそうになったが、直前で鷲津は考え直した。そんなのは見れば分かることだ。姿を見せに来てくれただけで十分だろう。


「おやどうも。お客さんは二回目のご利用ですね。ご贔屓に」


 微笑みを添えて返事をする。青年は小さく眉を持ち上げてから「お礼を言いに来ました」と呟いた。


「博多駅までお願い出来ます?」

「かしこまりました。今回もなかなかに長距離のようで」


 ギアをローに入れ、アクセルを踏み込む。車がゆっくりと加速して県道に出た。

 前回と違って追っ手はいない。安全なドライブになるだろう。



 目的地までの道のりで、鷲津は色々なことを問い掛けた。あれから何があったのか。どうなったのか。解答の内いくつかは明確で、いくつかはお茶を濁され、またいくつかはよく分からない内容だった。

 その詳細について多くを語るのは止めておこう。彼らの辿った波瀾万丈の冒険譚は、おいそれと他人に打ち明けていいものではないのだから。

 しかしそれでも一つだけ。青年と少女の関係についてだが……後ろの様子を見る限り、どうやら一定の進展を果たしたようである。微笑ましいという感情が久々に湧いてきた。

 料金は最終的に万を越えた。

 博多駅博多口、噴水がよく見える位置に車を停める。

 メーターを確認した青年は、若干の苦笑いを浮かべてから、躊躇いがちに万札を二枚差し出した。


「お釣りは取っておいてください。……あのときのお礼ってことで」


 鷲津は首を横に振った。


「嬉しいですが、受け取ることは出来んのです」

「駄目ですか?」

「仕事ですからな」


 ニヤリと笑う。青年にお釣りを手渡すと、彼はぺこりと頭を下げた。


「ありがとうございました、改めて」

「こちらこそ今後ともご贔屓に。そして末永くお幸せに」


 最後の一言は老婆心を働かせた結果である。青年は顔を赤くして「はい」と頷いた。少女の方は無言だったが、さりげなく青年に肩を擦り寄せたのを鷲津は見逃さなかった。

 去っていく二人を見送ってから、鷲津は再び車を走らせる。

 赤信号の間、なんとなしに茜色の空を仰げば、二羽の烏が仲良く連れ立って飛んでいるのが見えた。青年たちとどちらが仲睦まじいだろうか、と答えの無い問題に考えを巡らせた。


「――“天にありては願わくは比翼の鳥となりて、地にありては願わくは連理の枝とならん”」


 漢文『長恨歌』の一節を呟く。あの夜に青年が教えてくれたものだ。

 今になって思ったことだが、このフレーズは彼らにピッタリである。

 何だか気分の良くなった鷲津は、心の中でこう唱えた。

 

 名前も知らないお二人へ。

 どうか比翼の鳥とならんことを。

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