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比翼の烏  作者: どくだみ
3.高千穂の犬神
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高千穂に犬神あり

 実のところ、僕はオカルトに肯定的な立場だ。

 だってその方がワクワクする。幽霊とか妖怪とか、見たこと無いけど実はいるかもしれない。いたらいいな。そう思いながら二十年を生きてきた。だけど……まさか本当に、本物の神様と対面する羽目になるなんて。

 師匠を勝手に人間だと決め付けていたせいで、驚きもひとしおだった。


「儂のようなものを見るのは、初めてか」

「……はい」

「怖じ気づかずともよい。贄や供物なら別じゃが、そうでなければ人肉など好んで食いはせぬ」


 マヤが引き攣ったような吐息を漏らす。笑ったんだろうか。

 声自体はいたって穏やかだが、猛獣の形をした相手と向き合うのは、本能的な躊躇いがあるのだ。


「もっと近う寄れ」


 確認代わりに黒羽を見れば、無言で頷かれる。意を決して足を踏み出した。


「お主、名はなんというのじゃ」

「出雲。出雲 楓です」

「神々の集いし地の生まれか。これもまた縁かもしれぬのう」


 握り拳大の鼻を近付け、僕の匂いを嗅いでくる。手に当たる息は生暖かく、微妙に湿り気を帯びていた。何だか見定められているようで、僕の身体が自然と強張る。

 その時、僕はあることに気付いて息を飲んだ。


「マヤ様、目が」


 白濁して淀んでいる。僕に向けられてはいるものの、その焦点は定まっていない。黄土色の膿が眼球を囲うようにこびりつき、微かな死の匂いを周囲に向けて垂れ流していた。


「私が出会うずっと前から、師匠は目が見えないんだ」


 黒羽が横に立って、補足してくれる。


「何があったんですか?」


 気になって思わずそう訊けば、マヤは自嘲気味の口調で答えた。


「何も無い。自然とこうなったのじゃ」

「え」

「驚いたかの? 儂とて不老不死ではないということじゃよ。老いもすれば病にもかかる。五百年も生きれば、いかな肉体とて朽ち果てていくもの。力さえだいぶ失った。……黒羽から聞かんかったのか?」

「“狐より何倍も強い”とだけ」


 するとマヤは顔をしかめた。


「なんという説明不足」

「詳しいことは着いてから話すつもりだったんだ。一度見てもらえば納得も早い」


 黒羽が肩を竦める。そのせいで誤解が生まれてたんですけど、と言いたくもなったが、たしかに一理ある理屈だ。あの場で犬神がどうのと告げられても、僕はまともに信じようとしなかっただろう。百聞は一見にしかずというやつだ。


「まあ安心しろ楓。年をとっても神様は神様、妖怪なんかとは次元が違う。だよな師匠?」

「うむ。この目が潰れていようとも、我が領域の内にいる限りお主の居場所は把握出来る。山の主として、身の安全を保証しよう」


 それを聞いて安心しかけたところに、マヤは「だが」と釘を刺した。


「山から一歩でも外に出れば、もはや手助けは不可能じゃ」

「どうしてですか」

「仕方ない。以前の儂ならともかく、今はもう力がそこまで届かぬ。それどころか、力を行使できるのさえこの山の中に限ってのこと。儂の力は神域の中であれば増幅されるが、一歩でも外に出れば一息に弱まる。朽ちかけの身体は老いに負け、まもなく息耐えて果てるじゃろう」

「そんな」

「すまぬな。お主があと三百年ほど早く来ておれば良かったのじゃがな」


 笑っていいのか判別しがたい冗談だった。神様のセンスはよく分からない。


「……つまり、ずっとここにいろと?」

「それは黒羽に訊くのがよかろう。この行動を起こすと決めたのは、儂ではなく黒羽なのじゃから」

「そうなの?」


 隣の黒羽に問いかけを送れば、彼女はどこか複雑そうな表情をしつつ頷く。


「……ああ」


 手を添えて、口元を僕から隠していた。


「汝を守るのは私の意思だ。誰かに頼まれたとかじゃない、私がそうすると決めた」


 掠れた響きにドキリとなる。一息で頬が熱くなった。

 詳しい事情はまだ分からない。だけど少なくとも、黒羽は本当に僕のことを大切に想ってくれているのだ。彼女自身の命を賭けるくらいに。

 その事実に喜ぶ自分が、たしかに胸の奥に存在していた。


「……ありがとう、黒羽」

「礼を言われるようなことじゃない」

「なんでさ」

「私が好きでやってるからだ」

「言わせてよ。僕が言いたいの」

「……好きにしろ」

「守ってくれてありがとう。感謝してる」

「……どういたしまして。これで満足か?」


 黒羽がわざとらしい抑揚をつけて応える。素っ気ない風を出してはいた。しかしよくよく観察してみれば、その顔は心なしか嬉しそうだ。

 自分でも驚くほど真っ直ぐ思いを告げられたことに、僕がちょっとだけ気恥ずかしくなったところで、黒羽がマヤに目配せを送る。そちらを向けば、同じタイミングで僕は呼び掛けられた。


「人間よ」

「はい」

「色々と思うこともあるじゃろう。だが何をするにしても、まずは心身を休めなければ話にならん。……今は、少し眠るとよい」


 瞬間、全身から力が抜けた。

 フワリと身体が軽くなる感覚。世界に靄がかかっていく。逆らえない。戸惑う暇すら無かった。

 優しい声が鼓膜を揺らす。


「お休み」


 直後、僕の視界は闇の中に沈んで途絶えた。

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