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比翼の烏  作者: どくだみ
3.高千穂の犬神
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夜の山道

「ここでいい。停めてくれ」


 黒羽が合図を出したとき、僕たちは山の中にいた。

 曲がりくねった坂道。そこを越えた先にある、少し開けた空間。ささやかな規模の駐車場と、お土産屋らしき商店がいくつか並んでいる。

 すぐ近くには大きな川が流れており、手漕ぎボートに乗って観光することも出来るらしい。だが今は夜明け前だ。観光客どころか、僕たち以外の人の気配すら無かった。

 高千穂峡。

 一度は訪れてみたいと思っていたが、まさかこんな形で叶うとは。


「本当によろしいのですか?」


 戸惑った様子で運転手が確認してくる。


「大丈夫だ。これ以上は車じゃ行けないからな」


 師匠は山奥に住んでいる、そう黒羽は言っていた。ここから更に歩くとなると、どうやら想像以上に辺鄙な場所らしい。俗世から離れるにも限度があるだろうに。

 それなりの額を入れていた筈の財布は、タクシーの代金を払ったせいで薄っぺらくなった。ひもじい思いになりながら車を降りれば、木の葉が風に揺れる音が、より一層くっきりと聞こえてくる。

 タクシーの窓から、運転手が顔を出した。


「後ろのガラスは、事故にあったとでも言っときますよ」

「ありがとうございます。色々と」

「構いません構いません。ですが最後に一つだけ訊かせていただけますか」

「はい」

「これからどうするおつもりです?」

「それは――」

「楓を守る」


 言い淀んだ僕に代わって黒羽が応えた。


「そしてあいつを打ち倒す。ここに来たのもそのためだ」


 迷いの無い、本気の口調。

 視線だけで横を見れば、黒羽は拳を固く握り締めている。凜々しい彼女の横顔に、僕は何度目かも分からぬときめきを覚えた。


「可能なのですか?」

「勝機はある。上手くやればだが」


 逃げてばかりもいられない。いつかは狐を迎え撃つ時が来る。その事実が僕を落ち着かなくさせた。

 具体的なことは、僕もまだ聞かされていない。だが黒羽の言い方からして、きっと何らかの策があるのだろう。今の僕に出来るのは、彼女をただ信じることだけだ。


「幸運を祈っとります」


 映画のような台詞を最後に、タクシーは走り去っていった。テールランプの光が闇の中を遠ざかり、やがて角を曲がったのか見えなくなる。

 そっと、黒羽に背中を押された。


「行こう。霧の外には出たが、前みたいに居場所がバレている可能性もある」

「どのくらい歩くんだい?」

「夜明けまでには着けると思う」


 そう言ってから、黒羽は僕の手を取った。


「離すなよ。はぐれたら危ないだろ?」

「……うん」


 連れられるようにして、僕は夜の山へと足を踏み入れていく。


 月光が木の葉で遮られるせいか、暗闇が一気に濃度を増した。携帯のライトが無ければ歩くことすらおぼつかなかったかもしれない。文明の利器様々だ。

 たちまち、視界から人工物の姿が消える。遊歩道を逸れた先、舗装もされていない、注意すれば辛うじて気付けそうなほどの獣道を、黒羽は躊躇うこと無く進んでいく。対して僕はと言えば、転ばぬよう気を付けながら彼女に着いていくだけで精一杯だった。

 どこからか謎の鳴き声が聞こえる。不安に駆られて周囲を見渡した時、少し離れた木の上で何かが動いた。明かりを向ける暇もなく、そいつは枝葉を揺らして飛び去っていく。


「今の何」

「フクロウだ。私らに危害は加えないさ」


 黒羽の返事に、疲れているような気配は無い。

 やっぱり鍛えているのだろう。僕は早くも息が上がってきたが、それを察知した黒羽が無言で速度を落としてくれた。

 そうしてしばらく急勾配の坂を登れば、今度は下りのターンがやってくる。それが終われば、また上り。

 途中で休憩を挟みながら、何度か同じことを繰り返していく内に、段々と空が青白くなってきた。

 麓からどのくらい歩いたんだろうか。全身に汗が滲んでいる。酷使した足は棒みたいだ。流石にそろそろ休憩が欲しい。


「どこまで行くの」

「もう少しだ」


 ならばこのまま進むとしよう。下手に止まれば動き出すのが辛くなる。気合いを入れる意味合いも込めて、僕は一度、大きく息を吸い込んでから歩みを続ける。

 その時、足下で不吉な物音がした。

 朽ちていたのだろう。足場にしていた倒木が、僕の目の前でみるみるうちに裂けていく。


「しまっ……!」


 避ける間もなく、身体が後ろに傾いた。突然のことに黒羽も対応出来ず、一緒になって体勢を崩す。

 まずい。下は斜面だ。落ちれば擦り傷どころではない。何とかしないと……。

 咄嗟に伸ばした手は、何も掴まず虚しく宙を掻く。駄目だ。山の下、血だらけになって転がる自分の絵面が浮かんできて、絶望で視界は真っ暗に染まった。


「楓っ!」


 悲鳴のような叫び声の後、一瞬の記憶の空白。 


 気付けば、落下は止まっていた。

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