第二幕 死霊術師ルブルと、憎悪を撒く者メアリー。 6
二キロ程、離れた地点だろうか。
蒸気機関車の車掌は、この辺りまでしか近付けないと告げた。
ジェドは、呆然としたまま、酷い蹂躙を眺めていた。
ミントと、ラッハ、アダン達は付いてきてくれた。
「ジェド…………」
クレリックの少女は、少年の名を呟く。
巨大な怪物だった。
二足歩行の大巨人だった。
大巨人は、小山程もあった。
そいつが、現れたのは、数時間も前だと聞く。
未だに、蹂躙は続いている。
村は火の海になっていた。
アレンタは、辺境の村だ。
帝都から離れた、南の端の方にある村だった。
そこでは、人々と獣人達が仲良く暮らしていたのだ。争い事も少なく、争いの酷い帝都とは無縁な生活を送っていた。
だが、今日、村の平和は終わった。
そいつは、理不尽に突如、何の前触れもなく出現した。
それは、巨大な怪物だ。
トカゲの頭をした亜人であるリザードマンの門番達が、最初、弓を引いて、その怪物と戦っていた。
だが、彼らはすぐに怪物の餌となった。
トカゲ頭の亜人が二つに分断されていく。臓物が飛び散っていた。
死だ。
そして、理不尽なまでの暴力だ。
何をやっても、勝てない、という暴力に、今、打ちのめされていた。
門番である兵士達はたやすく殺されていった。
圧倒的な死の前では、人間も、身体的能力が人間以上の亜人も、みな同じだった。等しく死んでいく。……彼らは、来世で幸福になれるのだろうか。ジェドは、そんな事を考えていた。
怪物は、人々を喰い尽そうとしていた。
貪り食う。
そのような表現が正しいのだろうか。
その怪物は人々だけでなく、建造物も樹木も、その巨大な口の中へと納めていった。生態としての生命の維持の為に食べているというよりは、ただ破壊する為に食べている、といった光景だった。
護衛をしている魔法使い達が、次々と炎の呪文によって火球を放っていた。
巨大な怪物には、傷一つ負わせる事が出来なかった。
ローブをまとった魔法使い達は全身の骨を巨大な腕で握り潰されて、頭から貪り喰われた。
辺境の村は、その一体の巨人によって、壊滅状態に陥った。
巨人の姿は、二足歩行する巨大な甲虫のようで、身体の節々に関節肢があり、外骨格に覆われていたという。とてつもなく禍々しい姿をしていたそうだ。
ジェドが村に戻った時は、故郷な見る影もなく荒廃し尽くされており、大巨人の話を聞かされて、絶望によって心を打ち砕かれた。
何もかもが無力だ。
夢描いた人生は、全てが幻だったのだろう。
……ああ、俺はどこまでも無力だ。
それを痛感した。
数日、村を出るのが遅かったら、自分もあの怪物に喰い殺されていたのだろう。ジェドは、自らの悪運を呪う。
ジェドは、涙を流していた。
怖い。
彼は、嗚咽ばかりを漏らして、ただただ泣いていた。
ミントは、彼の腕を強く握り締める。
隣にいた、ラッハとアダンも、その光景を眼の辺りにして悲しみにくれていた。数日前に出会ったジェドの仲間達だ。みなで、今にもおかしくなりそうなジェドを、支えようとしていた……。
ジェド達は、信じるしかなかった。
この村で、死にゆく者達の命運を……、死後の先にあるものを…………。
自らが信じている、宗教を…………。
来世の世界で幸福になっているだろう。
村の司祭が現れた。
村の教会にて、ジェドとは顔見知りだった。
司祭は、破壊し尽くされた家屋の近くで、ひたむきに祈りを捧げていた。彼は降り注ぐ火の粉の中にいた。炎が家屋を焼いていく、司祭は炎にまかれながら、祈りながら焼け死んでいく。…………。
圧倒的で、理不尽な破壊と死ばかりが、そこにはあった。
この司祭もまた、来世に希望を託しているから、祈りを捧げられるのだろう。
ジェドの故郷は破壊し尽くされていく。
戦うすべもなく、兵士達は殺されていったらしい。
……少年は、後々までも、自身の愚かさを嘆く事になる。
†
ジェドの両親も、死んだ。
友人達も、死んだ。
生き残った村人の一人によると、父親の方は生きたまま喰われ、母親の方は業火の中で息絶えたと聞く。
「俺は…………」
彼は愕然として、地面に突っ伏す。
「なんでだ…………」
嗚咽ばかりが漏れた。
「俺が故郷を出たからか? ……俺のせいで、運命が変わってしまったのか……?」
「違います。貴方は運が良かったのです」
「俺は守ってあげられなかった……」
ジェドは大地を両の拳で殴りながら、泣く。
自分は弱い。
此処にいても、怪物に殺されるだけだっただろう。
破壊された街の聖像、教会。
そして、群がるハエ。
建物の残骸、焼け跡…………。
ミントは、この村に、沢山の花を届けたいと言った。
そして、彼女は治癒の魔法によって、病に倒れている者達や傷付いている者達を癒していった。しかし…………。
「怪我人と……、病人の数が多すぎます…………」
重症の者の多くは助けられない。
ミントは、もうじき死ぬべき人達に対して、慰めの言葉を投げていた。来世への希望を、死後の世界への希望を……。生まれ変われば幸福になれる、と……。みな、苦しみの中で悶え続けていた。
みな、転生を信じている。
この村では、その宗教が主流だ。
「あのお婆さんも楽に行けました。病気は決して不幸ではありません。怪物の脅威もです」
彼女の祈りは、願いは届くのだろうか?
ジェドは両親を失った。
反抗期だった、どうしようもなかった。
自分が今、立っている道が分からない。転生への希望……? そんなもの、あるのか?
†
ルクレツィアの帝都では、急遽、会議が開かれて、これからは兵士達の育成を徹底して行うと、国王と、大臣達が話し合っているみたいだった。
大悪魔ミズガルマが攻めてきたのだ。
それが、国王達の出した結論だった。
その邪悪なる権化を討伐しなければならないのだ、と。
「ジェド」
ミントは言った。
「な、何?」
「兵士になりたいですか?」
ジェドは考えているみたいだった。
「い、いや…………、その…………」
「私のギルドにいて欲しいです……」
彼女は、ジェドの心を見抜いているみたいだった。
「ギルド同士の対立、貧困の増大、国内だけでも問題が山積みなのに……。みな、結束するでしょうか?」
ミントは、ジェドにとっては、不可思議な事を言う。
「国民達が、一律になって、怪物や悪魔に抵抗するでしょうか? 私は何だか、とても嫌な予感がしています…………」
ミントは、とても悲しげな顔をしていた。
「嫌な予感…………?」
ジェドは訊ねる。
「兵士になる者達の多くは、貧困からなのです。そして、孤児が多い。みな、お金に苦しんで、兵士に志願するのです。ジェド、……兵士にはならないで下さい。彼らに待っている運命は、ただの国家の駒です。無残に死んでいくだけです」
ミントは、やるせなさそうな顔をしていた。
†
‐大巨人クレデンダを放ってやった。これで、俺の仕事は終わりだな‐
ミズガルマに仕える、悪魔の将軍ロギスマは、燃えるアレンタを見ながら、哄笑していた。
彼は翼を広げながら、遠くから、村の破壊を眺めていた。
歯茎を剥き出しにして、炎の渦となった村を眺めていた。人々が蒸し焼きにされている光景を見るのは、もうどうしようもないくらいに最高だ。
‐豚共が。さっさと死ね。どんどん死ね。お前らの希望の全てが粉微塵に吹き飛んでいくのを見る事は、この俺様にとって、最高の喜びなんだよっ!‐
彼が仕える大悪魔ミズガルマは、この国、全土を手中に収めようとしている。
いつまでも、竜王イブリアの好きにはさせはしない。
それが、ミズガルマの主張だ。
大いなる砂漠の恵み、それをこの手にしたい。
この凍える砂漠をだ。