第二十五幕 オーロラとドラゴン。1
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ザルクファンドは、サウルグロスの下へと羽ばたいていた。
砂漠の大竜巻が吹き荒れている。
砂塵が、あらゆるものを飲み込んでいく。
ザルクは息を飲む。
サウルグロスは全身が暗色の緑色に輝いていた。
「何をしにきた?」
サウルグロスはやってきた、ザルクファンドに訊ねる。
<黒き鱗の副官よ。貴殿の言う黒き鱗の王という者に会わせて貰えないか?>
サウルグロスは、それを聞いて、とてつもなく邪悪な笑みを浮かべていた。
「もはや、隠しだてする理由は無い。貴様の読み通り“黒き鱗の王”というものは存在しない。それは、この俺が火山に住むドラゴンと、火山一帯に済む獣人達をまとめ上げる為に作り上げた存在だ」
<やはり、実体無き存在だったか>
サウルグロスの周辺には、緑色のオーロラが輝いていた。
それらを浴びた者達は、自我なき怪物へと変貌する。
<貴殿の事は、これから何と呼べばいい?>
ザルクファンドは訊ねる。
「俺は滅びのドラゴン、サウルグロス。あるいは、こう呼んで貰おうか? 我こそが、黒き鱗の王そのものである、と」
サウルグロスは、以前にも増して、禍々しい瘴気のようなものを全身から放っていた。
<貴殿はまさか…………>
ザルクは、この禍々しいドラゴンの纏っているものに気付く。
「そう。その通り、元々、黒き鱗の王と、俺が呼んでいたものは、火山の世界『ボルケーノ』の頂上に溢れ返る、強大な魔力の事だ。そのエネルギーを長年に渡って研究し、それが、生命を別の存在へと変える性質を持つものだと知った。それが、黒き鱗のオーロラだ」
サウルグロスは言う。
「俺は神になる。この世界の多元宇宙、全ての破壊と創造を好きなようにデザイン出来る。神にな」
サウルグロスは、とても楽しそうに笑った。
ザルクは気付く。
サウルグロスの手には、天空に高くに、謎の巻き物のような浮いている事に。
この邪悪なるドラゴンは、何らかの力を放とうとしているのだ。
「俺は火山世界の魔力と一体化を遂げた。黒き鱗の王の力は、この俺の中に強大な魔力となって入り込んだ。この戦争も、全ては、この俺の計画通りだ」
<つまり、貴殿は…………>
「貴様ら、ドラゴン共も、この俺の力の生贄となる」
大地を這うオーロラによって変容した生き物達の肉体が、変形し、縮小していく。それらは全て、オーロラへと溶け込み、そしてオーロラは、サウルグロスの全身へと吸い込まれていく。……生命エネルギーを吸い尽くしている。
「命を弄びし竜。かつて、この俺は、そのような俗称で呼ばれていた。全ての命は、この俺の力の源となる。このルクレツィア、全ての生命を、大地を、この俺の力へと変換しようぞ。我は、究極なる支配者を目指す故に」
サウルグロスの尾から解き放たれた光が、ザルクファンドの全身を焼く。
そして、衝撃と共に、ザルクファンドは、遥か彼方へと吹き飛ばされていく。
「生きて伝えろ。もはや、火山のドラゴン共は、この俺にとって用済みだとな。そして、貴様らの命は、この俺の魔力となって生まれ変わるのだ、と」
†
ザルクファンドは、全身をエネルギーの奔流によって焼かれ続けていた。だが、彼は得意の重力魔法を操って、エネルギーの奔流をムリヤリ、せき止め続ける。彼は空を吹き飛ばされ続けていた。
途中、彼は見知った地区を見つけた。
この辺りの場所は知っている。
暗黒魔道士シトリーと出会った場所だ。
ならば……。
彼は更に重力魔法を全身に撃ち込み続け、エネルギーによって焼かれ続ける身体をねじ曲げていく。落下すべき場所は決めていた。
そこは、殺戮の死の闘技場だった。
奴隷商人達の王、カバルフィリドが経営する醜悪な見世物舞台だ。
彼は、その屋根の上へと落下し、屋根を破壊し、闘技場の中へと墜落していった。
見知った場所が現れる。
奴隷達が自由を求めて、剣闘士となり殺し合いを続ける場所だ。
どうやら、ザルクファンドの全身を覆っていた魔力のエネルギーは、何とかかき消す事が出来たみたいだった。だが、彼は、かなりボロボロだった。
闘技場は静まり返っていた。
観客もいなく、剣闘士も存在しない。
だが、この奥には、何名もの殺し合いの為の剣闘士達が収容されている筈だ。
ザルクファンドは、重力魔法を操り、扉という扉をねじ曲げて、破壊していく。
しばらくして、何名かの者達が、ザルクの下へと歩いてくる。
各々の武器を手にし、幽鬼のように虚ろな眼をした剣闘士達だった。
その中には、かつてドラゴン殺しと呼ばれ、ザルクファンドの手によって倒された男の恋人の姿もあった。
ドラゴン殺しの恋人は、今や、死霊術を操り、死んだ恋人の亡骸を使って闘技場に立つ剣闘士だった。彼女は崩壊した心のまま、恋人を重力魔法によってねじり殺したザルクの姿を見ていた。
<お前は……、覚えている。あの男、ドラゴン殺しの……、恋人の女だな………>
ザルクファンドは、全身の苦悶に抑えながら、何とか意識を保とうとする。
<もうすぐ、この帝都ルクレツィアは滅びるだろう。そして、我らドラゴン達を指揮している邪悪な存在である、サウルグロスは、今や、我らドラゴンの敵だ。いや……おそらく、あれは、生きとし生ける者、全ての敵。そして、多次元宇宙全ての敵となる邪悪な存在へと変わろうとしている…………>
ザルクファンドは、口から、血を吐き散らす。
内臓が損傷しているのだ。
ドラゴン殺しの恋人は、虚ろな眼で、何かを地面から立ち上がらせていた。
それは、腐肉を寄せ集めて、顔だけは、かつての剣闘士・ドラゴン殺しの頭をしたアンデッドの怪物だった。彼女は、死霊術師となり、恋人の死肉を使い、この殺戮の闘技場を戦い抜いてきたのだ。
ドラゴン殺しの死体は、有無を言わさず、かつての宿敵であるザルクファンドへと斬り掛かっていく。腕が八本もあり、手に手に、剣や斧や槍といったものを手にしていた。
ザルクファンドは片翼を、勢いよく斬り付けられる。
ザルクは、苦痛で悲鳴を上げそうになる。
<…………、お前は、今だ、この俺を殺し、自由を勝ち取りたいのだな。それとも、お前達は、この俺に復讐を果たしたいのか。だが、此処で死ぬわけにはいかない……>
ザルクは、重力魔法を再び唱える。
そして、アンデッド化した、ドラゴン殺しを重力魔法によって、絡め取っていく。
<貴様らの真の復讐すべき敵は、この俺ではない。……奴隷商人の王、カバルフィリドだ。だが、奴も、……いずれ、この帝都に巻き起こる災厄によって、無事では済まないだろう。……貴様らは、自由になる。……だが、貴様が刃を向ける相手は、この俺ではない……>
……何故、お前は、そこまでしてルクレツィアを守る?
ザルクファンドの背後で、もう一人の自分が囁き掛けてくる。
彼は、迷い、辿り着いた先は、ルクレツィアを同胞達から……いや、邪悪なるドラゴン、サウルグロスの手から守りたいといった感情だった……。
<上手く言えないが……、俺は此処が好きになったからだ。何というか、此処も、俺の“故郷”にしたい。それじゃ駄目だろうか?>
殺戮の闘技場であいまみれた剣闘士達……。
そして、闘技場を生き延びた元奴隷である暗黒魔道士シトリー。
ザルクファンドにとって、このルクレツィアの汚濁と腐敗を知る上で、このルクレツィアに対して、上手く言葉に出来ない感情が湧いた。
剣闘士達は自由を欲していた。
彼らには様々な物語があり、勝ち取りたいものがあった。
それを、ザルクは奪い、刈り取ってきた…………。
<……嘲り囁かれるような気がする。この腐った帝都を作った奴の歯車として闘技場に立った事が……。俺は一体、何に苛まれているのだろう? 俺は人間は自分達とは違うものだと思った。奴らは自由を求めた、俺は快楽の為に、奴らを屠った…………>
シトリーを見ていると、ザルクファンドの胸が掻き毟られる。
結局、自由を勝ち取っても、シトリーのように壊れた存在になってしまうのか……。
自由なんて、虚構だ。
此処に立つ者達は、苦しむ為に死に、苦しむ為に生きる……、たとえ、此処を脱出出来たとしても…………。そういう仕組みの上に、この一般市民達の娯楽施設は、成り立っているのだから。
<俺は、此処で、貴様らに殺されるわけにはいかない。…………、サウルグロスが己のみの目的の為に、ドラゴン達をこの帝都に侵攻させている。戦争を止めなければならない。……サウルグロスは、我々が血を流す事を喜ぶだろう……。俺は、伝えなければならない。同胞のドラゴン達と…………、そして、帝都ルクレツィアの者達に……>
剣闘士達は、まるで、ゾンビのように、虚ろにザルクファンドを眺めていた。
もはや、この闘技場で戦い続けるには、心なき狂人になるしかないのかもしれない。
……なるべく、奴隷達の命を奪いたくは無い。
ザルクファンドは、仕方なく、重力魔法の矛先を別の場所へと向ける。
それは、壁だった。
彼は、残った体力を振り絞って、壁に重力の回転を撃ち込み続けて、孔を開けていく。そして、充分に壁が破壊された事を理解する……。
ドラゴン殺しは、再び、ザルクファンドを打ち倒そうと、腐汁を垂らしながら、手に手に持った得物から雷の魔法を吐き散らして、ザルクへと襲い掛かる。
<悪かったな。だが、お前達は、今日限り自由だ。此処にいる者達も全て……>
ザルクファンドは、自身の全身へと魔法を撃ち込む。
そして、ザルクの全身は吹き飛ばされていく。
孔を開けた壁から、彼の肉体は、放出されていく。
……、ヴァルドラ達が、帝都にいる筈だ。止めなくては……。
彼は、自らの全身の骨が砕け散っていくのが分かった。
だが、死ぬ前に、同胞と、帝都の者達の両者に、サウルグロスの思惑を伝える必要がある……。




