第十六幕 少女は救世を願い、この世界を憎悪する。 2
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「ドラゴン見てきたが。もうじき、帝都は戦乱が幕を開けるだろうな。奴らの親玉である、あのサウルグロスっていう化け物。あれは、私でも厳しいな」
「お前でもか。それは…………、なんというか、凄い奴なんだな……」
「ああ。もうすぐ、お前が憎悪する帝都の時代は終わるかもしれんぞ」
デス・ウィングは、楽しそうに笑う。
盗賊の頭である、ガザディスは松明で辺りを照らしていた。
渓谷だった。
邪精霊の牙のアジトも前だった。
デス・ウィングは、ドラゴン達の軍団と、サウルグロスの姿を一目見てきた帰りだった。彼女は、なんとなく、盗賊達の下へと立ち寄ったのだった。
一人、見張りをしていた、ガザディスと出会った。
「ガザディス。顎鬚は剃ったのか?」
彼女はにやにやと笑う。
「その方が男前だし、誠実そうに見えるな。ははっ」
彼女は茶化すように言う。
「俺は、戦う。デス・ウィング、俺は数多の人々の命を看取った。数多の部下達の死を見た。俺は、彼らの命が大地に還元されていくと信じたい。なあ、デス・ウィング、教えてくれ。この大地や空というものは、あらゆる生命は、全て価値があると思わないか? なんらかの役割を持って生きていると思わないか? 山や森での生活をしていると、ふとそんな事を思う時があるんだ。命とは、大いなるものの一部なのではないかと…………」
彼は木々に蔓延る、蔦を握り締める。
生命は、何処までも、生きようと根付く…………。
「なあ、俺は思うんだ。人間の悪意に踏み込まない、信念や理想は、やがて同じ過ちを繰り返すと思うな? お前は人々から宗教を取った処で、どうなると思う?」
ガザディスは愚直なまでに訊ねる。
「簡単な話だ。別の宗教に縋り付くんだ。本当に無宗教になる事なんて難しいんだ。無宗教っていう宗教に縋り付く。堂々巡りだ。人間は脆く弱いから、何かに縋り付きたがる。全部、物語であり、ショーなんだ。人々の営みってのはな。人間は何かしら、物語が欲しいんだ。小説を読むのだってそうだろ? 宗教書を読んで、宗教に縋るのも同じだ」
彼女は、とても皮肉めいた口調で言う。
「成る程な。……デス・ウィング。お前は本当に、世界の秘密を知っているんだ、って言い草だな。俺は嫌いじゃないぞ。俺だって、この世界の秘密を知りたいんだ」
ガザディスは、少しだけ、切なげな表情になる。
そして、彼は大きく息を吸って、吐き出す。
この山々は精霊に守られた土地だ。
緑は、悪しきものも、貧しきものも、全て平等に触れる事が出来る。花は咲き、樹木は生い茂る。自然は光も闇も受け入れ、歓待する。
「デス・ウィング。もっと俺に色々な事を教えてくれないか? 俺はこの帝都が一体、何故、このような姿をしているか分からないんだ。なんなんだ? 奴らは確かに強くて異常だが、俺は思うんだ。それよりも、何故、国民は、彼らのような異常者共を支持しているのかってな。国民は、何故、権力を支持するのだろう?」
盗賊の頭は、憎々しげな、そして、何処か物悲しげな声音で言う。
この山の途中には、幾つも墓があった。
ガザディスが、先程の戦いで、失った仲間達の墓だった。
暗黒魔導士シトリーに殺された者達の墓。
帝都の女貴族ミランダに殺された者達の墓。
全ては土に還り、そして彼らは森の一部となる…………。
「大スラムにいる者達は、同じ貧しき者達同士で盗み、奪い合う。彼らの多くは、帝都へと怒りを向けない。正直、俺は商人達の運ぶ金銀財宝を焼き払いたいんだ。金という紙キレの為に命が奪われていく。自然は、権力者達のものなんかじゃない。生きとし生けるものは、誰の為の命でもない。国家が命を選別するべきじゃない、民は傲慢過ぎる。あいつらは、帝都の残酷な処刑を見る時の眼を分かっているんだよ。そこに存在しないように、無かった事にするか、楽しそうに喜ぶか。もう、どうしようもないんだ…………」
盗賊の男は、強い口調で言った。
「人間の性質なんだよ。ああ、亜人もいたな。まあ、人種や種族を超えて、知性を手にしたものは、善と悪を理解するんだろな。何処までも邪悪が常態化していても、蔓延し切っていても、それは当り前のものとして受け入れるんだろうな。日常の風景としてな。なあ、盗賊のカシラ。お前、善と悪は何によって、定義されると思う?」
「勝者と敗者か?」
ガザディスは素朴に訊ねる。
「まあ、それも一つの真理だが。…………、私は思うに、それは“言葉”だ。言葉によって、定義されるんだ。何が正しいだとか、何が悪いだとか。…………。人は言葉によって、信じたい神様を作り、宗教を生み出す。縋るべき何かをな。紙キレが価値を持つのも、人間が金には価値がある、色々なものと交換出来る、っていう言葉を作ったからだろうな。権力とかも、あれは、法律っていう言葉を作った。言葉がこの世界を定義して、その言葉によって、人間は……知性ある者達は、この世界を認識するんだ。まあ、そういう事だろうな」
彼女は、何もかもが馬鹿馬鹿しそうに、自身の言の葉を紡いでいく。
「言葉か。……なあ、デス・ウィング……。人は、偶像に縋る病気に感染しているんだ。金は命よりも価値があるだとか、紙キレが命より重いんだぞ? 重病だ」
「だが、お前の思想は国民達には通じない。国家は、お前が無法者の悪とし、国民は権力を善とする。お前は悪、帝都に倒すべき悪党。国民の眼から、お前はそう映る。国民はお前を正しいと思わなかったんだろう? お前の思想は通じない。それがその証左だろう?」
デス・ウィングは、楽しそうな顔に、何処か虚無を孕んでいた。
「ガザディス。盗賊の頭。お前、ギルド・マスターの娘、ミントと話した事は?」
「無いな……、ハルシャの弟子だろう?」
「お前ら、本当に、善人だな、と思ってな。いや、何でもないさ…………」
デス・ウィングの言葉には、何処か自嘲が含まれていた。
森の中の闇は、……何処か優しい…………。
鳥と虫の声が、静かに鳴っていた。




