第十五幕 帝都の怪物 -女貴族、ミランダ。- 1
「さて、ジェド。そろそろ。お前も盗賊の仕事を覚えないとな?」
ガザディスは悪ぶった顔をしながら、ジェドをにんまりと笑った。
「今日は山から街道に掛け降りて、行商人達の馬車を襲撃するぞ」
盗賊のメンバー達の一人が単眼鏡を手にして、馬車が来るのを見ていた。
ベルジバナは、腕組みをしながら、守備を訊ねる。
予定によれば、今日は金や銀を多く積んでいる馬車が到着する筈だ。
「守備兵は四名。少ないな、まあ何とかなるかと」
部下の一人がガザディスに告げる。
「近くに来ました。頭、ああ………行くぜ」
ガザディスは大剣を掲げる。
「絶対に殺すなよ! 生け捕りにしろっ! 金もたんまり持っている筈だ。今日はスラムの奴らにバラ撒いてやれっ!」
喊声を聞いて、盗賊達は山刀やククリナイフ、弓矢を高く掲げて叫び声を上げる。
ベルジバナだけが、ときの声に応じず、スコープを手にして、少しだけ首を傾げていた。頭には、予め伏兵として潜んでおくように役割を振り分けられている。もし、警戒するべき何かがあれば、彼がみなに知らせなければならない。
……何か、おかしいぞ?
彼は思考を巡らせる。
この辺りでは、自分達の悪名は響き渡っている筈だ。
少しだけ、行商人達の護衛兵の数が少ない。……見た処、手練にも見えないのだが。
ガザディスの元に来た、ゾアーグ。
彼はおそらく、監視を付けられているだろう。
……帝都の動きが妙だ。
それは、ベルジバナが直観によるものだった。
すでに、ガザディス及び部下達は、行商人達の馬車を取り囲もうとしていた。
「表に出ろっ!」
「身ぐるみ置いていけっ!」
盗賊達は護衛の兵隊達の剣や槍を叩き落としていく。
中から、二人の人物が現れる。
ベルジバナは遠くからスコープで、その様子を見ていた。
……なんだ、と!?
ベルジバナは言葉を失う。
若頭の表情を見ていた、他の盗賊達は少しだけ困惑する。
幌馬車の中から出てきたのは、ベルジバナが知る限り、意外な人物だった。頭である、ガザディスも言葉を失っている。
美麗なドレスが優雅に現れる。
腰まで伸びたエメラルドにルビーの光を仄かに放つ金色の髪の毛が波打っていた。
胸元は少しだけ露出させている。
「貴様はっ!?」
ガザディスは思わず声を上げていた。
此処にいる事がおかしい人物だからだ。
「あれぇ? ねぇ、本当に出たわ。盗賊退治に呼ばれたんだけど、私が直々に手を下す面子なの? ねぇ? ねっ?」
女は、真っ赤な唇を歪めて笑う。
こんな成金や、そこら辺の貴族達の行商の馬車に乗っているような人物では無かった。
ミランダ。
帝都の娯楽施設の支配人であり、奴隷商人達との交友も深い、堕落した貴族達のクラブ『パラダイス・フォール』の幾つかの娯楽施設を担っている女だった。
「ミランダ様。貴方は本当に酔狂な人物だ」
馬車の中から、ローブを身に纏った、しわがれた声が聞こえる。顔を隠しているが、禍々しいオーラを放っていた。
「ランプ・ランプ。こいつら、私が皆殺しにしていいのかしらあ?」
ガザディスは、即座に配下の者達に命令を下す。
「お前ら、此処は俺が話を付ける。お前らは後ろに下がれ」
ガザディスは大剣を腰に差して、慎重に女に話し掛ける。
「貴方はミランダ様ですな? 我々はご存知の通り、盗賊団『邪精霊の牙』です。……ご無礼を働きました」
ミランダは、強面のガザディスを見据える。
「貴方、邪精霊の頭でしょう? 良い男ね。精悍な顔に、たくましい身体付き。奴隷商のカバルフィリドが丁度、今、剣闘士を欲しがっているのよ。それから、貴方は、そうね。宝石商の女帝リズベラの好みのタイプでしょうね。どう? リズベラの逆ハーレムの構成員になってみない?」
女は全身から、とてつもなく禍々しい魔力を放っていた。
隣にいる魔術師、ランプ・ランプも、今にも何かの魔法を放とうとしていた。
「ははっ、その提案は考えておきたいですなあ。しかし、私は今しがた用事を思い出して、…………」
「…………、煩いわね。何て言うと思ったのかしら? これ以上、我々が馬鹿にされるのは黙っていられないのよ。此処にいる全員、皆殺しよっ!」
ジェドは、震えながら、この女を見ていた。
年齢は二十代後半くらいには見える。
妖艶な美人だ。……少しジェドの守備範囲外ではあるが。
……やばい。
それが、真っ先に抱いた印象だった。
ランプ・ランプと呼ばれた男。
ガザディスの全身が、薄緑色の防御魔法によって包まれる。
ミランダから発せられる、何かによって、盗賊のメンバー達が爆散していく。ガザディスは攻撃される何かを全身に纏った魔法によって、弾き飛ばしていた。
「ミランダ殿? 貴方は、超高速で水の刃を放ってますなっ!?」
ガザディスは背後に跳躍しながら訊ねる。
それを指摘されて、ミランダは少し怒りに満ちた形相で、盗賊団の頭を見据える。
「へえ? 流石は悪名高い邪精霊の頭ガザディス。ただの浮浪者の塵芥では無いわけね? この私が呼ばれるだけあるわ」
「光栄ですな。貴方様を始末すれば、貴族達の勢力圏が変わる。我々は仕事がやりやすくなり、帝都が少しよくなるかもしれませんな?」
ガザディスは大剣を再び、抜き放っていた。
その大剣からは、魔力を身に纏った光が迸っていた。
ランプ・ランプは何かを熱心に詠唱していた。
宙に魔方陣が生まれていく。
魔方陣の中から、巨大な腕が生え出してきた。
次の瞬間。
遠くから放たれた矢が、ランプ・ランプの肩に深く突き刺さっていた。
数秒の間、魔術師の詠唱が止まる。
ベルジバナが、遠くから弓で狙撃したのだった。
ジェドは気付いた。
……デス・ウィングや暗黒魔道士シトリーが相手であった故に、この二人は弱く見えた。だが、ガザディスとベルジバナ、二人は強い魔法戦士なのだ。
だが…………。
「お前ら、俺がこの二人を引き付ける。とにかく、生き残った奴らは全員で逃げろっ!」
ガザディスは叫んでいた。
ミランダは、くすんだ瞳で周囲にいる盗賊達を見据えていた。
「一人も逃がさないわよ?」
彼女の唇は、獰猛な肉食昆虫の顎のように見えた。
ミランダは水の弾丸を飛ばしまくっていた。
どうやら、その水を体内に入り込むと……。
若い盗賊の一人の全身が弾け飛ぶ。…………。
そして、それを起点として、死体の血を浴びた別の者の肉体が爆散していった。
「お前の水の弾は、人体の中に浸透すると、全身を破裂させるのか!?」
ガザディスは訊ねる。
「そうよ。それにしても、本当に、貴方達、相手が悪かったわね?」
肩から矢を抜いた、ランプ・ランプの詠唱は終わっていた。
何も無い空間に亀裂が入る。
亀裂から、巨大な腕が現れる。
腕が盗賊達を空間の中へと引きずり込んでいく。
ジェドは、這いずりながら逃げようとする。
懐から、何かが転がり落ちる。
それは、デス・ウィングから渡された小さな剣だった。
……他人の死……?
彼女は、そう呼んでいた。
ミランダは盗賊二人の頭をわし掴みにする。
若い盗賊二人は見る見るうちに、ミイラのように全身が干乾びていく。ミランダの両手の血管が脈打っていた。
「一人残らず、殺してやるわっ! 帝都に仇為す者達っ!」
魔方陣が生まれて、中から、全身から刺の生えた悪鬼が何体も現れる。ベルジバナが遠距離から魔力の篭もった矢で、悪鬼達を撃ち抜いていくが、悪鬼達はダメージを受けていないみたいだった。ガザディスは、ひたすらに、逃げろ、と叫ぶ。
「一人も逃がさないって言っているわっ! やれっ! ランプ・ランプ……っ!」
ミランダを指差す。
大地がうねり、地盤が水没していく。
……適当に振れ。
デス・ウィングが、そう言っていた。
ジェドは、他人の死を振るう。
刹那。
ランプ・ランプの召喚した、悪鬼達が細切れに崩れ去る。
ランプ・ランプのフードがめくれる。彼のハゲ頭が現れる。ランプ・ランプの全身が細切れになる。
ミランダの全身も刻まれていた。
「えっ……!?」
ジェドは困惑する。
『他人の死』は、ジェドに囁き掛けていた。
そいつは、ジェドの背後に佇んでいた。
<やあ、俺の名前は“他人の死”。君はジェド君でいいね? 俺は別名、アンサラーと呼ばれている。俺の力は対象に“死ぬという事実”を与えるんだ>
禍々しい何かが、ジェドの背後に立っている。
ジェドは、全身から何かを奪われていた。
<ちなみに、俺を使う代償として、生命力が必要なんだ。君の命を頂いていくよ。でも、窮地から助かったからいいよね?>
ジェドは悶え苦しむ。
短剣は、ジェドの手から転がり落ちる。
「ジェドッ!」
ガザディスが叫んでいた。
彼はジェドの身体をつかむと、ベルジバナの下へと向かう。
「よくやったっ! だが、お前も逃げろっ! 勝てる相手では無いっ!」
ガザディスは、左手を掲げる。
彼の周囲に深緑色の防御魔法が張られる。
その盾が、二人へと襲い掛かる、血の刃を弾き飛ばしていた。
首も切断され、心臓も抉られて、全身を切り刻まれた筈のミランダだったが……。
彼女は全身から血を濁流のように流しながら、平然と立っていた。ランプ・ランプの方は、死体となって転がっている。
「逃がすかあああああああああああああっ!!!!!!!!!!!!!!」
女貴族は慟哭するように叫んでいた。
怪物のような咆哮を上げ続けている。
「なんて、女だ…………」
ベルジバナは言葉を失っていた。
帝都の貴族グループの一人、ミランダ。
デス・ウィングは言っていた。邪精霊では、帝都に勝てない。
ミランダは自身の血液も、水として動かす事が出来るみたいだった。彼女の背後から、水流で作られた竜巻が生まれる。
その竜巻が、盗賊達を切り刻み、バラバラにしていく。
ガザディスは、ジェドを力いっぱいに放り投げる。
ベルジバナが、ジェドを受け取る形になる。
「お前ら、逃げろっ! あの女は、この俺が喰い止めるっ!」
ガザディスは魔力を帯びた拳を、大地へと叩き付ける。
巨大なクレーターが、盗賊の頭の男を起点として、辺り一面に作られる。更に、地割れは続いていき、砕けた岩の塊が辺り一面に吹き飛んでいく。その衝撃によって、生み出された水流の竜巻の軌道が変えられる。
ガザディスは、大剣を放り投げていた。
「なによ!? ふざけやがってっ! スラムに住むド底辺の無価値な豚畜生共がああああああっ!」
「黙れっ! お前らの快楽の為に、俺達は生きているわけじゃないっ!」
ガザディスの放った、大剣は、ミランダの喉を裂いていた。更に、大剣はミランダの首を落とした後、迸る魔力のエネルギーによって周辺に衝撃波を放ち続ける。
ガザディスは、生き残った仲間達に必死に、逃げる事を示唆する。
「頭っ! やりましたねっ!」
盗賊の一人が歓喜の声を上げる。
「いや、あの女は死んでいないっ! 足止めしただけだっ! やはり、帝都は……モンスター共だ。国家を形成する怪物の爪だっ!」
シャボン玉。
それが、周辺に生まれる。
ガザディスは、部下の一人から借りた山刀を手にして、未だ平然とした顔で向かってくるミランダを見据えていた。
ミランダは、ガザディスの大剣を、くるくると振り回していた。
「全員、殺すと言ったわ」
「俺を倒してから部下達を殺す事だな」
ガザディスの全身から、魔力のオーラが迸っている。
森と大地の魔法の力だ。
ジェドは、与えられた魔剣に祈る……。
<へえ、また俺を使うんだな?>
ジェドは涙と鼻水だらけになりながら、『他人の死』を振るう。
……弱い、自分を乗り越えなければ……、俺は、俺は……。
彼は、必死で自身を鼓舞する。
強さには、代償が必要だ。
デス・ウィングは、そんな事を言っていたような気がする。
ジェドの背後に、おぞましい何者かが佇んでいた。
ミランダの腹が、胸が、一刀両断に切り伏せられていく。
ガザディスは、周辺を伺うと、跳躍して逃げる。
†




