第十四幕 人間の条件-国王の子息、ジャレス・ルクレツィア-
「父上は生ぬるいんだよねえ」
青年は上等な酒を飲みながら、椅子を目深に座っていた。
調度品に囲まれながら、窓から見える砂漠の景色を眺める。
彼は何名もの女達に囲まれていた。
所謂、ハーレムという奴である。
ジャレス・ルクレツィア。
現ルクレツィア王の子息である。
ハーレムの女達はどろどろとした情念で、互いを憎み合っている。
女達は正妻になろうと必死だ。
ジャレスは、彼女達に酷く退屈していた。
「ジャレス様! こちらのお飲み物は如何ですか?」
半裸の女が、彼に酒を注ぐ。
「お前ら、俺は少し外に出るぞ」
彼は椅子から立ち上がり、外へと向かう事にした。
今日も、悪魔の将軍であるロギスマが、父上と今も話し合いを行いに来ているのだろう。ロギスマは、ジャレスにスラムの統治などの話を振る。貧民達は生かさず殺さずでいい、結論は出ている。彼はそう返す。奴隷商人達は、大闘技場の観戦に誘ってくる。面倒臭いので、彼はそれを断る。何もかもが億劫だ。……パラダイス・フォールの連中と話しても、面白い事なんて何も無い。
王宮地下を管理しているのは、ジャレスだった。
特殊な魔術の実験を推し進めなければならない。
†
ジャレスは、父である、現ルクレツィア王であるバザーリアンの事を、生ぬるいと考えていた。
彼は、今頃はロギスマと交渉を行っている筈だ。
ロギスマも、生ぬるい、ジャレスはそう確信していた。
貴族達の酒池肉林よりも、ジャレスは実験の方に興味があった。そして、暗殺者達のギルド『夢海底』を突き動かす事に、彼の喜びがあった。
王宮地下の存在に気付いている者がいる筈だ。
その者を探し出して、始末しなければならない。
……先日、ルディアーンが管理していた『祝福の墓所』が襲撃されたな。墓守は、奇妙な女と、ギルド・マスターの娘が侵入したと言っていたが……。その奇妙な女とやらと接触しなければならないな。
死後のクレリックは、王宮の所有物だ。
何者も、他人の所有物を壊すべきではない。
墓所が襲撃されて気分を害していたのは、現国王よりも、ジャレスの方が怒りを抱いていた。何故ならば、彼の方が、生前のルディアーンに対して、良くして貰っていたからだ。
生きている時、帝都のクレリック達は生命の心音を聞く事で、命というものを学ぶ。
死せた後、帝都のクレリック達は愚者の心臓を突き刺す事で、命というものを学ぶ。
生は終わりではない、死後こそが栄誉ある人生の育みである。
それが、王宮に仕えるクレリック達のあるべき姿だ。
ルディアーンは、熱心に、彼にそう教えていた。幼い頃から、彼には世話になった。
ジャレスは、彼の言葉を信じている。
…………、全てのクレリック達が、これからはそうあるべきだと考えている。
サレシア率いる、黎明棚達のギルドも、いずれジャレスは改造したいと考えていた。気に入らない。
いつか、黎明棚や、他の無数の王宮に所属しないクレリック達も、支配下に置きたいと、ジャレスは考えていた。…………。早く、権力が欲しい。
†
ジャレスは墓所の責任者だった。
そして、王宮地下は彼の王国だった。
「おはよう。みんな」
ミイラ化したアンデッド達が彼を待っていた。
彼は笑顔で、動く死人達に挨拶する。
元々は転生の宗教を信じて、模範的な者達として彼に死後を望んだ者達だ。彼らはジャレスにだけ聴こえる音楽によって動き出す、忠実な下僕だ。
地下では、帝都の秘密が陳列されている。
拷問の設計図などが散見されていた。
先代や先々代の責任者達の後継ぎを、ジャレスは粛々と行っていた。
「この帝都はお前達によって守られているんだ」
彼は柔和に笑う。
屍達は、拷問器具の製造や、人体実験の研究などを熱心に行っている。
この地下世界は、何層もあり、帝都の深部そのものだった。ジャレスは父王にさえ秘密にしている実験はいくらでもある。
「デルレンジ」
その中で、生きた者が現れた。クレリックの僧衣を纏っている男性だった。
「ジャレス様、おはよう御座います」
僧衣の男は、うやうやしく礼をする。初老の老人だった。
彼は地下を歩いていく。
途中、檻のようなものがあった。
「君達もおはよう」
ジャレスは涼やかな笑みを浮かべる。
檻の中には、脳まで腐敗して、知性を失った、かつてハーレムに所属していた女達が彼の姿を見て、呻き声を上げていた。ミイラ化が施されていないので、全身から腐臭を放っている。ネクロマンシーの技術としては極めて低レベルの魔法によって作られたゾンビ達だった。彼女達は、たまに共喰いも行うので、定期的に食事を与えなくてはならない。ジャレスは布に包まれた、骨付きのチキンを檻の中に放り投げる。ハーレムにいた女達はそれを手に取って喜んだ。歯がごそり、と抜ける音が聞こえた。
教室がある。
此処では、ネクロマンシーの秘術を教える勉強会が、定期的に行われていた。帝都中に、ネクロマンサーの軍団を作りたい。何名かの子供達が熱心にアンデッドの講師の下で、帝都の秘術を学んでいた。彼らはいずれ、暗殺者ギルド『夢海底』に所属する事になる。今日は算数の時間らしかった。
「寝ている子供が多いんですよ、どうしましょうか?」
デルレンジは苦言を齎す。
「健康な証拠だ。俺も分数の時間は退屈だった。四角形の角度の問題が出た時は王宮から逃げ出したものだ」
そう言って、ジャレスは鼻歌を歌い出す。
……未だにつかめない人だなあ。
デルレンジは、苦笑する。
「魔女二人。ルブルとメアリーと言ったかな。俺は彼女達と接触したいんだよね。どうやったら、あんな炎の城を作れるのかな。ギルドの者達に、ゾンビの死骸を回収させたけど、昆虫や蛇やコウモリみたいな姿のものもあったな。調べたら、全部、人の死体を変形させたものだった。どうやったら、あんなもの作れるんだろうなあ」
彼は彼女達の死術には、極めて強い興味を示していた。
あの魔女達は、ジャレスにとっては恩寵そのものだった。このルクレツィアに訪れた恵みそのものだ。この退屈な世界をより充実させる為のアイデアをくれたのだ。
ある部屋の中には、薬物によって発狂しながら、延々と壁に象形文字を描いている男がいた。ある部屋の中には、疫病によって死んでいく人間を入れた透明な無菌室があった。ある部屋では、大量の虫によって殺害されていく者がいた。
それらは、全てが実験の一環だった。
主に、ミイラ化したゾンビ達が、彼らの見張りを行っている。
ジャレスは好物のあんぱんを口にしながら、伊達眼鏡を付けて、研究データを読んでいく。部屋の中には花瓶があった。彼はナルシストだった。ゾンビや狂人達の呻き声が聞こえる。それを知性のあるゾンビが宥め、威嚇し、抑え込んでいた。ジャレスはあんぱんとよく合うホット・ミルクを口にする。データを見て満足を覚えた。
「やっぱり、娯楽パーティーの『パラダイス・フォール』や王宮のハーレムよりも、此処が一番、落ち着くね。ああ、そうだ。ロガーサ、仕事の方はどうかな?」
ジャレスは、背後に佇む人間の男に訊ねる。
「ジャレス様。どうやら、裏切り者は私が所属している紅玉業にいる可能性が高いです」
紅玉業の魔法使い、ロガーサは、暗殺者ギルドの一人として顔を、この地下の中では見せた。
ジャレスは振り向かずに、ロガーサに訊ねていく。
お互いにとって、本来ならば、顔合わせをしてはならない人物なのだ。此処で二人が対面している、という事実は存在してはならないのだ。だから、二人はこの地下では、顔を合わせて話をしない。
「そうなんだ。もし、王族護衛軍のメンバーの中に裏切り者がいるなら、俺の下に差し出してくれないかな? 俺直々に手を下すから」
「仰せのままに」
「心辺りは?」
「ミノタウロスの勇者ハルシャ。…………そして、可能性として低いですが、オークの戦士ゾアーグ。あるいは、この二人共、反逆者に傾きつつあります」
「紅玉業は、君も含めて三名だったね。もう全員、入れ替えようかな。今度の人数は五名くらいにしようか。そうだな…………、余計な正義感を持っていない奴がいいかな。本当に有能な奴は、言われた事を粛々とやっていればいいんだよ」
ジャレスは、とても穏やかな眼をしていた。
「んん、それにしても、後は……」
知性無きゾンビの一体に、薬物であるケシのエキスを注入して、どんな反応を示したかのデータが書かれていた。ジャレスはそれを確認すると、満足そうな笑みを浮かべる。
「父上が会ったと言われる者。それから、墓所の一つを襲撃した者。同一人物だろうなあ。そいつと会わないと行けないなあ。……ロガーサ、何か情報を知っているか?」
「はい。その者は名をデス・ウィングと……」
「デス・ウィングかあ。今度、会ってみたいなあ」
そう言うと、ジャレスは地下の奥へと進んでいった。
†
デルレンジは、長年、仕えているこの男を奇妙に思っていた。
思い付きで、奇抜な事を考えていく。
数年前の事だった。
「俺さあ。子供欲しいんだよね。子供見ていると、可愛いと思うから」
「……どなたか、愛人の方と奥さんをお作りになられるのですか? 御正妻はまだ決めていませんよね? ハーレムの者達からお決めになるのですか?」
「俺の遺伝子はいらないんだよね。いや、俺は自分の血筋が嫌いってわけじゃないよ。ただ、それだと何か魅力を感じないんだ。だから、俺は自分の遺伝子では無い人間を育ててみたい」
そう、彼は笑顔で言った。
何らかの企みが初めからあったのか、それとも、ただの思い付きであったのか、デルレンジには分からない。
「可愛いよね、この子。育てられなかったんだって。スラムから募ったら、すぐ来たね。でも、今度は一般市民の人達からも募ろう。色々な事情で育てられない人達は、沢山いるだろうから」
彼はそう言いながら、布に包まれた赤ん坊を抱き締めていた。
初めて、生後数カ月後の赤ん坊が届いた時、デルレンジは、てっきり彼が生態解剖などの人体実験道具として処理するのではないかと考えていたのだが、ジャレスはまるで我が子のように子供を可愛がった。真剣に子育て用のオムツや哺乳瓶などを取り寄せていた。しばらくの間、デルレンジは、彼の事を見ていたが、……やはり、彼の心は黒い何かを考えているのだろうという結論に至った。
ジャレスは子供達を地下室に集めて、暗殺者ギルドのメンバーにする育成を始めたのだった。元々、暗殺者ギルドは適任者をこちら側からスカウトに引き入れるシステムだったのだが、ジャレスは” 自分で好みに育ててみたい”という発想から、色々な場所から子供を作って、暗殺者として育成するという結論みたいだった。
ジャレスは、人間らしく生きたかった。
それを、大切に育てている子供達にも教えてあげたい…………。
†
ジャレスは人間らしい心をもたない。
……きっと、ミントも、道をたがえれば……、彼と同じになっていた…………。
ジャレス




