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第十幕 ストレンジ・フルーツ ‐果樹園の夜‐ 4


 シトリーは、その処刑場に訪れる。

 夜闇の中、呻き声が聞こえる。

 執行者達は交代で、刑罰に処される者達を見張っている。


 嘆き悲しむ者達の声が、一つの歌のように聞こえた。

 彼らの一部は、苦痛の余り、既に発狂しているみたいだった。


 凌遅刑という刑罰。


 それが、帝都にいる貴族達を喜ばせる催し物の一つだった。

 主に、国王への不敬罪によって捕えられたものに与えられた刑罰だった。


 大スラムに隣接する処刑場で執り行われる刑罰だった。

 処刑される者を、十字架に縛り付け、専用の刃物によって身体の肉を少しずつ削いでいく。一日で終わる者もいれば、一週間程度かけて死へと至らしめられる者もいた。胸を裂かれ、胸骨を剥き出しにされて、両手両脚の少しずつ削がれていっても、犠牲者は未だに生かされていた。


 凌遅刑によって処刑される事を怖れる者達は、他の不敬者の情報を売ったり、財産を提供したりする事によって、刑罰を軽くして貰い、斬首や溺死といった苦しみが小さな処刑まで減刑された。


 スラムの者達は怖れ慄き、この処刑場を“赤い果樹園”と呼んでいた。

 貴族達は、刑に処される者達を“果実を剥く”と称して、喜んでいた。


  数十名、時には百名以上の者達が、磔にされ少しずつ全身を切り刻まれて殺されていく場所だ。此処は、帝都を象徴する悪夢の一つとして、よく知れ渡っているらしい。

 殆どの者達は、無関係と言わんばかりに、この刑罰を見世物だと思っている。


 何故なら、凌遅刑を下される者達は、帝都に対する“反逆罪”だった。


 殺人や放火でさえ、牢屋に十年から数十年ぶち込まれる程度なのだ。

 悪くて、斬首や絞首だ。


 ただ、反逆罪だけは、格段に重い刑罰とされていた。


 一般市民にとっても、その催しものこそが、国王からのプレゼントなのだと考えている者も存在する。牢屋に入れられる死刑囚達にさえ、自分達とは無関係なものとして、慰めものとされ伝え聞かされる。自分達の刑罰が慈悲である事を理解する為に……。


 この刑罰によって、処刑される者達の死後は無い……無だとされている。


その果樹園に実る果実は、悲鳴を上げ、自由を懇願する。死と言う自由を。

だが、国王も貴族も……、果実を見て楽しむ一般的な市民達もそれを許さない。


 そして、シトリーは、酷く冷笑的な眼で、その処刑場を観ていた。


 ……彼らは幸福だな。もっと酷い刑罰を俺は知っているのだからな。


 国王の宮殿地下への罰を言い渡される反逆者の中には、果樹園に生る、果物にされる事を懇願する者達も多いと聞く。あの王宮の地下に、何らかの秘密があるのだろう。


 シトリーの知る限り、もっとも重い苦痛の一つは、転生を信じた者達に行われた儀式だった。それは、刑罰ではなく、恩賞として行われるのだから最悪だった。


 権力者の数だけ、刑罰の種類は存在する。

 死霊術の研究がなされている中で、より重い刑罰を下す上で、火刑や凌遅刑、車裂きといった見世物よりも“痛覚を残されたまま”、ゾンビにされる刑罰を知っていたからだ。苦しみは数日ではなく、永遠に近く続いていく。


 シトリーには、宿敵と呼ぶべき存在があった。


 奴隷商人カバルフィリド。

 いつか、殺さなければならない相手だった。


 あの男のせいで、何名もの仲間達が死に、今なおも虐待され続けている。


「……さて、これからシルスグリア様に処刑されに行こうっ!」

 

 暗黒魔道士シトリーは、ギルドの本拠地へと向かっていった。

 呪性王のギルド・マスターである、闇の天使がいる場所だ。


 シトリーは、シルスグリアの命令を、つねに渇望し続けていた。

 彼には、自分自身を満たすモノが何も無い。

 彼にとって、自我が芽生える頃、そんな感情で溢れ返っていた。

 深く暗い、沼の底に彼の感情はあった。

 心の底から満たされるものは、何も無かった。誰も好きじゃなかった。誰も愛せなかった。


 シトリーにとって、闇の天使シルスグリアは救世主だった。


 彼は鼻歌交じりで、闇の天使の下へ向かう。

 腰には、無数の生首を下げていた。

 人間、エルフ、オーク、ミノタウロス、リザードマン、様々な種族の様々なギルドに属する者達だった。生首は所々が白骨化している。トロールの生首もあり、未だ痙攣し、再生を続けようと動き続ける。


 帰る道中、デス・ウィングから負わされた傷をモノともせずに、いくつかの小さなギルドを襲撃してきた。


 闇の天使に仕える事。

 それだけが、彼にこの世界に生きていくだけの意味を与えた。



「人間。貴様は何を求めている?」

 かつて、シトリーは、そう訊ねられた。

 初めて出会った時、黒い天使は翼を広げていた。

 死と冥府の契約によって、配下の者達を繋ぎ止める翼を持つ者、それがシルスグリアだった。手には、死すべき人間に終わりをもたらす長槍を構えていた。


「わたしには、何もありません……。何も、私には無いのです」

 彼はそれだけ告げた。

「そうか、ならば、貴様は私の下で働け」

 彼にとって、異存などある筈が無かった。

 彼は自らの運命を呪っていたが、同じ存在を憎む強大な存在に出会い、運命が変わった。


 奴隷商人カバルフィリド。

 あの醜悪な老人の支配する地区から、少年だった彼は逃げ出したのだ。彼の容姿を好む下卑たバイセクシャルの男達に、性的に慰め者にされる運命にあった。


 いつか絶対に殺さなければならない相手。

 シトリーは、そう誓っている。

 あの老人が存在している限り、虐待される子供は増え続ける。彼を殺しても、代わりはいくらでもあって、人間に対する尊厳の無さは終わりが無いのかもしれないが。



「沢山の血を啜ってまいりました。しかし、邪精霊の牙の討伐に失敗しました。ガザディスと交流のあった女に邪魔をされました」

 呪性王の謁見の間にて、シトリーはかしずく。


 大聖堂の中だった。

 呪性王の闇の天使の本拠地は、帝都に住まう聖騎士団の一派全員を虐殺して強奪したもの場所だった。墓所や“奈落の王”などを模範して、地下に作られている。


 闇の天使は槍を、部下である暗黒魔道士に向ける。

 その後、彼女は槍の柄を地面へと突き立てる。

「邪精霊討伐はしくじったか。まあよい。口減らしが出来たのなら、それで良い。これからも出来るだけ多くのギルドの者達を殺すのだ」

「ありがたきお言葉。そして大いなる慈悲にご感謝致します」

 シトリーは嬉しそうに顔を上げる。

 何らかの罰を受ける事は覚悟していたが、咎めは何も無かった。それだけで、彼の心は満たされる。


「さて、お前に更なる任務を下す。良いか?」

「なんなりと」

「口減らしは続けろ。だが、その口減らしに追加のものとして、帝都に突如現れた魔女達も入れる。彼女達は死霊術士(ネクロマンサー)であるみたいなのだが、あのゾンビの城は目障りだ。シトリー。私はゾンビが酷く不愉快に思っているのは分かるな? 私はルクレツィアの墓所も気に入らない。王に仕えるクレリック共もな、意味は分かるな?」

「はい」

 シトリーは杖を固く握り締める。

「墓所も襲撃致します」

 シルスグリアは厳粛な相貌で、唇を歪める。


「ゾンビ共の弱点は分かるな?」

「はい、熟知しておりますとも。その為に、わたしは殲滅の魔法を磨いてきました故にっ!」

「では、向かえ」

「仰せのままに」

 そうして、謁見は終わった。

 この本拠地の奥には、傷付いた肉体を癒やす回復魔法が受けられる場がある。そこに向かい、彼は時たま獲物から受けた傷を癒やしていた。その後で充分な食事と睡眠を取り、すぐにいつものように仕事に向かう。そういつも通りだった。


 人生は選べない。

 シトリーは、常々、そう思う。

 だから、闇の天使の下で生きる事になったのは、祝福であるし、恩寵でもあるのだ。

 生まれた場所や、能力や特性、性別、人種、あらゆるものによって翻弄され続ける。何故、生まれてきたのか? 何の為に生きて、何の為に死んでいくのか?


 シトリーが寄り処にしたのは、闇の天使の下で働く事だった。

 彼女の手足となって、沢山の者達を殺める事だった。

 それだけが、彼の存在の意味だった。

 それだけが、彼の存在の意味になった。


 かつて、彼は、奴隷だった為に、彼はその生から逃れようともがき続けた。


 シトリーは、天使の顔を見て、自分の命運を確かめる。

 その存在の使命をだ。


 神様は何故、世界をこんな風に作ったのだろう?

 幼い頃のシトリーは、そんな事を何度も考え続けた。今も反復するように、時たま、頭を過ぎ去る思考なのである。中々、形成されていった人格や、世界への認識というものは変わらないものだ。


 深く激しい怒りだけが、彼を強くした。

 自分自身が存在しているという事を、この世界に証明してみせたかった。どれだけ多くの人間の死と不幸の下に、この世界が成り立っているのかと気付いた時、彼は、それをバラ撒こうと思った。だから、呪性王という異端宗教と呼ばれるギルドに入り、殺戮の暗黒魔道士となったのだ。


 呪性王は、かつて裏切り者である、カバルフィリドを憎んでいる。

 呪性王に、自身の存在を見い出すのは充分過ぎる理由だった。


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