第十幕 ストレンジ・フルーツ ‐果樹園の夜‐ 3
帝都直属護衛軍のギルド『紅玉業』に所属する、オークのゾアーグのエピソードです。
3
誰もが、暴力に麻痺している。
それらが、日常の風景として存在するが、市民達は、みな眼を背け続けている。あるいは娯楽として消費し、あるいは鬱陶しいものとして煙たがられている。
ゾアーグが欲しいものは、栄光などでは無かった。
彼は正義という概念を欲していた。
ゾアーグは、ヒヒのような頭をしたオーク族の戦士だった。
オーク族は人間よりも強靭な肉体だが、ミノタウロスよりも頑強ではない、そしてエルフ程知性的ではない、人間よりも魔法を得意としていない半端な種族と言われていた。
どちらかというと、偏見にさらされやすい種族だった。
主に、肉体労働者や執事といった仕事が向いていた。ミノタウロスやトロール程、衛兵向きではない。特に砂漠の怪物達に勝てる程に強靭ではない。
オークという種族は、比較的高い地位には登れない種族だった。
だが、ゾアーグは数少ない、戦士として栄誉のある仕事に付いていた。
ミントやハルシャを見ていると、時折、眩しく感じる事がある。あの二人の理想は高い。
魔女達を倒さなければならない。
紅蓮業に入る前に、ゾアーグの仕事はイブリアの齎した力の管理だった。
此処、数百年の間は、人間とオーク達は上手くやれた筈だ。
それ以前の歴史が一体、何だったのか。
それは、戦乱の歴史だったと聞く。
ゾアーグは、魔女二人。
ルブルとメアリーに対して、複雑な感情を抱いていた……。
帝都を破壊してくれた事によって、喜ぶ者達が多いからだ。
確実に、国王は国民の一部から深く憎まれている。
それだけは確かだった。
かつて、ゾアーグには親友がいた。
エルフ族である、ラフォールという男だった。
彼は帝都に疑問を抱き続けてきた。
彼の親友は帝都によって、処刑される事となった。
悪名高き、果樹園に実る運命に晒されたのだ…………。
†
「ゾアーグ。オークってのは、図体がでかいだけのノロマって聞かされていたが、本当か?」
ラフォールは、失礼な奴だった。
軽口ばかり叩いてくる。
彼とは山脈を探索するギルドで知り合った。
「ラフォール。なんだ? エルフは逃げ足が速いだけの奴か? 足手まといにはなるなよ?」
ゾアーグは、そうやって軽口を返していた。
鉱山探索や怪物討伐、共に、様々な仕事をした。
いつからだろうか。
彼の危うさに気付いたのは……。
彼はエルフであり、ラジャル・クォーザの信者だ。故に、帝都の転生の宗教は受け付けない。そして、彼は帝都の残忍な処刑や闘技場などに関して、深い嫌悪感を示していた。ゾアーグは、何度か、それを表向き立って口にする事は、造反者として処刑される危険性を指摘した。
「ゾアーグ、お前は帝都の宗教を信じているのか? 転生の宗教を」
「さあなあ」
「俺達の神はもっと良い教義を、俺達に齎してくれているぜ。大自然との調和だ。遊牧民達のような生活で、自然の中で生きている。大きな階級なんてない。貧しい者達には分け与えているし、能力の優劣は適材適所で決めている。帝都の者達にな、俺は、いずれ、ラジャル様の教えを伝える、説教師になるつもりだ」
この陽気なエルフは、とても楽しそうだった。
他宗教の説教師、伝道者達は、死罪だった。
果樹園行き、その他の残酷な処刑に処される謀反罪を与えるには、充分過ぎる罪となった。ゾアーグはそれを知っていた。
「なあ、ゾアーグ。いつか、貧富の格差の無い社会が来るといいな。俺はそれをずっとずっと望んでいるぜ。このカタブツ、ノロマの牙野郎! 俺やラジャル様はお前のような奴だって、幸せになる事を望んでいるんだぜ!」
ラフォールは、そう言いながら、ゾアーグに向けて楽器を引いた。
彼の職業は吟遊詩人。
歌や踊り、芸術や自然との触れ合いが、当たり前の職業としてみなから慕われる世界になればいい、彼はそう言って、歌っていた…………。
彼の弦楽器より紡ぎ出される音色は、今も、ゾアーグの耳に囁きかけるように聞こえてくる。きっと、彼はゾアーグの中で永遠になった。
†
当時、ゾアーグは処刑人の仕事を承っていた。
紅玉業の当時の仕事は、拷問されている者の介錯も兼ねていた。
ハルシャと違い、ゾアーグは様々な処刑を承った。
ラフォールは、磔にされていた。
ゾアーグは、彼と対峙した。
親友は、果樹園へと連れていかれる途中だった。
「まだ、綺麗な身体なのだな……」
「ああ。さすがに脚と肩は殴打されて、痛むけどな」
「これから、お前は果樹園に連れていかれる。だが、俺の立場によって、お前を楽にする事が出来る」
「頼む。ありがとう」
そう言って、ゾアーグは親友の首を落とした。
彼の拷問と処刑の苦痛は、最小限に終わった。
それが、以前の彼に出来る最大限の慈悲だった。
果樹園に実る事なく、彼を楽にさせた。
今ならば、……、きっとより良い事が出来ると思う。
親友であったエルフの首を落とした時、彼の中で何かが死んだのかもしれない。彼は吟遊詩人として、帝都と戦う為の歌を作りたいと言った。彼の紡ぎ出す楽器の音色は美しかった。彼の楽器をゾアーグは今も保管している。
†
大スラムだった。
雑踏に包まれている。住民達はボロ布を纏っている。日々の暮らしの為に乞食や露天商に勤しんでいた。瓦礫や捨てられた木材などで家を立てている者達もいる。
所々には、焚火の後があった。
医者にはかかれずに、疫病に苦しんで蹲っている者達もいた。
此処では、貧困者同士で自治を行って、それなりに治安は保たれているとも聞く。政府への反逆者達も、沢山、家々の中には潜んでいるという話は、帝都中に広まっている。夜には、強盗もよく出た。
ジェドは、奔走されていた。
とにかく、みな、人使いが荒い。
ガザディスは大鍋に肉や野菜を入れて茹でていた。
盗賊団のメンバー達は、しきりに野菜や肉を切っている。
スープの臭いが、スラムに広がっていた。
ホームレス達が、煮炊きに集まってくる。
彼らは、身体に病気を持っていたり、脚を悪くしている者達もいた。喧嘩によって、障害を負っている者もいた。
盗賊達は、みなに笑顔を送る。
「お前ら、腹が減っているだろっ!? さっさと喰いやがれっ!」
ベルジバナが角笛を吹きながら、怒鳴り散らしていた。
盗賊の一人が大きな袋をぶちまけて、中から衣服を広げていく。
スラムの者達が、ノミやシラミだらけの衣服を捨てて、次々と出された衣服を手にしていく。強奪するように、上等な生地の衣服をもぎ取っていく者もいれば、中には盗賊達にうやうやしく、深い感謝の祈りを捧げる者もいた。
邪精霊は、貧しき者達を区別しない。
愚かな者、高潔な者、スラムには様々な者達がいる。人種だって無数だ。スラム内での派閥も多いらしい。だが、そんなもの、何の意味があろうか。みな、平等に飯にありつき、綺麗な衣服を纏えればいい。
邪精霊は、強く信念を持っていた。
スラムの者達が飯と衣類にあり付いている中で、浮いた一人の男が現れた。
大刀を背負った、一人のオークが盗賊達の前に近付いてくる。
「少し聞きたいが、この辺りで、行商人が賊に襲われたと聞いたが……、何か知らないかな?」
ガザディスは、オークの顔を見て大声で笑う。
「知りませんなぁ。処で、護衛兵さん、取り締まりなんかせんで、貴方も飯でも食べていきませんか? 私らの作る食事は美味しいですよ。泥棒から取り返したご飯です。税金泥棒共からねっ!」
そう言って、ガザディスは、オークの前に煮炊きの入った椀を渡す。
オークはそれを受け取る。
「護衛兵か。今日は勤務中では無いのでな。帝都の警備はしていない。非番の日だ。どれ、頂こうか、ガザディス」
そう言うと、オークは椀を貰う。
「ゾアーグ。あのミノタウロスは元気か?」
ガザディスは、部下の盗賊の一人に配給を任せると、古い友人とも言えるオークに訊ねる。
「今は魔女とドラゴンに関して奔走している。お前達の事など構っている暇は無いだろうな。奴に会いたいか?」
「会いたいなあ。なんで、人間の皮を被った化け物のような国王の護衛なんてする? 俺と一緒に組まねぇか? 何度だって言ってやりたいですなあ」
盗賊団の頭は楽しそうに告げる。
「友よ。お前に言っておきたい事があってな。寄ったのだ」
ゾアーグは、少し感傷的な顔をする。
ガザディスは顎鬚を弄りながら、首を傾げる。
「どうした?」
「俺は帝都の謀反者になるかもしれん」
彼の告白に、盗賊の長は、少しだけ沈黙する。
そして、すぐにめいいっぱいに、破顔する。
「…………なら、俺達の処へ来いよ。いつでも大歓迎だぞ?」
「駄目だ。……捕まれば、俺は、お前達より、更に重い刑罰に処されるかもしれん。俺は今、宮殿の“地下”に関して調べている。“ギルド・マスターの娘”に関してもな」
ガザディスは、一瞬、口を大きく開いて呆けたような顔になる。
「帝都のタブーだと聞かされているぞ? この俺も噂程度にしか耳にしていないぞ?」
盗賊の長は、とてつもなく忌まわしいものを思い出すように言った。
少なくとも、タブーに触れて、生きて戻ってきたものはいない。
ガザディスは、怪訝そうな顔で、知己の友人である男に訊ねる。
「というよりも、どうしたんだ? お前は一体、何を考えているんだ?」
ふうっ、と、オークの戦士は地面に腰を下ろす。
「家に帰るとな。昔、死んだエルフの友の楽器が置いてある。それを見る度に、俺は何かを間違えていたのかもしれんと思う。どうすれば良い結果になるのか、俺は考えている。人々は何を信じ、何を生きているのか。我々に根付いた宗教とは何なのか。死後の世界にどんな慈悲があるのか。それを考えている」
ガザディスは、首を横に振る。
「ゾアーグ。それは反逆者の思考だ。お前は…………」
「俺の心はもう、帝都には無い。そういう事だ……」
「ならば、俺達と共に…………」
「それも出来ぬ。俺は帝都の禁忌に踏み込んでいる。ガザディス、お前達、邪精霊の刑罰は、せいぜい懲役か、死刑でも首吊り縄だろうが。俺は全身を刻まれるだろう。それがこの帝都の法律だ。……思想犯に対する刑罰は、何よりも重い。それに俺は紅玉業だ。国王が定めた直属護衛であり、警備隊だ。……情状酌量は認められぬだろうな」
彼は首を横に振る。
その横顔には、何処か苦悩の痕のようなものを、ガザディスは感じ取った。
「ゾアーグ……。俺達は、鉄格子の無い牢獄の中にいるんだ。俺はいずれ、夜明けの為に戦う。この世界は腐り切っている。貧しき者達の為に戦うんだ。お前も……」
「俺は友人の首をはねた。俺は彼と再会したいと考えている。だから、俺は俺の為すべき事をする。ガザディス。義賊の長よ、お前はお前の為すべき事を為せ」
そう強く、オークの戦士は告げた。
ゾアーグは立ち上がる。
「俺はもう行く。時間を取らせたな」
彼は、その場から立ち去った。
現実が辛過ぎると、何らかの宗教に縋りたくなる。
帝都の作り出した、転生の宗教……、元々はイブリアの思想を歪めたものらしいのだが、それは極めて帝都の暴政を維持する装置として機能するようになった。
エルフ達を率いるギルドのマスターである、ラジャルも、闇の天使も、各々の宗教を広めている。何が本当に正しいのか分からない。みな、白でも無く、黒でも無い、灰色の中を彷徨っている。
貴族や商人達からの強盗を良しとするものと、帝都の為になら残忍な処刑も躊躇わないもの。文明そのものを作り変えようとするもの。闇の力によって、自らの派閥を拡大化させようとするもの。
そして、帝都の国王。
沈黙する、竜の王。
何が“答え”なのか、ゾアーグには、未だ分からない。
彼は、ただ、自分が正しいと思った事をやろうと決意しただけだった。
だから、帝都の地下を探る。
答えが知りたいだけなのだ。
誰もが、死と向き合わないのならば、自分が向き合うしかないのだろう。
誰もが、正しき事を為さないのならば、自分が僅かでも為すしかないのだろう。
ゾアーグの中で渦巻いている感情を言葉にするとするのならば、それはきっと、覚悟とか決意とか呼ぶべきものなのだろう…………。




