第九幕 次元 『ボルケーノ』 2
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「おい、リコット。分かっているな? 貴様はやるべき事をやるのだぞ」
ロギスマは歯茎を剥き出しにして笑う。
ジャングルの熱風は今日も暑い。
リコットは、今日も薄着だった。
健康的な肉体から、汗が流れている。
彼女を呼ぶ声が現れる。
「げっ、げっ。リコット。俺様は今日も可愛いか? 美しいか?」
後ろから、一体の悪魔が現れる。
「やっほー、スギムスギュム。君はいつも美しいねえ」
リコットは嬌声を上げる。
極めて、異形の姿をしている悪魔だった。
頭が三つある白鳥で、腹部にはカエルの眼鼻と口が付いている。両手には爬虫類のような鉤爪を持っていた。
精鋭部隊のうち、空の部隊を率いているデーモンだった。
「とても大きな任務になるかもしれぬのだぞ。リコット。どんなに苦しくとも、決して成し遂げるのだぞ」
声は四重に響く。
三つ首に腹に顔を持つ奇形の悪魔は、鉤爪で優しく少女悪魔の頭を撫でる。
「そんなに大変な任務じゃないでしょ! 僕様が承っているのは、メアリーさんのおうちに遊びに行く事だけでしょ? ほら、僕様はむしろわくわくしてるんだよ、これが任務でいいのかなって」
リコットは、奇形の悪魔の思惑が分からない。
ただ、無邪気に笑うだけだった。
「じゃあ、行ってくるねっ!」
悪魔の少女は笑顔で、二人に手を振る。
そして、リコットは、翼を広げて、黄金の宮殿を飛び立った。
その後ろ姿を見て、悪魔の将軍ロギスマは愉悦に満ちた表情を浮かべていた。
「おい、スギム。俺は奴が生きて帰ってくる方に金を賭けるが貴様はどうする?」
ロギスマは下卑た笑いを上げて、奇形の悪魔に訊ねる。
スギムスギュムは腕を組む。
「では、わしは死して帰る事に酒を賭ける。……ロギスマ。我ら黄金宮殿の将軍よ。わしは貴殿に酒を奢る事を望むよっ」
「ひひひひっ、そうか、そうかよ。俺はテメェに金をやりてぇんだ。莫大な金を。それで、あのガキの葬儀代にでも使ってやれっ!」
大悪魔直属の将軍は、腹を抱えて笑い出す。
ロギスマは、メアリーという女に期待していた。
ある意味、信頼さえ抱いていた。
リコットを残酷に処刑する事を……。
「残酷を楽しむのは人間である故に。我らは人々の欲望を叶える種族だ。ロギスマよ。貴殿は人に近すぎるな」
スギムは、淡泊とも言える眼差しで、この獰猛な男を見ていた。
ロギスマは、大悪魔の懐刀だ。
そして、残忍で、他の誰よりも欲望を楽しむ。
彼の精神は何処までも濁り、腐り、淀んでいた。
「あのガキは我らの黄金宮殿の精鋭になる際に、身も心も捧げると言ったのだ。ならば、どんな風に使ってもよかろうがよぉおおおおおおおおおおぉっ!」
この灰色の肌の男に、奇形の悪魔は不愉快な気分になる。
「まあいい、スギム。ボルクリングはどうした?」
ロギスマは、少し苛立ちを抑える。
「ええっと、なんだ? 我らが作り上げた、大巨人を操作する際に、次の村を滅ぼすべきだ、と、あの国の王は願い出たそうだが。大巨人はボルクリングが操作しているんだろぉ? さっさと、もっとルクレツィアに猛攻をかけてやれ。そうすれば、あの国の王と貴族の武器商人共は喜ぶんだからなっ! そして、国民の税金を増やすんだ。我らに富を貢がせる為にな。あの国の王は、俺の親友だっ! 最高の呑み友達だっ! お互いに、民の苦しむ姿を楽しみたいんだよぉっ! 人間種が一番、最高だっ! ウシアタマやサルアタマなどの獣人種は虐待しても頑丈な奴が多いから、つまんねぇーんだ。人間くらい一番、心も身体も適度に強くて、適度に弱い奴らがもう最高なんだよぉ!」
奇形の悪魔は、ロギスマの話にマトモに耳を貸さないようにしていた。
「ボルクは……、そうだな。奴は、大巨人クレデンダのメンテナンスを行っておる。お主が命じた事であろう? あの大巨人に“特殊な仕掛け”を施す“アイディア”は……。中々、整備が大変でな。あの“機械仕掛けの巨人”は、生体の皮膚と機械の肉体を融合させ、更に“お主のアイディア”によって、メンテナンスが困難になっておるのだよ……」
スギムスギュムは、露骨に不快な表情を、四つの頭で露わにする。
この男とは、少しでも早く、会話を止めたいといった様子だった。
「ああっと、そうだったなあ。ひゃはははっはっ!」
彼は腹を押さえて笑う。
灰色の肌の悪魔は、黄金の壁を殴り付ける。
「なあ、スギムスギュム! この俺はもっと人間共の苦しむ姿が見たい。もっと金が欲しい。そうすれば、この俺は贅沢が出来るからな。おい、大巨人をもう一度放て! 軍事ビジネスの為にルクレツィアから兵隊を作り上げる為になっ!」
彼は、沢山の人々が死ぬシーンを頭の中で思い出しながら、快楽に身を委ねていた。
アレンタの村が、大巨人クレデンダに滅ぼされる時に、彼はその翼を広げて、よく見える瞳によって、その光景を眺めていたのだった。彼は、大巨人クレデンダを操作する悪魔ボルクリングに指揮を取っていたのだった。
弓での狙撃による抵抗も無為に終わり、踏み潰されるリザードマン。
火ダルマにされ、強靭な肉体故に時間を掛けて死に至らしめられるミノタウロス達。
だが、やはり、一番、感動したのは人間が大巨人に生きながら貪り喰われていく光景だった。
「俺は少し、休むぞ。スギムッ! 次の指揮の為の作戦も練らなければならないからなあぁっ!」
あの光景の愉悦に浸る為に、ロギスマは、黄金宮殿の奥にある、自らの私室へと向かう事にした。
四つ頭の同胞から向けられる強い嫌悪感には、気付いていないか。どうだって良いとでも思っている様子だった。
大ホールのように、巨大な部屋だった。
それが、ロギスマの私室だ。
そこは、ルクレツィア王から貢がれた金銀財宝が積み上げられていた。
今は召使いを外に出している。
彼は一人、残酷の愉悦に耽りたい為に、いつも用がある時以外は、召使いを外に出しているのだ。
この部屋には、ルクレツィア王や帝都の貴族達も呼ばれて、民から絞り取った金によって、贅沢な宴が開かれる。ロギスマ自身も、何度も帝都に向かい、王宮の中で同じようなパーティーに誘われる。ガリガリに痩せて害虫を喰っている民や、飢え過ぎて涙も枯れながら先に飢え死んだ両親や友人の肉を食う民や、盗みを働いて露天商達の私刑で腕を切断されている民の話を肴にして、みなで盛り上がるのが何にも勝る楽しみだった。飽食の限りを尽くすのは、何にも勝る楽しみだった。喰っては吐いて、喰っては吐く。王宮から数百メートル先にある、スラム街の者達が飢えに苦しむ光景を塔の上から見下ろすのが最上級の喜びだった。
大悪魔ミズガルマは、この黄金の宮殿から出る事は無い。
それを良い事に、ロギスマが、大悪魔の代弁者としてもっとも帝都の者達の富を貪っている者の一人となっていた。
彼は私室の中にある、フルーツの山の中に手を突っ込む。
ザクロだ。
ザクロの実を口にして、咀嚼する。
そして、何度も何度も、楽しげに大巨人を使役して行った虐殺の記憶に耽溺していた。
ロギスマはルクレツィア王を羨ましがっている。自らの民を生贄に出来る喜びが得られるからだ。悪魔族は亜人の一種であり、生態系が人間と違う為に、国家というものを作る事が出来ない。悪魔族は魔力を糧にして生きている為に、人間種のような形での経済格差というものが生まれにくいのだ。彼はつねづね思う、面白くない……。ロギスマは、人間の権力者に生まれなかった、自らを呪う。
ロギスマと、その取り巻き達は、他の悪魔族の者達からよく裏で皮肉られていた。
“人間のような邪悪で非道な性根を持つ、悪魔だな”と。…………。
悪魔の将軍、ロギスマ。
彼はジェドの家族や友人を皆殺しにした、一番の仇敵である。
アレンタの村の侵攻の際に、一番の指揮を取ったのは彼だった。
だが、ジェドがその事実を知り、彼とジェドの対峙は、もう少し、後になる……。




