第八幕 ギルドの争い、邪精霊と呪性王。 4
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「ミントさん…………っ」
ジェドは、やるせなくなって、気絶したボージョンを見据えていた。
「ミントさん……、男だったんですか? 男の娘だったんですか……」
ジェドは、腕を手に当てて泣き始める。
しばらくの間、二人の間で、なんとも言えない空気が流れた。
先に、声を出したのは、ミントの方だった。
「おい、この俺によくも恥をかかせやがって…………」
ミントの声色が変わる。
彼女は、破けた服とスカートを手にする。
そして、それをクルクル、と回転させていく。布は変形していき、同時に、ミントの顔形も変わっていく。
女顔だった。
ジェドが言う処の、男の娘には違いない。
だが、明らかに、それはミントでは無かった。
黒と紺を基調とした、魔法使いの装束へと変わる。
頭には、角のような飾りを付けていた。
「クレリックの娘に化けていたのに、貴様らのせいで…………。そして、この俺に、路地裏の売春婦にも劣る恥をかかせやがってっ!」
ジェドは、いすくむ。
「お、お、お前は…………っ!」
「俺は“呪性王”というギルドの魔法使い、シトリー。死人に名乗るつもりは無かったがなあ…………っ! お前は最高に残酷な方法で殺してやるっ!」
ソプラノの高い声だったが、確かに男の口調だった。
彼は、気絶しているボージョンの頭を、ブーツで踏み付ける。
「す、すみませんっ! ほ、本当にごめんなさいっ! こ、この通りっ!」
ジェドは、両手を握りしめて、祈り始める。命乞いの懇願だ。
この男……、男の娘は、……やばい。
「ギルド・マスターの娘に化けて、邪精霊のゴミ共を始末するつもりだったのにっ! …………、覚悟は出来ているな?」
ボージョンの眼が覚める。
この部屋の空間が、歪む。
魔力が満ち溢れているのだ。
シトリーの全身から、黒い何かが噴出していた。
その正体は、何か分からない。
ただし、もう助からないのだろうと、ボージョンは予感していた。
「す、すみませんっ! ほんの出来心だったのですっ! も、申し訳ありませんっ!」
ボージョンも、ジェドと同じように、泣きながら命乞いを始めた。
「俺の得意な魔法は、疫病だっ! その意味が分かるな?」
彼は両手を掲げる。
部屋中に、黒い霧のようなものが、帯状に舞っていく。
ジェドも、ボージョンも腰が抜けてしまい、動く事が出来なかった。
黒い霧が、鉤爪のような形でボーションの両手に襲いかかってきた。
彼は黒い霧に腕をつかまれたようになる。
「ひ、ひい、た、助けてくださいっ!」
ボーションは叫ぶ。
ジェドは嗚咽を漏らす。
ボーションの両の手が、みるみるうちに、皮膚も肉も削がれていき、白骨化していく。
黒い霧は、ジェドも襲った。
黒い帯がつむじ風のように、ジェドの背中に触れる。すると、ジェドの背中の皮膚や肉が裂けて、おびただしい出血が流れた。ジェドは、悲鳴を上げた。
†
「騒がしいな、なんだ?」
ガザディスは、席から立ち上がる。
「どうした?」
デス・ウィングは、山賊達の頭に訊ねる。彼女は、振るわれた料理を楽しんでいた。
「少し待っていてくれないか。何かおかしい」
ガザディスは、自身の私室へと向かい、彼専用の山刀を取りに向かう。
途中、ベルジバナに出会った。
彼もまた、精霊の加護を施された武器を手にしていた。商人達を襲う時には、決して使わないものだ。
「すみません、俺の失態です。有無を言わせずに“侵入者”の首を切り落としておくべきでした」
ベルジバナは、深々と頭を下げる。
「事態が分からん。どうした……」
「……覚悟を決めておいて下さい。我々の“家族”の血が多く、流れています……」
ガザディスは叫び声のする方角へと向かう、入口の付近だ。
彼は口元を押さえ、怒りに身を震わせた。
…………、ガザディスはこの邪精霊の父親のような存在だった。帝都の暴政によって、孤児となった者達、妻や子を殺された者達を多く引き受けて、彼らに復讐する為の技術を教えてきた。
「お前は……、何者だ?」
黒い霧を、帯状に操る魔法使いの男、シトリーは嘲笑していた。
「邪精霊っ! 俺は呪性王の『闇の天使・シルスグリア』様に使える暗黒魔道士シトリーだ。お前は盗賊団の頭、ガザディスだな? そっちはベルジバナだろ? もう分かると思うが、俺は呪性王から、貴様らを始末するように、そうでなくても“口減らし”をするように、派遣されてきた」
血と死臭が、一面に漂っていた。
「呪性王……。お前達は帝都と繋がっていたな?」
「闇の天使様は、違うな。帝都は関係が無い。呪性王は、三つの分派に分かれているが、帝都と繋がっているのは、奴隷商人達の王、カバルフィリドだ。あの下品な老人は、我らの闇の天使と敵対関係にある。だが、闇の天使様は個人的に、邪精霊を始末したいって思っていたわけだ。他のギルドの奴らも始末か、口減らしがしたいんだとさ」
入口は大きな区画だったが、それでも、夥しい数の血と死の臭いが充満していた。
身体のあちこちに、肉を残して、ほぼ白骨した死体。両眼を失って苦しみ悶える者、下半身だけを骨にされた者。胸や腹の皮膚や肉が無くなり、臓器が露出して未だ生き続けている者。
邪精霊のメンバーの多くが、この暗黒魔道士のシトリーによって殺害され、あるい瀕死の状態に追い込まれ、あるいは不具にされていた。その数は、数十名にも及んだ。
「すみません、ガザディス様。この俺がいながら……」
「いや…………」
ガザディスは、魔術文字が彫られた山刀の刃を、シトリーに向ける。
「こいつは、お前がどのような判断を下しても、おそらくはこのような惨状に作り上げただろう。まだ俺とお前が生きている。この場で倒さねばならない」
†
デス・ウィングは、洞窟の物陰から惨殺死体となった者達や、未だ生かされ続けている者達を横目で見ながら、羊肉と鹿肉の乗った皿を手にして、それをフォークで突き刺し口にしていた。足元にはワインが置かれていた。
「行儀は悪いが、此処で、立ち見させて貰うぞ。ふふっ、招かざる客との戦いか。見ものだな。人が死んでいく様相を見ながら食べる料理は絶品だな。テーブルも持ってこようかな? しかし、この料理は本当に絶品だな」
彼女は楽しそうに、邪精霊のリーダー達と、呪性王と名乗った暗黒魔道士の戦いを見る事にした。
「さてと、椅子とテーブルを持ってこよう。やはり、行儀が悪い。この辺りにあった筈だ」
彼女は、丁寧に料理を地面に置く。
そして、動かせそうな一人用のテーブルと椅子を探す。
何か、呻き声がした。
彼女は見ると、地面をアンデッドのように這いずっている、ボロボロのジェドの姿が見えた。全身、傷だらけだった。所々の肉がえぐられている。拷問でも受けたかのようだった。幸い、手足や目鼻の欠損は無いみたいなのだが。
「なんだ、ジェド。あの魔法使いの力を受けたのか?」
デス・ウィングは、地面に置いてあったワインのグラスを手にすると、それを飲み干す。
「おい、酔えないが、ワインも絶品だぞ。数十年物なのかもしれない。この洞窟に貯蔵庫があるみたいだな。これを作った男は、料理人にもなれたかもしれないな」
ジェドは呻き、泣いていた。
「お、俺のせいなんです。……、俺があの魔法使いを挑発してしまったんです。ミントさんだと思って、それで酔った勢いで襲ったんです。一緒にいた山賊の青年と一緒に……」
「そうか。お前、本当にクズだな。私はお前とは違ったクズなので、この惨劇を楽しませて貰う。おい、ジェド、一人用のテーブルと椅子は見なかったか?」
ジェドは、デス・ウィングの脚にしがみつく。
「すみません、すみません……っ! デス・ウィングさん、彼らを助けて下さいませんか?」
デス・ウィングは……。
これ以上に無い程に、残酷な眼差しで、ジェドを見下ろしていた。
「お前、馬鹿だろう? こんな面白いもの、私が楽しまないわけないだろ? お前、私の事を正義のヒーローか何かだとでも思っていたのか? 心の清いヒロインだとでも? 私はなあ、ジェド、死んでいく者達や拷問死していく者達を見ているのが、人生の至上の喜びなんだ。お前、私から幸せを奪うような提案をするな」
そう言うと、デス・ウィングは、少年の頭を踏み付ける。
その後、勢いよく少年を蹴り飛ばした。
デス・ウィングは、皿に盛った鹿肉のソテーを口に入れる。
ワインとやはり、合うな、と彼女は呟いた。
「最高だな、ジェド。お前の落ち度でこうなったのか。私は何も関与していないから、本当に笑えるな?」
勿論、ジェドの落ち度では無い。だが、敵の攻撃の引き金を引いたのは間違いなく彼だった。デス・ウィングはその事を知って、ジェドの心をいたぶる事にした。
何名かの男達が、奥から現れて、シトリーに刃を向けていた。
ガザディスが止めるが、うち二人が率先して斬りかかろうとした為に、二人共、黒い帯の餌食になる。みるみるうちに、全身の肉が喰われ、二人の山賊は所々が骨へと変わっていく。阿鼻叫喚の地獄絵図は続いていた。
デス・ウィングは小さなテーブルと椅子を見つけて、それをよく見える場所へと置く。彼女はガザディス達と、シトリーの戦いを眺めながら、完全に鑑賞を決め込んでいた。ジェドが地面に這いつくばりながら、痛みをこらえていた。
「やはり、ポテトと黒胡椒のまぶした羊肉は、赤ワインによく合うなあ。後で、ガザディスに改めて、礼を言わねばならないな」
ベルジバナが魔法を詠唱していた。
彼の持つ剣に、緑色の魔力が噴出していく。
すると、彼の持つ剣は長く伸び、彼の全身は緑色の光によって包まれていく。
「シトリーと言ったか」
ベルジバナは、緑の光に包まれた指先で、黒い帯に触れた。すると、黒い帯は彼の触れた箇所は吹き飛ばされていく。
「なるほど……」
彼は、黒い帯の中から、何かをつまみ出す。
ベルジバナの手にしていたものは、どうやら、何か小さな虫のようだった。羽虫だ。
デス・ウィングは物陰から、邪精霊のリーダー達と呪性王の暗黒魔道士の戦いを見て、両者に少し感心していた。
「この黒い帯、お前は疫病と呼んでいるそうだな。これは、羽虫の大群だな? 人の肉を喰らう虫か……。これで、我らの仲間達を襲わせていたのだな?」
暗黒魔道士は、口元を歪める。
「くくっ、バレたか。だが、力の正体を知った処で何になるんだよ? お前らを白骨死体に変える事は決まっているんだよ。それも少しずつな?」
シトリーは魔法を詠唱する。
すると、彼の全身から、黒い帯が増えていく。
「防御魔法を使ったのかどうか知らないが、それごと食い破ってやるよっ!」
シトリーはせせら笑っていた。
ざしゅりっ、と、シトリーの頭の飾りになっている左の角が切り落とされる。同時に、黒い帯の一つが一刀両断されて、死骸となった虫達が、地面に落下していく。
ベルジバナの緑色に光る剣は、長く伸びるみたいだった。
「ベルジバナ。これにて、非殺の誓いを破る。我らが精霊様のお力によって、死した者達の弔いとするぞっ!」
ガザディスは腕を組んで叫ぶ。
彼の全身から、エメラルド色の光が放たれ始めていた。
……ほう? ベルジバナ。商人襲撃の時に。あの力を私に使ってはくれなかったのか、残念だな。
デス・ウィングは、ワインを口にした。
ジェドが再び這いずりながら、デス・ウィングの脚をつかもうとするが、彼女はブーツで彼の頭を勢いよく蹴り飛ばす。
ガザディスは、魔法円のようなものを周囲に張り巡らされていた。全身がボロボロになって、今にも死にそうな部下達に対して、防御円によって庇護しているのだ。
「……お前ら、待っていろ。敵を倒し、精霊様の力によって、傷を治すからな」
ガザディスの顔は、怒りに満ちていた。
死臭が、空間に満ちている。
洞窟全体が戦慄いていた。
「ふうん?」
「お前は我らの領地に入った時点で負けなのだ。我らのギルド・マスター、ムスヘルドルム様の怒りを買うがいいっ!」
ガザディスは叫ぶ。
彼の手にした剣は、巨大化していく。
盗賊団の頭は、大剣を振るった。
すると、緑色の光に包まれた真空波が、シトリーへと襲い掛かる。シトリーはその攻撃を避ける。だが、緑の風の刃によって、彼の周囲に魔方陣のように飛び続ける虫達が、次々と落とされていく。
「へえ? やるな? お前ら邪精霊は、極めて弱いギルドだと思っていたんだけどな?」
シトリーは腰に下げた、杖を振るう。
「だが、死んで貰う。ルクレツィアの支配は、帝都の王ではなく、呪性王と、我らの闇の天使シルスグリア様に変わるのだからなっ!」
空間が震え続ける。
ベルジバナの背後の影に、亀裂が走る。
影から生まれた亀裂より、蒼白い、無数の人間の腕が伸びていた。
ベルジバナは、咄嗟に、その腕達を避ける。
だが。
地面から伸びた腕の一本が現れて、彼の腹に深々と短剣を突き刺した。
ベルジバナは、地面に倒れる。
ガザディスは部下を見て、叫ぶ。
油断が生まれた。
腕達が、ガザディスの両手に絡み付いていく。
「俺は邪悪な精霊や、小悪魔達ならば、たやすく召喚する事が出来る。盗賊団、お前達は彼らの餌になるか?」
シトリーは、再び、人喰い甲虫を生み出していく。
残忍な笑いを浮かべると、二人の盗賊の戦士を、生きながら甲虫の餌にしようとしていた。
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