第四幕 竜王、イブリア 3
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「随分、遅かったでは無いか」
ハルシャの口調には、叱責が含まれていた。
「すみません……」
「ミント、お前とあろう者が。この状況を分かっているのだろう? 何処で油を売っていた?」
「いえ、その…………」
「途中、襲撃されたのではないかと、心配した者達もいたのだぞ? お前はもう少し、他人の事を考えた方がいい」
「……本当に、すみません……」
「…………、まあいい。これから、料理を作れ。バルジャックを含め、多くの怪我人達の容体が危ない。医薬品は高いが、この俺が自腹を切る」
ハルシャはそう言うと、外の警護に戻った。
元々、ここは、帝都直属護衛軍『紅玉業』のアジトだった場所だった。
今は、簡易的な病室になっていた。
そして、あの二人の魔女を討伐する為の、作戦会議室にもなりつつあるあった。
ミノタウロスの武人であるハルシャは、ギルド・マスターの称号に相応しい程の風格を持ち合わせていた。彼は剛柔併せ持っている。不屈の意志と、隠し切れない弱者への優しさと、戦士としての自他に対する厳しさを持ち合わせている。
ミントは、彼を深く尊敬していた。
給仕の者達が、早速、ミントの買ってきた食材を使い、料理を行っていた。ミントが遅い為に、既に料理は作られていたのだが、それでも食材が足りなかったらしい。後は痛み止めとして、酒が大量に買われていた。
生き残った怪我人達は、火傷の傷で苦しんでいる者もいた。ゾンビ達に襲撃された者もいた。それ以上に、彼らは家族や友人を失った事で苦しんでいる者達も多かった。ハルシャがミント達を助けて、この場所に駆け付けた時よりも、担ぎ込まれた怪我人の数が増えている。どうやら、あの場所で逃げ遅れて、なおも生存した者達は、この簡易病室へと担ぎ込まれたらしい。潜伏場所を変える事を、ハルシャは、魔法使いのロガーサに提案していた。
「ミント、良いか?」
オークのゾアーグが腕組みをしながら、ミントの名を呼ぶ。
彼女は料理を手伝っていたが、料理人の中年女性などからも行くように言われ、オークと話をする事になった。
「この簡易的な病室が、死体置き場になる前に、一刻も早く行動を起こさなければならない。モルグになるまでならばいい。あの二人の魔女が今もなお、死体の城の建築を続けていっているらしい。都市ギデリアはもう駄目だろう。あそこは、彼女達の領土にされてしまったと言ってもいい」
「はい…………」
「お前はクレリック。癒し手の職業をしているが、お前の回復魔法は弱い。何とか鍛え上げられないものか? お前は先日、あの魔女達と戦い、手足に深い傷を負ったと聞いたが。お前の治癒魔法でまだ傷が治っていないのだろう?」
「はい……、私はクレリックという職業ですが。私の才気は、炎や稲妻を生み出す事に長けていたみたいです」
「そうか」
ゾアーグは、何か思索しているみたいだった。
「回りくどい事を言うのは止めるぞ」
彼は黒緑色の肌を撫で、頭の長い髪を結び直す。
長く伸びた下顎の牙が獰猛な印象を与えるが、ゾアーグからは、確かに知性の煌めきがあった。
「お前の母である『受胎告知』を受けた、ギルド・マスターの力を借りる事は出来ぬのか?」
オークの戦士は、凛とした眼で、ミントを見ていた。
「母と私は…………」
「そのような事を言っていられる事態では無いと思うが」
ミントはうつむく。
「少し、外で話さぬか?」
「は、はい…………」
二人は、護衛軍のアジトを出る。
二階建てで、一階ではハルシャが警護をしていた。
二階の裏口の方へと、ゾアーグは彼女を呼ぶ。
「無礼を承知で訊ねる事になる、良いか?」
「はい…………」
「お前は『処女懐胎』によって生まれたと聞かされている。お前の母親は、受胎告知を受け、お前を産んだと。お前は父無しで産まれたのだと」
そこまで言うと、ゾアーグは苦々しそうな顔をした。
「本来ならば、このような事をお前に聞くのは失礼であるのは分かっておる。だが、我々は何としても、お前の母親の協力が必要だ。…………」
「はい…………」
ルブルとメアリーの二人には、勝てない。
それは、先日の戦いで、あそこまで戦力差を突き付けられる事になると、何としてでも、他の手段を考えなければならなくなる。この国家が侵略され、滅ぼされ、アンデッドの軍団に変えられてしまう前に…………。
「お前の噂は聞いている。それが確かな情報なのか知りたい。良いか?」
「はい…………」
ミントは口篭る。
それが一体、何を意味するのか、彼女自身分からない。
ゾアーグも必死だった。
彼も沢山の仲間達を殺され、アンデッドに変えられた。そして、なおも犠牲者は増え続けている。
「ミント、ミント、お前は人間なのか? お前の父親は、竜王イブリアではないのか? お前の母は、竜の王と交わり、お前を産んだのではないのか?」
クレリック、ミント。
弱小ギルドのリーダーを行っている女。
彼女は、ゾアーグの言葉を聞いて、しばし言葉を失う。
彼女はその場に崩れ落ちる。
ゾアーグが、彼女の身体を受け止める。
「…………、済まなかった」
「いえ、その、……私はそう、人です。私の母は、処女として、私を産みました。神から子を授けられた、と。いずれ、私は人を導くであろうと、託宣を下されたそうです……」
ゾアーグはミントに背を向ける。
彼は強く疲弊しているのが分かった。
「ミント、いずれ、お前は最後の希望になるかもしれぬ。私は来世での栄光などいらぬ。私はこのルクレツィアの弱き者達の盾でありたい」
彼は苦悩しているみたいだった。
†
夜になった。
ハルシャはしばし、休息を取っていた。そう言えば、眠りに付いたのはいつ頃だろうか。種族柄、体力もあり、不眠不休で何日でも起きていられたが、彼自身、心労が続いていた。魔女二人と戦う前も、不眠で仕事を行っていた。眠りに付いたのは、いつ頃だろうか……。
せめて、一時間、いや、三十分でも休息を取ろう。
そんな矢先の事だった。
「ハルシャ、……あれは何だと思う?」
紺色のローブに身を包んだ、ロガーサが、屋根の上を指差す。
そいつは、何体も脚があった。
背中には、昆虫のような翼を生やしていた。
遠目に見ると、昆虫の怪物のように見える。だが、まるで違った。
脚の上に乗っている胴体には、幾つもの腕があり、それは人間や亜人の腕を接合したものみたいだった。そして、頭部は無い。代わりに、無数の牙だらけの口が生えていた。
腕には、鎌のようなものを幾つも手にしている。
「魔女の生み出したゾンビか」
ロガーサは言う。
「俺達が砂漠や洞窟で見かける、ゾンビ達とは少々、デザインが違うみたいだがな」
「ああいうものを創るのが趣味なんだろう」
口の一つが伸び、蛇のようになる。
次々と、眼の無い牙ばかりが伸びた、蛇のような頭が怪物の首の辺りから生えてくる。
「…………夕方に、国家直属の病院に顔を通す事が出来た。バルジャック達は、そこで治療を受けている。むしろ、幸運だったかもしれないが……」
ハルシャは大剣を構える。
ロガーサは防御の呪文を唱える。
そして、更に、動く者を感知する魔法を唱えていた。
「主人らしき人物はいない。どうやら、ここに偵察に来たみたいだぞ」
「あわよくば、俺達の何名かを始末する事も念頭に入れてだな……」
怪物の口から、粘液のようなものが放たれる。
それは、防御の魔法が届いていない、屋根の上に命中したみたいだった。粘液が命中した場所は、見る見るうちに、氷漬けになっていく。
トマホークのようなものを、ハルシャは投げ付ける。
怪物の脚の一本に命中する。
脚から粘液が流れる、その粘液はその怪物が立っている足場を凍らせていく。
怪物は、跳躍した。
「……しまったっ!」
ロガーサは叫ぶ。
屋根の上に飛び乗ったのだった。そして、屋根を無数の口で喰い荒らそうとしていた。
「俺だけの攻撃魔法では間に合わんっ!」
ロガーサは発火の呪文を唱えて、怪物に命中させた。怪物は身体の一部を炎に焦がしながらも、屋根を食い破り続けて、アジトの中へと侵入する。
「何処から、我々の潜伏場所の情報が漏れた?」
ハルシャは素朴な疑問を口にする。
「何とでもなるんだろう、奴らの力はまだ未知数だ」
それにしても、来るのが早過ぎる。
敵の行動は杜撰だというのが、ハルシャ達の認識だった。強大な力を振り回しているが、動機は遊びでしかない。
怪物は、部屋の一つに入ると、次々と、寝ている者達を襲撃していく。
そして、無数にある口で腹を食い破っていった。
その中で一人の女性が足り上がる。給仕をやっていた女だ。
彼女はハルシャ達を見て、笑い声を上げていた。
「ひひっ、ひひひひひっ、ルブル様、ルブル様、メアリー様、どうです。私がやりましたよ。私めが彼らを絶望に落としたのですよ。ひひっ」
「な、内通者か……っ!」
ハルシャは大剣を構える。
女は眼球を、ぐるり、ぐるり、と回す。
そして、腹が異様に伸びていく。全身が天井まで届いていく。
「ひひひっ、お前達、ルブル様の偉大なる創造物に喰われるがいいっ!」
ぐしゃり、と、給仕の女の頭は、怪物の手にしていた鎌で落とされる。更に、怪物の無数の口達が、女を貪り喰っていく。
ロガーサは思わず、口元を押さえる。
「わ、私はく、喰わなくてい、いい、ひひっ、た、助けて、あああっ!」
給仕の女は、そのまま怪物によって貪り喰われていた。
「…………、どうやら、我々の中に生者のフリをして潜伏していたみたいだな」
ハルシャは言う。
「そうらしいな」
ロガーサは魔法を唱えた。
このアジトの中には、まだ何名もの者達がいる。この怪物をこの部屋から出さずに始末しなくてはならない。ハルシャは先陣を切って、怪物の胴体の辺りを大剣で切り付ける。
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