第六十五幕 獣人エボンの処断。
「さて。ジェドもミントも寝静まったか」
イルムは暗い顔をしながら、地下牢へと向かった。
地下牢には、先日、捕えたアリゼの部下を拘束している。
イルムは虚空から、槍を出現させる。
地下牢には、両手を鎖で繋がれた獣人がいた。
「さて。エボンと名乗ったかしら。これから、貴方を尋問するつもりだけど」
そう言って、イルムは檻の中に槍を伸ばす。
エボンの肩の辺りに槍が少しずつ突き刺さっていく。
「これから、問い質す事の内容は分かっているわね? 女騎士アリゼの目的。それから、居場所。計画。全て、洗いざらい話して貰おうかしら。どれだけの戦力があるのかもね。奴がどんな力を有しているのかも知りたいわ」
エボンは眼を覚ます。
彼は眼の前に自分を倒した禍々しい翼を生やした天使を確認したみたいだった。彼は眼の前にいるイルムを睨み付けた。
「アリゼ様と我らの軍団が絶対に貴様らを皆殺しにする…………」
「ああ、そう? そのアリゼとやらも、軍団ごと、この私一人で皆殺しにしてやろうか?」
イルムはグリグリ、と、槍の先をエボンの肩に押し込んでいく。刃が肩甲骨の上に触れて、エボンは思わず小さく悲鳴を上げた。
だが、エボンはそれでもなお両眼を見開くと、イルムの頬に向けて、唾を飛ばす。
イルムは難なく、それを避ける。
「あまり、粋がるなよ。私は仮にも、この世界の邪悪そのものが結晶化した存在だ」
イルムはなおも、突き出した槍の先で眼の前の獣人の肉を裂いていた。滲んだ血が冷たい牢屋の石畳に流れていく。
「テメェ…………、この俺にこんな事してタダで済むと思うなよ?」
南での戦いでも、相当、痛め付けられてもなお、彼は強い生命力が迸っていた。
「尋問に応じるつもりはサラサラ無いって感じね。見事よ。でも、私も貴方から情報を吐かせたい。ちょっと外に出て、また殴り合いでもするぅ?」
「この俺を殺せ」
イルムはそれを聞いて嘲笑う。
エボンの腹が巨大な鉄球にでも打たれたように、殴り付けられる。
イルムが指先から、貫通力の低い大型の球体状の風の弾丸を放ったのだった。手加減はしている。それでも、エボンは内臓を痛め付けたらしく、口から嘔吐する。
「殺すのはいつでも出来るわ。でも、死に方を決めるのは、この私って事。それこそ、果樹園みたいにする事も出来る。今は他の連中も寝ているし、私を止める穏便でお優しい人達はいない。これから、夜明けまでたっぷり時間はあるわ。ねえ、獣人。聞きたいんだけど」
エボンは激しく呼吸していた。苦しみながらも、イルムの眼を見据えていた。
「南のドロルレーンを血と炎に染め上げるのは楽しかったかしら? 羨ましいわ」
イルムは眼を細め、鬼気迫る形相へと変わっていく。
「実を言うとね。あの花火はとっても美しかったわ。私のお隣の王女さまは、私の心の本音にはまるで気付いていなかったけれども」
「天使……お前は何だ…………」
「私? 私は先の大戦にて膨れ上がった者達の意志より誕生した闇。ルクレツィアの悲鳴によって生まれた化け物って処かしら? 生きとし生ける者が死んでいく様は、私の至上の好物の一つよ。よくぞ、私を楽しませてくれたって処ね?」
「テメェはよおぉ。王女様の、王宮の味方じゃなかったのかよおぉ?」
「いずれ、この世界はこの私が支配するつもりでいるわ。ミントにもそう言ってある。けれども、力が足りない。私はまだ生まれ立てだから」
そう、イルムは、初めからミントにも竜王にも宣戦布告を行っている。
それでなお、帝都を立て直す事を大義名分に、彼らに協力している。
イルムは虎視眈々と、そして“堂々”と帝都を略奪すると、ミント達に宣言している。ミントは彼女をルクレツィア復興の協力者だと認識している。今の処はだが……。
「アリゼ様は、革命を望んでおられる……、一応、聞いておくが。お前は興味があるか? 天使」
「ぜーんぜん? 私はこの世界の支配者になりたいわ。革命? 私にとっては困るわ。でも、適度に死体や瓦礫の山が見られるんだったら、その、貴方達を応援するわ。何の協力もしてあげられないけれどもね?」
エボンは……少しだけ、寒気がした。
アリゼとはまた違う。余りにも、……余りにも、ストレートなまでにこのイルムとかいう女も強い狂気を抱えている。だが、彼女を形成しているのは、人々の邪悪なる感情であるという事実だ。
「天使……、提案があるんだ…………」
「…………? 何かしら?」
「この俺をお前の部下にしてくれねぇか? 実の処、俺はアリゼへ強い忠誠心を持っているわけじゃねぇ。俺はこの世界に憎しみを撒き散らしてやりてぇんだ。忌み子として生まれたこの俺は、この世界に復讐してぇだけなんだっ! だから、アリゼに付いている。それだけだっ!」
ぱちぱちぱち。
イルムは両手を叩く。
「いいわ。交渉に応じるわ」
イルムは口元を歪めた。
「貴方は私が処刑したって事にしておいてあげる。これからは、この私の為に仕えてくれないかしら?」
「いいぜ。喜んで、俺は強い奴の下で暴れたいだけだ」
イルムは指先を鳴らす。
牢の入り口に、黒マントに黒い甲冑。カラス面の男が現れる。
「ホロウ。この獣人を見張れ。この私を裏切らないようにね」
ホロウと呼ばれたカラス面の男は頷く。
「アリゼとはいずれ、正面切って戦うわ。同じ化け物同士ね」
闇の天使……迫害する天使は、高らかに呟くのだった。
「ミントからはジェドを……、アリゼからはあの獣人を駒として奪った事になるわ。ふふっ、ジェド君、この私に懐いているわ。やっぱり、信頼させるのは大事よね」
「おっしゃる通りで御座いますな」
「さてと。私はこれから、呪性王の本拠地に戻るけど、彼はちゃんといるのかしら?」
言われて、カラス面の男は思い出す。
「ええっ。ちゃんとこの私が匿い、彼自身も表舞台に出る事を嫌がっている。貴方が計画を進めるのならば、あの、かつての大悪魔の将軍も、いずれ有能な駒になりましょうぞ」
「そうね。さて、じゃあ、ロギスマの顔を見に行きましょうか」
そう言うと、イルムとホロウは地下牢を出ていく。
†
「エボンは捕まったのね?」
「彼の処断はどうされますか?」
ヴィラガは暗にエボンを始末する事を仄めかす。
「うーん。放っておけば?」
「今頃、尋問を受けておられるかと。我々の拠点、我々の計画などを吐かれるのは極めてまずい……」
「別に大丈夫じゃない? それよりも、ずっと問題な事があるわ」
アリゼは特に気にしていないという様子だった。
兵力は足りていない。
向こうには、ドラゴン達も控えている。また、魔女達が戻ってくる可能性もある。ヴィラガはとにかく少しでも多くの戦力を欲していた。まだまだアリゼの崇拝者は足りていないのだ。
聖なる、聖なる、聖なる、聖なる、神の国へ、女騎士様のご加護を。絶対正義を、帝都への復讐を。
それらは大合唱となって、最上階であるこの場所にも高らかに聞こえていた。
「爆発が足りない。爆発物をよりもっと強力にしないと。もっともっと、大きな爆発が欲しいわ」
アリゼは何も無い壁を見ながら、ただ彼女の頭の中で革命の計画を練っているみたいだった。廃墟の隠れ家の中、階下ではゴブリンや忌み子とされた獣人達が、神の国の事に関して話している。彼らはアリゼに調律されたマリオネットだ。進んで、自らの命を捧げ、死後の世界に神の国があると考えて戦いへと赴くのだろう。
ヴィラガは、アリゼの禍々しい背中に少しだけ寒気を覚える……。