第五十七幕 誕生‐バース‐ 2
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「どうだ? ザルクファンド」
イブリアは、河の水を吟味していた。
<駄目だ。全部、悪質な毒の濁流だ。より悪い事に、この先には猛毒の霧が発生している。これ以上の探索は無理だな>
「やはり、進まないな。だが、この世界の手掛かり一つ掴めないとはな」
<空の遥か遠くにある、別の惑星を歩き回っているようだからな。しかし、此処から先は致死の毒で溢れている。しかし、情けないものだな、竜王。我々、ルクレツィアの最大精鋭が二人して、この世界で立ち往生しているんだからな>
「仕方無いさ。我々はドラゴン族と行っても、不死身のアンデッドでもなければ、機械人形の類でも無い。ましてや、全能の神でも無いからな」
<統治者自らが赴いているのに、こう収穫が何も無い、ってのはな……>
ザルクファンドは小さく溜め息を吐く。
「だが、地図は確実に作られている。安全地帯は幾つか見つかった。確実に我々の仕事は進んでいる筈だ」
<だと良いんだがな>
竜王イブリアとドラゴン魔導士ザルクファンドは、ルクレツィアに隣接する異世界への来訪を行って、ルクレツィアに資源を持ち帰る事を計画していた。そして、今はその最中だ。
二人は迷わないように、幾つもの魔法の印を付けて、探索を続けていた。
「後は現地住民との接触だな。流石に、最初の時に出会った、言語を返せない、あの巨大過ぎるドラゴンとは会話が成立出来ないみたいだが…………」
この世界に入り込んだ際に、全長数百メートル、あるいは数キロもの体躯を持つ赤と緑の鱗を持つ巨大なドラゴンに遭遇したのだった。二人は何とかして、退けたのだが……。その巨大なドラゴンは何もかもが規格外だった。人で言う処の大巨人といった処か。
その後も、あらゆる未知の生物に襲撃されては、幾度かの危険を回避した。そして、この地はつねに気候も変動を続けている。昨日、砂漠だった場所が樹海に変わっていたり、雪原がサバンナになっていたりする。
ザルクファンドの重力魔法により、予め、押し寄せる危険を防御でき、イブリアの遠隔視認によって、来た場所はイブリアが記憶し、思念と視覚を飛ばす事が出来る。
「さて、帰るぞ」
<たまには、娘に会いに行けよ。お前は存分に父親面してイイ資格があると思うんだけどな>
言われて、イブリアは、露骨に年頃の娘を持つ親の顔をした。
接し方が分からない、といった風な。
†
ルクレツィア宮殿内にて、竜王専用の塔が建設されていた。
元々は、国王専門の宰相の勤務先だったのだが、宰相は先の大戦で死亡。その塔を改装、増築して、竜王の派遣先としての住まいになっていた。
「…………、どうも人間姿は落ち着かない」
イブリアは頭に被ったターバンを取る。
以前は幼い少年の姿をしていたが、現在は威厳を保つ為に、二十代後半くらいの青年の姿を選んでいた。
「お似合いですよ。そのお姿は」
彼の娘である、竜王の王女が部屋に入る。
「ミント。そちらの首尾は?」
イブリアは豪奢な椅子に座り、少しだけ座り心地が悪そうに訊ねた。
ザルクと共にルクレツィアに帰還して、まだ一日も経過していない。さすがに彼は憔悴の顔色を浮かべていた。
「元王族護衛軍である、女騎士のアリゼという女と接触しました。竜王さまはご存知で?」
「知らんな。統治は前国王のバザーリアンが行っていたんだろう? パラダイス・フォールなどの件は、お前達の問題だ。私はなるべく手を出したくない」
イブリアは何処吹く風、といった処だった。
「……そうですか」
ミントは残念そうな顔をする。
「すまんな。やはり、私はこの世界、ルクレツィアの象徴的国王でありたい。実際の政治、経済、法律や福祉は、お前達が納めるべきだ。別世界への資源の調達も、本来なら、お前達が行うべきだと思うのだが…………」
彼は少しだけ、憂いを帯びた眼に変わる。
ミントは、少しだけ何かを言いたげだったが、黙る。
イブリアは壁に掛けられている時計に眼をやった。
「時刻は17時半か。もうすぐ、別の客人が此処に来る……。それから、明日、またこの時間に来てくれないか。その時に話そう」
彼は物想いに耽るように言った。
†
時刻は、午後20時を回っていた。
窓際に、何者かが降り立つ。
「扉から入ってこい。行儀が悪い。作法というものを知らないのか?」
「お生憎様。こちらの方が早いと思ってね」
真っ黒な翼を広げた天使が、唇を歪める。
「お前の名は?」
「迫害の天使イルム・エルデ。異端宗教のギルド『呪性王』の新たなるギルドマスターです。処で、竜王。ふふっ、近くで見ると意外と貧相ですのね」
闇色の天使は、嘲り笑うように言った。
「…………、デス・ウィングと同じ造形の顔だな」
竜王は訝しげな表情になる。
「瞳はメアリー似。スタイルはルブル似かと。性格は、その、先の大戦を震わせた邪悪な者達のものも孕んでいるわ。……礼節に関しては謝るわよ。まだ、私は生まれて、この世界に馴染んでないから」
「そうか。確か、天使族の特性だったな」
「そうね……。私は思念体、ですもの。喋り方も、いまいち、自分で決めかねているわ。それと、私は天使だけど、どちらかというと、悪魔に近い」
イルムの全身から禍々しい魔力が迸っていく。
周辺の空間が歪み始めた。
「イルムと言ったか。何が目論見だ?」
竜王に言われ、女はせせら笑う。
「そうね。まず、王女ミント様には挨拶してきたけど、この私は、先の大戦によって生まれた存在。人々の負の思念から、そして、何よりも、この世界に混沌と破壊をもたらした者の思念によって、この肉体を得た存在。そんな私の中にわだかまっているのは、傲慢にして、破壊をもたらしたい、という負の意思…………」
闇の天使は、イブリアに向けて手を翳す。
闇の魔法が詠唱無しで唱えられた。
幾つもの黒い球体がイブリアを襲い、彼から生命エネルギーを吸い取ろうとする。
イブリアは机の傍に立て掛けてあった杖で、それらの暗黒球体を消し飛ばした。
「正直、力を持て余しているわ。この私の相手になってくれないかしら?」
「…………、ふむ。ルブルにメアリー、そして、デス・ウィングも、そこまで愚かでは無かったのだがな」
竜王は杖から、雷の魔法を生み出していく。
そして、雷撃は、イルムに向かって発射されていった。
闇の天使はすうっ、と、両手を広げる。
空間が歪み、雷撃が雲散霧消していく。
魔法を打ち消せる、魔法…………。
「ミントにもこのような挨拶をしたのか?」
「ええっ。この私の価値を認めさせる為に」
「何が欲しい?」
「そうね」
言われて、イルムは唇に指先を当てる。
「私の存在価値かしら? 私はデス・ウィング、ルブルとメアリー。そして、ミント。ザルクファンド……。そして、サウルグロスとジャレス、その他、もろもろの負の念によって生まれた存在。呪性王の前のギルドマスターであるシルスグリアの後任を務める事にしたけど、私には生まれた目的が欲しいわ。そうね。たとえば、権力とか?」
「この俺と、可能ならば、王女を退けたい、と?」
「そういう事になるわね。でも」
彼女は飄々とした態度で笑った。
「デス・ウィング風に言うならば、こうかしら? 遊び相手が欲しい、と」
イルムは指先に強大なエネルギーを集約していく。
「デス・ウィングなら、そう言うんじゃないかしら?」
「まあ、そうだろうな」
イブリアは表情を表に出さない。
「……私は生きとし生ける者、全てを殺してやりたいとか言った思想は持たない」
迫害の天使は淡々と、自身の心象を吐露する。
「つまり、ルクレツィアに仇為す存在では無い、という事だな?」
「そういう事になるわね」
彼女は自らの髪を撫でる。
「ならば、歓迎しよう。ようこそ、ルクレツィアへ」
竜王は言い、右手を差し出す。
迫害の天使は、軽く頭を下げた。
「宜しくお願いしますわ。竜王様。私は呪性王のギルドマスターとして、そして、今後共、王宮ひいては竜王様、王女様を補佐していく所存です。では、宜しくお願いします」
イブリアは、この闇の天使の行動は、こちらの実力を試す上での過激な挨拶を兼ねているのだろうと好意的に解釈する。元々、彼は余りこだわらない性格だ。
二人はその夜は握手をかわし、穏便に今後のルクレツィア復興を健闘する事を互いに誓い合ったのだった。