第五十四幕 王家の墳墓 2
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「おそらく。もうすぐ、ジャレスは敗北するだろうな。ミントとメアリーの二人に」
彼女は不気味に現れる。
近くの水路の水は赤く染まっていた。
「もう少し、お前達で遊んでいたいんだ。なあ、ミノタウロス。私はお前と遊んでみたいんだ」
風が靡く。
そよ風のように見える、が……。
「先を急ぐ。どいてくれないか?」
ハルシャは剣呑に眼の前に現れた女に対して言った。
「んー。お前達と遊んでみたい。私はジェドが言う処のクーデレ? ツンデレなんで、お前達に冷たくしたいが、お前達の事が気に言っているんだ。なので、私と少し遊んでいかないか?」
デス・ウィングは指先を伸ばす。
彼女は指先から、風の弾丸を飛ばしていく。
ハルシャは、その攻撃を避ける。
建物内に、巨大な孔が開いていった。
「生憎。俺達は急いでいる。お前にデレデレと言い寄られても困るのでな」
ハルシャは露骨な嫌悪感を露にした。
「ハルシャ。お前の能力に興味があるんだ。少し、手合わせ願いたい」
デス・ウィングは、とてつもなく残忍そうな眼で二人を見据えていた。
ジェドは前に立つ。
「デス・ウィングさん」
「やあ。ジェド」
彼女は微笑む。
そして、ジェドの顔を何の躊躇も無く鷲掴みにしていた。
「悪いがお前、邪魔だよ」
デス・ウィングは何処までも冷たい笑顔だった。
…………、一体、何をされたのか。
ジェドは心をズタズタに引き裂かれる。
彼は極寒の空間の中にいるみたいだった。
まるで全身を生きながら、ズタズタに切り刻まれているみたいだった。
「ジェドに何をしている!?」
ハルシャは叫ぶ。
「いや? 少し…………」
デス・ウィングはボロ屑でも見るかのように、ジェドを見ていた。
「少しな。この少年、邪魔だから、私が殺意を向けてみたんだ。殺気って奴だな」
つまり。
ジェドはデス・ウィングの向けた殺気だけで、心を破壊されてしまったのだった。絶対的な捕食者からの殺意の意志。ただそれを向けられただけで、ジェドの心は切り刻まれてしまったのだった。彼は再起不能にされてしまった。
「あのなあ。ジェド、お前の事、一応、気に掛けていたんだが……」
彼女は倒れているジェドの手から“他人の死”を回収する。
「やっぱり。お前に、まったく興味が持てなかったんだ。……他の連中の方が、魅力的に遊べそうだしな? お前は英雄になりたいだけの平凡な存在でしかなかった……、己の器を何も理解出来ずにな?」
デス・ウィングは気絶しているジェドの頭を踏み付けた。
「タロット・カードの占いで決めたんだが。お前達の側の味方をする事も考えていたんだけどなあ」
彼女はジェドを蹴り飛ばして、水路へと落とす。
ジェドは、死体のようにぷかぷかと浮かび始めた。
「私はジャレスの味方をする事にした」
彼女は意味深で不敵な笑みを浮かべる。
ハルシャは全身から、冷や汗を流していた。
「何を考えているのか知らないけど」
通路の奥で、怒りに震えた声が漏れる。
「貴方が関わると、いつもいつも話がややこしくなるのよ。早く死になさいよ。いい加減にっ! このサイコパスッ!」
魔女ルブルが現れる。
彼女の背後から重力魔法が放たれる。
デス・ウィングは自分の周辺に、そよ風を生み出して、重力魔法の攻撃を全て横に弾き飛ばしていた。
全力の攻撃を蝿でも払うように弾かれてしまった……。
ザルクファンドは、彼女の圧倒的なまでの力に絶句する。
パーティーは二手に分かれる、という提案があったが。
ハルシャの提案で、三手に分かれていた。
そして、ミントとメアリーの二人が、真っ先に、ジャレスがいると思われる場所に侵入する、という算段った。……おそらく、ジャレス以外にも、ピラミッドの中で待ち構えている何者かを警戒しての事だったのだが……。
「風使いの能力者か。……いや…………」
ハルシャはデス&タックスを向ける。
「風の操作はお前の能力の一部。ポーズか? お前は、この辺り全体の大気を操っているな?」
「んんー。ついでに私は次元も切れるよ」
彼女はそう言うと、指先で何も無い空間に亀裂を生んでいく。
ハルシャがやっていた芸当の更に上を行っていた。
デス・ウィングの背後から、巨大な蝙蝠の翼のようなものが現れる。
そして、グロテスクな牙の生えた怪物の口が現れた。
「私の力をな。お前達にも見えるように分かりやすく実体化させてみたよ。そして、世界を操れるのはジャレスだけじゃない。ジャレスの作成した世界に介在出来るのは、お前だけじゃない。この私もだよ」
彼女は圧倒的なまでに、邪悪なエネルギーを周辺に撒き散らしていた。
「ハルシャ。お前とミントはより強くなる可能性がある。もしお前達の強さの先があるとするならば、私は興味があるな。そうだな…………」
私を殺せる能力者に成長出来るのか?
彼女は聞こえないように呟いた。
「お前達、私の事、弱いと思っているんじゃないか?」
デス・ウィングは少しだけパラノイアックに訊ねる。
「ひょっとしたら、こいつ、大した事無いんじゃないかって? そんな事思ったんじゃないのか?」
彼女はいつの間にか、大量のナイフを手にしていた。
そして、それを一つ、一つ、空中に設置していく。
「後ろにいるドラゴン、魔女。近寄るなよ? いつでも発射させる事が可能なんだぞ?」
デス・ウィングは、いつの間にか、両手に大量のナイフを手にしていた。
「なあ。ハルシャ。お前、本当にこの世界がこの先、良くなると考えているのか? 私には分からない。ジャレスの向かう先は破滅なのだろうが、ミントの向かう先もまた、破滅でしかないんじゃないのか?」
死の翼は、問い掛ける。
「絶対的に決定しているという事は、お前達は、この私に勝てないという事だ。私は闇だよ。サウルグロスに匹敵するな。サウルグロスには勝利出来たかもしれない。だが、邪悪は外からのみやってくるのだろうか? 邪悪は内なるものからも現れるんじゃないのか?」
「デス・ウィング。何処までも傲慢な者よ。お前は、自分が人々の邪悪な心の代表として、俺達の元に現れた、とでも言いたいのか?」
ミノタウロスは彼女の言わんとしようとしている事を、ようやく理解する。
「ふふっ、そういう事だな。私は闇、私は悪。私はこの世界全体を支配出来る悪だ。サウルグロスと同程度に強いぞ。もっとも、一騎打ちでは奴に敗北したがなあ? お前達全員を処刑する事は造作も無いんだ」
「もう一度言う、俺達をこの先に向かわせろ」
ハルシャはデス&タックスを、デス・ウィングへと向ける。
爆発の帯が、空間に固定される。
デス・ウィングはハルシャの背後にいた。
背中合わせだった。
「お前達が神の奴隷のまま、これから先も生きていくのか。この世界に抗うだけの精神を持てるのか。可能性を持てるのか。その先は見守らせて貰うよ」
ハルシャは、振り向いて、不可視の剣を振るう。
再び、デス・ウィングに攻撃を避けられる。壁の一部が爆破、崩壊していく。
「処で、ハルシャ。私はルクレツィアに住まうミノタウロスという種族を調べていたんだが。牛の獣人だな? カモシカやバッファロー、レイヨウのような姿をしている者達もいる。まあ、牛科全般の獣人と言った処か。処で、お前の死んだ弟は確か、角が前に伸びていた筈だな。外側に向かって。だが、お前は角が後方に曲がって伸びている」
「…………、何が言いたい」
「お前、正確にはヤギの獣人なんじゃないのか? 私のいた世界では、ヤギは悪魔を象徴する。サバトの黒ヤギってのがいてな。この世界でもどうもそうらしいな」
「何を勘繰っている? ラッハと俺は血が繋がっている。……だが、俺は家系の中でも、確かに特異体質らしいが。俺は他の何者でも無い」
「いやさ、思うんだ」
かつて、ミントの本性を見抜いた時と同じような視線で、彼女は眼の前のミノタウロスを見る。
「お前も、闇の道に向かう危うさがつねにあったんじゃないかって。お前、炎や防御魔法、他者支援魔法が得意みたいだが。お前って、デーモンの血が混ざっていないか?」
それを聞いて、ハルシャは失笑する。
「なら。俺はサウルグロスがオーロラで“悪魔”を指定した時に、この世にいないな」
彼は見当違いのデス・ウィングの推理に対して、苦笑する。
「使える能力を隠しているだろ? いや……、魔法か? 多分、ドス黒いタイプの奴だな」
それを指摘されて。
ハルシャは言葉を失う。
「やはり、当たらずとも遠からずだったか。お前の正義は狂信と紙一重なんだよ。お前は自分の中で封じている力があるな。それを使ってみろよ」
「…………、俺はかつて、悪魔崇拝のギルド、呪性王のゾア・リヒターの下で働いていた……未成年の頃だがな……」
彼は忌々しい過去を吐露する。
「その名残で、角の成長がおかしくなった。それだけだ」
「ほう?」
ハルシャは自己嫌悪に満ちた顔で、魔法の詠唱を行い、左手の指先から何かを放つ。
すると、天井を這いずり、機を窺っていた巨大サソリの怪物へと闇が向かっていき、闇がサソリの怪物を飲み込んでいく。ハルシャは小さく、溜め息を吐いた。
彼にとっては、本当に使いたくない力なのだろう。
「ああ。そうだ、ミノタウロス。お前に最後の質問をしていいか?」
「なんだ?」
デス・ウィングの隣に、いつの間にか地面に突き刺さった一本の剣が現れた。それは、とてつもなく、禍々しい輝きを放っていた。切れ味が、とても鋭利そうな刃物だ。
「私がミント。ブッ殺してもいいか?」
彼女は、にんまりと笑った。
完全に本気の口調だった。
ハルシャは。
鬼の形相で、デス&タックスを振るった。
デス・ウィングの身体の半分が爆裂し、彼女の顔半分が粉微塵に砕け散っていた。
彼女はとても満足そうに唇を歪める。
「合格」
三日月型に歪めた唇から、奇妙な単語が出る。
そして、空間に設置した刃物を全て消した。
ハルシャの背後に、デス・ウィングは立っていた。
彼女の顔も、全身も、何事かも無かったのように、服ごと再生していた。
「ミントを助けに行けよ、ミノタウロス。こいつも連れてな」
彼女はそう言うと、気絶している少年を水路から引き上げて、蹴り飛ばす。
「まあ。お前達が集まって、不条理を退けたが。お前達、個々に違った考えを持つ者達同士が民主主義を独裁政治に変えない事を祈っているよ。民衆は本質的に自ずから堕落したがるという怠惰な考えを持っているからなあ」
そう言うと、彼女は嘲り続けた。
「お前、気に入ったよ。私を殺せる可能性があるかもしれないからな」
そして、闇の中に消えていく。
「行くぞ。みんな」
ミノタウロスは、ジェドを肩に担ぐと、ピラミッドの奥へと進む。
「私達は別ルートでいいのよね?」
魔女ルブルとドラゴン魔道士は訊ねる。
「ああ。戦略は何も変わらない。グループを三つに分けて、それぞれジャレスの目的を潰しに行くぞ」
†
……もう、お前に勝利の手段は残っていないぞ、ジャレス。
デス・ウィングはまるで見捨てるような視線を送る。
彼の別の世界へ逃げる能力は、ハルシャの手によって破られてしまっている。そして、彼はもはや、次に復活する事は出来ない。もはや、追い詰められてしまっているのだ。
だが、彼は勝利を確信している。
……何か、秘策でもあるのか?
……いや、無いな。
デス・ウィングはズックの中に入れていた、真っ赤なリンゴを握り締める。
そして、それを齧る。
林檎……。聖書の話の中で、アダムとイブを神の楽園から追放した、知恵の果実……。知恵を手にして、楽園を追われた二人は、人類の繁栄になった。彼らは神の恩寵を捨て、死すべき定めの存在になった。
人類最初の男女は、不幸と苦しみを自ら受け入れる事を選んだとも言える……。
デス・ウィング
ルブル&ザルクファンド