第五十二幕 個人崇拝‐カルト・オブ・パーソナリティー ‐
1
「お前達、全員、俺一人で殺してやるよ。此処からが本当の最終決戦だ」
彼は剣を手に取る。
デス&タックスよりも、とてつもなく強力な剣だ。
今回の転生で手に入れたものだった。
彼の背後から、再び骸骨の頭部を持つ女神が現れる。
彼は周辺にあった廃墟と化した建造物に、ザルクファンドの重力魔法を撃ち込んでいく。廃墟は歪み、崩れ去り、粉々になっていく。
何か、黒い瘴気のようなものが渦巻き雲のようになって、ジャレスの下へと近付いてくる。やがて、それは人型に変わっていく。そして、背中から翼が生えていく。
「よう。ジャレス。そこにいたのか?」
ロギスマだった。
彼は歯茎を剥き出しにして笑う。
「……生きていたのか」
「悪魔族だからな。他の奴らはどうか知らねぇが。俺は人間の負の情念のようなものを糧にして再び甦る事が出来る。あの戦いで、メアリーやルブル、ザルクファンド、そしてミントなどから発せられる、憎悪、破壊欲、怒り、そういった思念の渦巻きによって、俺は運よく復活する事が出来たってわけだ」
彼は冷笑的に言う。
皮肉な事に、人間の持つドス黒い感情を有しているのはミント達の側であり、ジャレスの心は何処までも澄んでいるのだ。
「そうかい。それは良かったねえ」
そう言うと、ジャレスは何処かへと向かおうと歩き出し始めた。
「おいおい。これから、何処行くんだ?」
「奴らを殺しに行く。それ以外、他に無いだろ?」
「俺が協力してやろうか?」
「必要無い。別に、俺一人でいい」
彼はそっけなかった。
ロギスマは少し、途方に暮れた。
「なあ。この俺はこれからどうすればいいと思う?」
「さあ? でも、ロギスマ。お前、異世界に行く扉を開けるんだろう? なら、別の人生を求めたらどうだい? 俺は奴らを殺して国王になる。別に国王になれれば、ルクレツィアの民が誰もいなくたっても構わない。俺は孤独な国王でいい。俺を傷付けた者達、そしてミントさえ殺せれば、俺はそれでいいんだ」
彼はそう言った。
「そう言えば、ミランダが死んだ事が確認出来たぜ」
悪魔はそう告げた。
ジャレスは無言だった。
彼にとって、どうでもいい小事でしかないのだろう。
ロギスマは、彼になおも何か声をかけようとする。
ジャレスは振り向きもせず、手にしていた剣を、何も無い空間に向けて振るった。
すると。
ジャレスの姿が消滅していた。
「おい。あれ? 何処に行ったんだ?」
ロギスマは首を傾げる。
「俺の新たなる能力は『個人崇拝』と呼ぶ事にしたよ。この力さえあれば、俺は世界を支配出来る。ロギスマ、君はもう下がっていいよ。俺一人でこの世界を支配する」
ロギスマの背後にジャレスはいた。
どうやら、ジャレスは、一度、この世界から消えたみたいだった。
「そうか。…………、悪かったな。俺は俺の好きなように生きるぜ」
「ああ。俺は一人でいい。一人で覇王になる。この世界を統べる王に」
そう言うと、ジャレスは再び、この世界から消えた。
2
「これ以上の事は、ミント。お前達が決めるんだ。俺は見守るだけだ」
イブリアはルクレツィアに住まう者達全てに思念を飛ばす事にした。
彼の言葉を伝える事にした。
彼は黄金のドラゴンとなって、輝く太陽目掛けて飛び立つ。
ジャレスの転生が信仰により行われているものだとするのならば。
その転生の信仰を、別の信仰に書き換えればいい。
イブリアはこのルクレツィアの君主だった。
此れまでの統制は、代わりに人間の国王に任せ続けていた。
だが、みな、何処かでイブリアに対する信仰心も持っている。
イブリアは、ルクレツィアに住まう者達全員に、自らの意志を伝える。
<皆の者達。我が竜王イブリアだ>
彼は声を聞かせ続ける。
<聞いて欲しい。ルクレツィアは今後の未来において、希望に満ちている。我が帰還したからだ。この世界の未来は希望に満ちている。来世にて英雄として生きる必要など無い。幸福に生きる価値があるのは来世ではなく、今、この瞬間の生なのだ>
イブリアは、声を聞かせ続けていく。
ルクレツィアに住まう者達に。
死後の人生を信じ、死後に幸福になれると信じて疑わない者達に。
<死後の世界なんて存在しない。死後は無になるだけだ。だが、今、この世界においての希望はある。国家の暴政は終わりを告げた。お前達の未来は光に満ちているであろう>
イブリアは国民達全てを鼓舞する言葉を、彼らの脳に届かせ続けた。
3
寝室の中だった。
ミントは鏡を見ながら、自らの髪の毛を手入れしていた。
「何故、ルズリムを殺したの? ジャレスの暗殺部隊の子達……。私がやるって言った」
メアリーは腕組みしながらミントに訊ねる。
「思い返してみればグリーシャの時もそうだったわね。何故、私に任せなかったの? 夜襲とはいえ、私を起こして始末させれば良かったのよ。貴方が手を血に染める必要は無かった」
メアリーは激しくミントを責めたい気持ちでいっぱいになった。
ミントは少し考えてから答える。
自分自身の手を汚さずに権力を統治する王は駄目だ、と答えても、メアリーは納得しないというのは分かっていた。
「臣下にだけ任せるだけの王族は駄目って言うのは、確かに、私の後付け。……そうね、メアリー。私はあったかもしれない、もう一人の自分を彼女達に見た。それぞれ、サウルグロス、ジャレスを崇拝しているように見えたから。だから、私は自分自身のあったかもしれない可能性を自分の手で殺すしかなかった。……正直、見たくなかったのだと思う」
ハルシャに会わなければ、ミントは道を踏み外していた。
ジャレスのように、壊れていた。
「そう。なら、私は何も言えないわ」
いつから、このような言葉を掛けてしまうようになったのか。
今、ミントに抱く感情を、どう言葉に出来るのだろう?
†
宮殿の回廊の途中だった。
「同じ男として、お願いしたいのです」
ジェドはハルシャに深々と頭を下げる。
「ミントさんは、貴方の事が好きなのです。俺じゃない……俺がどうやっても、どんなに頑張っても、貴方の代わりにはなれない」
「……ジェド。いきなり、どうしたんだ?」
「メアリーさんが、もし、ミントさんがジャレスのようになる道を選んだのなら、迷わず、俺に殺せ、と言いました。殺せば、独占出来る、と。…………」
「メアリーはそんな事をお前に言っていたのか。……いかにも、彼女らしいな。…………」
ハルシャは考える。
「約束していただけませんか?」
「なんだ?」
「決して、死なないと。俺は死んでもいいんです。でも、貴方が死んだら……ジャレスに殺されたら、ミントさんは、彼女の心を支えるものが何も無くなると思います。……それくらいに、ミントさんの幼い頃に受けた心の傷は深く、この世界に対する憎しみも、深いのだと思います…………」
性欲や妄想でしか見れなかったミントの心の闇を見て……。
ジェドは、どうしようもない程に、彼女の心の弱さを知った。
だからこそ。
自分は同じ男として、ハルシャに頭が上がらないのだ。
彼がいなければ、自分は地下洞窟の中で死んでいた。
いつか、彼のような人間を目指したい……。
ジェドは、どうしようもない自分を受け入れて、ただ、強い者達の後を追う事に決めた。彼らの生き方も踏まえて、自分自身が成長する為の道標にしなければならない。
†
……私も参戦したいな。
デス・ウィングは唇を歪める。
……彼らはどんどん強くなっている。お前を倒す為に。
正直、ミントとハルシャの死に様が見たいというのが本音だが。
実際、どちら側に味方した方が自分にとって面白いのだろうか。
しかし、竜王イブリア……。
気に入らない。
ルクレツィアという世界に生きる者達は、転生の宗教だけでなく、彼をこの世界を見守る神のごとき畏敬の念で見ている。
彼女は名も無き者の墓の上に乗っていた。
木の枝で逆十字のように、墓は作られている。この下に誰が埋葬されているのか分からない。年齢も、性別も、どんな種族の者なのかも。
だからこそいい。
無条件で生命の残骸を踏み躙る気持ちは、どうしようも無い程に高揚するものだ。
ジャレスは自分と同じ人種なのだろうか。
ジャレスは自分と対等の力まで達するのだろうか?
「どちらでもいい。どちらが勝利しても構わない。だが、ジャレス。奴らはまだまだ成長しているぞ。お前はどうなんだ? お前はたった一人だ。この私と同じように」
デス・ウィングは一人呟く。
†
「あの集団を支えている柱は、ミノタウロス……」
ジャレスは呟く。
「あのメイドとドラゴン魔道士では無い。……あの二人の知力、頭脳もやっかいだが。あのパーティーをまとめ上げているのは、ミノタウロス。奴を始末出来れば、後は有象無象……。特に王女は敵では無い」
彼はそう判断した。
「まずはハルシャから首を刈る。これで敵の陣営を突き崩す。俺の計画はパーフェクトだ。そして、新たなる能力も試させて貰う」
奴は個人主義者ではない。
つねに仲間に気を配り、仲間の命を助ける事に気を配っている。
極めて気に入らない。
あのミノタウロスさえいなければ、何度も、ミントを殺せる機会があった。だが、奴のせいで、何度も失敗している。少しだけ気付くのが遅かったかもしれない。
ふと。
自分に異変が起こっている事に気付いた。
ジャレスは絶句していた。
背後にいる、女神の姿が薄らと形の無い明滅した状態へと変わりつつある。
そして、ジャレスの耳元にも、イブリアの声が入り込んできた。
……そうか。竜王イブリア。奴が民衆に声を届けているのか。そして、俺の転生の能力は失われ、そして……同時に、民衆に死後ではなく、現世の人生においての希望が生まれる。極めて、小賢しいなっ!
そう。
背後にいる女神こそが、転生の力の媒体だった。
それが失われたとするならば……。
もう、後が無い。
ジャレスは舌舐めずりをする。
いよいよ、本当に最後の決戦だ。
今度こそ、ミントを含めた全員を殺し尽くす。
彼は今回の転生によって、新たに手に入れた剣の柄を握り締める。
これで、ミントも、メアリーも、ハルシャも、ザルクファンドも、ルブルも、そして後一人、名前を忘れた少年も……、全員を一人残らず殺害するつもりでいた。
もはや、後が無い。
彼はそう悟っていた。
……何故だろう。
此処まで窮地に追いやられているのに、生きている実感がするのは。
彼は自分自身の死と対面している時のみ、生きる意欲が湧いてくる。生きている事に高揚感が湧いてくる。命を危険に晒す事、命の危機にある事。そして命のやり取りをしている時のみが心が躍るのだ。
そう。
力が漲ってくるみたいだった。
万能感が溢れてくる。
自分は誰にでも勝てる。
どれだけの者達が束になってもだ。全て雑兵の群れにしか見えない。
新たに授かった剣『カルト・オブ・パーソナリティー』。
最強の剣だ。
この剣の力を試したい。
『個人崇拝』。
この剣を振るうと“彼だけの世界”を作り出す事が出来る。
それは戦闘中に可能だ。
“彼だけの世界”は、ルクレツィア世界に、別の異界を重ね合わせる事が出来る。作り出した世界においては、ジャレスは存在出来るが、彼らはジャレスの世界に入り込む事が出来ない。だが、ジャレスは彼だけの世界から、ルクレツィア世界に干渉する事が可能だ。
次元を作成して、次元を重ね合わせ、別の次元に干渉する力。
それが『カルト・オブ・パーソナリティー』の能力だった。
あるいは、女神が与えてくれたプレゼントの最終形態なのかもしれない。
「ありがとう。君はもう休んでいいよ」
彼は、消え始めている、自分の力の媒体であった女神に礼を言う。
もう、これ以上の能力は必要無い。
充分過ぎる程の恩恵が与えられた。
覇王になる為の、この世界を支配するだけの特権が自分には与えられたのだと判断した。
「王女。運命はお前達を選ぶのか。この俺を選ぶのか。戦って証明しようじゃないか? 俺はお前達全員を皆殺しにして、国王として戴冠する。民衆は従わせる。他の誰にも、俺の邪魔はさせないっ!」
彼は幸福だった。
この瞬間の為に、自分は生まれてきたのだと確信した。
今、何よりも、自由だ。
自分は人間である事を超越した実感が湧いてきた。
帝王ジャレス