第五十一幕 命のやり取りのみが、未来を全て決めるのだろうか?
1
ルズリムにとって、ジャレスが全てだった。
この幼い少女は彼に縋るしか生きる道は無かった。
それで良いと思った。
彼の為になら死ねる。
もはや、ブラウニー・キッズのメンバー達の多くは死亡している。
自分も彼らと同じ場所に行かなければ……。
ほんの少しでも足止め出来れば、それでいい。
彼女は全身が炭へと変わっていく過程で、ただ思考していた。ジャレスへ感謝の念を抱いていた。彼女は骨ごと黒い骸骨へと変わっていく……。
ミントの放った炎は問答無用で立ちはだかり、一人でも毒のナイフで道連れにしようとした幼いルズリムを焼いて、……黒焦げ死体へと変えたのだった。
少女の帝王への崇敬の念は、いともたやすく、殺す事に覚悟を決めた王女の手によって、焼き尽くされたのだった。
「貴方も死ぬ?」
ミントは、今度は稲光を両手から生んでいく。
彼女の瞳には、……迷いは無かった……。
悪魔の王であるロギスマは、少したじろぐ。
今、眼の前にいる少女は、決して信念を曲げない。
何の躊躇もなく、幼いブラウニー・キッズのメンバー達を焼き殺したのだ。眼球さえ溶けて熱により溶けた頭蓋からはみ出した焦げたルズリムの脳を見ながら、ロギスマはどうするべきかを悩んだ。
「ジャレスとは盟友だからな。俺はお前達の邪魔をする……」
そう言うと、ロギスマは彼の周辺に奇妙な青色の炎を生み出していく。
「この炎。少しでも触れたら爆裂するぜ。木端微塵だっ!」
ミントは雷撃を撃ち込む。
ロギスマはそれを跳躍して避ける。
「ひゃはは、てめぇらの戦力を少しでも削ってやる。それがジャレスの為になるんだっ!」
ロギスマも……、ルズリムと同じように、あの感情の欠損した男が大好きだった。……子供の頃から知っている。彼に対する奇妙な感情はいつから芽生えたのだろう? 自分は彼をああいう壊れた人間に育ててしまった者の一人だ。いわば、親の一人のようなものだ。国王バザーリアンが死亡した今、ジャレスだけは……守りたい。
ロギスマの首が切り裂かれる。
彼の全身がバラバラに刻まれていった。
ジェドだった。
彼が自らの生命力を削り“魔剣・他人の死”を振るったのだった。
「ミントさんっ!」
ジェドは叫ぶ。
「何よ!? ジェドッ!」
「俺が……、俺が命を捨ててでも、汚れ役を行いますから。どうかこれ以上、命を殺める事は……」
ジェドの故郷を滅ぼした元凶であるロギスマのバラバラ死体は、遥か奈落へと落下していった。
ミントはジェドの言葉にとても不機嫌そうな顔になる。
「ジェド。…………」
クレリックの少女……現ルクレツィアの王女は呟く。
「私は人間を止める。私の本質は獰猛なドラゴン……。この血の誇りとして宿敵を殺す。私は貴方の……いや、貴方達の理想的な存在なんかじゃない。私は、私の意志で、血塗られる…………」
彼女は、風で揺れる吊り橋の下を眺めていた。
そして、彼女は吊り橋を渡っていく。
この先にいるであろう、再び、現世に復活したジャレスを二度と復活出来ないように殺害する為に……。
†
最深部に辿り着く。
祭壇だった。
邪悪でグロテスクな怪物達のオブジェに囲まれている。それらは軟体動物の姿をしていたり、多頭の鳥の姿をしていたり、苦悶に満ちた人間の頭を引き延ばしたものなど、悪意的なデザインで満ちていた。
そして、そこは地下の大闘技場だった。
「やあ。少しぶり」
ジャレスが現れる。
彼の背後には、骸骨の頭部をした天使の翼を生やした女神が浮かんでいた。
ミントは、ジェド、メアリー、ハルシャの隣を押しのけて、三人の前に出る。
そして、彼女はおもむろに服を脱ぎ始める。
「そういえば。ジェド。貴方、私の裸、見たがっていたでしょ? メアリーもだっけ?」
彼女はジャレスを見据えたまま、振り向きもせず、後ろにいる仲間達に告げる。
ミントは着ていたワンピースを脱ぎ、ブラジャーとパンティーも脱いでいく。
彼女は一糸纏わぬ姿になった。
そして、向日葵の形をした髪飾りも投げ捨てる。
「美しいね。とてつもなく、美しい美貌に姿態。そして決意だ」
ジャレスはせせら笑っていた。
彼の背後にいた女神も、カタカタと眼球も眼鼻も唇も無い顔を震わせて歓喜しているかのようだった。
ジェドは息を飲む。
メアリーは何かを叫ぼうとした。
ハルシャは率先して、彼女を止めようとする。
「もうどうなったって構わない。私の全てをブチ撒ける。私は人間を止める……っ!」
彼女は叫んだ。
ミントの背中からドラゴンの翼が生える。
彼女の全身は、禍々しいオーラに包まれていく。
そして、彼女の全身は変形していった。
「全力で来なよ? この俺が切り刻んでやる」
ジャレスは剣を手にする。
2
サウルグロスを退けて、ジャレスの復活を知る数日前の事だった……。
ミントはハルシャと二人きりだった。
長閑な、散歩道での事だった。
「愛しているのです……」
ミントは師であるミノタウロスの背中を強く抱き締める。
「ミント。それは獣姦だ」
ハルシャは彼女から顔を背け、告げる。
「我々は契るべきでは無い。それに、子供も産めない。お前は人間だ」
「いいえ、私は半分は竜の血を引いている。完全な人ではありません」
彼女の頬が熱い雫で塗れる。
「エルフとオークは子供を作れるな。人間とエルフもだ。他にも、人間と何種類かの獣人は子供を作れる。もし、子供が生まれたら、彼らはどうなった? ……酷い迫害対象にあったな」
「そんな世界をもう、決して、作らせません。我々の力で、我々の世代で、時代を、この世界を変えましょう」
ハルシャは首を横に振る。
このミノタウロスは種族の中では、とても美しい青年で同性によくモテると聞く。それを知っていて、ミントは彼と同じ種族に生まれなかったのを悲しむ。
「お前は人間種族と恋愛するのだ。そして、人と結ばれ、子を生むべきだ。……人間と獣の子は忌むべき存在として扱われる…………」
ハルシャの言っている事はよく分かる。
サウルグロスの軍団に参列して、ミント達に夜襲を仕掛けてきたグリーシャ。彼女は半獣人だった。おそらくは人間と獣人のハーフだ。グリーシャはおそらくは、忌むべき者として扱われて、この世界を生き延びてきたのだろう……。
ミントは言葉を飲み込む。言わんとした事を……。
自分は人間なんかじゃない。
自分はドラゴンだ。
ミントは竜王イブリアを尊敬し、父として認めている。顔もよく分からない母親の事なんて知らない。人間であるバザーリアン国王なども父と認めない。
ミントの父は、ドラゴンであるイブリアなのだ。
だから、自分はドラゴンなのだ……。
今更、どんな種族と恋愛し、子を産もうが関係無いではないか……。
彼女は願う。
今で無い世界を……。
みなが共生し、共存していく世界を……。
愛する者が自分とは別の種族であるという事。
別の、人種であるという事……。
それが、一体、何の意味があるのだろう……?
道端に咲いた向日葵がとても綺麗に映った。
この空は美しいのだろうか?
この空の青空に輝く太陽は?
†
今や竜王イブリアの力を全力で解放したミントは、黄金のドラゴンとなって、炎と稲妻の吐息をジャレスに向かって吐き散らしていた。
彼女は彼の背後にいる、彼の復活を行っている女神ごと打ち滅ぼすつもりでいた。
ハルシャもジェドも……メアリーも、その姿に、しばし呆然自失としていた。
ジャレスは炎に焼かれながら、喜び、勇んでいた。
「俺の次の力を教えてやろう」
彼はとても楽しそうだった。
皮膚が焦げながら、肉が焼け爛れながら、焼けた部分が見る見るうちに再生を始めていく。
「俺は不死身の、再生の力を手にした。これで、俺はお前達ごときには死なない」
彼は喜び勇んでいた。
「馬鹿じゃないの?」
ジャレスの右腕が吹き飛ぶ。
メアリーが大斧を投擲したのだった。
「転生して延々と異世界に逃げられる能力なのに。二重に不死身になってどうするのよ?」
彼女は思わず、呆れた声を出す。
「違うよ、メアリー」
ジャレスは不気味にほくそ笑む。
辺り一面に瘴気のようなものが漂っていた。
ハルシャとジェドは吐き気を覚える。
「お前達の生命力を吸い取って、俺は肉体を再生させているんだ」
「ふうん。ゾンビの私の生命エネルギーは吸い取れないのね?」
ミントも生命エネルギーが吸い取られる事も構わず、全力の炎の吐息をジャレスに向け続けていた。
ジャレスは反撃を試みようとするが……。
ジャレスは全身がねじ曲げられていくのが分かる。
彼の動きは封じられる。
「これは……?」
「さあ?」
メアリーはほくそ笑んだ。
ジャレスはたっぷり、十数秒の間、気付いていないみたいだった。
「そうか。お前達、四名だけで来ていないな!?」
「当たり前でしょうが」
メアリーは腕を組んで、鼻を鳴らす。
この闘技場からしばらく離れた場所。
闘技場の天空。
そこからザルクファンドが重力魔法を操って、ジャレスの動きを封じていた。
「後、一回は転生を許すわ。このまま灰になりなさいっ!」
メアリーは告げる。
ジャレスは何とか、ハルシャとジェドから命を吸い取ろうとする。
だが。
ハルシャの振ったデス&タックスから、爆発の魔法が放たれていく。
ジャレスの肉体の所々が砕け散っていく。
新たに生み出した爆発魔法の攻撃をコピーされても構わない。
このまま、倒し切れるのならば、ハルシャはそういう判断だった。
「ミント、ジェド。距離を置けば、生命エネルギーを吸い取られないぞ。これも、サウルグロスの暗黒魔法の劣化能力のようなものだなっ!」
ハルシャはそう辛辣に言った。
「ルブルッ!」
彼女は天井の見えない暗闇目掛けて叫んだ。
ザルクファンドの背には、ルブルが跨っている。
「ジャレスにネクロマンシーを行ってっ! このまま生きたまま。ああ、そうだっ!」
メアリーは思い付く。
もう、転生を許さずに、倒し切れるかもしれない。
「切断した腕は死体なのかしら? ルブル?」
上空では、ルブルが唇を歪める。
「“死体”と認識出来るわ」
魔女はほくそ笑んだ。
切断したジャレスの左腕が、ルブルのネクロマンシーによって動いていく。
そして。
左の掌から“存在を消滅させる能力”が、女神に向けて発射されていく。骸骨の頭部をした女神はその能力を受けて、そのまま姿が掻き消えていく。
「な、にっ!?」
ジャレスは裏返った声を出す。
後はもう、一方的だった。
ジャレスの右腕はねじ曲げられる。そして、両脚もねじ曲げられる。ザルクファンドの攻撃だ。
そして。
ジャレスの首はメアリーの鉈によって、切り裂かれた。
ドクドク、と、血を垂らしながら、ジャレスは何とかもがこうとする。
「ネクロマンシーで操作するわ。死後の世界に行かせない」
ルブルが見下ろしながら呟いていた。
「もう、お前に味方している者もいないっ! 全員、倒した。おそらく、ミランダもっ!」
ミントは叫ぶ。
ジャレスの唇は震える。
そして。
何かの幻影の実体化を始めた。
幻影の実体化……メアリーの能力だ。
「させないわ」
ミントは更に炎のブレスの威力を上げる。
大地が揺れ動く。
マグマが噴出していった。
ハルシャはジェドの身体を掴むと、マグマを跳躍して避けた。
「地面の下に溶岩が溜まっていたのか。大地を揺らすエネルギー波などの実体化を行ったな?」
「いえ。ハルシャ。幻影の実体化じゃない。こいつ、ザルクの重力魔法をすぐにコピーして、大地に重力のエネルギーを送り付けたのよ」
メアリーもマグマの噴出を避けていた。
更に、ジャレスは自身を拘束している重力魔法を、コピーした重力魔法によって打ち消そうとしていた。
「何かの幻影の実体化を行っているわ、気を付けてっ!」
メアリーは叫ぶ。
それは。
…………、大きな頭だった。
ミランダの作り上げた怪物クレデンダ。
その怪物の頭部を作り上げて、核攻撃の弾丸を空高く舞い上がるザルクファンドへと撃ち出していく。ザルクファンドはジャレスへの拘束を緩めないまま、重力魔法を自身の周囲にも張り巡らせて、ジャレスが実体化させたクレデンダの核の攻撃を弾き飛ばしていく。
<無駄だ。無駄なんだよっ! このまま、始末させて貰うっ>
「そう。アンデッドとして、私に仕えるといいわっ!」
ルブルも転生される直前に、すぐにジャレスをネクロマンシーで甦らせる意志を緩めるつもりは無かった。
だが。
ジャレスは、続けて、何かの幻影を新たに実体化させた。
その実体化した幻影を見て。
ジャレスを倒そうとこの洞窟の最深部にいた六名全員が凍り付いていた。
細長い蛇のような胴をしたドラゴンが洞窟の中に現れる。
そして、そのドラゴンの背後には燦々と輝く小さな太陽と太陽の周りに纏われる、オーロラが輝いていた。
滅びのドラゴン、サウルグロス。
あの化け物が、あの終末が、ルクレツィア全体を滅ぼし掛け、ルクレツィアに住まう者達全員を一人残らず殺そうとした、あのドラゴンが姿を現したのだ。
数秒だけ。
ザルクファンドは、重力魔法を解除してしまっていた。
ルブルも、ネクロマンシーにより、ジャレスの転生を邪魔する事を忘れてしまった。
ミントはなおも吐息を吐き続けるが、ジャレスは完全にほくそ笑んでいるのが分かった。嘲り笑い、幼少期から知っている、あの笑み。
ハルシャもメアリーも、完全に凍り付いてしまっていた。
サウルグロスは辺りを見渡し、闇色の球体を生み出していく。
あのルクレツィア全体の生命を、自身の命へと変えた暗黒の魔法だ……。
ジャレスの肉体は……。
…………、溶岩の中へと落下していった。
彼は完全にほくそ笑んでいた。
同時に。
突如、現れたサウルグロスの姿も消滅していく。
やはり、幻影。
ジャレスが生成した、メアリーの能力をコピーしたサウルグロスの幻影でしかなかった。
だが、あの存在の恐怖は、みなの心に重く、ずっしりと残っていた。
特に、ザルクファンドに至っては、一番、致命的なミスを犯してしまい、ジャレスを拘束している重力魔法を解除してしまったのだ。だが、この場にいた誰も、彼を叱責出来る資格など無かった。
ジャレスの策略に数秒から十数秒程度、みな、折れてしまったのだ。精神力や執念はジャレスの方が上だったという事だ。
「また。来世に逃げられたわっ!」
ミントはとても悔しそうに叫んだ。
「ひとまず、此処は脱出するわよ。地上に出ましょう」
メアリーは他のメンバーに告げる。みな、頷く。
「おい。ミント、そろそろ人間に戻れ。お前の服は回収しておいたぞ。下着も髪飾りもな」
ハルシャはそう叫んだ。
「ちょ、ねえ、ハルシャ。貴方、口うるさいわよ。私を子供扱いしてっ!」
金色のドラゴンに変身しているミントは恥ずかしそうだった。
「みな、ミントの着替えは見るなよ。特にジェドとメアリー、お前達、邪な考えしかないだろう?」
ミノタウロスは付け加える。
メアリーと、上空のルブルはどっと笑った。
ミントはとても気まずそうだった。
ジェドはハルシャの顔をまじまじと見ていた。
「なんだ? ジェド」
「あ、いえ。先程はありがとう御座います……。マグマの噴出から助けて頂いて……」
考えてもみれば、彼がいなければ、以前の戦いでミントも命を落としていたのだ。
「気にするな。お前達のサポートをするのが俺の役目だ。俺はミントやメアリー、それにザルク程の攻撃能力は無い。だから、お前達の援護が俺の役目だ。俺自身がそう決めている」
そう彼は謙遜するように言うが、ジェドから見て、ハルシャは充分な程にジャレスや……サウルグロスの生んだ化け物相手に戦えている。彼は仲間達に気配りしながら、敵と戦っているのだ。そして、ハルシャの実力は、実質、ミントやメアリーに引けを取っていない。必死で敵に一撃でも与えようとしているジェドとは比べものにならない。ジェドはその事実に恥じる。そして、このミノタウロスに対して、ある種の羨望さえ覚えていた。
溶岩が本格的に辺りを浸食していく。
みな、この地下闘技場から離れて、元来た道に引き返す事にした。
「それにしても、やはり分かったのだけど」
メアリーは言う。
「まず、ジャレスの転生の能力は敵からの攻撃だけでなく、やはり“事故”のような形でも引き起こせる。蒸気機関車に轢かれる形を取ったり、溶岩に落下するという形を手段を取ったのがその証左。……そして、そういう逃げ方が出来るという事は、やはり、女神なる存在を消滅させる事は出来なかった。女神も復活する事が出来る。女神の方を、何とかして封じ込めた方がいいのかもしれないわ」
メアリーはそう分析するのだった。