第三十九幕 死の翼と滅びのドラゴン。
1
「そこにいるのだろう?」
サウルグロスは周辺に隠れている者に訊ねた。
デス・ウィングはとても楽しそうな顔で現れた。
「順調に、この世界は滅びつつあるな」
死の翼は、建造物の上に座り、口元に涼しい笑みを浮かべながら、腕を組み、髪を靡かせていた。彼女は崩壊していくルクレツィアを静かに眺めていた。
「お前は、この世界がどうなったって構わないのだな?」
ドラゴンは、死の翼に訊ねる。
死の翼は唇を歪め、頷く。
「それにしても、お前のやった大量虐殺。一つの種族を滅ぼすという、所謂“民族浄化”は面白かったよ。賞賛にしか値しないな」
デス・ウィングは立ち上がる。
「一度、手合わせ願えるか?」
彼女は言った。
そして、腰元には、いつの間にか長い剣が伸びていた。
彼女は剣の鞘を抜く。
どうやら、それは刀のような形状をしていた。
「処でサウルグロス。私は自分が何故、自分であるのかという事に悩み続けていた」
彼女は、一人、何もかもを拒絶するかのように呟く。
彼女は刀を持っていない左手の掌から、巨大な竜巻を生んでいく。
「お前はこの私を殺してくれるのかな? 私は少し試してみたい」
彼女は何もかも空虚そうに言う。
「ほう。良いだろう。俺は貴様と戦ってやろう。そして、塵も残さず打ち滅ぼしてやる」
ドラゴンは、何処までも傲慢な口調で告げた。
対する死の翼も、何処までも傲慢に唇を歪めた。
二人は、互いの眼に視線を合わせる。
「サウルグロス、この私と戦え。いい加減、こんなくだらない人生にケリを付けたいんだ。お前程の素晴らしく、凄まじい、闇が相手なら悪くない」
デス・ウィングはドラゴンを見ながら、薄笑いを浮かべていた。
「この世界を滅ぼす前に、この私を滅ぼしてみろ。お前になら、殺されても悪くない。お前なら、私のこの不死の身体を死へと至らしめる事が、おそらく、可能だろう」
「ふん。貴様はただの自殺志願者か? 目障りだ、だが……」
サウルグロスは全身が再び、赤く、緑色に発光する鱗へと変わっていく。パラパラ、と、先程までの漆黒の表皮は地面へと剥がれ落ちていった。
「貴様は、この俺と対峙した、この世界の誰よりも強い。それだけは分かる」
ドラゴンは唸るように言った。
「なので、俺は貴様を全力で払い除けるとしよう。俺は強者には敬意を払う」
デス・ウィングは刀の切っ先を、滅びのドラゴンへと向ける。
サウルグロスは、彼女の攻撃を迎撃しようとする。
デス・ウィングの刀に、無数の風の刃が集約されていく。
膨大なまでの高威力へと変わっていく。
「いつでも来るがいい。その刀、へし折ってくれようぞ」
サウルグロスは嘲る。
デス・ウィングは跳躍する。
そして。
彼女は刀から生まれた大旋風を、大地へと向けて解き放った。
風の刃が削岩機のように、大地を砕いていく。
そして、瞬く間に、溶岩が噴出していく。
サウルグロスは、彼女の攻撃に意外そうな顔をする。
溶岩は竜巻と合わさって、サウルグロスの全身へと降り注いでいく。
デス・ウィングは、元いた場所に着地した。
「何故、世界を滅ぼしたい?」
彼女は素朴に訊ねた。
「自分の思い通りにいかない世界など破壊したいからだ。それが理由だろうな。深い理由など無い。それが強き者の条件だ」
マグマの風に撃たれながら、ドラゴンは答える。
周辺に嵐が巻き起こされていく。
ヒドラのラジャル・クォーザが放った魔法よりも、遥かに強大なものだった。やがて、空が揺れ動いていく。風景が少しずつ、変容していく。
サウルグロスは右手を翳した。
「受けてみろ」
オーロラが、デス・ウィングの下へと向かって直撃していく。
「先程とは違い。濃い緑色に輝いているな?」
デス・ウィングは、オーロラの性質を分析していく。
「成る程」
デス・ウィングは、跳躍すると、何かを投げ放った。
どうやら、それは人間の焼け焦げた死体の一部だった。
オーロラに触れたそれは、所々が、変貌し、焼け焦げた皮膚を突き破って、触手や触覚などが映えていく。やがて、それはそのまま日の光に触れて死滅していった。
「オーロラの力は二つ。淡い色の状態は生体を滅ぼす力。濃い色の時は生体に異形の進化を施す力か」
デス・ウィングは、オーロラによって奇形化した死体を見ながらそう分析していた。
「そして、昨日。夕刻から明け方までに掛けて、夜に溶け込ませて、濃い色のオーロラを撒いた。先程は、日の光に溶け込ませて、淡い色のオーロラを広げているのか。……オーロラは、異形の進化を施す方は周辺に広げるには、速度が極めて遅い」
彼女は淡々とそう告げる。
サウルグロスは関心したような顔になる。
「貴様を異形化させてみるべきか。それとも、塵へと変えてみるか。どう始末するべきか、選ばせたいのだがな」
ドラゴンは凶暴な口を歪める。
「おそらく、どちらも、この私には効かない。サウルグロス、オーロラなんて小細工など使わずに、全力で私に挑め。私も全力を出す」
デス・ウィングは刀を地面に置いた。
そして、両手を広げる。
彼女は、虚空を指先でなぞる。
すると。
地面が裂け、山に、谷に、森に、巨大な裂け目が生まれていく。
サウルグロスは、彼女の放った異常なまでの破壊力を持った攻撃を、更に強大な魔力によって弾き飛ばしていた。
ドラゴンは、少しだけ、呼吸を乱す。
「貴様は強いな。この俺に挑んだ、この世界の誰よりも。面白い。本当に面白いぞ。この俺を満足させてくれるのか。俺は万物全てを支配する存在へとなる。だが、貴様もまた、神のごとき力を有しているみたいだ。全力で挑んでこい。喜んでやろう」
ドラゴンは両手から、幾つもの真っ黒な球体を生み出していた。
球体が、デス・ウィングへと向かって、次々に飛ばされていく。
デス・ウィングは地面に置いた刀を手にして、再び、跳躍する。
そして。
彼女の背中の辺りから、何かが浮き上がってくる。
それはさながら、蝙蝠の翼のような形をしていた。
それが、羽ばたいていく。
翼の羽ばたきと同時に。
世界全体に、異様な音がした。
廃墟と化した建造物が、細切れになっていく。
地面に亀裂が走っていく。
辺り一面が灰燼へと化していく。
デス・ウィングは、周辺を全て、細切れに切り刻んでいた。それはさながら、この滅びのドラゴンが放つ、暗黒の魔力による対象を塵へと変える力と大差の無い威力のものだった。
「貴様の能力は分かった。貴様は世界全体にある、風を、いや、大気を操っているな?」
ドラゴンは訊ねる。
デス・ウィングは頷く。
ドラゴンは、オーロラを発動させる。
それは、光のごとき速さで、彼女を撃とうとする。
デス・ウィングは。
大嵐を生み、オーロラを歪めていく。
そして、オーロラを弾き飛ばしていった。
「小細工はいらないと言った」
彼女は五本の指先を、サウルグロスへと向ける。
大気を固定した、音の速さを超えた弾丸が、次々とサウルグロスに向かって命中していく。サウルグロスの鱗が砕け、彼の肉体の所々が傷を負っていく。サウルグロスは咆哮し、敵の攻撃を受け止めていく。
デス・ウィングは、追撃として、辺り一面の風を大津波のように、ドラゴンへと向けていた。ドラゴンは、口元を歪める。
「貴様は……、油断していたのだよ」
サウルグロスはそう言うと。
全身を覆った防御魔法を駆使して、デス・ウィングの攻撃を、全て弾き返していた。
†
デス・ウィングは数秒程度、思考が停止していた。
気付くと、真っ黒な空を眺めていた。
……なんだ、と?
彼女は首を傾げる。
放った攻撃が、全て弾き返されてしまっていた。
彼女は……、成層圏まで吹っ飛ばされていたのだった。
もうすぐ、宇宙へと到達する。
デス・ウィングは周辺の大気を操作して、自らの肉体に押し留めていく。
僅か数秒の間に、上空遥か数千メートル先まで飛ばされていたのだ。
「やはり、か。クソ」
デス・ウィングは、少しだけ悔しそうに呟く。
「あいつ、この私よりも、強い。腹立たしい事だが…………」
彼女は大気を操作して、遥か地上へと向かっていく。
辺り一面の大気という大気を刃へと変えていく。
全力で、サウルグロスを切り刻むつもりでいた。
空全てを落とす程の威力だ。
辺り一面の大気全てを弾丸のように、あのドラゴンへと落下させるつもりでいた。
十数秒後、遅くとも、数十秒後には、彼女の全力の攻撃が、ドラゴンへと命中する筈だった。
デス・ウィングは、全力で敵を細切れにするつもりでいた。あるいは、押し潰すつもりでいた。倒す自信はあった。
だが。
大旋風が、大気の圧縮が、大竜巻が、風の刃が、全て押し戻されていく。
気付けば、彼女は更に、空の彼方へと弾き飛ばされている事に気付いた。
全身が、消し飛ばされ、塵へと変わっていく。
……私は、死ぬのかな?
ほんの少しだけ、このまま、無へと消えてしまってもいいな、と彼女は思い、再び、頭の中が真っ白になっていく。
2
「デス・ウィングとかいう女が敗北した」
竜王イブリアは、静かに告げた。
彼は“遠隔視認の魔法”によって、二つの狂気の戦いを俯瞰していたのだった。竜王はその戦いを見て、次元が違い過ぎる事に震えを隠せなかった。彼の使う最大威力の滅びの魔法『ヒューペリオン』クラスの力を、あの二つの狂気は安々と操り、辺り一帯の廃墟を完全な砂丘へと変えてしまっていたのだ。ただ数分の戦いで、地形全てが変わってしまったのだ。
「おそらく、彼女は、この空の果ての塵と化したかもしれん」
イブリアは、とても険しい顔をしていた。
自身よりも遥かに次元が違う力を持った、化物が負けてしまった。
魔女ルブルと、憎悪を撒く者メアリー、そして、イブリアの娘であるミントは愕然とした表情を浮かべていた。
「本当……っ!? そんな良い知らせがあったの?」
死霊術師の魔女は問う。
「負けた……!? あの性格最悪の人非人の腐れ外道の性悪が?」
クレリックの少女は驚愕する。
「とても、いい気味だけど。なら、私達にあのドラゴンへの勝機はあるのかしら?」
幻影使いのメイドは眉を顰める。
デス・ウィングは三人全員から、全力で嫌われていた。
「この天空の遥か彼方まで弾き飛ばされた。今頃、宇宙の藻屑と化しているかもしれん。だが、彼女はサウルグロスの弱点を我々に教えてくれた」
イブリアは言う。
「サウルグロスの使用するオーロラの性質を教えてくれた。オーロラは風の力によって、歪める事が出来る。そして、おそらくは、重力によってもだ……」
竜王は静かに、どちらかの力の使い手と接触する手立てを考えていた。
そして、如何に、あのサウルグロスを倒すかをだ。
「倒すぞ。この世界を滅ぼさんとする、不条理を」
イブリアは、静かに作戦を三名へと告げたのだった。
遥か彼方に、小さく王宮が見えてきた。
もうすぐ、ルブルの生み出した、スフィンクス型のアンデッドは、王宮に辿り着く筈だ。重力の魔法の使い手ならば、頼れる味方がいる。