第一幕 永久に凍れる砂漠の下で。 1
コキュートスの後、黒死病の前の話、という位置付けです。
シリーズモノですが。
可能な限り、単体で読めるように配慮しているつもりです。宜しくお願いします。
1
この両手には太く重たい剣が握り締められている。
魔王の住む宮殿の最深部だった。
眼の前には、赤い鱗が薄らと輝く、真っ黒なオーラを纏った、巨大な体躯の化け物が立ちはだかっていた。
そいつは、巨大な翼を生やしていて、炎の吐息を吐き散らしている。
おそらく、こいつを倒さなければ、この世界が滅びるだろう。
だが、自分には最強の剣がある。
この剣によって、この敵を打ち倒せば、この世界に住む者達全てを救済する事が出来るだろう。
……自分は異世界から召喚された勇者だ。
少し前、人生が苦しくて列車に飛び込んで死んでしまった。十代にして、何も無い自分が嫌になったからだ。
だが、今や英雄として、眼の前にいる怪物と戦って、この世界を守ろうとしている。死んだ後、清純なローブを纏った女神が現れて、手違いで、この世界に彼の魂を召喚してしまった為に、その償いで、彼に強大な力を持つ剣を授けたい、と。更に、この剣を手にして、この世界を破壊へと導く、滅びの怪物を倒して欲しいのだと。
ジェドは剣を握り締めて、怪物へと挑む。
これで最後の戦いになるだろう。
魔王は、強大なドラゴンへと変身した。
仲間達は、次々とドラゴンの吐息にやられて負傷している。背後には、怪我をした美しい少女がいた。彼女は、旅に出て、ずっとジェドを支えてくれていた。彼女の為にも、眼の前の強大な怪物を倒さなければならない。
ジェドは、最強の魔法を込めた剣で、その怪物へと挑む。
ふと、この部屋の外の方で、何かの声がする。
呼び声が、嫌でも彼の耳元で鳴り響いていく。
…………。
鳥の鳴き声がした。
眼を覚ますと、いつもの暗い部屋だった。エロい表紙の萌えな漫画やライトノベルが積まれている。帝都で売られているものが、片田舎の本屋にも売られているのだ。ジェドは頻繁にそれらを集めていた。
ジェドは、部屋に掛けられている鏡を見る。
いつもの冴えない顔の少年が、そこには映っていた。
彼は大欠伸をする。
本棚には、異世界に行って、ハーレムを築くライトノベルなるものが並んでいた。
台所では、両親の声が聞こえる。朝食の時間だ。
ジェドは、この退屈な人生に、何もかも嫌気が差していた。
……せめて、可愛い女の子に好かれていたらなあ。
十代特有の性欲が、彼の頭を過ぎる。
いっそ、本当に列車に飛び込んでしまいたい。そうすれば、異世界に転生して英雄になれるんじゃないのか。
あるいは、もしかすると、自分はとっくの昔にこの世界に転生を果たしており、その記憶が無く、覚醒前なのかもしれない。そんな夢想をしながら、毎日が嫌で仕方が無かった。何も無い、自分。何も無い日常。
ジェドは、台所に着くと、ふいに両親に言った。
「なあ、母さん、父さん。俺、ちょっと帝都まで旅に出るよ」
両親は、眼を丸くしていた。
そして、父親から散々、怒鳴られた。
†
「俺は、もっと人生の可能性を広げたいんだっ!」
ジェドは、そんな無鉄砲な事を考えながら、故郷の村であるアレンタを離れる事にした。
この村でくすぶってはいけない。
このままじゃいけないと思った。
今の人生のままで終わるわけにはいかない。
このルクレツィア国の帝都に向かえば、違う自分になれるだろう。
ルクレツィアにおいては、死は宗教だ。
死んだ後に、霊となり、みなが見守っていると聞かされる。そして、霊と交信する為の儀式が行われている。家々には、死んだ者のドクロや骨の一部などが吊り下げられている。勿論、実際の死体ではなく、死んだ者の代わりとして、ドクロや骨の模造品を作る者達が多く存在する。
そして、ジェドの家は、そういった死の模造品の職人の家だった。
彼は、そのような職業を継がされようとしていた。
毎日のように、伝統工芸品を作らされる練習を行っている。
……人生がつまらない。
何もかもがくだらない。
決められたレールの上なんて生きたくなかった。
「俺はっ! 俺はっ!」
ジェドには夢があった。
それは大量の美女や美少女に囲まれて暮らす事だった。
この村は、少年のジェドからすると、寂れて何も無い村でしかなかった。
ハーレム、ハーレム。
ジェドはそんな言葉を頭の中で反芻する。
帝都に行って、可愛い女の子にでも出会って、面白い人生を送りたい。彼はそのような不埒な感情で、この村を出ようと決意したのだった。
……何処までも不毛な願いと誓いこそが、彼を動かす原動力だった。
「よしっ! 帝都に行って、英雄になってハーレムを築くぞっ! 死んだ後は、神様から強大な力を与えて貰えるぞっ! よっしっ! 俺の人生は薔薇色だっ!」
…………、ジェドは何処までも愚かだった。
†
ルクレツィアの交通は、蒸気機関車によって動いていた。
帝都には、スフィンクスや、空中を泳ぐクジラである雲クジラなどが空を飛びまわり、それらの生き物達は、此処に暮らす人々を外敵から守る守護者達だった。
街は、人間の他に、トカゲ人や猫人、ミノタウロスといったような種族が共生していた。
特に、牛の頭を持つ、ミノタウロスという種族は誇り高く、戦士肌といった風で、街の兵士や守衛になる者達が多かった。
機関車から降りたジェドは、やっと帝都に来て、帝都の息を楽しんでいた。
彼はアレンタの田舎から、この帝都にやってきたのだ。
彼はギルドに入って、名を上げたかった。
「やっぱり、ギルドと言えば、冒険者達の集うギルドもいいけれど。戦士達のギルドか、魔法使いのギルドだよなあ」
ジェドは、もしかすると自分が既に、別世界から転生していて、その記憶を失っているだけではないかという空想に駆られていた。だとするならば、自分の中には強大で反則的な力が眠っている。ならば、ハーレムを築き、英雄としてみなから祭られる事など、すぐに達せられるのではないか。
そう思いながら、ジェドは蒸気機関車から見える、美しい肌のエルフの美少女やスフィンクスにまたがる冒険者ギルドの露出度の高い甲冑を纏った女騎士の姿を見ながら、強い夢想に耽っていた。
帝都の街を歩いていると、まずは、戦士達のギルドが見えた。
そこには、守衛のミノタウロスが二人程、立っていた。
「なんだ? お前は?」
「俺をいっぱしの戦士にしてくださいっ!」
ジェドは彼らに頭を下げる。
牛の獣人達は、露骨に嫌そうな視線を少年に向ける。
「出直してこい。お前の細い身体では無理だ」
静かに、武骨な戦士は告げる。
「お願いしますっ! どんな訓練にも耐えますから! どんな事でもしますっ!」
「どんな事でもするだと?」
門番のミノタウロスの一人が訊ねた。
「はいっ!」
「なら、この門を通ってみろ。通れるなら、考えてやってもいい」
ジェドは、ミノタウロスの男が言った。
「全身全霊で、通ってみろ」
ジェドはそれを言われて、門の中へ入ろうとした。だが……。
強い平手打ちを食らった。
気付くと、ジェドは、数メートル先に飛ばされて、地面に全身を打ち付けられていた。ミノタウロスの戦士が、ジェドを平手打ちだけで、数メートルも吹っ飛ばしたのだった。げらげらと、群衆達が嘲笑っていた。獣人達ではなく、野卑た、人間の中年の男達が、彼らを見て嘲っていた。門番のミノタウロスは、そんなジェドを表情一つ変えず、寡黙に、見下ろしているだけだった。
ジェドは、とても惨めな気分になった。
…………、何か自分が夢想していた物語とまったく違った。
夕暮れになった。
ジェドは、あらゆるギルドから門前払いを食らった。
「ああ、どうすればいいのかな? 俺の人生…………」
せっかく、帝都に来て、名を上げに来たのに、このザマだ。かといって、このまま帰るわけにはいかない……。
「なんとかして、住み込みで働ける場所ないものかなあ?……」
勢いで来たはいいものの、右も左も分からなかった。
「あー、こんな時、助けてくれる可愛い美少女ヒロインとかいればなー。俺の人生に、俺を導いてくれる、美少女ヒロインなんていないかなあ……、って、いるわけないか……」
彼は、とぼとぼと、泊まっている安宿へと向かった。
「貴方、ギルドをお探しですか?」
突然、後ろから、彼に語りかけてきた者がいた。
白い聖衣をまとっている女性だった。
クレリック(癒やし手)だろうか?
「あ、なんですか?」
「あの、もしよければ…………、私の所属している、ギルドに入りませんか?」
彼女はとても優しそうな顔で、ジェドを見ていた。
天使や女神のようだった。
「あの、私の名前はミント。もしよければ、貴方のお名前を……」
「俺? 俺はジェド……」
彼は鼻の下を伸ばして、真っ赤な顔をしていた。
†
小さな小屋の中だった。
ジェドが中に入ると、二人の亜人がいた。
「物凄い弱小ギルドだから、心しておく事だな」
「そうそう、俺達、ダメギルドって言われているからね。いやゴミギルド、だったかな……?」
リザードマンであるアダンと、ミノタウロスの青年であるラッハが、少しだけ陰鬱そうな顔をして酒を飲んでいた。
「みんなー、そんな事、言わないのー」
ミントは、憂鬱そうな顔をしている二人を励ましていた。
「これから、宝石鉱山に潜ろうとしているんだから。私達ギルドが名を上げる、チャンス! チャンス!」
……うーん、そんな美味しい話は、やっぱり無いよなあ。
ジェドは、心の中で、そんな事を思っていた。
「ねぇー、聞いて、ジェドっ! アダンは砂漠の狩人リザードマンなのに、弓が下手で、ちゃんと使えないし、毎日、酒びたりだし、ラッハは屈強なミノタウロスの戦士に生まれたのに、とても臆病で気弱で……」
ミントが両手を組んで嘆く。
「失礼な事を言うなよ、ミント。俺はこれでも、弓術の特訓は熱心にやってるんだぜぇ? 今度、お前を助けてやるよっ!」
鱗に覆われた裂けた口の少年は、必死で反論する。彼は随分、飲んでいるみたいで、赤ら顔をしていた。
ミントは、どうだか、といった表情を返していた。
「はははっ。はい、俺達、駄目な人達の集まりなんですわ」
何処か、子牛を思わせる顔のラッハは、ジェドがこれまで出会ったミノタウロスに似合わず、乳牛か何かと会話しているかのように思えた。
「聞いてくれよ、ジェドッ! 種族差別だよっ! ウシアタマは学者になれないって、帝都が言うんだよ。俺の家系は代々、兵士の家系でさ。俺だけ身体弱いし、グズだしっ! 武人肌のミノタウロスの恥だと思われているんだよっ!」
リザードマンのアダンは、酒を頭からかぶって、ゴロゴロと室内を転がり回っていた。
……どうしようもないな……。
ジェドは、へたれる。
「で、お仕事なんだけど。四日後の昼。宝石鉱山の奥深くにある、紫水石を取ってくる事なんだけど、みんな分かっていると思うけれども……」
「うん」
「ああっ」
ミントは、かなり困ったように頷く。
「このルクレツィアは、絶えず、あらゆる脅威に怯え続けています。砂漠の大嵐、巨大サソリの襲撃、砂海蛇の攻撃、そして……」
「大悪魔ミズガルマの生み出した、闇の怪物達が各地に潜んでいる……」
そう、ラッハは言った。
「そして、この砂漠の地、ルクレツィアは、大量の死者達の大群。ゾンビの軍団によって、襲われ続けている」
ジェドも手を上げて言った。
アダンはジョッキを頭からかぶりながら、仰向けで眠りこけていた。長い尻尾を寝ぼけて振り回していた。
ジェドは疲れた顔で、部屋の隅にある古びたソファーに座る。
ミントは窓から差し込む夕日を見ながら、ふと、呟いた。
「ねえ、処で、ジェド。私、誰にでも聞いているんだけど、ある質問に答えてくれる?」
「なんですか? ミントさん?」
美少女からの質問だ。
ジェドは、少し胸を高鳴らせていた。
「ねえ、ジェド。神様はこの世界にいると思う?」
彼女は真摯に訊ねた。
誰にでも聞いていると言ったか……。
ジェドは、ミントの質問に……上手く答えられなかった。
ミント
以下、この作品の登場人物紹介一覧です。
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