雨鼓
ポツン。
雨粒が落ちて地面に染み込む。
六月。北海道に梅雨は無いと言われているが、蝦夷梅雨、というものがある。
湿気はさほど無いが、毎日のように空は曇り、時折雨が降る。
雨粒が地面に落ちる瞬間、着物を着て腰蓑を巻いた、3センチ程の小さなおじさんが、肩に担いだ鼓を打つ。
ポツン、と。
「あれ、おーちゃんの仲間じゃない?」
美紅がそう聞くと、オホランデは首を横に振る。
「あれはな、雨鼓っていう妖怪なんだ。最初の雨が地面に落ちる瞬間に鼓を鳴らすのが仕事だ」
そう聞いて、美紅はちょっと残念に思う反面、ほっとした。
オホランデに仲間が見つかったら、きっと美紅はたった一人の友達を失ってしまう。
小学校に入学してもう二ヶ月経つが、美紅はまだ友達を作れないでいた。
1年生クラスには、生徒が美紅の他に4人しかいない。
双子の姉妹と、幼稚園が同じだったという男の子が二人。
彼等と彼女等はそれぞれに独自の世界を築いていて、美紅の入り込む余地は無かった。
最初の頃、双子は話しかけてくれていたのだが、美紅は、どうしたらいいのかわからなかった。
美紅の住んでいる近所には、年寄りしか居ない。家は農家で、祖父と父母が畑に出ている間は、足の悪い祖母がいつも美紅の面倒を見てくれた。
幼稚園も保育園も遠くにしか無く、祖母は車の免許を持っていなかったし、美紅の送迎をするには他の家族は忙しすぎた。
結果、美紅は小学校に上がるまで、同年代の子供と接した事が無かったのだ。
何を話していいのかわからない。
彼女達が何を言っているのかわからない。
ただ黙って、泣きそうな顔をしながら同席するだけの美紅に、彼女達の方が気を使い、だんだんと話しかけて来る事も無くなった。
「美紅ちゃん、みんなと仲良くしましょう」
母よりも年上の先生がそう言うが、どうやったら仲良くできるのかがわからない。
オホランデもポケットの中から、ほら、あいつに話しかけてみろ、とか、こうしろああしろと言うのだが、美紅にはどうしてもそれができない。
逆に、誰かにそんな事を言われる度に、どうしたらいいのかわからなくて涙が出て、みんなを困らせてしまうのだ。
授業が終わり、掃除の時間に、双子に「美紅ちゃんって暗いよね」と言われた。
母に買ってもらったばかりの傘を持って校舎を出ると、雨が降りそうだった。
立ち止まり、地面を見て、雨が降るのを待った。
雨鼓、今日も見れるかもしれない。そう思って地面を見ていたのだが、なんだか悲しくなってきて涙が出た。
ポツン
美紅の涙が地面に落ちた瞬間、雨鼓が走って来て鼓を鳴らした。
雨は、まだ降っていない。
雨鼓は、辺りをきょろきょろと見回し、顔を赤くして頭を掻いて草の茂みへと走って行った。
「ふふ」
雨鼓が去った茂みを見ながら美紅が笑うと、今度は本当に雨が降り出した。
雨鼓はこっそりと、たんぽぽの陰から顔を出し、ポツン、と、鼓を打った。
「ふふふ、あはは、あははははは」
お腹を抱えて笑っている美紅の背を、誰かがポンと叩いた。
「どしたの? 楽しそう。あたし、美紅ちゃん笑ってるの初めて見た」
「仁科さん・・・・・・」
双子が美紅の後ろで微笑んでいた。
「だから、仁科だとどっちかわかんないよ。あたしはむつみ」
「あたしは七瀬。にしなななせだから、みんな『ななな』って呼んでる。で、どうしたの? なんか面白い事あった?」
美紅が笑っていたせいか、双子もにこにことしている。その顔を見て、美紅もまた笑顔になる。
「美紅、俺や妖怪の事は、誰にも言うなよ。お前にしか見えてないんだから、そんな事言ったらお前が変な奴だって思われちまう」
オホランデが美紅の肩に乗り、囁く。
だから美紅は、新しい傘をさして、二人に笑顔で言った。
「ん~ん、なんでもない。なんかね、楽しかっただけ」
双子は顔を見合わせて笑った。
「美紅ちゃんって、変な子だね」
どちらにしても変な子だと思われてしまったが、今までの事が嘘のように、3人は笑いながら色んな話をして、途中まで一緒に下校した。
この日、美紅に初めて、オホランデ以外の友達ができた。
それからしばらく経ってから、美紅はふとオホランデに聞いてみた。
「そういえば雨鼓ってどっか行っちゃったのかな? 最近いないよね」と。
オホランデは、ただ微笑んだ。
以前の美紅は、下ばかり見て歩いていた。
だから、雨粒の最初の一滴が落ちる場所、そこで鼓を打っている雨鼓に気付いたのだ。
今の美紅に見えるはずが無い。
美紅は、今ではいつも前を向いて歩いているのだから。