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ヒーローズカースト  作者: 明智
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折れぬ心、枯れぬ魂

 四月三十日。金曜日の放課後、勝負の時は来た。第一体育館の控え室で紘太郎は心を静め、精神集中をしていた。

 ベンチに座り、膝の上で手を組み、貧乏ゆすりは止まらない。

 あれだけ不安はないと確信しておきながらやはり当日となると、落ち着かなくなり、いつも以上に授業内容が頭に入らない。

 真っ白な天井を見つめると、何も無いことにを確認し鼻で笑う。

 対戦相手はその当日に発表される。紘太郎の対戦相手は、格上中の格上。B級ヒーロー、長谷部圭。同級生だが、彼とは違いボクシング部の時期エース候補なのだ。

 身長は一七七センチ。ロールバックの髪型で無駄は肉は排除し、引き締まった筋肉の鎧をつけている。実戦成績ものこそ少ないものの、この模擬戦闘訓練ではいかんなく力を発揮する。

 戦ったとしても敗北は濃厚。見に来る誰しもが、身の程を知らず大海に出て来た蛙を笑いに来ているのだ。

 自信は少しばかりある。ただしそれはボクサーが相手が決まる前までだ。

 作戦はどうする? 避け続けるか? この作戦を取ったとしても、勝てる見込みはゼロだと断言された。忍に。

 お前はボクサー相手に体力勝負でもする気か? と大笑いながら否定された。そこまで笑わなくてもと言ったが、確かにこの作戦は無謀だ。

 逆に自分が疲れを見せた瞬間に嫌と言うほど殴られるだろう。

 結局作戦が決まらぬまま、放課後を迎えてしまったのだ。

 忍に教えてもらったことだが、相手は随分足を使うボクサーのようだ。しかもかなり速いらしい。

 当然素人の紘太郎が捉え切れる筈もない。

 それに殴られる痛みを想像するだけで、足がすくみ始める。

 制服からジャージ姿に着替え、あとは集合がかかるのを待つだけ。しかしこの時間はとても長く感じてしまう。

 始まれば一瞬で勝敗が決まると言うのに。いや、始まる前から勝負を決めるのは早すぎる。

 自ら心を折るのは愚かだ。

 携帯電話を取り出し、ロッカーに置こうとするといきなり鳴り響く。


 ――誰からだ?

 このタイミングで電話をかけてくる人物は予想できたが、一番可能性が低いと思っていた人物からかかってきた。

「もしもし、忍さん? 珍しいですね。こっちにかけてくるなんて。って言うか、携帯電話持ってたんですね」

「当たり前だ。お前が緊張してると思って、それをほぐしにわざわざ電話をかけたんだよ。だけど、その様子だと必要なかったか?」

「冗談ですよ。本当は無茶苦茶緊張してます……」

「だと思ったよ。まぁ、緊張を解くためにアドバイスでもしてやろう。お前のためにあいつの情報を掻き集めたんだからな。感謝しろよ」

「ありがとうございます」

 紘太郎は、座っていたベンチに腰掛けて忍の話に耳を貸す。

「あいつは足を使うボクサーだって、昼休み教えたよな。それでだ、お前は中距離で戦おうとするな。確実にあいつの術中に嵌る。特に右ストレートに気を付けろ。あれを喰らったらひとたまりもないぞ。そいつの弱点はお得意の足だ」

「足ですか?」

「そうだ。足を潰せば上半身だけで攻撃を躱すのにも限界がある。って言っても、反撃されたら終わりだけどな。あとは……そうだな。お前にこの言葉を贈るよ」

「なんですか?」

「お前が諦めれば絶望がお前を捕まえるだろう。だが、諦めなければお前は希望を掴むことができる。これは完全な、うけよりだけどな」

 あまりにもクサい台詞に、思わず笑みを浮かべる。

「誰の言葉です?」

「このセリフは、私が大好きなゲーム。ドラゴンエルドラドの主人公のエスブリッジが最終決戦の前に仲間に言ったセリフなんだ。でもそいつ一回裏切った奴だけど――」

「あっ、もう時間です」

「なんだよ、折角いいところだったのに。……最後に、ここで見せつけてやれ。相馬紘太郎はこんなところで燻ってるような男じゃないってな!」

「はい。やれることやってきます!」

 通話を終了し、ロッカーに携帯電話を置き、審判室に向かう。向かっている道中、頭を整理した。

 忍に緊張を解いてもらったおかげか、視界はすっきりと澄み渡っていて、体はいつも通り重くない。これなら動ける。

 そして審判室に入ると、既に対戦相手の長谷部圭が到着していた。

 彼だけではなく、生徒会会長烏森和人と副会長縫千花瀧子と他の生徒会のメンバーも集結していた。 

 ここでルール説明とバングルに不正データが入っていないかチェックしているのだ。

「来たな。相馬、バングルを」

 烏森が業務的な口調で言うと、手を差し出し、彼の掌に紘太郎は自分のバングルを乗せた。するとバングルを機械の上に乗せ、縫千花がパソコンで調べている。

「特に異常ありません。双方とも不正データはありませんでした。朝宮(あさみや)、そっちも確認したわね?」

 生徒会庶務、朝宮(あさみや)(みず)()。二年生。特に特徴のない顔つき、強いて言うならその奇妙な白髪だろうか、噂はまちまちだが、一説には過度のストレスでああなったとか囁かれている。身長は一七五センチぐらい。物静かな性格で仕事を淡々とこなす。

 彼と縫千花で二重にチェックをしているようだ。

 朝宮は彼女の問いに黙って頷くと、やりとりを見ていた烏森がバングルを二人に返却する。

「我々はここから見守っている。スーツの出力を六〇パーセントまで制限しておいた。思う存分戦っても良いが、こちらが危険だと判断した場合即刻試合終了とし、生徒会が公平に勝敗を決めた上でポイントを付与する。引き分けた場合は五千ポイントを双方に付与するものとする。制限時間は十分。忘れるな、これは訓練だ。殺し合いではない。その事を肝に命じておくように。それでは入場口に行け」

 結局対戦相手とは一度も言葉を交わすこともなく、視線すら合わせることなく審判室を出ていく。左右に別れた道を紘太郎は右に行き、長谷部は左に行く。

 始まる、戦闘訓練が。

 紘太郎が入場口に着くと扉が開き、アナウンスで入場を促し、満を持して足を踏み入れる。

 普段とは違う緊張感、今回は誰にも頼ることができない。

 己の力だけでやるしかない。拳を握り締め、大きく息を吐き、意味もなく目を瞑ってみる。肌を刺す敵の視線。

 観客席を見ると、何人かいるがそこから慎也と雪冠が確認できた。

 そして長谷部も前方から入場し、パフォーマンスを十分に発揮できるように準備をしていた。

「その恰好……」

 紘太郎がジャージ姿に対して、長谷部はグローブこそはまだつけていないもののボクサーの格好をしていた。

「てめぇを倒しても、ろくなポイントになりやしねぇ。さっさと終わらせるからかかってきやがれ。格下」

 早速罵倒されて、怒りを感じていたが自分の感情を落ち着かせて変身の構えを取る。

「では、模擬戦闘訓練。開始ッ!!」

 アナウンスの烏森の開始を宣言する合図で二人は同時に変身する。


「変身ッ!!」

「変身――っ!」

 長谷部のスーツは見た通り、ヘッドギアにグローブ、ボクシングシューズ。ボクサースタイルだ。左腕を前にだし右腕を引く。オーソドックス型のボクサーだ。左右前後に独特なスッテプを刻んでいる。

 かたや、ただの学校指定ジャージ姿の紘太郎。当然構えなどない。

 今――勝負が始まる。

 相手がどんな攻撃を仕掛けてくるか分からないまま、攻撃するのは得策ではない。そう考えた紘太郎は出方を伺う。

 しかし、それが不味かった。

 彼は分かっていなかったのだ、ボクサーの拳の速度を。仕掛けたのは勿論長谷部。繰り出した素早い左ジャブが的確に紘太郎の顔面を捉えようとしていた。

「!!」

 敵を捕捉していたはずなのに、いつしか紘太郎は体育館の天井を見つめていた。殴られたと気が付くのに、時間がかかった。

 あまりの速度に、考えていたことが全て白紙に戻り、慌てて体勢を立て直そうとするがそんな隙は与えてなどくれない。

 美しいほどの等間隔でジャブを打ち込み、紘太郎を攻め立てる。二発目は頬を掠め、三発目は顔面を綺麗に当てられた。

 出鼻をいきなり挫かれた紘太郎に出来ることは、戦いの流れを相手に譲らないこと。即ちそれは攻撃を避け続けること。

 だが、彼の奮闘虚しく、ジャブの速度は徐々に加速していき、三発全てが顔面を捉えはじめた。

 危険だと感じた紘太郎は、反撃はせずに距離を開けた。

「はぁっ、くそ……」

 唇が切れ、鼻血が出ている。まだ始まって三十秒しか経っていないが、この如何ともしがたい実力差だけが無慈悲につきつけられた。

「これくらいでへばってんじゃねぇよ。まだまだ行くぜ!」

 紘太郎は忍の言っていたことをこの一瞬だけ、忘れてしまった。中距離(ミドルレンジ)、彼が一番得意とする距離感。

 はっとした紘太郎だったが、目の前に長谷部の姿は無かった。

 ――どこに消えた?

 殺気を痛いほどに感じたのは、意外にも下から。視線を移動している暇など無い。訓練通りに腕をクロスさせ防御の姿勢を取るが、長谷部は関係ないと言わんばかりに右拳で突き上げる。

 防御と攻撃がぶつかり合い、その衝撃で紘太郎の体がコンマ何秒だが僅かに浮く。

 敵はもう次の攻撃を開始していた。

 相手の戦意を削るような鋭い左ストレート。しかしこれは、わざと防御している腕に当てる。腕から伝わる威力と衝撃。

 紘太郎の身体は後方へとのけ反り、意図とせずに体勢がまたも崩れる。

「こいつは避けろよ」

 長谷部が冷たく言い放つと、またしても紘太郎の視界から消え、彼の周りをかなりの速度でステップを刻んでいる。

 まるでそれは、漫画で見た影分身のようで到底姿は捉え切れなかった。

 身動きが取れなくなった紘太郎は、亀のように体を丸め、反撃の時をじっと待つ。

 攻撃が再開した。彼は必要に紘太郎の腹部や、肩、腕を狙い疲労や痛みを蓄積していく。耐えることしか出来ない紘太郎としては地獄のような時間だ。

 腕が次第に痺れはじめ、無意識のうちに防御の姿勢を解いてしまう。

 そこを狙い撃つように渾身のボディブローが、紘太郎を襲う。

「が――ッ!?」

 内臓が全て持ち上がるような気持ちの悪い感覚。胃の中の物が吐き出されそうになったが、何とか堪えてみせる。

「言っただろ。避けろって。どうだ、俺の拳は?」

 膝を着き、地面に頭をこうべを垂れるように着けて腹部の痛みに身を震えさせていた。

「って、反応出来ねぇか。格下、立てよ。立てねぇならフェアプレーと行こうぜ」

 腕を持ち、(うずくま)っている紘太郎を無理矢理立たせ、突き飛ばす。

「おらよ。今からパンチするからよ。せめて避ける仕草をしてくれよな!」

 足取りも覚束ないフラフラの紘太郎に、綺麗なジャブが襲いかかる。避けることなく、全て被弾。彼は程なくしてただのサンドバックに成り果てるだろう。

 だが、それを拒否したのも彼だ。


 一発だけ、何故か躱せた。理由は分からない。偶然かもしれない。だが、おかげで敵の怒りを買ってしまった。

「避けてんじゃねぇよ! この格下ッ!!」

 一定の距離を開け、右腕を大きく引く。腰を捻じり、息を吐く。肺の空気を吐き切って、集中。大技が来ることぐらい紘太郎にだって理解できた。

 しかし、身体は言うことを聞いてくれない。

 ただ立ち尽くし、やっとできたのは防御の姿勢だけ。腕を胸の前で畳む。

「行くぜ……ハートブレイクショット!!」

 腕を捻じるように突き出し、腰を使った遠心力と元々の威力が重なり合い、何倍の威力に化ける。 

 ハートブレイクショット。その名の通り、心臓を壊す一撃。心臓の部分に正確無比に打ち込み、心臓の動きを一瞬だけ止める技。止めは返しの左フック。それを皆、こう呼ぶ。死神の鎌と。

 一撃が腕に当たり、必殺の拳が失敗に終わったと見えたが、紘太郎だけは感じた。

 見えない何かが迫ってきていると。腕を透き通り、見えない衝撃(それ)は紘太郎の胸を一本の槍が如く穿(うが)つ。右拳だけが異常に重たい。

「あがっ!?」

 息が出来ない。空気が吸えない。空気を欲し、必死に口を閉じたり開けたりしているが一向に肺に空気が入ることはなかった。

 そして、死神の鎌が振り下ろされる。

「おらぁ!!」

 だが鎌が当たることは無かった。思い切り空振りをし、長谷部が確認すると紘太郎はしりもちをついていた。

「てめぇ今、防いだはずだとか思っただろ? 残念だったな。俺のスーツの性能は『貫通』。まぁ、間に何かあればこの性能は発揮される」

 余裕綽々で語っていたが、その表情は次の瞬間には苛立ちに変わる。

「情けねぇやつだ。格下はなぁ、大人しく隅で生きてやがれ! むかつくんだよ、てめぇみたいなやつがいきなり出てきて、話題になってよ。それで強くなったつもりか? 偉くなったつもりか? ざけてんじゃねぇよ!!」

 先程の紘太郎に幸運は二度続いた。まずは、あの大技が心臓を外したこと。かなりのダメージだが衝撃は左肺を穿った。

 次にしりもちをついたこと。おかげで左フックを避けることができた。

「立て。俺はボクサーだ。倒れているやつを殴りはしねぇ……」

 満身創痍。もはや立てる気力はほとんど無い。圧倒的な実力差、埋まることのない経験。勝てるはずの無い闘いだったのかもしれない。

 諦めるわけにはいかなかった。信じてくれている人たちもいる。こんな自分のために鍛錬を付き合ってくれた人もいる。

 負けるわけには、諦めるわけには、裏切るわけにはいかない。

 今ここで立て。強く心の中で叫び、立ち上がる。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

「この一発で、終わらせてやるよ」

 身体が悲鳴を上げて、限界を告げる。立っているだけで精一杯の紘太郎に、忍に危険だと言われた右ストレートが右頬に直撃し、もろに喰らったせいで紘太郎が背中から倒れそうになる。

 絶望が手を広げて今や遅しと、紘太郎が倒れてくるのを待っている。ここで優しい絶望に堕ちてしまえば、どれだけ楽なことか。

 もう、辛い希望に無理して手を伸ばす必要もない。

 ――あぁ、やっぱり無茶だったか。俺が勝つなんて。

『諦めれば絶望がお前を捕まえるだろう。だが諦めなければお前は希望を掴むことができる』

 忍に言われたことを不意に思い出した。背中を誰かに支えられた気がした。

 もう一度だけ、立ち向かってみよう。絶望を押し付けてくる現実に。

「うるらぁぁあぁああああ!!」

 長谷部の右肩を掴み、倒れないようにする。そして、一矢報いるために頭突きを喰らわせた。

「なっ!?」

 意表を突かれた長谷部は、紘太郎の気迫に蹴落とされ、決められない悔しさを残しながらも一度状況を整理するために距離を取る。

「しつこいんだよお前は!」

 怒号を飛ばし、ファイティングポーズを構え直すと、立つことすら危うくなっている紘太郎だったが覇気の籠った瞳を見て長谷部は油断はしなかった。より一層精神を研ぎ澄ます。

 危険だと、ボクサーの勘が言っていた。

「諦めが悪い方が、ヒーローに向いてんだろ……」

「くっ、うぜぇぜ。さっさとやられろよ」

 意外と粘る紘太郎に痺れを切らした彼は、距離を自慢の足捌きで近づき右腕を大きく引き、全力で振りかぶる。


 しまった。と後悔するのが少し遅れた。長谷部は放った拳を躱された。

「そんな、大振りだと馬鹿だって避けれるよ……」

 誰だって来ると分かっていれば避けることは容易い。ようやく特訓の成果を発揮するチャンスがきた。まずは慎也に教えてもらった相手の癖を見抜くこと。

 長谷部は拳を放つとき、少々打つ方の肩が下がる。次に忍に教えてもらった相手の弱点。

 放った拳を戻す前に手首を掴み、長谷部の左足を紘太郎が全力で蹴りを入れた。

「うぐぅぅぅ!」

 先程まで余裕の表情だったが、一気に苦悶の表情へと変わっていく。

「ざけんじゃ、ねぇよ!」

 反撃の狼煙として、長谷部が放ったのはボディーブロー。左拳は紘太郎の脇腹に突き刺さる。あまりの痛みで手を離してしまい、またしても距離を取られる。

 彼の脳内は今混乱が支配していた。反撃された。あの格下に。

 ――そう。格下に一撃を躱され、逆に痛烈な蹴りを決められた。長谷部のプライドは大きな音を立てて傷ついた。

 長谷部は必死で頭の中を再整理し、心を落ち着かせる。

 この状態から考えた最良の行動。必殺のハートブレイクショットを紘太郎に決めること。そうすれば、何度立ち上がったやつももう立てまい。

 と、想像上では最早勝利を確信していた。

 傷ついた足を庇うように慎重に近づき、得意な距離に入った瞬間。行動を開始した。 

 左ジャブでの牽制。顔面に当てるつもりはない。わざとガードしている腕に当てて、必殺の右から意識を遠ざける。

 紘太郎はまだ劣勢と言われる状況でも、頭の中は冷静そのものだった。雪冠の竹刀に比べればリーチは短い。見切れないわけじゃない。

 そこである考えに辿り着いた。

 ――見るからに相手はあの一撃を決める気だ。そこを利用しよう。

 失敗すれば敗北は必至。決まれば起死回生のきっかけになろう。ここが一番の正念場。ミスは許されない緊張感で、逃げ出したい気分だが、自分の危機察知能力を、特訓した日々を信じた。

 決意はした。ならば実行あるのみ。

 ジャブがヒット瞬間に、ガードが緩む。そして胸への道が開かれる。この一瞬を逃すことなく、必殺の一撃の体勢に入る。

 力を溜める時間があまりなかったが、己の体重を乗せるように前傾になって拳を打ち出す。

 確実に捉えたはずだった。どこまで拳を伸ばしても、永遠に紘太郎には届かない。全ての部分が伸びきってしまう。

 胸までたった一センチ。ほんの僅かな距離が届かない。貫通の性能は間に何か隔てる物がないと強さを発揮できない。

 紘太郎の危機察知能力と、雪冠に鍛えられた反射神経があってこそ出来ること。

 自分でも殺しきれない勢いだけが残り、倒れ込むように長谷部は前に行く。

 これこそが紘太郎の狙い。素早く懐に入り込み、背負い投げの要領で長谷部の勢いを利用し、投げ飛ばす。

 受け身はとられてしまったものの、傷を負ったのは体ではなく心。

 地につけられた敗北感。それを拭うために地面を憎たらしそうに叩き立ち上がる。吼えながら敵に向かう。

 傷ついた足のことなど忘れ去っていて、ただがむしゃらに突っ込む。ただの突進など、紘太郎の敵ではなかった。

 華麗に避け、すれ違い様によろけて相手は無様にも転ぶ。

 戦いのペースは徐々に紘太郎の物になっていた。

 再び立ち上がると、冷静さを取り戻したのかまたいつも通り、ジャブで牽制をしてくる。

「どうした。来いよ格下ぁぁあああああ!!」

 放たれる右拳を左頬が掠ってしまった形になったが、見切り、右腕をラリアットのように首に腕を食い込ませ、首に右手を回し自由がきく左手で自分の右手首を掴む。

 そして足を払い、そのまま地面に叩きつける。

 

 気が付けば、長谷部は天井を見上げていた。背中が痛む。足も。冷静だと思っていたが、体が勝利を求めて焦りを生んでしまった。

 格下に見下されているようで、二度傷ついた心を抉る。

 立てはしたが両者ともに心身を擦り減らし、疲労困憊だ。恐らく次、地に伏せたら勝負は決まる。

「おぉぉおおおおおぉおお!!」

「くそがぁぁああああああ!!」

 互いに叫びながら、近づく。

 紘太郎は顔面を殴られ、長谷部は足を蹴られる。こんなやりとりが一分も続いた。これはもう訓練とも、格闘技とも言えないただの殴り合い蹴り合い。

「諦めろよ、格下風情が!」

 貰ってはいけない。最大の悪手、ハートブレイクショット。

「うぐぅ!?」

 今度こそ外しようもないくらい、近づいており、近距離(ショートレンジ)と言うより、超至近距離戦闘(インファイト)だ。

 この距離だからこそいつもより正確に当たってしまう。今度こそ紘太郎の動きが止まり、止めの死神の鎌が右頬を直撃する。倒れそうになりながらも、奇しくも敵にもたれかかる形となってなんとか耐えた。

「はぁっ……右腕が痺れてきやがった。なんでてめぇは立てるんだよ。答えろ」

 沈黙。

「答えられねぇか。んだよ、足ガクガクじゃねぇか。これで格上様(おれ)に盾突いたのかよ。つくづくうぜえ男だ」

 トン。と押され、支えが無くなった紘太郎の身体は後ろに崩れ落ちそうだった。

「終わりだ……」

 右拳を振り抜こうとすると、激痛が彼の拳を襲った。  

「がぁぁあああああ!? いてぇ。うぐぅぅう。んでだよ、俺を裏切ったのか!!」

 右のグローブだけが歪に変形し、長谷部が痛みと裏切ったのかと怒りを訴える。しかし、それすらも紘太郎には聞こえていない。

 唯一理解できたのは、ここが最後のチャンスだということ。卑怯だとか、そういう概念はなかった。ここで決めなければ負ける。

 至ってシンプルな考えだった。

 一気に近づき、今まで散々蹴り込んだ足にもう一発蹴りを決めて、体勢が崩れたところで腹に回し蹴りを突き刺す。

 衝撃で後ろに下がったのを見て、助走をつけ、持てる力全てで飛び蹴りを当てる。

 長谷部の身体は後ろに吹き飛び、背中から着地する。

 以降、彼は立ち上がらなかった。誰しもが息の飲んだ。番狂わせが起きたのだ。

「やったのか……?」

 どよめきや微かな称賛の声を聞くこともなく、倒れ込んで気を失った。


 次に目を覚ましたのはベッドの上だった。真っ白な天井、消毒液の匂いがし、傷ついた部分は丁寧に手当てされている。白いカーテンに包まれて、傍らに足を組んで読書をしている女性が丸椅子に座っている。

 ここは保健室だろう。

「あら、起きたの? 具合はどう?」

 ぼやける視界で、まだハッキリと見えていないが黒い髪、一瞬で誰か理解できた。

「副会長!? どうしてここに?」

「貴方をここに運んできたのは私よ? どうやら大丈夫みたいね。会長、起きましたよ!」

 会長? この単語を聞いた瞬間に身体を無理に上半身だけ起こす。

「いや、そのままでいい。相馬、今回はすまなかった」

 会って直後、会長はいきなり紘太郎に対して頭を下げた。

「顔を上げてください! そんなどうして?」

 顔を上げて、ゆっくりと訳を話し出す。

「実はな、長谷部のバングルから違法改造の痕跡が見つかった。改造部分は右手のグローブ。A級相当の性能を持っていて、そこだけ出力が百パーセントだった。奴のグローブが歪に変化したのを覚えているか?」

 だから右拳だけ異常に重かったのか。

 変化したと聞かれ思い返してみるが、あの時の自分にはよく見えていなかった。ただ、叫び声が聞こえた気がする。

「すいません、あまり見えてなくて。でも、叫んでいたのは聞こえました。なんとなくですが……」

「そうか。だがあの場にいる者全員が見たのだ。長谷部のグローブが変形したのを。あれは偽造データを隠すためのウィルスがそのまま表れた。しかも、それは時間が経てば自動的に消滅するシステムになっていた。お前が粘ってくれたおかげで発見できた。礼を言う」

「そうだったんですか……お役に立てたなら良かったです」

「気になるのが一つ。あれを発見して我々が訓練を止めようとした。だがな、何者かにハッキングされ止めることは出来なかった」

 ハッキング。言葉を聞いて冷や汗をかいてしまい、忍のことを真っ先に思い出した。まさか彼女が? いやそんなことはない。

 手を顔で覆い、可能性を考えた。確かにこの学園でハッキングが可能なのは忍しかいない。後で直接聞いてみるしかない。

「俺は野暮用がある。縫千花、治療を頼む」

「了解しました」

「相馬、ご苦労だった」

 そう言い残し、保健室を後にする。どこに行くのか、予想がつくが今の彼にはどうにもできない。

「さぁ、治療するわよ」

 彼女は治療すると言ったのにも関わらず、どこからかロープを取り出し紘太郎の手足を縛る。

「え!? 今から治療するんですよね? これじゃまるで――」

「こういないとみんな逃げちゃうのよ。大人しくしててね。あっ、そうそう目隠しもあるわよ?」

「いえ、結構です!」

「それじゃ、行くわよ。変身」

 縫千花が変身し、ナース服姿に鞭というなんとも危険な香りがする格好と、ベッドにロープで縛られている男。

 この場を見られると学校に居場所が無くなるレベルでは済まない。

 縫千花は傷ついた部分を鞭で全力で打つ。

「いたっ、くない。むしろ気持ちいい!」

「あらあら、すっかり赤くなっちゃって。可哀想にすぐに楽にしてあげるわ。優しくしてあげるから力を抜きなさい」

 鞭で打たれているのに、傷がどんどん治癒していくという不思議な現象。身体の疲労や内面のだるさまでも治してもらっている。

「これでよしっと。どう傷は?」

「大丈夫です。なんか怪我する前より元気になりました!」

「それなら良かったわ。今、紅茶淹れるから待ってくれる?」

 彼女は変身を解き、紅茶を淹れる準備をする。

 縫千花瀧子。彼女のスーツの性能は治癒。

 文字通り鞭を当てた部分を治療してくれる数少ない治療系ヒーローである。

 災害派遣などで大活躍するらしいのだが、鞭を見ると皆逃げてしまうので手足をロープで縛っている。ちなみにロープはいつも携帯しているのだ。

「さぁ出来たわよ。はいこれ。これを飲めばもっと元気になるわよ」

 手渡されたのは熱々の青い紅茶。不気味な色で食欲を大いに削がれるが、平然と飲んでいる彼女を見て意を決して口に入れた。

「ちょっと苦いですね……」

「あら、苦手だった? 青い紅茶は身体に良いのよ? みんなこの色を見ると変な顔をするのよね。こんなに美味しいのに」

 肩を竦めながら飲み続ける。

「ねぇ相馬くん。正義って何だと思う? きっと長谷部圭くんにも色々な事情があったのかもしれない。S級になればボクシング部の廃部は取り消される。多分、それが理由でしょうね」

「正義ですか? 難しい質問ですね、先輩。……人を守ることですかね」

「悪とは甘美な毒。人の心の隙間に入り込み、着実に浸食していく。それに対して正義とは劇薬。治る者もいれば激しく反応を起こす者もいる。父が言ってた言葉よ。全く悔しいけどその通りだわ」

 傷が治り、安心したのか急に眠気が襲ってきた。

「ごめんなさいね付き合わせちゃって。寝てもいいのよ。私はここで本でも読んでいるから、安心しなさい」

 言葉に甘えさせてもらって、襲ってきた眠気に身を任せ、柔らかい布団に包まれ家でも味わえないような心地よさにあっという間に眠りについてしまった。

模擬戦闘訓練決着。

勝ち取ったポイントはどう使うのか?

次は、ようやくメインヒロイン登場です!

(忍は協力キャラなので。サブヒロイン扱いです)

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