交わるその時
その閃光から現れた紘太郎は、堂々と仁王立ちをしていた。
彼のスーツの見た目は、誰もが予想した姿とは違い、黒い色と赤いラインが入った上下のジャージ姿だった。
この姿は大猛学園の学校指定ジャージであり、紘太郎が履いているのは学校指定の運動靴。最低ランクのスーツはこれを模して造られている。
これを元にして全ての学生ヒーローはスーツを改造しているのだ。
「てめぇ、ヒーローだったのかよ! ふざけやがって、これ以上近づいたらこの女ぶっ殺すぞ!! いいのか!?」
犯人が、コンビニの女性店員の髪を強く引き、こめかみに銃口を当てる。
女性店員の目の色が絶望に染められ、脳裡に自分の人生の最悪の幕引きを想像してしまった。
だが、その眼は紘太郎に対して助けを求めていた。それを彼は見逃していない。今、頭の中でどうすれば犯人を制圧でき、人質を解放出来るかを何度もシュミレーションしている最中だ。
「さて、これからどうする? ヒーロー」
イヤホンから能天気な忍の声が聞こえる。当事者ではないからか、彼女からは全く緊張が感じられない。
「あの一発の銃弾を無駄に使ってくれれば……いいんですけどね」
「簡単な方法は、お前が撃たれることなんだがな。一回撃たれてみないか? そうすれば完璧に制圧できるんだけどな」
「冗談にもなってないですよ。俺、撃たれるなんて嫌ですからね。もっとましな作戦はないんですか? 例えば銃弾を弾くとか」
「無茶を言うな。身体能力に毛が生えたみたいな性能のスーツで弾丸を弾けると思うか? どう考えたって無理があるだろ」
「ですよね……」
困ったことになった。これでは、あの犯人を制圧することができない。やはり、撃たれるしかないのか。
確かに不安は勿論ある。紘太郎だって撃たれるのは嫌に違いない。しかし、あの女性の助けを求める瞳を無視しては、ヒーローいや、人として終わっている。
ここで逃げるわけにはいかない。
覚悟は決めた。彼女が撃たれるより、自分が撃たれた方が状況が改善されるに決まっている。
そして、彼は静かに忍に尋ねた。
「先輩、あの人を助けるにはどうすればいいんですか? 俺にみんなを助ける方法を教えてください」
「ハハハハハ。……覚悟を決めたか?」
笑いながらも、いつも以上に真剣な声色で話す。
「はい」
紘太郎は深く息を吐き、視線を犯人に向ける。迷いを捨て、全ての意識を前方に傾け、半年前の自分の感覚を呼び戻す。
「よし。まずは説得しろ」
「え? でも、さっき効果はないって先輩が言ったんですよ?」
「大丈夫だ。わざと正論をぶつけて相手の怒りを誘い出せ。ああいう状態の奴は正論を言っても逆ギレするケースが多いからな。いいな、なるべく優しい声で。そうだな、女の子を口説くみたいに」
「俺、女の子口説いたことなんてありませんよ。でも分かりました。そういうイメージでやってみます」
「よし。それと、私の言葉を復唱しろ。お前じゃ、文を考えるのは時間がかかりそうだからな」
「了解です」
紘太郎は一歩近づき、彼女の言葉を聞き逃さまいとして耳を傾け、彼女の言った通りに優しく話し出す。
「どうしてあなたはこんなことをするんですか?」
「てめぇには関係ねぇよ! これ以上近づいたらぶっ殺すからな。いいのか!」
犯人が怒号を飛ばし、銃口を再び紘太郎に向けられる。この調子でそのままと、彼は願う。
「教えてください。お願いします」
「パチンコで遊ぶ金欲しさだよ。悪いか!」
「ええ、悪いです。それに加えてあなたは他人も巻き込む。一人で破産するならまだしも、あなたの近くにいる女性は何の罪もない。そんな人を巻き込むなんて人として終わりですよ」
忍が作った文章のせいなのか、少々荒っぽくなっている。これではさすがの犯人も黙って聞いてはいないだろう。
犯人は顔を赤くし、歯を食いしばり、引き金に手をかける。本当に紘太郎を撃つ気なのだ。だがそれも紘太郎と忍の作戦通り。
「黙れぇええええええええええええええええ!!」
二人の思惑通りに動いた犯人の叫び声と共に、その銃口から弾が螺旋を描きながら射出される。弾丸は寸分の狂いなく一直線に紘太郎の身体を目掛けて飛んで行き、発砲音を聞いた紘太郎は反射的に両腕で顔面を守る。
が、弾丸は紘太郎の腹部を直撃した。直撃した衝撃で身体が大きく後ろに吹き飛び、地面に背中から強烈に叩きつけられた。
その僅か後に発砲音を聞いた人々が、騒ぎ逃げ出す。
そこには逃げ出す者や、腰を抜かす者、携帯電話で写真を撮る者、スマートフォンで動画を撮影し、動画サイトに「《悲報》ヒーローが撃たれた」とタイトルをつけ、投稿する者。
悲嘆するものもいれば、面白半分で役立たずと叩きだす人もいるが、ただ一人として犯人に立ち向かおうとする人間はいなかった。
否、訂正しよう。正確にはまだ一人だけいた。
弾丸が直撃したが、決して屈せず再び立ち上がり犯人と対峙する者が。
「どうして……お前、弾が当たったんじゃねぇのかよ! なんで生きてるんだよ!!」
犯人が驚愕し、拳銃を持った手が小刻みに震えている。
そして撃鉄を起こして引き金を何度も引くが、それからもう弾が出ることは次弾装填しない限り二度と無い。
弾丸は無駄に使わせた。後は、女性の命でもある髪を無下にしているあの外道を殴り飛ばすのみ。そこからは忍の力を借りる必要ない。
自分で出来る。
「あとは任せたぞ。ヒーロー」
その言葉を紘太郎にかけて、忍はこの戦いを静かに見守った。
「教えてやるよ。こう見えてもこれはスーツなんでな。理論上弾丸は通さないんだとよ。それが本当で助かったぜ」
スーツから零れ落ちた弾丸を手に取り、捨てる。
「クソ! ふざけやがってぇぇえええええ!!」
犯人の絶叫を聞きながら、紘太郎の踏み込む右足。地面を凄まじい力で蹴り、犯人との距離およそ三メートルほどをほぼ一瞬で詰める。
相手は驚く暇もなく、ヒーローの手刀によって拳銃を叩き落される。
紘太郎はしっかりと痛みで女性から手を離すのを見つつ、相手に反撃の隙を与えないようにすかさず右足に強烈な蹴りを入れた。
「ぐあぁぁあぁぁ!?」
これで制圧は完了した。
「大丈夫ですか?」
犯人が痛みでもがいているのをよそに、紘太郎は今まで我慢してきた涙を流している女性に優しくにっこりと笑いながら手を差し伸べる。
「ありがとうございます!!」
女性は泣きながら、握った手に縋るように礼を何度も言っていた。相当恐怖を感じたに違いない。
もう少し早く助けてあげれたのかもしれないと、己の非力さを後悔したがこれは後の機会にしよう。
今は、助けられたことを誇りに思おう。
そしてすぐに警察が突入し、礼をしながら犯人を捕らえて連行していく。
「やったのか……?」
最後にかっこよく立ち去れれば完璧だったが、久し振りに変身したせいか疲労のせいかその場に座り込んでしまった。その際に変身は解ける。
「お疲れ様。疲れているところ悪いが、今すぐ帰って来てくれないか?」
「どうしてですか? こっちは今すぐ眠りにつきたい気分なんですけど。何か急ぎの用でも?」
「いいから早く帰ってこい」
「了解です……」
その場から人が消え、いつの間にか傍にいた女性も病院に連れて行かれており、あれだけ騒然としていた場所に紘太郎しかいなくなった。
「ハハッ、戻るか……」
紘太郎が学校に戻ると、校内はざわざわとしていた。いずれも彼を奇異の目で見つめるものだけだった。さながらS級ヒーローにでもなった気分だ。
ここにいるほぼ全員が、紘太郎の活躍をどこかで聞いたり、見たりしていたらしい。
あの戦闘の動画はインターネット上にアップされ、世界中の人々の目に触れ再生数が千を軽く超え、万に到達した。
一躍紘太郎は有名人になってしまった。
人の目を避けるように、地下に入り込むと忍のいる一室から声が聞こえる。男性の声だ。紘太郎は近づこうとすると、彼女が小さな声で――。
「今は来るな。どこかに身を隠せ。いいな?」
返事はしなかった。いつもより真剣な声で言われ、嫌な予感がして別の部屋に隠れて耳を澄ませる。
「あれはお前の仕業だろう? さっさと答えたほうが身のためだぞ」
「おいおい。女の子を脅すなんてどうかしてるぜ? 私は何も知らない。たまたま似たヒーローが事件を解決した。それだけだろ?」
「嘘をつけ。あれは二年の相馬紘太郎だろ? D級ヒーローがあのミッションを受けれるのはお前のハッキング能力が必要だ。率直に言おう……お前が仕向けたんだろ?」
「だから知らねぇって。私が嘘を言う理由があるか? メリットがあるか? ここでお前に盾突いたとしても私の罰が増えるだけだ。小心者の私からすれば、怖くて堪らないよ」
「フッ、良いだろう。今回の件は不問にしよう。だが、お前だけだ。相馬紘太郎の事は後日こちらで決める」
「どうぞ勝手に」
「そうさせてもらう」
「なぁ最後に、訊いていいか?」
「なんだ? 簡潔に言え。俺だって時間はない」
「お前の思う正義ってなんだ。それを答えろ」
「俺の正義は規律だ。ルールがあるからこそこの世界は平和に保たれている。俺の目の前で規律を破る者がいたら、俺は容赦なく罰を与える。お前はどうなんだ?」
「私か?」
「そうだ。俺に質問したからには、お前にも答える義務がある。そうだろう?」
「それもそうか。言うのは恥ずかしいんだけどな……笑うなよ。私の正義は困っている誰かを救うこと。どうだ単純だろ」
「なるほどな。単純でいい答えだ」
それを言い残し、男が部屋を出て地下を歩く。もうすぐ紘太郎が隠れている部屋を通る。息を殺し、ドアの隙間から様子を伺っていたが男が近くで立ち止まる。
「ここのドア、開いていたか? 誰かいるのか? ……まさか、な。俺も少し疲れているのか。さて、書類が溜まっている。それもやらねばな」
そう言って男が地下を立ち去った。
「助かった。……つか、この表現であってるのか?」
一応、もう一度誰もいないことを確認し忍の元に向かう。
「全く、あいつの取り扱いは面倒だ。堅物め。もう少しユーモアがあっても良いと思わないか? なぁ紘太郎」
画面を向いたまま、紘太郎に話しかける。相変わらず汚い部屋だがパソコンの近くだけは綺麗に整頓されてある。
「よっ! お帰りヒーロー。久し振りのご活躍ご苦労だったな。さて祝杯でもあげるか。ほら、これ。こういうやつしかないが無いよりましだろ」
椅子に座ったままこちらを振り返り、ペットボトルを投げる。それを受け取り紘太郎は質問を一つだけした。
「さっきの男は?」
新しいお菓子の袋を開けようとしていた手を止め、既に開いているビスケット系のお菓子をひとかじりしてその質問に答えた。
紘太郎の予想はこうだった。大方、この学校の関係者だろうと踏んでいた。先生? 違うな。そうだとしたら声が若すぎる。
少なくとも学生か。と、すると。
「生徒会長の烏森和人だ。あいつも相当の物好きだよな。こんな暗くて汚い部屋に来るなんてな。そうなるとお前も物好きになるな」
やっぱりか。と自分の考えが当たって一先ず安心した。だが、まだ質問したいことがある。罰とはどういうことだろう。
頭に疑問が過るが、どうしてもここで質問を口にする気にはなれなかった。触れてはいけない部分に触れてしまいそうになるのが怖かった。
ここで彼女の機嫌を損ねれば、折角の一歩が無駄になる。
それだけはどうしても避けておくべきことだ。
だからあえて質問しなかった。
「おい、服脱げ」
「はい?」
紘太郎は彼女が何を言っているのか、最初は分からなかった。
「撃たれたんだろ? 怪我してねぇか見てやるよ。ほら、さっさと脱げ」
そう言って忍はおもむろに、どこからか救急箱を取り出し服を脱ぐように催促する。
「え? あぁはい。分かりました……」
暗がりの部屋で、年頃の男女がいて片方が服を脱ごうとしている。これは倫理上危険な匂いがするが、当然二人にそんな気は無い。
紘太郎はそれが気になって、ドキドキしながら制服を脱ぐ。ブレザーを脱ぎ、ワイシャツの腹部の場所までめくる。
「あー、こりゃあ。結構だな」
「そんなに重症ですか?」
忍の声に驚きや、心配を感じながら聞き返す。自分にはさして痛みを感じないが、単に気付いていないだけで、グロテスクな状態なのかもしれない。
考えただけで嫌な汗が拭き出る。
「いいや、ちょっと赤くなってるだけだ。良かったな、案外軽症で。なんだ、もしかして怖かったか?」
「いやまぁ、ちょっとだけ。こういうのって意外と自分で気が付かないことがあるので、軽症で良かったです」
ホッとしながら、胸をなでおろす。取り敢えず怪我がなく良かった。と安心し、制服を着直す。
「……すまなかったな」
「何がです?」
「自分でも馬鹿な作戦をしたと思ってさ。お前に撃たれろなんて指示するなんてな。さすがの私も肝を冷やしたぜ。って心配したが、どうやら大丈夫みたいだな」
忍が申し訳なさそうにしながらも、最後にニヤリと笑いながらもペットボトルの飲料水を飲む。紘太郎もつられて笑う。
その時、紘太郎の携帯電話が鳴る。確認すると徳一郎からのメールだった。
「あいつ、どうしたんだ?」
「ああ、言い忘れたけど。まぁとりまこの動画見ろよ」
「?」
彼女に言われて、パソコンに顔を近づけるとそこには先ほどの事件の事が動画になっており、インターネット上に流れている。
――誰がこの動画を?
「一体誰が?」
「どっかの馬鹿が動画として上げたんだよ。これでお前はS級ヒーロー並みに有名人って訳だ。良いのか悪いのか。どっちにしろお前は生徒会いや、世界中に人目置かれる存在になった」
「困りますよ。生徒会長の烏森先輩はルールには厳しいんですから!」
「あぁ、問題にされるだろうな。それなりの罰は下るだろうが、退学とかは無いから安心しろよ。せいぜいミッションの受諾が一時的に停止するだけだろうさ」
「そんなぁ……それじゃ俺の夢がまた遠のきますよ」
「大丈夫だ。その機関でやってもらいたい事がある。よく聞け! 相馬紘太郎!!」
いきなり大きな声で彼の名を叫ぶ。
「いいか、私達は協力者で共犯者だ。あの恐ろしい烏森の正義の象徴でもあるルールを破る事になる。それでも、私を信じてついてくるか?」
再確認した。
彼の覚悟を。勿論、答えは変わらない。燻っていたこの感情、再び紘太郎の青春は動き出す。
「もちろんですよ。俺はどこまでも先輩について行きます!」
加速する――。
どこまでも止めどなく、彼の止まりかけていた夢の続きが今、始まる。