黄金の白昼
烏森の一日は平和そのものだった。ゴールデンウイーク三日目、自室のベッドで目を覚まし、特に休日特有の気怠さも感じることなく身体を起こす。
昨日の雨が嘘のように晴れ上がり、太陽がここぞとばかりに光り輝く。
部屋着から制服に着替え、ワイシャツ姿で下の階に降りて行く。
烏森の家族は姉が三人、彼と両親の六人暮らし。姉は珍しく三つ子だったのだ。誕生日は全員同じ、故にもてなすのに苦労する。
彼の家系は男が小さく、女が大きい。背丈だったり、気だったり三人でも多種多様だ。小学生の頃は自分の背の低さを悩んだものだが、今となれば全く気にしていない。
今も姉たちとともに過ごしている。どうやら家から出ていき、一人暮らしする気もないらしい。三人とも男の影の微塵も無い。
休日には女三人で家の居間を独占し、愚痴を酒の肴にしながら飲む。今日とて、例外ではなかった。
居間では三人がだらしなく寝ている。一人は酔って脱ぐ癖があり、一人は歌いだす。最後の一人が問題で、大声で泣く。今回はそれほどまで酔っては無いようで、まだ服を着ているし、歌ってもいないし泣いてもいない。
三人して共通しているのが、寝起きが最悪に悪い。
無理矢理起こしてしまうと、理不尽に怒られる。
烏森はシャワーを浴びるために、バスルームに入った。熱いシャワーを浴びながら物思いに耽っていた。
悩みの種は無くなるところか、増えている。
――違法改造に謎の武器商人零式真名。このところ、この名を聞かない日は無い。生徒たちは面白半分でこの噂を話している。
問題はそこではない。真の問題は、違法改造だ。データの管理体制も抜け目なく行っている。だが依然として増えてきている。
表面上には問題視されていないが、水面下では大猛学園を浸食していく。
ボクシング部の長谷部圭。彼は一体どこから改造データを入手して、装備したのだろうか。全ての強化改造は生徒会に記録されている。
確かに、模擬戦闘訓練の前に強化していた。だがA級の装備ではなく、B級と記されていた。
考えうる可能性は、データの偽造。だとしても模擬戦闘訓練を行う前に厳密なチェックが待っている。見逃すわけがない。
「いや……そうじゃない」
もう一つだけ、可能性があった。
生徒会に裏切り者がいる。考えたくはない可能性だったが、これを排除してしまえば私情を交えてしまう。
正しい判断が出来なくなる。これだけは、生徒会長として、己が語る正義として絶対に避けるべきことだった。
庶務に書記に、会計に副会長。烏森を除いても最低四人はいる。後ろで手を引いている誰かを数えに入れなければの話だ。
「誰が、この学園を……」
シャワーを止め、シャワールームから出て行くと先ほどまで居間で寝ていた姉たちの一人、長女の美和が寝癖でぐしゃぐしゃな髪を気にせずに、大きく口で開けて欠伸をし、腹を掻いている。彼はいささか女性としてどうかと思いながら声をかけた。
「おはよう美和姉さん。昨日は遅くまで飲んでいたのか?」
「あぁ、和人か。おはようさん。ちょっと、遅くまで飲んでたさ。上司の愚痴とか、世間話とかさ。あと、お前に彼女が出来るかとかかな」
と長い黒髪の彼女は笑顔を浮かべて、冗談を言ってみせた。
「俺の心配などしなくている暇があるのなら、姉さんも良い人のことの心配をした方がいいんじゃないのか? 悪いが俺の記憶では、姉さん、いや姉さんたちに彼氏が出来たことが無いんだが?」
「なによぉ! 言わせておけば弟よ。美和姉さんだってな、良い人の一人や二人。それどころか、引く手あまたで困ってんだよ」
どうだと言わんばかりに美和は無い胸を張った。だが、彼は信じておらず疑いの視線を向けていたが彼女はこれが気に入らず、まだ寝ている姉さんたちを叩き起こす。
「おい、起きろ。人見、玲子!」
「んー、なに美和ちゃん……?」
ショートカットでボーイッシュな印象を受ける烏森人見。彼女は、いきなり起こされて少々不機嫌美味だったが、美和の必死さ加減で何かを察してたのだ。
「この様子だと、あたしが考えるに和人に何か言われたな」
セミロングの髪の毛をうざったそうにしながら、顎に手を当ててこの状況を簡易的に推理してみせた。
美和、人見、玲子は仲が良く、この散らかった居間の状態を見る限り働いている職場の愚痴などを言いあっているようだ。
全員、年齢は二十五歳。彼女らはどうやら男に縁と言う縁も無く、生まれてこの方彼氏を家に連れてきたことが無い。
ひとたび彼氏が出来たと訊くと、彼氏の元へ飛んで行き近辺調査を始める。それが嫌で別れを切り出されたこともしばしばある。
三人が三人の足を引っ張り合っているように見えて、彼は滑稽だった。
かく言う烏森も彼女などできたことが無い。だから、彼女のらのことはあまり言えないのだ。
「聞いてくれよ。和人がさぁ、私にも良い人の一人や二人いるって言っても全然信じてくれないんだよ。だからさ、お前らからも言ってくれよ?」
ウィンクをしながら話を合わせてくれと合図を送るが、寝起きの二人の頭では状況を正確に判断することが出来なかった。
「え!? 美和ちゃんに彼氏なんていたの!」
「あたしたちは初耳だよ! で、どんな男? 優しい? 収入多い? えーとあと訊きたいことは」
話がさらにややこしくなってしまった。彼は笑みを零しながら、こう言う。
「美和姉さんの冗談だ。本気にしても意味がないぞ。今までも彼氏なんて出来たこと無かっただろ?」
「確かにそうだ」
人見と玲子の声がそろい、美和が怒る。これこそが、騒々しい烏森家の朝だった。
「さて、俺は学校に行ってくる。姉さんたちも朝から酒は飲んでくれるなよ」
「あれ、今日はゴールデンウイークだろ? どうして学校なんかに?」
と美和が尋ねる。
「調べることがあってな。それに、大猛学園の生徒会長は忙しいんだ」
そう言い残し、自分の部屋から荷物を持ち学校に向かう。
「いっていきます」
「いってらっしゃい」
烏森が家に向かいそう言うと、姉たちが玄関から手を振り彼を見送る。
烏森が大猛学園に到着し、生徒会室に向かうと扉が開いていた。ここに来るのは生徒会ぐらいしかいない。生徒会室には大事なデータが入っている。
盗み出される可能性だってあった。警戒を怠らず静かに扉の中を覗くと、そこには良く知る人物がいた。
「縫千花……来ていたのか」
私服姿の縫千花だった。
「あら、会長。おはようございます。どうしたんですか? 今日は休日ですよ?」
何事もなかったように屈託のない笑顔を浮かべると、手に持っていた資料を棚に戻す。烏森は棚に置いてある資料を全て記憶していた。だから彼女が何の資料を見ていたのかすぐに理解できた。
過去の成功した大きなミッションが記録されてある資料だった。
「お前こそどうした。休日は来なくてもいいんだぞ」
彼女が裏切り者か。と勘ぐってみたものの、確たる証拠もなく思考は途中で止める。
「それで、何故過去のミッションの資料を見ている?」
「え……これですか? ああ少し気になることがあって。過去にヒーローが暴走した事件があったと思いまして。それを調べていました」
「結果はどうだった」
「当たりです。先ほど見ていた資料にこう記録されていました。銀行強盗がそのまま銀行に立てこもり、その犯人に対峙した生徒が我を失ったように暴走したと」
「何年前だ?」
「えっとですね。つい最近ですよ。二年前のゴールデンウイーク。しかも五日目。何か暗示しているようで」
学校に誰もいないが、烏森は何かを警戒したまま生徒会室の扉を閉める。いつもの調子で生徒会長専用の椅子に腰かけ、縫千花の話を聞く。
「今となって、同じ暴走事件。なるほどな。確かに奇妙な何かを感じさせる。それを見て何か分かったことはあるか?」
と言いますと? と縫千花は紅茶を淹れる用意をしながら聞き返す。
「似たようなことは起こっていないか?」
「ええ、記憶が無いと。暴走した彼は言っていたとそう記録されています。当時は怒り狂って記憶が交錯しているのだとばかり思っていましたが、昨日……榊警部から聞いた話だと、偶然に思えません」
「……恐らく偶然ではない。暴走した彼は今どこに?」
「分かりません。自主退学した後から何も」
「そうか……」
「差し支えなければ、父にいえ、榊警部に捜査をお願いしますか?」
父にと言ってから、悔しそうな顔を浮かべて榊警部と言い直した。
彼女に何があったのか、烏森には想像もできなかったが、まだ彼女の心のどこかで榊のことを父だと思う気持ちが生きているようだ。
「そうしてくれ。その手の捜査は警察官の方が得意だろう」
さて。と声を漏らしながら烏森は学校に来た理由である調べ物を探す。
「会長はどうしてここに?」
「調べ物をしにな。なに、簡単なものだ。それほど時間をかけずに終わるさ。縫千花はこれからどうする?」
「そうですね。会長のお手伝いをしようかと。ダメですか?」
「せっかくの休日だぞ? そんなことのために使う必要は無いんだ。友人でも誘ってショッピングにでも行ったらどうだ?」
「それは明日の予定ですよ。今日は調べ物だけで、特にありません」
「そうか。なら、手伝ってもらおうか」
「はい」
烏森がここに来た理由は、違法改造を今までどれだけ発見、削除してきたか。これら全てが記録されている資料に目を通す。
初めに違法改造もとい、不正データが確認されたのは去年の冬。十二月頃だった。
D級で、真面目だったが才能の欠如に大きく絶望し、不正データに手を染めたと。A級相当のスーツを纏い、生徒会鎮圧部隊により暴れ出した彼を捕えた。これにより、校則が増え、当然彼は校則違反として無期限の登校禁止。
二人目。C級の女子生徒だった。友人が先にクラスアップしていき孤独感、劣等感を感じて不正データに手を出す。模擬戦闘訓練でB級相当のスーツを纏いその友人を大怪我させた。
本人に悪気やそれ以前に意識が無く、気が付けば相手が倒れていたと言っていた。これも今考えれば、あの山火事事件の犯人に酷似している。
三人目。珍しく、B級で不正データが見つけられた。脚部強化のパーツをS級相当まで違法改造し、暴行事件を起こした犯人を蹴り飛ばし、大怪我をさせた。
これ自体に罰せられることは少なかったが、違法改造したことが怪我を負わせたことよりも罰が重い。
四人目。活躍するため、D級の生徒がA級相当のスーツを使い込み、スーツの負荷に彼自身の身体がついてこず、大怪我を負う。
現在も彼は病院に通っている。
そして、この間発見した長谷部圭。ボクシング部の次期エース。将来を嘱望されていただけあって、彼の違法改造は強く生徒たちの記憶に残っていた。
利き腕の右腕をA級相当の物に改造し、模擬戦闘訓練で相手に必要以上に怪我をさせようとしていたが、スーツの自動消滅プログラムにて激痛を伴い消える。
今彼は、自宅謹慎を命じられている。勿論、無期限。
「こんなものか……」
たった四、五ヶ月だけで五人も違法改造を自らのスーツに施している。
悪は伝染する。これ以上違法改造をしてしまう生徒が増えないように、厳しく取り締まろうと烏森は資料を棚に戻しながら、心に誓う。
気がかりは二つ。
まずは、違法改造を見逃している者がいるということ。もう一つは、違法改造のするための不正データを流している者がいること。
学園内に必ず潜んでいる。これだけは間違いない。
この学園に違法改造を見逃せるものは生徒会しかいない。よって、烏森は最も信頼している生徒会を全員疑うことになってしまう。
その者がきっと、不正データを流すのに手を貸している。
「なぁ縫千花。スーツも武器になるのか?」
「武器……ですか」
不意に縫千花にした質問。これは常々烏森の頭の中で考えていたことだ。
「可能性としてはありますね。ですが、そんなことする人は本当にいるんですか? 人を傷つけるために使う物ではありませんし、そんなことしたら捕まりますからね。例えS級が罪を犯して逃げても勝てる見込みはありませんから。我々が変身できるのは平均三十分。スーツは常にバングルに閉じ込めているヒーロー粒子を放出しながら戦いますから。持久戦はとっても不利です」
罪を犯したS級が戦ったとしても、警察や他のヒーローたちに取り押さえられる。ましてや、ヒーローがスーツの性能を使い度に、粒子を消耗している。即ち性能を使えば使うほど変身できる状態が短くなっていくということなのだ。
「そう言えば、うちにもいましたね。危険な人が」
「あいつのことか……」
縫千花が淹れてくれた紅茶を椅子に座り、雲に光が遮られた太陽を目を細めながら見つめ、何かを考えながら口に運ぶ。
「このゴールデンウイーク。変なことが起きなければいいんですけど」
「祈るしかあるまい。それに奴は我々の監視下にいる。下手な行動は出来ないはずだ。怪しい行動をしたら、即刻捕まえろと朝宮にも伝えてある」
溜め息を吐きながら眼鏡の位置を直し、紅茶を飲まずに机の上に置く。
「お口に合いませんでしたか?」
申し訳なさそうに烏森の顔色を伺いながら、縫千花は尋ねる。すると彼は首を横に振り、そうじゃないと言った。
「気になるんだ。この町がどうなってしまうのか」
「守りますよ。私たちヒーローが。必ず」
「そうだな。俺たちが守るしかあるまいな」
烏森がフッと、自分の弱気な考えを鼻で笑いティーカップを手に取ろうとした瞬間。カップが不吉な何かを告げるように――割れた。
チャージ期間を終え、また頑張ります!