闇の底の瞳
警察署内に怒号が響く。取り調べ室で机を思いっ切り叩き、犯人を威嚇よろしく叫ぶ。しかし、男性警察官の努力のかい虚しくパイプ椅子にロープで縛られている犯人は口を閉ざしたままだった。
屈強そうな男、細身の男。それぞれ別の部屋で今も取り調べを受けているが、二人は以前から取り決めたように黙秘を貫いている。耳元で問い詰められてたとしても、うざったそうな顔を浮かべては彼らを嘲笑うかのように下を向く。
暴力を振るってはいけないという法律が無かったならば、今すぐにでも殴り、事態を収束出来たというのに。口で落とすには限界がある。特に口が堅い犯人に対しては。
この犯人は、銀行強盗とデパートでの立て籠もり、そして銃刀法違反を犯したのだ。許されることはない。
問題はそこではない。どうやって防弾チョッキをそして今は珍しい平行中折れ式散弾銃、グロック拳銃を手に入れたのか。
このご時世、インターネットの裏サイトでボタン一つ押すだけで、武器を購入できる時代だ。武器商人が世界を飛び回り、訪問販売はもう古い。彼らのパソコンを押収して調べてみたが、サイトにアクセスした形跡はまるで無い。
巷で噂になっている謎の武器商人。都市伝説なのか、はたまた学生らが暇つぶしで作った仮想の人物なのか全く想像がつかないが、その名は聞いたことが有った。
――武器商人、零式真名。アニメの中のキャラクターなのかと一度耳を疑ったが、存在すら怪しい商人は武器を欲する者に必ず与えると言われている。
現実なのか、それともゲームの中だけなのか。日本を拠点に活動しているらしい。容姿端麗は勿論のこと、学歴も秀でており、銀色の髪、長身痩躯。誰をも魅了する声と顔。二十代で、男か女なのか分からない。
黒いスーツをいつも身に纏っており、常に笑顔。まるでアニメのキャラクターが間違って現実に出現してしまったような性格と服装。
この名を出してどうにかなるか分からないが、もしこれで犯人が口を割るか分からないが取り調べをする榊練造が口にした。
「武器商人、零式真名……」
耳元で囁くように言うと、口を閉ざしていた屈強そうな犯人がだらしなく、がたがたと震えはじめる。
「止めろ、その名を口に出すなぁぁああああ!!」
男は机に何度も頭を打ち付けて、暴れ出す。
「おい、どうした!? 何があった! おい、誰か手伝ってくれ!」
警官が何人も入ってきて暴れる男を取り押さえる。
「殺される! 死ぬ、誰か助けてくれぇええ! 頼むよ刑事さん、早く俺をどっかに隠してくれ! 死にたくねぇよ!」
「喚くな! まず落ち着け。ここならだれも殺しにきやしない。なぁ? 取り敢えず全部話せ」
「無理だ。話したら殺される。捕まっただけでも、お終いなんだ!」
「零式真名だな? そうなんだな?」
「うわぁあぁああああ!?」
とても話せる状態ではなかった。
大人しく檻の中に戻したのが、昨日の話だった。まだ、彼は生きていた。
今見る彼らは、二人とも惨殺されていた。鋭利なようなもので体を嬲るように、皮膚を等間隔で斬られ、最後に首の動脈を寸分の狂いなく。
彼らの牢屋は血の池が如く、赤々としてこの源が横たわっていた。
「死んでるのか……」
「はい。見るも無残な殺し方ですよ。許せません……」
「月村、お前この殺した方どう思う?」
いかにも爽やかな好青年を体現しているかのような顔と雰囲気。身長は高く、きりりとしたその瞳は一転の曇りは無い。
彼の名は月村三弦。つい何年か前まで大猛学園の生徒で、成績優秀もさることながらA級の実績を買われて、榊の下で働くことになった。
「そうですね。犯人に何らかの因縁があったとか、……とにかく自殺はありえませんね」
「どうしてそう言い切れる?」
「躊躇い傷がありませんからね。人ってのは、自殺するときに必ず死への恐怖が行動を鈍らせます。それに、死ぬ前にこんなに自分を傷つける人はいませんよ。誰だって、楽に死にたいはずです」
「なるほど、悪くない見解だな。これは一体誰のいや、『零式真名』のせいなのか……?」
「誰です? その、零式真名ってのは?」
「お前、本当に知らないのか?」
月村は首を傾げながらええ。と答える。
「すいません、そう言ったうわさ話は得意じゃなくて」
「今噂になってる、実在しているのかそうじゃないのか分からない武器商人だよ。まぁ、昨日のあいつらの反応を見る限り、『零式真名』って言うのはいるらしい。だが……そいつが本物の零式真名だとは限りらない。例え、その名を騙った偽物だとしても日本に武器を持ち込んだことは許せん!」
榊が強い口調で言い切ると、科捜研が現場に入ってきて暗証番号を入力する一から九まで書かれている電子版に指紋が残っていないか調べ始める。
最新式の捜査機械を展開して死体の写真を撮り、監視カメラに不具合が無かったか細心に注意を払いながら確認する。
この警察署は難攻不落とはいかないが、監視カメラに自動施錠に五桁の数字を入力する暗証番号、二十四時間看守が常に見張っている。
「月村、お前のバングルも一応科捜研に出しとけ。お前のスーツ、確か刀使っただろ? まずは警察署内に目を向けられると思う。あとの報告は頼む。俺は少し出てくる」
「ええ、分かりましたが一体どこに?」
「ん? あぁ、ちょっと娘の学校に行ってくる。じゃ頼んだぜ」
未だに折るタイプの携帯、俗に言うガラケーで手慣れた感じでメールを娘に向かって打ち、溜め息を吐きながら警察署を出ていく。
*****
「それで、今日の予定は?」
「今日の予定は特にありません。久し振りに休みですよ」
校長室以上に豪華な生徒会室で、背の高い椅子に座って机に肘を乗せながら偉そうにしている烏森は深く腰掛け、後ろにある大窓を肩越しに見る。
「今日はいい天気ですね会長」
縫千花がメモ帳を閉じ、胸ポケットにしまうと一息つき、紅茶を淹れる準備を始めた。
「確かにそうだな。だが、こういう日こそ何かあるかもしれんな。縫千花、紅茶を淹れてくれるか?」
「ええ、そう言うと思いましたので既に準備を始めております」
「流石だな。お前には感謝してもしきれないな」
「お礼なんてしなくて結構ですよ。会長を手助けするのが私、縫千花瀧子の仕事ですから」
縫千花が言う通り、今日は本当にいい天気だった。空は青く澄み渡り、飛ぶ鳥は元気に見える。眼下に広がる中庭では女子高生たちが楽しそうに話している。中には女子高生に手を引かれて、一緒に行動している男女を見かける。
あれは、藍と徳一郎だった。彼女たちは最近になってよく一緒にミッションを受けている。
噂に聞く限り、あの二人は恋仲になったとか。
しかし、烏森には関係のない。
「今日は別に、帰ってもいいんだぞ? 友達と一緒にどこかに行ったらどうだ? 久し振りにミッションを受けてもいいんだぞ?」
「あら、私に気を遣うなんて珍しいですね。でも、私はこの部屋で紅茶を飲むのが大好きなんです。私、根っからのインドア派ですから」
フフフと慎ましく笑ってみせると、生徒会室の扉は今までにないくらい荒っぽく開いた――。
「おや、騒々しい扉の開け方だと思ったら貴方ですか……榊さん」
目の前にいたのは榊練造。鴇馬警察署の警部だ。
「悪いな、今日はお前に伝えたいことがあってな。時間あるか?」
「ええ、今日は奇跡的に無にもありませんから。思う存分話を聞けますよ。それで、今日はどんなことを?」
「この前発生したデパート立て籠もり未遂事件のことを覚えているか?」
「はい。最近会った事件は全て記憶しております。その事件は先日我々が解決したはずですが?」
「そのことだ。今日、あの犯人が二人とも死んだ」
「死んだ!? 彼らは一体誰に? そもそも彼らの後ろにそんな大がかりな組織があったのか? どういうわけか話していただけますか?」
「勿論、そのつもりで来た。紅茶もちょうど出来たことだし、いずれにしてもこの話は長くなる。ゆっくりして話そう」
「そうですね、どうぞこちらにおかけください」
ソファー座らせて、烏森も移動して会話を再開させる。
「それで、殺した犯人は見つかったんですか?」
「いやまだだ。恐らく時間の問題だろうな……」
「しかし、誰が殺したんでしょうか? あんな組織が捨て駒にしてもおかしくなさそうな彼らを」
「お前、零式真名というなを知っているか?」
「零式真名……。はい、噂になっている武器商人ですよね? ですがあれはまだ噂の範疇を脱しません。まさか、彼が殺したと?」
有り得ない。と言い切って、縫千花が淹れてくれた紅茶を飲み、焦る気持ちを落ち着かせる。
烏森自身、零式真名の名を聞いてことのある名だった。この大猛学園でも時々耳にしていた。正体不明の武器商人。
高校生が暇つぶしで作ったまたは実在している天災か。どれも真実味に欠けてしまう。だからこそ誰も零式真名の存在を信じなかった。
だが、烏森は榊の話を聞き、この話があながち間違いではないと思い始めた。もし、零式が実在していたならば、これ以降の事件が凶悪になっていくのは間違いない。
「いやそこまでは分からない。しかし、死体は無残にも切り刻まれていた」
「ええ、自分も彼らの装備に違和感を覚えていたのは確かです。銀行強盗が持てる武器ではありませんでした。ショットガンに、ハンドガン、そして防弾チョッキ。しかも最新型。おかしいものがありました」
「おかしいものと言えば。一つ……」
咳払いをし、視界の端に仏頂面の縫千花を映しながら気になった事を話す。
「山火事の事件があっただろ?」
「はい。どれも記憶に新しいものがかりですが、それも学園の生徒が解決したはずです。被害はそれほど甚大ではなく、取り残された三名も無事だと報告を受けていますが」
「そのことなんだよ。恐らく、あれは三名の内の誰かが起こしたに違いない。そう思ってな一応彼ら全員に取り調べをした結果」
「どうだったんです?」
「たった一人の除いて同じ証言をした。仲間の一人が訓練がてらに変身した途端、人が変わったように暴れ出して火を放ったんだとよ」
「本人はなんと?」
「それが、奇妙でよ。覚えてないの一点張りだ。当の本人が覚えてないんじゃ、責任を取らせることも難しい。零式真名と言い、あの事件と言い一体何がどうなってる」
「ですが、我々はどうにも動くことができません。捜査は警察にお任せしたい」
「分かってる。こう言った事件が増えれば俺たち警察も対処はしきれん。戦闘および、確保はできるだけそちらに任せる。と言っても、これは上の意向なんでな。俺はお前たち子供に戦わせなくない。これが俺の意志だ。忘れるなよ」
「ええ、ありがとうございます」
烏森がそう言い終わると、榊の携帯電話が鳴る。訝しげな表情を浮かべながら電話に応じた。通話の相手は月村だった。
「榊さん、鑑識の結果ですけど。どうやら俺じゃなかったみたいですよ。バングルの変身履歴もありませんでしたし、監視カメラにも映ってませんでした。バングル持ちは他にもいますから次は彼らですかね。それで、そちらはもう?」
「あぁ、たった今終わった所だ。今から帰るよ。報告ご苦労」
「はい。では失礼します」
通話を切り、胸ポケットに携帯電話をしまい、立ち上がるとほぼ同時に縫千花が生徒会室の扉を開け、どうぞと無言で告げた。
「全く、お前は可愛げなないな瀧子。お前に言われんでもすぐに帰るさ。悪かったな烏森。お前の心労を増やす形になって」
「心配は無用です。若い時ぐらい無茶をしなければ」
「はっ、そうかい。じゃあまた何か分かったら教える」
後ろを向き、暫く縫千花を見つめていたが互いに無言を突き通したままで榊はこの場を後にした。
「縫千花。お前、あれで良かったのか?」
「何がです? あぁ、榊警部のことですか。それがどうかしましたか?」
「いや、何があってもお前の親だろう。そこまで冷たくしなくてもいいんじゃないのか?」
クスっと笑いながら、縫千花はいつも通りに対応する。
「珍しいですね会長が私のことについてそんなに訊いてくるなんて」
「そうじゃない。ただ、世界で一人の父親だぞ?」
「良いんです。あの人は、私たち家族から逃げていきましたから。母は、いつも泣いていました。私もそれを見ていることしか出来ませんでしたけど」
はぁ、と小さく溜め息をつき紅茶を飲み干す。空のティーカップを見つめながら烏森は独り言のようにぽつりと言葉を零す。
「お前がそれで良いなら俺は何も言うまい。仕事に支障をきたすなよ」
「分かってますよ。あら、いつの間に紅茶を飲んでいたんです? 今すぐおかわりを淹れてあげますね」
にっこりと笑う縫千花を見つつ、烏森は思案していた。
この世界の中にまだ知らぬ闇がある。零式真名よりも深い闇の世界、そこに誰がいるのかまだ誰にも分かりはしないが、ただ一つ分かったことがあるとすれば――。
闇の底の瞳が、こちらを向いた。唯一、それだけだった。
今回はかなりディープな話になりました。