ネガティブ・ガール:急
紘太郎と彼女は走った――。夕暮れの赤に染まる空を見上げれると黒い狼煙が立っていて、山が空と同じように赤く燃えている。人々の視線は鴇山に一斉に向けられ、がやがやと騒がしい。
消防署から出動した何台もの消防車。人混みを避けて、アトランティスは必死に火災現場へと急ぐ。
ここから現場までは、およそ十分。近くに彼らがいて逆に幸運だった。木々を容赦なく燃やし、火の手は山を侵していく。
早くしなければ麓の家すら燃やしかねない。紘太郎は火災鎮火のいろはなど分かっていなかったが、とにかく全力疾走で向かわななけれなならないことは理解できる。
だが、このままだと間に合わない可能性が出てくる。彼の足でも、彼女の足でも、これ以上の速度で走ることはできない。
ならばと、彼は考えた。
酸素が足りない脳で、導き出した答えは単純だった。変身して彼女を担いで走れば間に合う。幸いにも忍に勝手に改造された新しい強化パーツがある。どれほどの出力が出るかまだ試したことが無いので、不安要素も勿論あるが、あれこれと考えている暇はない。そんな暇があったら、彼女を最も早く現場に到着できる行動を実践しろ。
腹積もりは決まった。彼女には失礼だが、抱きかかえらせてもらう。
腕を顔の前に持って来て、息が上がりながらも使命感が籠る瞳を輝かせ、大きな声でこう叫ぶ。
「変身ッ!!」
肩で風を切るように走りながら、閃光に包まれ変身が完了する。
「先輩、失礼します!」
「え!?」
戸惑う彼女を抱きかかえ、いわゆるお姫様抱っこの形になってしまった。行きます。と小さく呟き、新生脚部強化パーツで加速。
コンクリートが足を着くたびにひび割れ、足跡を刻む。彼女は凄まじい速度に目を閉じ、紘太郎にしがみつくように身を預ける。
また紘太郎も彼女を抱いたまま決して、落とすわけにはいかないとぎゅっと自分の胸に納めるように抱き寄せた。
程なくして、火災現場に到着した。実際に炎の近くに来てみると、勢いは凄まじく炎が生きているようで背筋が凍ってしまいそうになる。彼女をそっと降ろし、そのまま消防隊の元へと共に行くと状況は芳しくないようだ。
「え、放火ですか?」
消防隊員の勝本がアトランティスに被害状況と詳細について話し出す。
「そうだ。どうも、自然発火とは考えにくい。いま無人機を飛ばしてどのくらい進行しているか、誰か取り残されていないか確認中だ。アトランティスちゃんと、え……っと、きみは?」
「あっ、俺は相馬紘太郎と申します。この鎮火ミッションに参加しました」
「鎮火の経験は?」
「いえ、それは……」
「素人か……しょうがない。いや、来てくれてありがとう。きみが彼女を連れてきてくれたんだね。ここからはプロの出番だ。きみは危ないから下がってなさい」
「勝本さん、現場に子どもが取り残されています!」
隊員の一人が、火災現場を見に行った無人機から送られてきた映像を解析し、彼に伝えた。
「何人でどこだ!」
「三人それぞれ場所は違いますが、かなり奥地です。俺たちじゃ無理です。ヘリを待ちましょう!」
「馬鹿野郎! 俺たちが諦めてどうする! そんなことしたらそいつらが死んじまう。ただでさえヘリが来るのは遅い。他の隊員に各々の水嚢を持って、消火を始めろと伝えろ。立木の伐採準備、他の市との連携は?」
「隣の市からは第一から第三まで出動したそうです。ヘリ到着まで六分」
「いいか、俺たちもずっと女子高校生に頼ってらんねぇんだぞ。自分たちの力で活路を開け!」
「了解!!」
勝本隊長の一声によって、他の隊員たちも一斉に動き出す。実に連携が上手く取れている。これがプロなのかと、息を飲む。
この場に彼らが活躍できる場所はあるのだろうか。
「勝本さん! 私が、その取り残された人たちを助けてきます。それから、内側から消火を始めます」
先程、紘太郎と楽しく話していた彼女とは違い、強い意志の持った言葉と瞳で自らの役割を創り出した。
「分かった。ただし、無理はしてくれるな。きみの親御さんに合わせる顔が無くなる」
「ありがとうございます。アトランティス、消火を始めます。――っ、変身!」
両手を握り、祈りを捧げるような仕草を取ってバングルが青く光りはじめる。青い閃光が彼女の身体を優しく包み込み、静かな光の根源、ヒーロー粒子は彼女をヒーローへと変身させる。
青を黒を基調としたスーツ。背中のバックパックから管が両手の手袋まで伸びていて、フルフェイス型だが目の部分が透けて見え、口も見える。
長い黒髪は依然として靡き、光の中からゆっくりと出てくる。彼女こそが、S級水没系ヒーロー、アトランティス。そしてヒーローネームも同じである。
「アトランティス、行きます!!」
両手から水の塊を創り出し、塊を打ち出すように何度も発射する。圧縮した水が道を開く。彼女の水は特別製で消火剤と同じような効力を持つ。
道を閉ざさぬように何も恐れることなく、火中に向かって歩を進める。
あまりにも勇猛果敢な姿に唖然としていたが、紘太郎は自分だけ呆然とこの状況を見つめるわけにはいかない。
「勝本さん、俺も。取り残された人を助けてきます。場所はどこですか?」
「馬鹿言うな。きみのスーツは防火性は高くないだろう。危険だ。炎の中を突っ切るなんて無理だ!」
「くっ……」
発想を変えろ。と忍に言われた気がした。そうだ、下が駄目なら上がある。飛ぶことはできないけど、跳ぶことなら可能なはずだ。
「跳びます」
「着地地点が炎だったらどうする? 火傷じゃすまないかもしれなんだぞ!」
「それでも! 俺はヒーローです。ここで諦めたくないんです」
「たく、分かった。ここから真っ直ぐ行けば一人はいる。あとの二人はまだ火の手が追ってきていない場所にいる。ドローンを目印にするんだ。だけどきみも危なくなったら自分の命を大切にしなさい。これだけは約束してもらう」
「分かりました。ありがとうございます」
燃え盛る山を見据えて、気持ちを落ち着かせる。胸に手を当て、口から息を吐く。
「脚部、出力最大。行くぞ」
靴が光だし、最大出力を発動する。虚空を見上げ、足に力を籠めて跳び上がった。跳ぶ空は黒い煙と夕日に染められ、混じり合い気持ち悪い色に変わってしまった。一度の跳躍での移動距離は多く見積もっていても、八十メートルだろうか。
跳び上がった際に見えたドローンは、恐らく、跳躍三回分。まずは一度目の着地。これは場所が選べないので炎が手招いている大地に降り立つ。すぐさま跳び上がるために力を籠めるが、炎の魔の手が紘太郎すらも巻き込もうと迫ってくる。
十分な力ではなかったが宙に身を任せ、追ってくる炎から逃げた。確かに、紘太郎のスーツは耐火性は決して高くはない。
気を緩め、炎に包まれたものならば苦しみの果てに絶命するだろう。熱いはずなのに、紘太郎の頬には冷たい汗がしたる。人と闘いとは全く違うからなのか恐怖は勿論あった。アトランティスほど火災鎮火に尽力してきたわけではない、炎に慣れていたわけじゃない。
自分自身が燃やされて、誰も助けることができないかもしれない。しかし、ここで見ていることはヒーローとして、人として見過ごすのはどうかしている。
なにも、自己満足をするために人を助けるのではない。彼女が必死に烈火の如く炎を立ち向かっているのに、ただ見ている自分が嫌いだった。
自己嫌悪にも似ている感情。心のどこかで、傍観していた自分がいた。他人のために命を張れるのがヒーロー。その点に関してはまだ覚悟は甘かった。
――だけど、もう違う。
これから先、どんな恐怖が待っていようとも立ち向かう。そう心に決めた。そして、自分が目指すべき理想のヒーロー像も。
二度目の着地、続いて三度目。
地に伏している一人の男性。動いていない。このままでは危険だ。炎は檻を作るように包み込み、紘太郎の侵入を防ごうとした。
だが、紘太郎は腕で顔だけを守り、突っ込む。
大地に着地し、そのまま駆け寄る。
「大丈夫ですか!」
叫ぶが返事はない。
「くそ、煙を吸ったのか? 不味いな……」
火災での死亡は炎で包まれて死ぬ割合は一番多く、次いで有毒ガスによる死。外傷は見られない。そう考えると煙を吸った可能性が濃厚。
紘太郎もここにいると彼共々火炎に飲まれる。一刻も早く立ち去る必要がある。
「取り敢えず戻ろう」
紘太郎は彼を担ぎ、跳び上がろうとするが気になる物を見つけてしまった。彼の右手。紘太郎にも同じ物が装備されている。
ヒーローが変身するためのアイテム、バングルだ。
「どうして……?」
詮索するのは後だ。見たことのない顔、色の違うバングル。これだけの情報でも、この市の学生ヒーローではないと解釈した。
それだと尚更、おかしい話である。彼がどの程度のヒーローなのかは知らないが、勝本の話だとこの火災は人為的である可能性が高いと聞かされた。
だとすると、彼らの三人が? 紘太郎は頭を横に振り邪な考えを振り払りながら跳び、消防隊が待つ場所へと戻った。
「勝本さん! まず一人救出しました」
「様子はどうだ?」
勝本が駆け寄り、倒れていた彼の様子を見る。
「今すぐ病院に運ぼう。おい誰か救急車を呼んでくれ!」
「もうすでに呼びました! 間もなく到着します」
顔が異常に白い彼を見ながら、下唇を噛み締めた。
「後悔するのはあとだ。きみは良くやった」
「二人目も助けに行きます」
「いや、もう一人はアトランティスちゃんがもう助けた。軽度の火傷を負ってるが大丈夫だ。あと一人だが、かなり炎が激しい場所に取り残されているらしい。急いで行ってくれ」
「了解です」
同じくドローンを目印にして、跳ぶ。今回はかなり遠い。五回分だろうか、到着する前に彼女が炎に包まれていないことを祈るしかない。
彼女を信じ、全力で跳び続ける。
徐々に茶色い大地が見えにくくなっている。炎が地を這うようにじわじわと迫ってくる。後ろで今も咳き込んでいる男性を護るため、アトランティスは必死に水弾で炎の侵攻を防いでいた。
このままだと手詰まりになると分かっているが、ここから動き出すことはできない。
空気が熱を帯びている。息を吸えば肺を焦がされ、次第に視界もくすみ始める。汗をかき、水を打ち出す腕が時期に疲れが溜まり水を打ち出すペースが乱れた。
炎が生きているようだ。うねり、吼え、感情を吐き出すように燃え盛る。これはただの火事ではないと、S級であるアトランティスの経験と勘が言っていた。
そう、これはまるで炎系のヒーローが起こしたような攻撃的な炎。一度見たことがあった。それは慎也と共に火災現場に向かった時だった。
慎也と彼女は優れた耐火性と、スーツの性能で無事消火した。だが、場に乗じた火事場泥棒が現れ逃げおおせようとしたが慎也の炎により、捕えた。
炎が似ている。と言えば表現がいささかおかしいが、これ以外に例える術が彼女自身無かったのだ。
「どうしよう……」
諦めの色が見え始めたが、とある叫び声が吹き飛ばす。
「先輩ぃいいいいい!!」
空を見上げると、一人の男が飛来してくる。黒いジャージ、顔を覆っていたが紘太郎だと認識できた。
「どうしてここに?」
「救助者はどこです? げほっ、げほっ、俺は空から来ました。早くここから脱出しましょう。二人ぐらい担げますよ」
そう言って、先に救助者を担ぎアトランティスも担ごうとしたが、不可能だった。決して彼女が重たい訳ではない。
紘太郎のスーツの性能では二人を担いで跳ぶことは不可能なのだ。高度が足りなければ炎に捕まる。そうなれば、元も子もない。
「私を置いてって。大丈夫自力で脱出するから。相馬くんはその人を担いで早く行って」
力ない笑みを浮かべ、大丈夫だからと伝える。
「くっ、必ず迎えに行きますから! それまで待っていてください」
紘太郎は男性を担ぎ、跳ぶ。
「……」
無言で見つめる彼女は、静かに紘太郎の背中を見送った。だからと言って諦めるのではない。ここから何としても帰る。
生きて帰るまでが、消火活動。どこかで聞いたことある言葉だが、勝本に言われた言葉を心の中で何度も復唱し、掌から水を打ち出す。この言葉がどれだけの支えになったか。
それももうじき、効力が途切れる。
火の粉が顔に降りかかり、木々を燃やして灰をまき散らす。
「結局私なんて……」
最後の最後で弱音を呟いた。最早彼女の力だけでは収まりきらない炎、未だに到着しない消火ヘリ。状況はこの上なく絶望的だった。
「うおぉおおおおおお!!」
炎を切り裂き、紘太郎が乾いた地面を抉りながら着地する。
「大丈夫ですか。すいません、遅れてしまって」
首を横に振った彼女を抱きかかえ、脱出を図る。
空にエンジン音が鳴り響く。消火ヘリコプターが来たのだ。この音を聞いたアトランティスはある案を考え付く。
「ねぇ、相馬くん。あとどれだけ跳べる?」
「……先輩が望むなら何度でも」
「じゃあお願いがあるの」
天から降り注がれる雨。隊員たちが見上げると空には、まるで空を駆けるような少女と少年。彼らが雨を降らせているのだ。
消火ヘリと一緒に鎮火を続ける。
「これが先輩の、お願いですか?」
着地とジャンプを繰り返し、紘太郎に抱かれているアトランティスはありったけの水を断続的に雨のように細かく降り注がせていた。
鎮火は程なくして終わり、ぬくんだ大地に着地すると疲労のせいなのか足を滑らせて彼女と一緒に転んでしまった。
「すいません。最後かっこつかなくて……」
苦笑いして泥にまみれ空を仰いでいる彼女を見つめる。
「大丈夫だよ。お願いきいてくれてありがとう」
にっこりと笑ってくれた彼女を見て、安心した紘太郎。初めての消火活動はアトランティス、紘太郎両名の協力にて解決。
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あの火災騒動から翌日。
何事もなかったように晴れ渡った空の下で紘太郎が徳一郎と屋上で木製のベンチに座りながら昼食の弁当を食べていた。久し振りに作った自分の弁当を気怠そうに食べていると、彼の顔に影がかかる。
「?」
不思議そうに顔を見上げると、目の前には彼女がいた。
「アトランティス先輩……?」
赤い顔を弁当で隠しながら、彼に尋ねた。
「一緒に、お弁当食べてもいい?」
「へ?」
徳一郎は何かを察し、彼女に席を譲る。
「いいの?」
首を傾げながら彼女は訊く。徳一郎は首を勢いよく首を縦に振り、紘太郎を残して屋上からにやにやとしながら消えていった。
余計な事を。と彼の行動を憎んだがいつものことだと呆れ果てて、彼女と雑談を交えて弁当を食べきった。
これからもちょくちょく、アトランティス先輩は顔を出します。
どうかよろしくお願いします(笑)