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光。
原汐莉はトラックに轢かれたと思った瞬間、不思議な浮遊感を味わった。なぜだか、痛みはまったく感じない。あれだけの勢いで大型トラックにぶつかったならば、五体満足とはいかないだろうに――。
最初は、静寂。
しばらく、身を強ばらせていた。
やがて、ウィンウィンとメカニカルな騒音が聞こえ始める。ぼやけていた身体感覚が、徐々にくっきりとしていく。驚きに閉ざしていたままの瞳を、ゆっくりと開いてみた。
「え?」
呆けた。
「えー、ええ?」
驚きの声も、思わず間延びする。
見慣れた通学路――残念ながら、恋愛ADV『ずっきゅんドキドキ☆フォーリンラブ』の景色は綺麗さっぱりと消失していた。汐莉が、飽きる程に繰り返して来たデモ画面。その中に、このような世界――何もない、とにかく真っ白な空間など存在していない。
もちろん、その巨大な何かも――。
人型機動兵器。
念のため、繰り返し――。
ロボットである。
モチーフは、どうやら蜂。
カラーリングは、全体的に緋色。
汐莉は口を開いたまま、見上げ続ける。その兵器は空を飛んでいた。そして、弾幕をばら撒いていた。「ぎゃー」と、汐莉はすぐさま退避しようとするが、世界全体――云い変えるならば、画面全体を覆い尽くす程の弾幕から、そう簡単に逃れられるものではない。
被弾する。
しかし、死ななかった。
「ラ、ラスボスで良かったわ」
そもそも、恋愛ADVの登場キャラクターである汐莉に、〈死〉や〈復活〉、〈残機〉という概念は存在しないけれど――。
顔を顰めながら、襲い来る弾幕を浴び続ける。
死なないけれど、それなりに痛い。
いや、かなり痛い。
「……ここは何処なのかしら?」
最初の驚きは過ぎ去った。
だが、冷静になっても、理解は及ばない。
「いえ、もしかして……」
不意に思い至る。
遥かな過去、古の時代――エイト・ビットの時代より伝わっているオカルト話。ゲームの狭間。そこは、報われないキャラクターが迷い込む、天国とも地獄とも形容される場所。もちろん、オカルト話であるから、所詮、学校の七不思議のように信憑性の欠片もないようなものだと――少なくとも、汐莉は今までそう思って来た。
「でも、これは……」
リアルに起こってしまった事柄からは、目を逸らせない。
巨大な兵器。
汐莉は、それを知っている。
――虐殺鬼畜兵器。
マイナーで売れなかった恋愛ADVのキャラクターに過ぎない〈原汐莉〉とは、少々、格が違った。そのラスボスは、STGのジャンルで畏怖されて、人類――プレイヤーの前に、絶対的な壁として立ち塞がり続けている。
画面を埋め尽くす程の弾幕。
高速で動き続けて、時にバリアまで張る。
開発者すらも悪ノリで設計したことを認めて、登場から十年近く、たった一人のプレイヤーにも倒されたことのない最強最悪のラスボス。
異なるジャンルに身を置く汐莉すらも、噂に聞くほどの有名キャラクターである。
同じラスボスとは云え、知名度でも、正統性でも、遥かに桁違いであるけれど――。
「でも、でも……」
空を舞い続け、弾幕を放ち続ける鬼畜兵器。
汐莉はその姿を眺める内、いつしか一筋の涙を流していた。
「あなた、私と同じなのね?」
瞬間――。
弾幕が止まる。
「あなたも、〈変化〉を望んだ?」
静寂。
鬼畜兵器の駆動音だけが、時折響く。
ウィンウィン、と。
沈黙と共に、二人は見つめ合った。
「ねえ、鬼畜兵器さん」
汐莉はつぶやく。
「私達、やりなおせるかしら?」
兵器である彼に、言葉を発する術はない。
だが、汐莉は、彼が確かに頷いたように見えた。
そして――。
やりなおせるか、どうか。
ラスボスとして、強すぎたために孤高。誰にも倒されることのないぐらい、強い力を持ってしまった不幸。汐莉はずっと待っていた。終わらせてくれる誰かを。鬼畜兵器も、きっと待っていたのだ。自分を倒してくれる誰かを。
ラスボス。
それは、倒されるために存在している。
ストーリーの結末のために――。
終わりのために――。
「……やりなおす? いいえ、違うわね」
汐莉は首を横に振った。
「私達はここにやって来た。そう、神に選ばれたのよ」
ざわり、と。
黒の長髪が蠢く。
握りしめた両の拳に、血が滲んだ。
「誰も、私達の所にやって来ない――皆が、私達を忘れようとするならば――もう二度と、忘れられないぐらいの混沌をプレゼントしてあげる。復讐。それこそ、私達が成すべき……」
その時だ。
まるで、汐莉の言葉に呼応するように――。
鬨の声。
「誰?」
汐莉と鬼畜兵器は振り返る。
そして――。
三人は、巡り合ってしまった。
「……え、誰?」
三人目のラスボス。
そこに、モンゴル帝国が立っていた。