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原汐莉は憤っていた。
いらいらを持て余し、人知れない場所で〈力〉を解放する。有象無象の通行人達を、一瞬で物云わぬ肉塊に――いや、そもそも彼らは言葉を発せないけれど――何はともあれ、肉塊に変える。それだけでは飽き足らず、手近なビルを素手で殴りつけた。
砕ける。
ぐらり、と。ビルが傾く。
「あー」
欠伸とも取れるような声。
だが、そこには抑圧されて凝縮された鬱憤が込められている。
「誰か、早く、私の心を射止めなさいよ」
盛大に愚痴を零した後、人目に付く場所――すなわち、〈表〉に出た。
瞬間、激情に染まっていた顔に、温和な笑みが仮面のように被さる。
黒髪ストレート。
美少女。高校生。
学園のアイドル。委員長。
超正統派ヒロイン。
「○○君、おはよう」
定型通りの台詞を吐き出した。
清流のような黒髪を、朝日に輝かせる。ただの立ち絵ながら、一枚のカットCGにも匹敵するような美しさ。過剰な設定で引き上がったハードルを十分に越えるだけのデザイン。汐莉は、〈原汐莉〉というキャラクターであることを誇りに思っている。
だが、その一方――。
この世界――ゲーム『ずっきゅんドキドキ☆フォーリンラブ』には、はらわたが煮えくり返っている。主人公の魅力の無さ、テンプレ的な世界観設定、シナリオの薄っぺらさ――粗製乱造される恋愛ADVの中でも、まさに粗製の代名詞とも云われかねない作品だ。
(なぜ、どうして……)
汐莉は、〈裏〉で歯軋りする。
(恋愛ADVの癖に、無駄な超高難度設定に……)
はっきりと云えば、本作は売れていない。
ワゴンセール以前に、ワゴンに積み上げられるだけの数が生産されていなかった。すなわち、それだけプレイしている人数が少ない。加えて、ただのクリックゲーにしておけば良いものを、無駄にゲーム性に凝ったためか、でたらめな難しさを誇る。
サブヒロインが二十名以上。
真のヒロインである原汐莉――ラスボスに辿り着くためには、それだけのサブヒロインをまずは攻略しなくてはいけない。しかし、極限の難しさのミニゲームが連発するため、大方のプレイヤーは数人のサブヒロインを攻略した時点で飽きる(そもそも、熱中させるだけの魅力に乏しいのだ)。
加えて、バグの多さ。
酷いものには、特定のサブヒロインの順番で攻略すると、セーブデータが消失する。ふざけるな。プレイヤーと汐莉は怒りに声を震わせたものだ。しかし、悲しいかな――プレイヤーは怒り狂った後、コントローラーを投げ捨て、別のゲームを買いに走れば良いけれど――ラスボスたる汐莉は、それでも誰かが自分を攻略してくれる日を待ち続けなければいけない。
待ち焦がれて、どれくらい経っただろうか。
(今日も、代わり映えしない日常……)
世界はループする。
どれだけのデモ画面を繰り返しただろうか。
(もしも、ゲームの神様がいるならば……)
何百回、何千回、何万回も歩いた通学路。
横断歩道を渡りながら、汐莉は〈裏〉の思考を続けていた。
(神様、変わらない世界に、どうか変化を……)
その時――。
起こらないはずの事が、起こった。
「……え?」
突っ込んでくるトラック。
驚きに目を見開いている間に、衝撃。
そして、光が見えた。