無能な上司と有能な上司
「順調、順調!」
3月11日に4パーティを倒して、約802万Gの利益が上がった。
なんとか今回も被害をゼロに抑えることができた。
所持金が、5547万5771G→6349万6121Gに増えた。
この世界で小さい家を二軒買えるぐらいのお金になってきた。
それはつまり、冒険者にとってものすごい大金であることを意味する。
それだけの財宝額になってきていた。
ギルド新聞が低く評価してくれているおかげで、簡単に期待以上を重ねて大きな利益を上げることができている。
一種のフィーバー状態というか、異常な状態がこれほどの利益をもたらしているのは間違いなかった。
ギルド新聞さまさまだ。
ダンジョン経営がすごいうまく行き始めて、時間的な余裕のようなものが出始めた。
これだけ資産が増えてくると、使い道についてもよく考えなければならなかった。
3月12日の朝。
伝崎は変装セットをしゃかしゃかと使って、老人の姿になるとただの洞窟を出た。
そして、王都にちょっくら足を運ぶことにした。
冒険者の質が上がり、数がしぼられているので、行って帰って来るぐらいの余裕時間はあった。
伝崎は王都に向かう途上の森の中で、妖精のオッサンに会社の不思議な問題について暇潰しに切り出していた。
「無能な上司と有能な上司の違い、もっと言えばなんで無能な上司があんなに日本に生まれてたか知ってるか?」
伝崎が老人姿のひげを揺らしながら片手を上げて言った。
妖精のオッサンは肩の上で座り込みながら両腕を組んで言う。
「確かに、妙に無能な上司が多いような気がしてたけどなぁ。どの部署も変な上司がつきものっていうかぁ。おいさんは原因を考えたことがないぜぇえ」
「あれ、ちゃんと理由があるんだよ」
「なんだぁ? 自然発生的な問題にしか思えなかったがなぁ」
「実は無能な上司が生まれる構造的な問題がある。
よく観察してみるとな、現場の仕事をやらせると案外とできる上司が多いんだよ。
昔やってたからな。その現場の仕事は職人技みたいにできたりするやつがいる。
ところが、そういう人間を出世させるとどうなる?」
「うーん、その仕事できるんだから、有能なんじゃねぇのかぁ?」
「いや、それで、いっちょ無能な上司の出来上がり。
なんでかというと、出世すればするほどに『違う業務』をやらされることになるんだよ。
マネジメント管理とかな。
それは全然違う種類の仕事で、現場の仕事がいくらうまくできても、マネジメント管理はまさにはじめて。一から、まったくど素人として始まる」
「つまりぃ、お前さんが言いたいのは」
「そうだよ。どれだけ現場の仕事が有能でも、出世した途端に違う業務ではど素人。
秒で無能な上司になる。
どこもかしこも無能な上司だらけなのは、上司としてやらないといけない仕事が別物で、一から勉強しないといけないということを根本的に理解してない人間ばかりだからなんだよな。
管理職に出世する頃には40代、50代と年を重ねて、新しいことに対応できない年齢になっていってたりする。
にもかかわらず、その年齢の人間が出世を重ねるとまったく新しい業務をやらされるようになっていくんだぜ」
妖精のオッサンが手をぽんと叩いて。
「なるほどなぁ。おいさんも構造が見えてきたぞぉ」
「どんどん出世していくと、部下のやる気を引き出したり、人の足りないところに人を配置したり、人を育てたり、しまいには有能な人材を引き抜いてきたりする必要すらある。
それが有能な上司、もっと言えば管理職や経営者の仕事のひとつなんだけどな。
そんなこと、現場仕事しかできない人間にできるわっきゃないんだよな。
求められることが変わっているのに、現場でやってたんだっていう自負しか残らなかったらどうなる?」
妖精のオッサンが顔をのぞきこむようにして右眉をあげながら聞いてくる。
「そいつがあれかぁ?」
伝崎は間髪入れずに前を見据えて続ける。
「プライドだけの無能な人間がその『席』に座ることになるわけだ。
そうなったら趣味に興じるとか往々にしてある。仕事に向き合わなくなる。
経営者としては最悪だけど、そうなってしまう理由がある」
妖精のオッサンは耳の痛いことを言われたかのように、ぐーっとうなってから。
「おいさん、話は見えたんだけどなぁ。その無能な上司の解決方法ってあるのかぁ?」
「解決方法はいたってシンプルだ。違う業務だから、違う能力が要求されると理解すること。
そこで本当の適性を見抜いて、人事をすることなんだよ。現場の仕事が有能だからって上司として有能なわけがないんだよな。
管理職できるわけじゃない。
体育がAだからって、国語や数学がAなわけないようにな。
別の教科、別の得意として、ちゃんと評価して、間違っても管理職が不向きな人間を出世させたりせず、人事を適正に配分すれば、無能な上司問題は解決するかもな」
妖精のオッサンは、肩の上であぐらをかいて一回だけうなづくと言った。
「いちいち、納得させられるぜぇ」
伝崎は注意するように人差し指を立てると。
「オッサン、この話には続きがあってな。
無能にも種類があって、有能にも種類があるって問題なんだよ。
めちゃくちゃ有能な上司、例えば三国志の諸葛亮とかいるよな。
あいつはな、内政、外交、人事、なんでもできたんだよ。
まさに史上屈指の大政治家。
だから法律から一裁判の裁定までたった一人で何から何まで、すべて自分でこなして、しまいには軍事まで手掛けてた。
兵糧管理をやらせたら、天下の奇才と相手方の大将が称賛するぐらいの天才だったけどな」
「おいさん、結末を知ってるけどなぁ。あれは何がだめだったんだぁ?」
伝崎は良い質問だと言わんばかりにニヤっと笑ってから語りを続ける。
「国力差があるから勝てなかったのは同情するけど、あいつは前線指揮までやり出して、奇策、奇襲を一切使わなかったんだよ。
使えなかったともいう。
ところが国力差がある状態で正攻法しか使わなかったら、イーブンのぶつかり合いになって兵力差が直に反映される。
正攻法では絶対勝てないのに、諸葛亮は正攻法しか使わなかった。
あまりにも有能で全部できてしまうから、戦争の前線指揮までやったら、それはちょっとできない部分があったって感じなんだよな」
妖精のオッサンは空を見上げるようにして、伝崎の横顔を見て言う。
「分析してるなぁあ」
有能すぎて全部手掛けていったら、最後にできないところが「ひとつあった」というような話だった。
有能すぎる上司の問題もいくつかあったのだ。
伝崎はそれから黙ってしまって。
数秒後に、物思いに耽るようにひとりごちた。
「有能にも種類があって、無能にも種類があるっていう。この微妙な違いを読み取れないと人事なんてできないんだよな……」
意味深な言葉に、妖精のオッサンは何も言えなかった。
そのなのかぁ、と小さく同意して、しんみりと納得している風を装っていた。
「……増えてんな」
伝崎は王都の裏門に来ると妙にガードの数が増えているような気もしたが、変装状態で入っていった。
特に呼び止められることもなく、そのまま入ることができた。
宮廷魔術師ドネアが探しているようだが、変装セットのおかげで見破られることはなかった。
伝崎が地下都市のマーケットに繋がる階段を下りていると、妖精のオッサンがポケットの中からにょきりと顔を出して聞いてくる。
「これから、お前さんどうすんだぁ?」
伝崎は片手をあげて。
「王都に来たのにはワケがあってだな」
「また強化かぁ?」
妖精のオッサンの凡庸な問いに、伝崎は笑みを浮かべて。
「まぁまぁ」
地下都市の商店を抜けていって、人ごみをかき分けながら進んでいくと。
ダンジョンマスターギルドに辿り着いていた。
また久しぶりにダンジョンマスターギルドに来ると、受付の隣の部屋の入り口に勇壮な青年が立っているのが見えた。
訓練士のような整った白い服装に、片手にはムチを持っていた。
目と目が合うと、前と同じように言われた。
「スキル訓練なら請け負うが」
側の掲示板に「初級メニュー」が書かれていた。
もう一度、じっくりと見てみる。
交渉(費用43万G、取得時間1日)
罠設置(費用140万G、取得時間2日)
罠解除(費用120万G、取得時間3日)
罠探知(費用84万G、取得時間1日)
(結構な値段するな……エリカに習えない以上、こうやってスキルを取得できるのはありがたいが)
訓練士の青年が前と同じように言う。
「ダンジョンの評価が上がれば、新しいスキルの取得も可能になる。やる気があればの話だが」
妖精のオッサンがポケットから出てきて、肩の上まで来ると耳元で言う。
「お前さんが習うべきものなんて、なさそうに見えるがなぁ」
伝崎は両腕を組んで、掲示板の「初級メニュー」を見ていた。
その掲示板と、にらめっこしていた。
ひとつを指差して、きっぱり言った。
「罠探知!」
「いっちょ上がり」
罠探知(費用84万G、取得時間1日)
所持金が6349万6121G→6265万6121Gに減った。
「うぉおおおおお」
一通りの指示を受けてから。
ダンジョンマスターギルドの小部屋に設置された罠に向かって、墨のようなアウラを放ちながら探知しようとしていく。
アウラを右に、左に、手のように動かして、器用に罠を探っていくと、凹凸のあるトゲトゲとした針の罠が床下にあるのが感じ取れた。
「そこだ!」
その様子を見ていた訓練士は体中汗だくになりながら、目を見開いて、一歩二歩と後ずさっていた。
「君、そのアウラは……いったい」
伝崎が確かめるように小部屋を進むと、床下にハリ山の罠があるのが見えた。
「よっしゃー」
頭の中に強烈なイメージが閃いたような気がした。
極めて高い器用さで、半日も掛からずに『罠探知』を取得した。
罠探知E。
伝崎はダンジョンマスターギルドをニコニコ顔で出ていく。
「楽しいなぁ。ホント、考えるだけで楽しい」
妖精のオッサンは、それを唖然としたように見ていた。
さっき話していたことと今やっていることがまるっきり。
趣味のような感覚で、意味が無さそうなスキルを習得していくのである。
「お前さんこそ……」
妖精のオッサンが小さな両手で伝崎の頬を叩く。
「無能な上司じゃねぇかぁあ!」
伝崎は笑顔を崩すことなく、ブラックマーケットの中を歩いていく。
ノミに叩かれた感じで、まったく痛くなかった。
妖精のオッサンがたまらずに突っ込んでくる。
「お前さんのやってることは、無能な上司が趣味に興じるのと同じじゃねぇかぁ!」
「遊びが仕事に結びつくこともあるんじゃないか……」
まるで伝崎は、まずいことでもしているみたいに低く濁った声で言うのである。
ちょっと歩いていくと。
ダンジョンマスターギルドに隣接していた店に、それはあった。
工具箱みたいな、それはこう書かれていた。
簡易罠解除キット(7万G)
伝崎はそれを手に取って、じろじろと見てから「ください」と言った。
「毎度!」
ぺこりと店員が頭を下げた。
所持金が6265万6121G→6258万6121Gに減った。
伝崎はその工具箱みたいなアイテムをちらちらと辺りを見回してから、まるで盗んだかのように手持ちの袋に押し込んだ。
その様は会社が大変なことになっているのにゴルフに興じる経営者のようでもあり、動きが神妙にバレたくない感じだったのである。
「お前さんがやっていることは……」
妖精のオッサンはそこで言葉を失ってしまった。
ブラックマーケットを歩いていくと、黒いマントに身を包んだ宇宙のような顔をした男が風呂敷を広げていた。
異界の穴専門の商人だった。
「イセカイのモノをオモニトリアツカッテマース」
『ピアノ線(21万G)』
ぼったくりだったが糸は見えづらいし、切れにくそうである。
『防刃チョッキ(101万G)』
前に試したけど、現代技術だけあって相当の防御力。
『水中ゴーグル(8万G)』NEW
こっちだとすごい高い。
伝崎はその中のピアノ線を手探りで指を運ばせるように手に取って、金貨をちろんちろんと置いていった。
「マイド、アリ」
ピアノ線を買った。
伝崎は泥棒猫のように、それをさっと手持ちの袋にしまった。
所持金は、6258万6121G→6237万6121Gになった。
そして、道端でひたすらピアノ線で器用に輪を作ると、投げ縄スキルEの練習をしていた。
ピアノ線が道端の棒に引っかかって、それをつり上げられると、ぴゅーと口笛を吹いたりする。
伝崎は楽しそうだった。
妖精のオッサンがツッコミを入れてきた。
「無能な上司じゃねぇかぁあ! お前さんがめっちゃ話してた典型的な無能な上司のやることじゃねぇかぁ」
何回もピアノ線で作った輪を投げていると、投げ縄EがE+に上がったりする。
伝崎は背中を丸めて手持ちの袋にピアノ線をしまうと、抱え込んで盗人のような顔で言う。
「こういうことも必要だろ……」
「だめだろぉお。ゴルフとかラジコン趣味に興じて、仕事そっちのけの話をするやつだろぉお。おいさんの会社にもいたぞぉ」
「楽しいっす」
「楽しければいいってもんじゃねぇだろぉお!」
伝崎は突然に背筋を正すと、前を向いて地下都市のブラックマーケットを歩き始める。
人ごみをかき分けて進んでいくと、ある店が見えてきた。
それはモンスター商人の店だった。
店先の檻の中に閉じ込められているモンスターの数々。
ゾンビ 1万5000G
スケルトン 2万8000G
サイクロプス 100万G
ゴーレム 120万G
やはり売り場に獣人はいなくなり、他のモンスターが各種それぞれの値段で売られていた。
獣人のキキが率いるゴーレムはすでに二体やられて、一体にまで減っていた。
このまま減っていくと部下はゼロになり、部隊ですらなくなる。
中央が手薄になっていくわけで。
伝崎は店の前で足を止めたかと思うと、墨を薄めたような禍々しいアウラを放っていく。
経営者の仕事は、人が足りない部分に補充したりするマネジメント管理なども含まれており、それは全般に及ぶ人事でもあり。
妖精のオッサンは、これこれ、こういう目的だったんだろうと側で見ていた。
しかし。
伝崎は、カクっと横に目を向けると、モンスター店を通り過ぎていった。
それからモンスター店には立ち寄ろうとすらしなかった。
うまそうだなおい、と言いながら果実店の果実をじろじろと眺めていた。
「やっぱ無能な上司じゃねぇかぁあ!」
なぜ、ゴーレムを補充しないのか。
妖精のオッサンには、伝崎の行動が不可解にしか見えなかった。
「まぁまぁ、いいんだよ。いいんだ」
伝崎はそう言いながら、楽しそうにブラックマーケットを歩いていくのであった。
その背中は、どこにでもいそうなゴルフ帰りの課長の後ろ姿のようにも見えないことはなかった。
妖精のオッサンには経営に余裕が出てきたせいで、伝崎の様子が変わってしまっているのではないかと。
そう思えて、仕方がなかった。
これだけ利益が上がって、気が緩むのはどんな人間でも仕方がないものはあるだろう。
だが、それが伝崎にとって、まずいことになりはしないかと思えた。
「ひゃっほーう」
伝崎はただの洞窟に帰ってくると、軍曹に頼んで仕掛けてもらったピアノ線の罠を見つけて叫ぶ。
見えないその線を軽快なステップでかわしたりしている。
罠探知E → E++
暇な時間を使っては、仕掛けてもらったピアノ線を何度も何度も罠探知スキルを使って見つけてはかわしていく。
どんどんと罠探知能力が上がっていくのである。
「よっしゃーーー」
その場でダンスするみたいにピアノ線の罠を避けていく。
「うおお、ここか!」
くねくねと体をよじらせたりしながら避けていく。
すべて、ただの洞窟の一本道で起こっている出来事である。
アウラで探り当てるように、ピアノ線の簡単な罠を見つけるのである。
一本道の岩と岩に結びつけられるようにして、ピンと張られている。
それを見つけるたびに、罠探知スキルがどんどんと上がっていく。
罠探知E++ → D-
元々、クオリティが低かったスキルなので上がりやすいというのもあった。
レベルが低いと一気に上がっていくように、スキルもはじめが上がっていきやすい。
が、それにしてもかなり早めの上達スピードだった。
伝崎は、ただの洞窟の空間を指差して。
「これだー」
それが位置として当たっていると軍曹が旗をあげるように槍を掲げて、周りに「おおお」という歓声が上がると嬉しそうに抱き合う。
すごい楽しそうだった。
好きこそものの上手なれ、という言葉がある。
上達しないものは義務でやる。
上達するものは面白がってやる。
さらに好きになってやるものは、それを上回る上達を遂げるという。
もはや伝崎は一日中ピアノ線を使って、遊んでいたのである。
妖精のオッサンも肩の上でうねうねと上体を動かしながら、ピアノ線を避けてツッコミを入れた。
「無能な上司じゃねぇかぁ!」
伝崎は、楽しめ、と言わんばかりに親指を立てていた。
ついでにピアノ線で作った投げ縄で金貨をつかめないか試したり。
かなり難易度が高いのか何度やっても外れて、何十回、何百回とやって、そのうちの一回で金貨をつり上げられると、「お、おおおお」という歓声がただの洞窟に上がったりする。
投げ縄E+ → D+
一気に上がっていた。コツをつかんでしまった。
妖精のオッサンは、伝崎の肩を思い切り叩く。
「もはや、かなり趣味に入れ込んだ筋金入りの無能な上司じゃねぇかぁ!」
キキは遠くから、その様子を申し訳なさそうに見ていた。
果たして、伝崎は何がしたいのか。
謎だった。
3月12日の終わりに4パーティ目を倒して、集計すると約815万Gの売り上げがあった。
所持金が、6237万6121G→7052万8321Gになった。
経営は順調も順調。
圧倒的な黒字で進んでいく中で、3月13日の朝を迎えられる。
それもかしこも、ギルド新聞のおかげなのだが。
日数が進むにつれて、次第に「それ」は確かに迫っていた。
道端のそこらに捨てられている最近のギルド新聞を手に取ってみると。
・ただの洞窟のギルド新聞の評価
ランク -F
ランキング 23405位。
難易度LV ゼロ(100レベルがマックス)
ただの洞窟は。
『クソ』
ギルド新聞ではその二文字でいまだに済ませられていた。
今日の今日とて、ただの洞窟の「-F」の評価は揺るぐことはなく。
期限内にDランクダンジョンにできなければ、女魔王にゾンビにさせられるのだ。
王国歴198年3月13日。
伝崎のゾンビ化まで、あと52日。