天才しかできない仕事問題(勇者殺しのマネージャー理論)
経営には命題がある。
『天才にしかできない仕事問題』
勇者というたったひとりの天才の登場によって、なにもかもが覆される。
国家経営でも、企業経営でも、そういうことが稀にある。
今までのシステムがまったく通用しない人材問題である。
経営学に限ったことではないが、あらゆる学問はすべての人に学べるようにし、再現性をもって取り組ませる性質がある。
実験とは、そのためにある。
検証とは、そのためにある。
前提条件を整えれば、誰もが再現できる。
それこそが学問であり、科学であり。
『証明』である。
ところがこの世界において。
共和国というある種の再現性をもったシステムで発展した存在が、勇者というたったひとりの天才の登場によって叩き潰されたのである。
学問、理論、システム、科学、そういうものがまったく通用しない相手であった。
この命題にいかにして、取り組むか。
経営学でもよく話されている命題だ。
勇者という天才をいかにして倒すのかということである。
伝崎はいかにしてこの問題にアプローチするのだろうか。
今や、神々の最大の関心事でもあった。
肝心の今の伝崎は、ただ見ていた。
「しっかし、くっそ赤くなってきたなー」
3月7日の明け方。さわやかな朝の冷たい空気が頬をなでる。
ただの洞窟の入り口前で、まだ見ぬ敵を想像しながら。
セシルズナイフを朝空に掲げて。
「切れ味が上がれば上がるほど、くっそ赤くなってきたな」
もはや、濃厚な深紅の光を放っていた。
刃の部分に光があたると、ほのかに七色に輝くようにも見える。
「褒めてくれぃぃ」
妖精のオッサンが肩に抱きついてきた。
金色に輝く頭頂部。
磨き上げる力を表すような最高のハゲの輝きだった。
「ぶっちゃけ、使い道あんのかね?」
試しに。
近くの木の上に、セシルズナイフの刃側を下に向けて置く。
あとは手を離せばいい。
それだけで、じゅーという音を立てて沈み込み、切れていく。
木の側面に沿いながら下に降りていって、地面にめり込むように突き刺さる。
柄の部分の盛り上がり(切羽)のおかげで、やっと止まる。
ナイフ自体の自重で切れていくのは、ありえない切れ味だ。
見ているだけで寒気がするほどの切れ味だ。
「ひぇーー」
時間差で、木が縦に真っ二つに割れて倒れるのだ。
それから、強烈な摩擦を受けたみたいに木が燃え上がる。
「ここまでの威力いるかね? 今でも切れないものなさそうだしな」
「褒めてくれよぉぉー」
「はいはい、ナイスナイス」
「ちゃんと心を込めてくれよぉお」
伝崎は何も知らなかった。
そのナイフが持つ意味について。
だから、疑問に思うのだ。
伝崎は少年のような好奇心に満ちた純粋な眼差しで、刃の部分を見つめながら。
「やっぱ、これ以上の威力いるのかね?」
「いるよぉ」
妖精のオッサンはその必要性を根拠なく強調する。
ここにひとつの経営的な視点が生まれてくる。
伝崎はそこらへんの岩に座ると片手をあげて。
「経営学の基本的な話をするけど、オッサンはマネージャーの役割って知ってるか?」
妖精のオッサンは肩の上で、小さい腕を組みながら考え込む。
ひねり出すかのように導いた答えは。
「うーん、やる気出させるとかかぁ?」
「そうそう、それもめちゃくちゃ重要。良い線いってる。でも、それだけじゃないんだ。人材が足りない部分に人を補充したり、逆に無駄な仕事を減らしたり」
伝崎はそう言うと、セシルズナイフをじろりと見つめる。
まるでそれが不要な仕事といわんばかりに。
妖精のオッサンは両手をあげて抗議する。
「おいさんは研ぎ続けるからなぁ! 日課だよぉお。日課。それしないと、寝られない日課なんだよぉ」
「わかったわかった。ま、用心するに越したことはないし、もしもめちゃくちゃ固いやついたら困るもんな。
これからも頼むわ。
何もやる気が出る日課を失くせというのが経営者やマネージャーの仕事じゃないし。
俺がしたい話はそうじゃなくてな」
まだまだセシルズナイフの威力は上がり続ける。
手に余りそうな紅い光を帯びて。
伝崎はいつも思考を深めようと自問することがある。
現実にそれはできるか、できないかということについて。
「一番マネージャーの仕事で難しいのがあるんだよ。隠れた仕事だけどな。経営学でもよく言われてること」
「なんだぁあ?」
「それは天才しかできない仕事をいかにして平凡な人ができるようにするか、だ」
伝崎は、道しるべを示すようにセシルズナイフを岩に突き刺した。
そして、素早く書き始める。
『天才しかできない仕事問題』
前任者が天才だった場合、当たり前のようにこなしていた仕事が誰もできないという問題が起こる。
歴史を例にすれば諸葛亮しかり。
誰も後任をつとめられずにその国は滅んでいくことになる。
会社も同じことだ。
天才的な経営者が創業した会社が、後継者に恵まれずに傾くことが往々にしてある。
何も経営者に限ったことではなく、通常業務でも前任者が当たり前にできた仕事が後任者たちが次々と挫折する現象などに見られる。
経営学のマネージャー理論では、その天才しかできない仕事をいかにして「誰もができるようにするか」ということが説かれている。
つまり、経営を持続させるために必要なマネージャーの仕事の命題だった。
伝崎は手を広げて話し始める。
「例えば、天才料理人がいたとするよな。
誰も真似できない感じのうまい料理を作る。
でも、その料理を再現する必要がある。
そういう場合、マネージャーの仕事はなんだ?
そうだ。その天才的にうまい料理を再現できるように『レシピ』を作ることなんだよ。
そうすれば、誰でもある程度は再現できるようになる」
妖精のオッサンは、うんうんとうなづいて。
そこから、次に伝崎は話を繋げる。
「実はこれは経営でも重要なことで、誰でもできるように仕事をマニュアル化することでもあるんだよ」
「そういうことかぁ。おいさんの頭の中で繋がったぞぉ」
妖精のオッサンは、手をぽんと叩いて納得したようだが。
伝崎はすこしだけ悩ましげな顔になってから、ぼそりとつぶやく。
「それができりゃ天才だよなぁー。マネージャーの天才だよ」
「なんでだぁ? レシピを作ればいいんだろぉ?」
「いや、レシピは作れる。でも、天才料理人のすごいところって他にもあって、新しい料理を作れるところなんだよ。それは正直言って、今においてさえも誰も再現できてないインスピレーションの世界だ。アイディアの世界」
つまり、天才のできる仕事を誰でもできるようにマネジメントする。
それは『天才的なマネージャー』にしかできない仕事だった。
これまた、究極のジレンマである。
「ぶっちゃけ、俺が言いたいのは経営学で言われてるのはあくまでも理論の世界。
俺も役に立つかと思って勉強したことがあるけど、実際の経営では実現できないことがちらほらあるんだよな。
それができりゃ世界的経営者になれるよってことがね」
「確かにぃ」
ところで、伝崎は天才にしかできない仕事をどうやって誰にでもできるようにさせるのか。
その答えはどこにあるのか。
妖精のオッサンはすこし気になったが、聞いても仕方がないことだと思って黙った。
伝崎はしかめっ面になって、顔をしわくちゃにして、何かを思いついたように話す。
「このナイフなら誰でも倒せそうだけどな。なぁ、もしこれで勇者を倒したら、どうなんだ?」
倒した相手のステータスを吸収できるこの世界において。
勇者殺しの意味。
「軍曹に倒させるとかもありだと思うんだけど」
勇者という天才にしかできない仕事が、誰にでもできるようになるかもしれなかった。
戦神がひげを震わせて天上の中央で叫ぶ。
『そりゃだめだ‼︎』
伝崎の発想は神々を焦らせる。
勇者の能力をいくばくかでも吸収するだけで、その者はありえない耐久になる。
たった一人の人間が最高の攻撃力と防御力を持ち合わせる可能性を予感させた。
それは独力で、神殺しを実現する存在の登場を意味する。
運命の神が唇をかくかく動かす。
『出来るわけないだろうっ』
勇者の防御力は、神々に匹敵する。
それを考えるに、あのナイフではまだ及ぶはずもなく。
どう転んでも勇者を倒せるイメージなど誰にも湧かなかったが。
結構、ヒヤッとする発言だった。
神々は単純にびびってしまった。
この男は、ありえない可能性を感じさせるのだ。
タガの外れた深い思考力に言い知れないものを。
天才しかできない仕事問題を解決し得る経営者の資質。
それすなわち、イコールで神殺しになれる可能性があることを意味した。
読者の外出時間を削りに行く二回更新