神さえも黙らせる勇者の能力とは 2
「あの戦いは、確かに世界の正義とか人間の基本的なものを否定するものでした」
ヤナイはイスに肘をかけながら、地面を見つめて、そう回顧するのである。
まるで一個の人間の単なる苦悩を吐露するかのように。
――自分たちは本当の意味で世界の概念を変えてしまったんだ。
「とりあえずお前ら……」
勇者がそこで言葉を止めたのは。
見たこともないぐらいの人が、遠い景色の荒野のすべてのすべてを埋め尽くしているせいだった。
兵器の横に、アリのように人がたかっている。
それが180度視界いっぱいに隙間なく展開されている。
たった二人のために、地形すべてを半包囲し、ひとつひとつの砲身を的確に一斉にこちらに向けている。
禍々しい破壊力をその青黒い砲身の口からにじませるように、白い煙が漏れていく。
話を聞いてれば、その攻撃力がどれほどのものかは誰でも想像できた。
勇者は感心するかのように後頭部をかきながら言う。
「めっちゃ数、そろえたな……」
ほとんど中身のない感想で、この状況をそのまんま述べたに過ぎない。
バカすぎるがゆえに素直に、真っ直ぐにひねることなく、この最悪の状況を通常感覚で語れるともいえる。
どうやって、この状況を乗り切るのか。
いや、乗り切れないだろうと。
共和国軍をはじめとして、王国側の人間も考えていた。
「おまえー、押し返せるか?」
勇者は、いつものきんきんに高めの裏声になりながら聞く。
絶対魔術師ヤナイは、首を微妙なスピードでゆっくりと振る。
「たぶん、無理ですね」
たぶん、だった。
絶対魔術師の本気は誰も見たことがない。
彼が控えめに上級魔法をここで放ったとしよう。
そして、相手もあの三万台以上のスターマインで一斉に撃ち込んできたとしよう。
一進一退のパワー勝負になるというよりは、相打ちになる可能性が高かった。
ここらへんがすべて吹き飛ぶ可能性が高いのである。
かといって、ちょっとでも手加減したら火力で力負けして、ヤナイの立っている側だけが消え去るだけだ。
あの3万台を止めるのはおそらく、不可能だった。
おそらく。
「試してみなければ、わかりませんけどね」
そう、ヤナイはありったけの本気を一度も出したことがない。
だが、試したらどうなるだろうか。
本気を出したら出したで、相討ちを超えて、すべての終わりを意味する可能性がある。
爆発と爆発が融合したら、より尋常でない爆発になるかもしれなかった。
全力を使えば、世界は終わる。
かといって使わなければ、ヤナイ個人では勝てない可能性が高い。
ジレンマである。
勇者はどうやってこの状況を乗り切るのか。
勇者の能力は、乗り切るだけの力は、どこにあるのか。
ある賢者は、水晶の向こう側で観戦しながらこう考えていた。
かつて幸運の女神に死ぬほど寵愛され、運という運を独り占めにし、何の能力もないのに頂点を極めた人間がいたことがある。
運だけで世界を生き抜いたやつがいた。
そして、本当に死に、女神の元に連れ去られた。
勇者も半端ないラッキーボーイなのだろうか。
運を極めることで、あの砲撃があり得ない方向に曲がり続けるとか。相手の方に戻っていくとか。
それこそ、物理法則を無視して、変なふうに外れ続けるという幸運を起こすのだろうか。
だが、よくよく考えてみるならば、それは『ありえないこと』だった。
勇者がそのパターンに当てはまるのならば、後々に女魔王に付け狙われるという『不幸』を説明することができない。
そもそも勇者に生まれたこと自体が見方を変えれば、ある種の不幸といえるものだ。
生まれながらに世界の期待を否応なく一身に背負わされて、あの、魔王討伐を宿命づけられているのだから、普通に生きたい人間からしたら不幸そのものでしかない。
勇者は、決してラッキーボーイではなかった。
スキル無しでもあった。
ならば、一体どうやってこの状況を乗り切るのだろうか。
「はぁー、やっぱオレか」
勇者の背中から、じわりじわりと誰も見たことがないような美しいアウラが放たれ始める。
白い光の中に銀色が溶け込むような。
ミルクのような白く白く味わい深そうな。
それが体全体をおおって、勇者は絶妙な白金に輝き始める。
「だぁー」
低いため息混じりに、片手で拳を作って、そのみなぎる力を確かめるように見る。
美しいアウラの範囲は次第に広がり、すぐ背後にそっと立つヤナイまで包み込んでいく。
白色のアウラは天上人や勇者が放つとされ、万能性を象徴する。
白は白というだけで、何でも吸収できる白い紙のように能力限界を突破させる性質を持つとされる。
銀色のアウラは信念の強い独自性を持った人間が放つものだ。
大変に変わったものが多く、一つの道を極めるタイプの人が放つとされている。
それらの二つのアウラが融合しているということはどういうことなのか。
「とりあえず」
勇者がその次の言葉を放とうとした瞬間。
「一、二、三……」
ふんふんと鼻歌交じりに共和国軍20万人をこともなげに指揮する人物。
リュウシン将軍だった。
白髪で、黄色いメガネをかけて、ほうれい線には人形のような深いものが刻まれている。
50代後半そこそこの円熟期に達したというような。
ただ青く、青く、冷めきったような、洗練されたアウラを放っている。
ひとりだけ軍服を着崩して、一番先頭にある一台のスターマインの後ろに座っている。
片手で『正義と罰』という本を開き、読書しながら自問する。
「正義、正義か。ないとは言わないが、あるとは言えないもので」
共和国に正義があるのか。それとも王国に正義があるのか。
いや、そのどちらでもないといえるとおぼろげに考えている。
この戦いは共和国が掲げる理想によって起こったとされている。
その理想は、「世界平和を実現するためのもの」と宣言されていた。
そしてその続きの言葉として、「安心して内政を続けたい」という名宰相の意向も発表されていた。
所詮は、共和国の恐怖の対象を取り除くための戦いだったのだ。
毎度毎度、南の国のどこかが発展すると、北側から寒い風が吹くかのように王国の魔法で叩き潰されるのである。
その歴史を終わらせたかったのだろう。
「正義ってのは、感情の問題だろ!」
なぜか、荒野の向こう側で勇者がわめいている。
脊髄反射のように叫んでいるのである。
リュウシン将軍の小さい自問がまるで聞こえていたかのように。
どんだけ良い耳なんだ、と思いつつも、すずしげな顔でその言葉を無視していた。
(まったく道理が通らん)
20万人の工作兵がテキパキと準備をしている。
いや、していた。すでにすべての攻撃準備が即座に完了していた。
最速最短で、完璧無比に。
どんな将校も口を揃えるが、この20万人を完璧に統率するというのは、とてつもなく難しいことだった。
兵站はどうする? 士気をどうやって維持する? 細かいことをあげたらキリがないが。
何よりも、その陣容を自分の意志の通りに整列させて動かすということの難しさ。
しかし、ところがどうだろう。
リュウシン将軍が何も言わなくとも兵士たちは正確無比に動いていた。
彼が若い頃に共和国首都の交響楽団のエリート中のエリート指揮者だったということと関係あることは間違いなかった。
首都ジャーナルの雑誌には、彼のインタビューがすずしげにこう載っている。
『だから、人間の究極を見たい、というのが僕が音楽を始めるきっかけだったというか』
それは後付けである。
実際には、女の子にモテたかったからである。
しかし、音楽では思うようにモテず、途中途中でスポーツをしていたこともあるし、学生運動をして制服と通信簿を撤廃までさせたことがある。
それでもモテず、結局は音楽をしてないと自分ではない気がして、元の道に戻っていた。
それほどの努力。なんでモテないんだよ、どころではなかった。
不純な動機で始めたものが、いつしかもっと高尚な、純粋な、動機に切り替わっていたのはいつからだろう。
『母はすごいバタ臭いっていうか。デザイナー的な要素があって。あのー、なんていうか、服好きだったんですよねぇ』
そう言いながら、彼は名宰相が作ったという、うますぎるカレーライスをインタビュー中も食べ続けている。
たぶん、服好きと彼の音楽と今、指揮官をしていることなどは何の関連性もない。
オシャレ感覚でひょうひょうと話しているだけである。
『あの宰相に言われたんですよね。君の見たいものが見れるかもしれないよって。それは確実に見れるとは言われなかった。かもしれないよ、ですよね。そのかもしれないよが僕の胸を打ったというか』
そこには語られていない彼の経験がある。
楽団を指揮して、最高の音楽を作り上げさえすれば、人間の化けの皮がはがれて、もっと本質的な部分に到達できるのではないか。
究極の人間の姿を見れるのではないか。
そういう、とりとめのない好奇心というか、願望のようなものがどんどんと高まっていって、狂気すら帯びるようになっていった。
「一、二、三、ハイ!」
楽団が、一斉に音を奏で始める。
彼は、なにひとつ見逃すことなく、一音の間違いを見つけてしまうと。
指揮棒を止めて、狂ったように怒鳴り散らかして、その間違えた人間を首にした。
エゴイスティックな指揮者として名が通るようになっていた。
一方で彼の狂ったような完璧主義が、良い音楽を作り上げた。
「新時代のマエストロ!」
その声望は高まり続け、30代の時点で名実ともに絶頂期を迎えていた。
彼は顔を片手で覆いながら、いや、もう、という言葉に詰まった後にインタビューをこう続けている。
『ちょっと喉に腫瘍ができたんですよね。それですごい熱にうなされて、音楽どころじゃなくなった。
音楽って、病気じゃないからできてたんだと。ひどい病気だとやりたくてもやれないし、インスピレーションすら湧いてこないんです。
健康だからできる音楽ってなんだろう?って自問するようになって』
病気はその後に名医のおかげで治癒した。
しかし、10年に一度やってくる古竜によって故郷を吹き飛ばされた後に。
一切、指揮棒が握れなくなった。声も出ない日が何か月も続いた。
彼の中の疑問は爆発した。
『人間の余白によって作られたものに、究極のものは見い出せないのではないかとね』
人生の大半を占めていた音楽を失った気がした。
そのどん底で、宰相に呼び出された。
「君の音楽を軍の規律に生かせないか?」
変わった発想だった。
古竜を倒すためにその手をとった。
最初の1年目は、まったく音楽が生きなかった。
言われたとおりに兵士たちは動かないし、自分の音楽理論がどのように統率に生きるのかまったく手がかりすらなかった。
しかし、兵士たちに歌わせるようにすると、意外と好感触だった。
音楽は確かに戦場の前線にいる兵士を指揮するのには向かなかった。
歌いながら戦うのは難しいし、音楽を聞かせると気が散って仕方がなかった。
だが、後援の工作兵などには生かせることがわかってきた。
音律のごとく、規律通りに動きさえすれば、よかったからだ。
10年かけて音楽隊と工作兵の融合につとめた。
次第に音楽の律動に合わせて、兵士を動かせるようになると、他の将軍たちが嫉妬に狂うほどの寸分たがわぬ統率力が生まれるようになっていった。
一音、一音に、動作を覚えさせて、その音に合わせて兵士を動かす。
それが20万人に浸透すれば、音を奏でるだけで自在に命令が行き渡り動かせる。
最高水準の統率力が、ここに完成した。
音楽の才能によって。
その頃には、古竜を駆逐できるだけの力があった。
女神が召喚した宰相は、決して特別な能力を持っていたわけではない。
異世界の知識こそあれど、彼の優れている点はその新しいアイディアをこの世界で生かし切る頭にあったのだ。
共和国が図抜けた発展を遂げたのは、異世界人という単なる立場によらず。
宰相自身の稀有な頭の柔らかさによるところが大きかった。
(なぜ、あの方を女神が召喚したのか今ならわかるさ)
そして、今日、究極を見れる日が。
それを期待することができる極上の時間が。
人間の究極という旋律が、ここに生まれるかもしれない。
「見れたら、ラッキーぐらいだがな」
勇者と絶対魔術師が荒野の向こう側の、森林地帯の境界線で突っ立っているのを認めつつ。
リュウシン将軍は双眼鏡でそれをもう一度確かめてから全軍に振り返ると。
「一、二、三……!」
透き通る青空の下で。
リュウシン将軍は全軍の兵士たちの前に立ちながら、幸せそうに目をつぶって指揮棒を振り下ろした。
新しい楽団がここに生まれる。
荒野の楽団だ。
工作兵のヘルメット内にしか聞こえない優雅な音楽が奏でられ始める。
20万人の工作兵と、後ろに行列を作るように続く50万人以上の人夫(非戦闘員)によってその弾が着々と補給されていきながら、すべてが始まった。
数万台のスターマインが稼働する。
閃光が出て、幕が上がった。
勇者が人差し指を振るって、荒野の端から端まで指すと。
「とりあえず、お前らのこと考えて真剣にアドバイスするけど、帰ったほ」
一発目が勇者に直撃した。
問答無用だった。