気づくこと
5月5日までにただの洞窟をDランクダンジョンにしなければ、女魔王に伝崎はゾンビ化される。
今は3月6日の昼頃。
約束の日までに2か月を切っていた。
ただの洞窟の評価はいまだに-Fなのだが……伝崎はそれどころではない状態だった。
ただの洞窟の入り口前で四人パーティにすでに囲まれていた。
伝崎は追い詰められているにもかかわらず、堂々と宣言するかのように繰り返す。
「買い物に行く時間が欲しいんだけどな」
余裕しゃくしゃくと言わんばかりの態度に、四人パーティ全員が言葉を同時に合わせて。
「買い物ぉお?」
聞き返してきた。
伝崎はパーティを分析する。
前衛に二人が大きく森から体をはみ出しており、十数メートル先に警戒するかのように立っていた。
――前衛二人がやばい。
サムライLV58の男は、紫色の鞘に入った長い太刀の柄に手を掛けて構えていた。
すでに抜刀姿勢にあり、今すぐにでも抜ける状態にあった。
アウラを丁寧に隠しており、その体からはわずかのアウラも漏れ出てはいない。
手練れ。
その目は鋭く細められ、光っていた。
接近して、こちらが仕掛けるのが早いか。
それとも相手が刀を抜くのが早いか。
直観的にわかる。
――抜刀の方が早い。
と同時に、ナイフよりもリーチが長い刀が自分を捉えたらどうなるだろう。ガントレットで受け止められるだろうか。
いや、きっと無理だ。
タイマンであっても、このサムライに勝つのは難しい。
「いやいや、お前何者? それにまず答えろ」
サムライは厳しい声で言った。
じりじりと間合いを詰めるように、歩を進めている。
たった一人、サムライを相手にするだけでも厳しいというのにその隣に今にも斬りかかりそうな少年が立っていた。
青白い剣を上段に構えており、今すぐにでも斬りかかってきそうだった。
その体のアウラは赤く刺々しく、攻撃的な性格を現している。戦闘意欲十分で、今にも斬りたくて仕方がないというような真剣な顔立ちだった。
サムライの刀の攻撃をかわして、すぐにこの強戦士の少年の攻撃が当たるだろう。
あるいはどちらかが前後するかもしれない。
さらに後ろの二人が加わってきたら、どうなるだろう。
伝崎は感じていた。
(こいつら強いわ……)
このパーティは今までのそれとはまったく違っていると。
そして、仲間たちの協力なくして勝てるレベルにはないと。
ひとりで戦って勝てるパーティではない。
期待以上を重ねまくった結果、本当に強い奴らがやってきた。
――わかってるっての。
伝崎には考えがある。
「いやだから、買い物に行く時間が欲しいんだけど」
張りつめていた空気が、切れそうになった。
伝崎が壊れたテープレコーダーのように言葉を繰り返すと、サムライの眉がつりあがった。
舐めんな、と言わんばかりに口を強く結んで、あふれ出そうになるアウラをおさえながら、やる気満々と言わんばかりの殺気を隠しながら、しかし掴んだ刀の鞘にアウラを込めている。
アウラがほとばしっている。
刀のアウラの紫色の輝きが増したかのように見えた。
どんな効果があるかは分からない。しかし、特殊効果が加わっているのが感じ取れた。
緊張感から、伝崎の体中にじわりと汗がにじみ出てくる。
伝崎には考えがある。
――もしも、そう。
――もしも、だ。
伝崎の体の周りから放たれる異様なアウラ。
墨のような黒さとなって、この場を支配しようとしているアウラ。それが両手からじわりじわりとあふれ出していく。
たとえ、ステータスを読まれたとしてもアウラを解放する価値があると思っていた。
降って湧いた疑問がある。
――なぁ、このアウラで交渉スキルを使ったらどうなるんだ?
今までとは明らかに違うアウラの質に変化している。
このアウラの奪う性質に、交渉スキルを重ねたらどうなるだろう。相手をこのアウラで包み込むだけでいい。そこに交渉スキルの効果を重ねたら、かなりの確率でほとんどの交渉が通ってしまうのではないか。
伝崎は戦うのではなく。
――交渉で乗り切ろうとしていた。
だからこそ、近づいて。
挑発して、このアウラで包み込みやすい間合いに立ちたかった。
ゆえに伝崎は繰り返すのだ。
「もう一回言うけど、俺は買い物に行きたい」
空気が切れた。
「はいそうですかってなるかヴォケ!」
サムライが突っ込んでくる。
抜刀姿勢の低い状態を維持しながら地面を滑空して。
強戦士の少年がサムライと背中合わせになって同時に踏み込んできた。
二人の強力な前衛がほとんど同じタイミングで入ってきたのである。
十数メートルの警戒距離から数メートルの戦闘距離に一気に縮んでいく。
「タダとは言わねぇっ」
伝崎は、ドンっという音がなるぐらいに金貨を地面に叩きつける。
積み上げた金は、100万G。
突っ込んできた二人はその場で目を開きながら立ち止まった。
まだ切りつけられる距離ではなかった。しかし、ほとんどぎりぎりの間合いに入っていた。
――引っ張るのはもう十分だ。
伝崎は両手を広げて。
「俺はここのダンジョンマスター」
伝崎は、知っている。
こういうときにウソをついてはいけないことを。
交渉が有利に進んでいる場合ならまだしも、不利な時は小さなウソでさえも命取りになる。立場が弱いせいで相手に簡単に追及されてバレてしまうことはよくあるし、何よりもそのウソが信用を失わせ、交渉不能に陥らせる。
数多くの修羅場をくぐってきたからこその絶妙なタイミングだった。
伝崎は、真剣な面持ちでサムライの目を見つめて。
「正直に言うとこのダンジョンは、あんたらみたいな冒険者を相手にできるレベルじゃない。戦えば、全滅する可能性だってある。俺は……これ以上、むやみに仲間を失いたくない。だから、今日一日だけで良い。今日一日だけくれ」
伝崎の頬に汗が伝うぐらい必死だった。
サムライの両目が曇ったように見えた。すこし目をそらして、もう一度こちらを見ると、ちょっとだけ頬をゆるめた。真剣な目つきが横に開かれて、優しくなったように見えた。
伝崎は畳みかけるように続ける。
「もちろん、タダとは言わない。一日だけ見逃してくれたら100万Gをやる。それで明日にはまたこのダンジョンに来てもいいんだ。破格の条件だとは思わないか? こんなダンジョンを一日見逃すだけでいいんだ」
伝崎が真っ黒なアウラを解き放って、サムライと強戦士を包み込もうとするが……
サムライは突然あきれたように目をつぶって、背中を向けて歩き出した。
その素早い変化に霧のように近づくアウラをスカされてしまう。
「あー、しけた。もういいわ」
サムライは突き上げた手を振った。
強戦士の少年がその背に手を伸ばす。
「ちょっと待って。いいのか? こんなやつがいるってことは」
「いいんだよ。ほら、行くぞ! リーダー命令だ。だから、来いって! オレがこのパーティのリーダーなんだからついてこい」
「ああ、もうわかったよ」
サムライは背を向けたまま柄に手を置いて言う。
「明日、また来る。そのときまでにはどうにかしてろよ」
まるで含みを持たせる言い方だった。
ダンジョンを強化しておけというよりも、仲間を守るために決断しろと言っているようにも聞こえた。
サムライがさっさと森の中に入っていく中。
あっけにとられた伝崎は首をかしげながら聞く。
「なぁ、なんで見逃してくれたのかね? どう考えても交渉は成立してないように見えるんだけど」
お金も拾わずに去っていくサムライと、そのパーティたち。
取り残されていた強戦士の少年が遠い目になりながら、サムライの背中を見つめて言う。
「あいつ、仲間思いのやつが好きだから……」
強戦士の少年は付け足すように言った。
「ただ明日は見逃さないと思うね。自分の言葉を守るやつだし」
つまり、あのサムライは「明日までには仲間と一緒に逃げろ」と言ってたのだとわかった。
ダンジョンマスターがわざわざダンジョンから出て交渉する行為。
それ自体が珍しく、彼らからしたら驚き伝わるものがあったのだろう。
「あんた、あのサムライのことが好きなんだな」
伝崎が自然にそう言うと、強戦士の少年は「そんなわけないしっ」と抗議するように顔を赤くしながら背を向けて早歩きで動き出した。
パーティは森の中に消えていった。
伝崎は苦笑いしながらポケットに両手を突っ込んだ。
「こんな世界で良いやつらと出会っちまったな……」
特にサムライは……あのサムライこそが仲間思いの良いやつなのだろうと伝崎は思った。
(もっと別の出会い方をしてたら、あいつらとは友達になれたのかもな)
伝崎は首を振った。
「って、俺らしくないな」
伝崎は、冷静な表情に戻って両腕を組んで考える。
妖精のオッサンはズボンの右ポケットから頭を出す。深い人生経験に裏打ちされたかのような、しみじみとした顔で思う。
(伝崎……気づいたんじゃねぇのかぁ? 冒険者の中に仲間思いのやつらがいるってなぁ。あいつらはお前さんと何も変わらない存在だってことになぁ。それでもダンジョンマスターができるのかぁ?)
伝崎はパンっと両手を叩いて、仕切りなおすように。
「さっさとダンジョンを強化して、手厚く歓迎してやる準備をしないとな」
――明日、あいつらは来る。
それまでに勝てるようなダンジョンを作り上げなければならなかった。
さらに別のパーティがいつ来るか分からない以上、時間はそれほどないと伝崎は事務的に思った。
妖精のオッサンは右ポケットの中に座り込んで考えていた。
(伝崎、やっぱりお前さんは違うなぁ。オイさんはなぁ、どうしたらそんな考え方ができるようになるのか知りたいぜぇ)
単なる居酒屋店長とは決定的に違う割り切りの良さ。
冷静さ、計算高さ、行動力、何よりも単純に悪辣なだけでは済まないところがある。
複雑。
どんな経験を積み重ねれば、そんな考え方ができるようになるのだろう。
他とは明らかに違う背景のようなものをひしひしと感じていた。
それが何なのか知りたいとすら思えてきた。
同じ日本人として生まれながら、まったく別の考え方をしているように思えた。だが、それでも人間だと感じる。どれだけ考え方が違っても同じ人間だと思える部分がある。
妖精のオッサンは伝崎の冷静な横顔を見ながら思う。
(だがなぁ、お前さんはまだ分かってねぇ。もしも『それ』が分かっちまったら……どうなるんだぁ? 誰も止められないかもしれねぇえ。あの女魔王ですら……)
人生の先輩として思うのだ。
(仲間が大切になればなるほどなぁ。お前さんのやってることの意味が変わってしまうぜぇえ)
その意味が変わり切った時に何が起きるのかは妖精のオッサンには想像もできなかった。
ただの洞窟がこれからどうなっていくのか想像もできないように。
森の中で、ただの洞窟からどんどんと距離を開けていくマホト率いる四人パーティ。
まだ、氷中魔術師のすんのはフラフラとしている様子で、夢うつつだった。足取りもおぼつかないようで時折木にもたれかかるぐらいだった。
まさに心ここにあらずだ。
それほどまでにあの黒服の男が恐ろしかったのだろうか。
モフンは気遣うように彼女の横を歩きながら聞く。
「大丈夫?」
すんのは赤らめた両頬に手を当てて。
「カッコよかったぁ……」
「え、そっち?!」
あのとき、木に隠れたのは怯えていたというよりも、好みのタイプの男性に会って緊張して震えてしまうとかそういう種類の反応だったのか。
あのダンジョンマスターの何が彼女の心の琴線に触れたのかは誰もわからなかった。
ドドンダが両腕を組んで口惜しそうに独り言をつぶやく。
「あのお金、貰ってもよかったと思うがなぁ」
100万Gを日曜大工に使いたかった。
薬草よりも日曜大工の材料に使いたかった。
ドドンダは、ふと大柄の体をどすりと止める。
「あれ? そういえば、あのダンジョンマスターって……どっかで見たような気が……」
ドドンダは竜覇祭をいつも観戦しており、毎年楽しむ愛好者だった。
伝崎が竜覇祭の準優勝者だと気づきそうだった。
もしも気づかれればそこから情報が広がり渡り、王国の宮廷へと流れる可能性もあった。
「いや、気のせいかね……?」
気づきそうで気づかなかった。
鷹揚な性格から細かいことを覚えていることは少なかった。
ただの洞窟内にて。
「……どうするかってことだが」
山積みになった宝の前で、白狼ヤザンは大切そうに集められたワラの上に寝かされていた。
うつ伏せというよりも横になる姿に近かった。
相変わらず傷だらけで、「ぐぅー」と時折悪夢にうなされているのか鳴くことがある。
目をつぶり、ほとんど意識は無い様子だった。
伝崎は白狼の前で膝をついて、仲間たちとどうするかを話し合っていた。
ダンジョンを強化する以前に、どうしても考えておかなければならないこと。
話し合いの内容は、たった一点。
――白狼ヤザンをどうやって治すのか?
リリンが人差し指を立てて提案してきた。
「白狼ヤザン殿のレベルをあげればいいのではないデスか?」
確かに、その方法は順当だ。
レベルをあげれば、ダメージが全回復する。
竜覇祭のときも伝崎は瀕死の状態から回復することができた。
しかし。
白狼ヤザンに目を向けてみるが黒服で包んでいるとはいえ、背中にある傷口から血がにじんでおり、ちょっとでも動かすと傷口がさらに開いてしまいそうだった。
伝崎はアゴに手を当てて厳しい表情で言う。
「簡単にレベル上げをできる状態じゃないな」
傷ついている以上、下手に動かして経験値を稼がせるのは難しい。
それこそ傷口が開いて、レベルアップの前に出血多量で命を落としてしまうかもしれない。
伝崎は洞窟内を見渡した。
――何か、何か使えるものはないのか。
それこそ、今の状況において白狼ヤザンの助けに少しでも役に立つものはないのか。
伝崎は、ただの洞窟内をぐるりと三百六十度見渡してからあることに気づく。手をポンと叩いてから。
「ちょっと来てくれ」
優秀な経営者は「あるもの」の使い方を知っている。
伝崎が手招きしたのは。
評価の方、ありがとうございます。力になってます^^
意欲が高まります。完結へ向けて努力してまいります。