経営者の責任の取り方
妖精のオッサンは、目撃した。
「……!?」
真っ黒なアウラの霧が伝崎の顔から晴れたときにすべてが見えた。
伝崎の顔が白狼ヤザンの姿を見つけて、まるで華やいだように見えた。
いや、違う。
華やいだのではなく、表情がゆるんでしまったというべきだろうか。
何も知らない子供が親にイナイナイバァをされて、無邪気に驚いたときのような顔。
顔すべてが、ぱっと開くようにして止まる。止まって、動かなくなる。
大きく目を見開くわけでもないのに、本当に驚いているということが伝わってくる。
どこまでも純粋な驚愕。
ありえない、と。
こんなことが起こるわけがないと信じているあまりにも純粋な、子供のような、その表情。
今までの伝崎が一度もしたことのない幼い表情。
いつもすべて計算しており、仮に驚くことがあっても大人の対応をする。
なんだかんだで立ち回って乗り切るとき、いつも伝崎は冷静な表情になっている。
なっている。
なるはずだった。
そんな人間が、本当に、青天の霹靂のような出来事に出会ってしまったように驚いている。
何かを信じ切っているその顔に。
「で……」
妖精のオッサンは震えた。
名前を呼びきることができなかった。
今までとは違いすぎる反応だった。
次の瞬間、だめだぁと妖精のオッサンは頭を抱えた。
銃のトリガーに指一本の腹が触れている状態、いわば力をわずかに加えれば弾丸が解き放たれる刹那。
その場面に遭遇しているのだと感じた。
妖精のオッサンは体中が硬直してしまったようになった。
妖精の女の子は伝崎の手首にしがみついて、はみ出すアウラに吹き飛ばされないように耐えているようだった。
今は生きていると信じている。
だから、純粋に伝崎は驚いている。
しかし。
もしも、白狼ヤザンが完全に死んでいるということを悟った時、どうなるのだろう?
生きている、という伝崎の顔が妖精のオッサンには怖かったのだ。
その気持ちが踏みにじられたらどうなるのか想像できなかった。
何か言葉を掛けないといけないのに掛けることは決して許されない。
本格的に伝崎の内面の奥底が崩れて、決壊する寸前のように見えた。
伝崎は、ハイハイをするかのようにぎこちなく白狼ヤザンに歩み寄っていく。
膝を折って、顔を近づけて、すこしだけ当たり前のように手を当てて揺すった。
白狼ヤザンがびくりとはねた。
それから、その傷だらけの紅い背中を小刻みに振るわせ始めた。
「くぅ……」
伝崎は目を細めた。それもとびっきり優しく、ゆっくりと細めた。
澄み切った表情で、洞窟の入り口から差してくる光をその顔に受けながら白狼ヤザンに両手をふわりと重ねた。
そうして抱え上げるように、その毛を一本も損ねないように両腕に包み込んだ。
「よかった……大丈夫だ。大丈夫だからな」
優しい声。
伝崎は、安堵したようだった。
妖精のオッサンには理解しがたかった。
冒険者たちを情け容赦なく倒し続ける人間はそこにはいなかったからだ。
まるで愛に満ちた家庭で育ったかのような青年の姿がそこにあったからだ。
伝崎はとろけるような柔らかい表情で微笑み、白狼ヤザンの背中に顔を当てた。もふもふとした毛がまだ残っていた。
それから顔をきっと上げて、強い決意に満ちたかのように眉をあげた。
「絶対にお前を助ける……」
「くぅー」
白狼ヤザンには決して表情は無い。
しかし、牙をむき出しにするかのように「はぁはぁ」と息を荒げながら「くぅー」ともう一度鳴き声を出した。
ホッしたかのような鳴き方だった。
それから人語を操り、現状を告げた。
「キテルヨ……パーティ」
「冒険者が来てるんだな。よく知らせてくれたな」
伝崎は傷口に触れないように、白狼ヤザンの横腹を二、三度なでた。
そうして立ち上がると、ただの洞窟内に白狼ヤザンを抱えて連れていく。
白狼ヤザンの背中の傷は痛々しく、数回は切れ味の高い刃物で切り付けられていた。
今は出血が激しくなかったが、それでも血が止まってはいなかった。
伝崎は破れた黒服の上着を器用に掛けてやりながら、傷口を縛るように結んでいく。
最初の一撃は浅かったのだろう。
しかし、その後も追いかけられて何度も何度も切られてしまっていたために、その傷口が深くなっているようだ。
傷は、執拗だった。
だが、それにしても、その剣の精度を驚かされるものだった。
白狼ヤザンの背中は、まったく同じ個所を同じように切られているかのように傷が折り重なっていたのだ。
縦にラインが走るように、道路の二車線が重なるようにひとつの傷に対して、二つの切り傷が並んでいる。
伝崎はただの洞窟内の広場前まで歩いていきながら力強く繰り返す。
「お前を絶対に助けるからな」
3パーティ目。サムライLV58。強戦士LV50。強戦士LV54。氷中魔術師LV55。
マホト、モフン、ドドンダ、すんの。
冒険者はすでにただの洞窟近くの森にやってきていた。
目の前の森が開けてきていた。その距離にして、もう数分と掛からない森の中を歩いていた。
いきなり側の木がありえない倒れ方をした。
斜めに滑り落ちるように倒れたのだ。
「しゅしゅしゅ、どうもマホトですってね」
一瞬で側の木を数本切り倒したのは、マホトだった。
視界が開けるように、試し切りも兼ねて切っていた。
サムライLV58。
下に東洋の白い袴を着ていて、紅い紐で腹をくくっている。
上半身裸であり、鳥の入れ墨が胸に入っていた。鍛え上げられた肉体は引き締まっており、その肌色はまるで大理石のように白かった。
黒髪美形の青年だった。
脇には、等身大以上の禍々しい大きさを誇る刀があった。
紫色の鞘の中に入っており、独特の紫のアウラを刀自体が放っている。
『愛染紫剣』
上物だった。
200万Gはくだらぬ名刀だ。
マホトはそれをオモチャのように脇につけて片手を置いていた。
このパーティのリーダーだった。
「適当に切ったら当たったわ。すげぇ当たった」
マホトのその言葉に対して、真似するように隣を歩いていたモフンが答えた。
「私に掛かれば、これくらい簡単だな」
競い合うように二人が白狼を切りつけあったのは明白だった。
マホトが声を荒げる。
「いつも私私って女かよ。てか、男女かよ!」
「違う。れっきとした男だよ。確かに髪の毛長いし、自分で言うのもあれだけど顔は中性的だけど……」
モフンは中肉中背の童顔の少年だった。
実に騎士らしい騎士の格好をしていた。どこからどう考えても騎士だろうと言うような銀色の肩当を付けて、銀色の鎧を着て、脇に中くらいのソードを備え、その鞘はまるで氷のように青かった。
しかし、職業は強戦士だった。
さらに変わっていたのは性別が男であるにもかかわらず、肩まで金色の髪の毛を伸ばしていたところだ。
だが、アウラはこのパーティの中でも強烈に赤く、しかもその背丈を超えるような刺々しいアウラの勢いは攻撃的な性格を暗示しているようだった。
とっさに目の前に何か虫のようなものが動くと、モフンはほとんど剣を無意識で引き抜いて切りつけていた。
間がなかった。
叩き下ろされた剣は側の岩に突き刺さっていた。数秒間剣を差していると岩がピキピキと音を立てて凍り始める。
マホトはその姿に見向きもせずに前を見ながら言う。
「男っていうか年齢もまだ十代だし、子供くせぇな」
モフンは切りつけた虫の死骸の切断面を見つめて黙ってしまった。切れ方がどれぐらい上手くいったのかをやたらと凍っていく虫を確認しながら気にしているようだった。
他のメンバーは前へ歩きながら、とりとめのない話をしていた。
あの白狼が逃げ去るときに何もしなかったパーティメンバーがいたな、と。
ふとマホトは思い出した。
「そういや、なんでお前氷柱魔法を軽く打たなかったの?」
マホトがすぐ後ろを歩いていた、このパーティ唯一の女性メンバーすんのに向かって言った。
「やだよ! もふもふしたかったのに切りつけるなんてひどい」
氷中魔術師のすんのは、少々と青み掛かった白いローブに身を包んでいた。
魚のような目つきをした女の子で、長めの黒髪は毛先でくるんと巻かれていた。
それほど身長は高くなく、十代の女の子と言われれば誰でも信じてしまうような可愛い雰囲気があった。
白い手袋に、ハートマークの装飾があった。
お構いなしにドドンダが上の空で独り言を漏らす。
「昨日は作ったねー明日も作ろうか」
ドドンダは日曜大工が趣味。
長袖の黄色い作業服に、下は真っ黒なズボンを履いているヒゲ面のオッサンである。
王国の北側出身でやけに身長と図体がでかく、強戦士らしい強戦士だった。
その背中には茶色い大きな盾が甲羅のようにあった。茶色は茶色でも銅製ではないみずみずしい輝きがあったが。
それに重ねるように男らしい岩のような大剣を背中に携えていた。
マホトは片手をあげて首をかしげる。
「だいたい、回復係がいないこのパーティとかバランス悪くね?」
ドドンダは目を覚ましたようにマホトの顔を見返して語る。
「だから、こうやって薬草を持ってきているわけじゃないか。確かにすぐに回復するようなアイテムとなると超が付くほどレアだし、高額だ。せいぜい回復を促すようなアイテムしか王国では売られていないしね。でも、あるだけマシじゃないか」
ドドンダが脇につるしていた袋から出そうとすると。
「あっ」
手をぱくぱくとさせるが、何も取り出すことができなかった。
今、向かっているのは最弱ダンジョンと呼び声高いただの洞窟である。
「ぶははははは、忘れたのかよ!」
マホトは、げらげらと手を叩いて笑う。
余裕があった。
というよりもただの洞窟に備えなんて必要が無いと思っていた。ただ、これから別のダンジョンに行くとしたらそれはまずいと考えたから聞いただけだ。
ひとしきり、マホトは笑い終えると涙を拭って。
「だから回復係が欲しいんだろ?」
マホトはじろっと氷中魔術師のすんのを見た。
「やだよ! あたしは回復係になんか転職しないから。ダンジョンを全部凍らせるのが夢だから!」
「大体やだよって言うよな、お前」
「ノーと言える王国人なので」
それぞれがそれぞれ、気ままな行動を取っていた。
モフンは相変わらずパーティから外れて何かを切りつけているし、すんのは変な白狼を見つけても攻撃しない。
そして、ドドンダは薬草を忘れてくる始末。
それでもマホトは笑えた。
いつも通り、いや、いつもよりも呑気な気分でダンジョンに向かっていた。
あくまでもくだらない噂を寄り道しながら確かめるためだけに。
和気あいあい、余裕の寄り道をさっさと終えてハイレベルなダンジョンに向かっていく予定だった。
マホトはあくびをしながら、両腕をあげて「ふぁああ」と涙目になりながら空を仰いだ。
「ホント、気楽なもんだね」
空には平和鳥が「くわぁーくわぁー」と鳴いていた。
ただの洞窟内の中央で、白狼ヤザンを囲むようにしてみんな集まっていた。
軍曹タロウも真剣な顔をしているぐらいだから、他の誰しもが黙って真剣な表情になっていた。
伝崎が白狼ヤザンを洞窟内の中央にそっと置いて、リリンに目配せして「頼む」と言い、立ち上がった。
伝崎は歩み寄るリリンと見つめ合った。
リリンは「伝崎様……」という言葉を出すのでいっぱいいっぱいで、この場のいつもと変わった雰囲気に飲まれていた。
伝崎は腰に両手を置いて、いつものようにカラっとした笑顔を作ると言った。
「なぁリリン、俺のこと信じてくれるか?」
リリンは、えっ?という顔を一瞬作った。
まるで人間の女の子のような表情をしてしまった。
それから即座に唇を締めた。
「信じますデス!」
言わないといけないと、心から言いたいとリリンは思った。
これから伝崎が何かをしようとしていることがわかった。
伝崎は、リリンの目を見つめて嬉しそうに言った。
「ありがとうな」
すぐにくびすを返すと、ただの洞窟の入り口の方を向いた。
みんなに背を向けて勇み足で歩き始める。
妖精のオッサンが肩の上から頬につかみかかってきて。
「おいおい、まさかぁ。お前さん、ダンジョン外に出て何を」
向かう場所はただ一つ。
「無理だぁ! できるわけねぇ!」
たった一人だけで。
「お前さんが一番わかってることだろぉお」
迫りくるパーティーに対して、伝崎はただの洞窟の入り口前でたった一人で迎えようとしていた。
相手は中級冒険者。
一対一ならまだしも数名のパーティーに対して、たった一人で立ち向うということ。
それがどういうことを意味するのか。
妖精のオッサンには、それが伝崎自身がいつも不可能だと言っていることに見えた。
わざわざ避けに避けてきた「不可能」に頭を突っ込んでいくようにすら見えた。
妖精のオッサンは必死になって止めようと肌を引っ張る。
「いくらアウラが強くなってるからって、無理だろぉお。一人で数人を相手にできるわけがないことは分かってるはずだろぉ」
なぜ、わざわざ伝崎がこれからのパーティに対して、たった一人で対応しようとしているのか。
誰だって想像できた。
これ以上、強いパーティをただの洞窟内に招きたくないのだろう。
事実として、パーティを招けば招くほどに仲間が次々と死んでいくことは明らかだった。すぐそこにパーティが来ていて、強化が間に合わない以上対応しなければならない。
しかし、洞窟内で戦えば人材が失われてしまう可能性もあった。
仲間を危険にさらさないためにたった一人。
ダンジョン外で、やるということ。
妖精のオッサンは歩みをやめない伝崎に言う。
「お前さん、それもうダンジョン経営じゃねぇだろぉ」
「だからだろ」
伝崎は立ち止まった。そして、まるで勝算でもあるかのように笑った。
じりじりとあごに汗を忍ばせながら、ポケットの中のセシルズナイフに手をかける。
「仲間がもう傷つくのは嫌なんだ、とか子供みたいなこと言わねぇよ」
伝崎は口火を切ったように続ける。
「無責任ヒーローじゃあるまいし。俺のミスで問題が起きたんだよな。だったら俺が責任を取りたい。いや、これは当たり前すぎて言うまでもないこと。ダンジョンマスターだったら、経営者だったら全員がやらなきゃならないことなんだよ」
妖精のオッサンは、はっとして気づいた。
(伝崎ぃ、お前さんにとって『意味』が変わりすぎてねぇか)
それはダンジョン経営の意味。
ダンジョン経営はあくまでも元の世界に帰るためのもの。
生き残るため。日本に帰るため。自分のためだったはず。
今の伝崎の真剣な横顔は、もはや何か意味が違っているように見えた。
そのわずかな「変化」が明らかに無謀な行動をさせているのではないか。
妖精のオッサンにはそう見えて仕方がなかった。
(伝崎、自覚ねぇかぁ? おまいさん、もうすでに自分自身が変わり始めてることになぁ!)
伝崎はガントレットを付けた左拳を握って言い切る。
「考えがある」
「おいおいおい、なんだあいつ?」
全員が身構えていた。
マホト率いる四人パーティはそれぞれがアウラを放ちながら全力の攻撃姿勢に入った。
ただの洞窟の入り口前に、両腕を組んで立っている男が一人。
「……」
そう、たった一人の男が最弱ダンジョンの前に立っているだけで、中上級に値する四人パーティが異常なほど真剣な眼差しになっていた。
さっきまでの和気あいあいとした雰囲気が一瞬で消え去ったのだ。
それがどれだけのことを意味するか。
両腕を組む黒服の男(伝崎)からは、禍々しいほど真っ黒なアウラが線を引いて頭の上から立ち上っている。
その光景に、ぎょっとした。
ありえないアウラの色だった。
この世の景色とは思えない。
生気あふれる森の中、ただの洞窟の前で、この世から一点だけ浮き立ってしまった男が存在するということ。
マホトを除いて、パーティメンバーすべてが同時に思わった。
――こいつ、やばい!
四人全員が散開するようにして距離を開けて、身構えていた。
マホトは刀に手を携えて、地面に顔がつくんじゃないかというぐらいに低く構え、モフンは剣を引き抜いて上段に構え、ドドンダは大きく構えながら大盾を取り出し、すんのは近くの森の木の陰にその身を隠して、ぶるぶると両手を祈るような形にして震えていた。
モフンは、すんのが震える様子を見て。
(すんのちゃん……女の子だから敏感なのか)
そう、その反応はおかしかった。
中上級パーティの人間なら経験豊富で、多少新手の強いモンスターと出会っても冷静に対処できるはずだった。
だが、すんのの反応は違っていた。
最弱ダンジョンの前に、どう考えても悪魔的な能力を持った男が立っている。
何も言わずに両腕を組んで、ただ立っている。
レベルが格下と言えども、その景色の異様さは際立っていた。
マホトは、にやりと笑みをこぼしながら思う。
(むしろ、余計にこのダンジョンに『何か』あるって気しかしなくなったんだけど)
ただの洞窟の入り口前に一人立っている男。
この男は冒険者なのか。攻略して出てきたのか。それとも人間ではない悪魔か。あるいは、ダンジョンマスターなのか。何なのかは分からない。だが、ただの洞窟が異質な存在であるということを物語る。
確かに他のパーティメンバーはこの状況にびびっている。
それでも、マホトは絶対にただの洞窟を探りたいと思った。
マホトは違っていた。
実力はパーティの中で群を抜いており、戦闘能力に絶対的な自信を誇る。
抜刀寸前の姿勢を保ちながら、その自信をにじませるように口走る。
「一人で勝てる気しかしないしな」
すると、黒服の男が突然両腕を開こうとする。
何か攻撃を仕掛けてくるのかと、四人パーティ全員が後ろにステップを踏もうとする。
黒服の男は口を開いて何食わぬ顔で言った。
「買い物に行く時間が欲しいんだけどな」
あっけらかんとしたその言葉に、四人パーティはズッコケそうになった。
あけまして、おめでとうございます^^
今年はダンジョンLVゼロ!に何が何でも力を入れていきたいと思っています。
応援の方をよろしくお願いします。