アクシデント2
ただの洞窟において、女強戦士が陥った状況と視野。
それは至って、シンプルなものだった。
突然、信じられないぐらいの統制の取れたゾンビ軍団の攻撃を受け、挙句の果てにリーダーの傭兵エイジが半殺しにされるという事態に陥ったのだが。
彼女を驚かせたのは。
「ちょ、待てよ」
馴れ馴れしい呼びかけ。
「ちょ、待てって」
え?と返すしかなかった。
女強戦士は振り返って、黒服の男を見つめて。
(人間……??)
冒険者以外で人間がダンジョンにいるということ。
それはある職業以外ありえないことであり。
(あいつはダンジョンマスター!)
ダンジョンマスターがわざわざ止めようとすることの意味。
こんなこと何年と冒険者をやっているのに一度も経験したことがない。初級者向けのダンジョンに強敵がいる。この不可解なダンジョンのすべてを表しているかのようなありえない現象が多発している。
――このダンジョン何かある!
同時に止めるほどの理由が必ずある。
女強戦士の今までの経験が一瞬で割り出していた。
ダンジョンマスターは、目の前のゾンビが殺されることがそれだけ「嫌」だということ。
――このゾンビを倒せば……!
女強戦士は華麗な身のこなしで、すこしまともな動きをするゾンビが突き出した鉄槍を鮮やかに跳ね上がる。
ゾンビはまるで人間のように驚いた様子でのけぞる。
ただの洞窟の天井にそれが突き刺さろうとする中。
当然のことながら、50レベル台になってくるとユニーク装備をしているわけで、彼女の小手は小黒龍の小手であり、そこらへんで手に入るものではなかったし、もっと言えばその双剣は鋼の剣の何倍もの切れ味があった。
ここまで強くなれるような冒険者は、ユニークスキルがあるのは当たり前で。
待てと何度も言われる中。
女強戦士は前へ振り向き直って叫ぶ。
「(都合よく)待つわけないでしょ!」
あまりにも俊敏な対応だった。
ダンジョンマスターと思しき黒服の男は「あっ」という顔をした。
女強戦士は無視するように両足にアウラを集中させて、スキルを即座に発動する。
だからこそ、中上級冒険者になれた。
俊足A+。
足が速いということは生まれながらの特性もあり、このスキルは決して訓練や職業によって手に入るものではないユニークスキルだった。
一秒にも満たない世界。
足が青く輝きだすと、一気に力が入る。
ただでさえ彼女の敏捷はA++もあり、それに俊足スキルが加わればどうなるのか。
目の前のゾンビを一瞬で屠りながら、後ろのゾンビの命も狩り尽すことができるだろう。
何よりも呼び止めた黒服の男は決して追いつくことができないはずだが。
女強戦士は、その場で小鹿のようにダンスした。
「っ?????」
目の前に土が広がるのを感じた。
――なになになにこれ……?
ただの洞窟にいる誰もがそう思っていた。
――何が起きた?
伝崎は片手を伸ばして硬直しながら、その光景を後ろからはっきりと見ていた。
女強戦士が突然転んだのだ。
そして、双剣を地面に叩きつけながら軍曹の足元に顔面を打ち据えていた。
それから「うっ」とだけうめいて動けなくなっていた。
まるで全身が硬直したかのようになっているのである。
足元には、ただの洞窟内でもひときわ目立つ真っ黒な影がうごめいている。
その延長線上の末端には伝崎が立っていた。
拍子抜けするようなアクシデントだった。
意味がわからなかった。こんな場面で運よく起こり得るはずもなかった。
だが、チャンスだった。
「おらぁああ」
伝崎はなりふり構わずに前傾姿勢で駆け出そうとする。
――逃すわけねぇだろ!
風の靴から緑色の風が渦巻いて全力の踏み込みが始まる。
伝崎の体がふわりと浮かんだかと思うと、カクンとその身が女強戦士のほうに向かっていた。
超低姿勢で到達。
セシルズナイフを器用に下へ伸ばして地面に振るう。
赤、がほとばしる。
その線が倒れた女強戦士の太ももを捉えると同時に向きをすこしだけ絶妙に変えた。
伝崎は一回転してから、キキの前に立っていた。
宝の山を後ろにしながらキキは腰を抜かしており、詠唱もできずに唇を震わせている。
後ろでは「ひゃあ」という声と共に女強戦士の足から大量の血が立ち上っていく。
伝崎は泥まみれになりながら頭の後ろにガントレットの左手をやって笑う。
「わりぃわりぃ」
いつもいつも感情を表に出すことのないキキがむき出しの表情で見上げてくる。
誰にも自分の気持ちを伝えたことのない彼女が。
泣きそうになる。
キキは全部自分のせいだと言わんばかりに目元に涙をためる。獣耳をぺたりと小さくして、半泣きになりながら「ごめんなさ」という言葉を口にしようとする。
だが、さえぎるように後ろで光が立ち上っていた。
その光はただの洞窟の天井を一際明るくするほどのものだった。
伝崎は気にせず、にぃーっと屈託なく笑いながら言う。
「全部俺の責任だからな」
伝崎は気にすんなと言わんばかりにキキに片手を差し出す。
一切の責める気持ちなどそこには存在しなかった。
キキははっとしたように目を見開いて、溜めていた涙を飛び散らせた。
何かがぼぉっと焼ける音がしたかと思うと、伝崎が頭をがくりと下げた。前のめりになってキキに覆いかぶさる。
伝崎の背中に炎球が直撃していた。