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心臓と頭蓋骨

 王都の円形闘技場コロッセウムにて。

 遠大なる円形の囲いの中に、立たされる二人の男。

 飲んだくれの罵声もこの広さをもってすると小人の声に聞こえる。

 一人の男は、己の力に絶対の自信を胸に。

 一人の男は、異国の地から流れ着いたがゆえに。

 罵声と殺伐とがこの空間を支配しているというのに、異国の男は無表情のまま何一つ動揺してない様子だった。

 締りのある細身、深海のような黒髪、乱れのない顔、すこし太い秀麗な眉

 ポケットも縫い目もない一式の白服を着ている。

 何よりも異様だったのは、この闘技場にあって武器一つ持たずに素手で戦おうとしていること。

 異国の男は、すっと片手を後ろに隠す。

 その立ち振る舞い。

 この地上にありながら、山の頂点に一本の木として立っているかのよう。

 危ない橋を、すらすらと渡ってしまう立ち方だ。

 とても静か。

 その場だけが何もないかと思えるほどに。

 闘技場の観客席には腕の立つ戦士や魔法使いがときどき混じっており、そういう者たちの目から見ても、おかしいことがあった。

 彼はアウラをまとっていない。

 というよりも。

「あれは隠してる」

 異国の大陸、中原ではそういう使い手がいると知られている。

 大陸の武術はさまざまな流派があるものの総合してリュウケンと呼ばわれている。

 リュウケンの使い手たちは、魔法使いとは違って、己の肉体を強化するためにしかアウラを使わないものが多い。

 この大陸の戦士に似ているが、しかし決定的に異なることは、徒手でも戦える技術を持っているということ。

 さらに、アウラを隠す人間がいるということ。

 アウラを体内に入れ込んで、漏れ出さないようにする。

 そうされると、高い洞察スキルの持ち主といえどもその能力を見ることはできない。

 総じて能力を悟られるのを嫌がる連中だった。

 今は、そのレベルとリュウケンの使い手であることしか分からない。

 リュウケン使い、レベル29。

 一方、パンツ一丁、大剣を片手に、鋼鉄のアーメットヘルムをかぶる男がいる。

 完全武装の兜で、その表情を見て取ることのできない。

 しっかりと真っ直ぐ立っているのに、地面に届いているグロテスクなほど長い豪腕。

 まるで大木のように太く太く、筋肉から血管が浮かび上がり、躍動している。

 筋肉男が、ふんっというとアウラがすさまじい風圧を引き起こしていく。

 コロッセウム全体に台風を引き起こし、観客を圧倒。

 それが渦巻き、男の周りを回り始める。

 一回り、二回り、と筋肉が大きくなっていき、肌が引きちぎれんばかりに伸びる。

 血色豊かな筋肉から白い蒸気が立ち上っていく。

 カイザーク・ゲオルグ。

 狂戦士レベル56。

 基本ステータス。

 筋力A+

 耐久B-

 器用D

 敏捷CC

 知力D-

 魔力F

 魅力E-

 赤きドラゴン殺しの異名を持つ。

 闘技場、26連勝中。

 ゲオルグは、しゃがれ声で告げる。

「私の筋密度は、常人の七倍です」

 その筋肉は見せかけではなく、何匹もの小竜を現に叩き殺してきた。

 アウラの広さ、その厚さからいっても観客の中に勝てる人間も片手で数えるほどしかいないだろう。

 異国の男は猫のように目を細め、一歩だけ後ずさる。

 右手を下に向けると、脱力仕切ったように振る。

 お互いに間合いを計りながら微動だにしなくなる。

 静かな時間が流れる。

 観客席の奥深く。

 肩肘をだらしなくつく少年がいる。

 白い法衣に身を包み、舌をべろりと出して、ふんふんと首を何度もひとりでに頷かせている。

 その目には絶望、孤独、光、そういったものをない交ぜにした水色を浮かべる。

 おぼろげな銀髪の美しい少年だった。

 物好き大賢者シシリ。

 実験と称して母親に無理やり不老の薬を飲まされて、二百年以上子供の姿で暮らしている。

 二百年読書と経験と実験と思索を重ねて、いつしか大賢者と呼ばれるようになっていたが、本人は自分のことを賢者だとは思っていない。

 大賢者シシリはその童顔をみにくく、ゆがませる。

「いつ見ても、ゲオルグの闘気は壮観だなぁ」

 隣席のしぶいヒゲ面の男性が聞いてくる。

「賢者殿は、どちらが勝たれると思いますか?」

「僕に聞くわけ? あなたも物好きだなぁ。

 単純な人はゲオルグ。

 大抵のひねくれた人は、ここで異国の男が勝つと予想するだろうね。

 まぁ、でもね。ゲオルグは強いよ。

 トップクラスの戦士の筋肉は硬いというよりも、むしろ柔らかく、まるで馬のようだといわれている。

 僕も触ったことがあるんだけどさ、ゲオルグの筋肉はまるでスライムみたいだったね。実用的な筋肉だといえるだろう」

「では、ゲオルグが勝つとおっしゃるのですか?」

「どうかな。単純にレベル差だけで見たら異国の男に勝ち目がないんだけど、武術の世界に入るとレベルなんてものは一種の体格みたいなもので最終的にはお飾りになってしまうところがあるからね。

 異国の男も並みの人間じゃないし」

「というと?」

「僕もときどき異国の武術書を読み漁ったりするんだ。

 するとね、正中線って言葉がある。

 ある程度の力量の持ち主になると、体に中心軸が通る。

 その中心軸は体の動きを安定させ、ありとあらゆる局面で役に立つときている。

 そりゃそうだよね。

 体がブレなきゃ、右に動かしたのを左に戻すときの反動が少ないから連続で動けたり、自由度があがる。

 その正中線がさ、あの異国の男には通ってるように見えるんだよね。

 そこで、あの異国の男の能力が分からない以上……って思うと思うわけ?」

「で、実際どっちが勝つと思うんです?」

「そりゃもう、ゲオルグっしょ!」

 大賢者シシリは、ゲオルグのファンだった。

 ゲオルグがじりじりと間合いをつめていくと、その体格差が歴然とする。

 大人と子供ほどの違いがある。

 腕にいたっては隆々たる大木と死んだ枯れ木、体格にいたっては道端の小石と登りがいのある山ほどの差がある。

 アウラの差も、また大きさの違いを際立たせる要素となった。

 異国の男はアウラで圧倒されているのである。

 ゲオルグが両腕で振り上げた大剣を落とす。

 瞬間、爆音が解き放たれ、大地を切り裂く。

 砂埃が舞い上がった場所は、異国の男が立っていた場所。

 もはや、跡形もなく消え去った。

 愚直な声が、砂埃の中から聞こえてくる。

「気使無知っ(気の使い方を知らないんだなっ)」

 異国の男は一寸それだけの最小限の距離で体をかわし、大剣の横に小さな手をすえている。

 屈辱を受けたゲオルグは怒り狂い、バーサーカーを発動。

 闘技場に広がったアウラが瞬間的に筋肉に集中していく。

 すぐさま、全身が真っ赤に膨れ上がる。

 異国の男は馴れ馴れしく言う。

「正良々、以降気散無?(それでいいんだよ。これからは気を散漫にするなよ?)」

 ゲオルグの巨大な筋肉が横に開く。

 直後、限界まで筋肥大。

 体中に血管が走る。

 豪腕をうねらせながら、全身全霊、大地をたたききらんと欲するほどの予備動作を込めて、二メートル近くの大剣を横に切りおおせる。

 さりとて予備動作も速く、振り下ろすのも速く、その秒数、一秒以下の出来事。

 異国の男は、倒れる。

 大剣が空気をねじりながら巻き込む。

 異国の男の髪の毛が何十本か切り飛ばされていくのを、異国の男自身が驚くような顔で見ながらかわしていく。

 地面に両手をついて体を翻すと横の間合いに立つ。

 顔にできた切り傷から流れる血を気にもとめずに。

「中強々(なかなか強いな)」

 直後、異国の男はすべての指をぴっちりと揃えていて、一つの手刀を形作っている。

 と思われた瞬間。

 すっと前に出て表情ゆがむ辛辣な顔で、鋭利な手刀を差し出していた。

 突き刺さる瞬間、高密度のアウラが漏れ出し光る。

 手の形は蛇頭のごとく変化。

「竜穴っ」

 振り戻される大剣。

 ほとんど同時の出来事。

 異国の男の手が、すぽっとゲオルグの筋肉の中に入る。

 それと同じくして大剣が到達する。

 間合いが詰まっていたせいで長躯の大剣の刃先ではなく、ゲオルグの豪腕が異国の男の横腹にめり込んでいく。

 刃先には当たっていないとはいえ、男の目から焦点が消える。

 白目となって、吹き飛ばされる異国の男。

 抜き出された手刀は真っ赤に肥大。

 ゲオルグは手の感触を確かめながら声を飛ばす。

「この感触なら終わりです!」

 異国の男は、大理石の壁にたたきつけられ、飲まれてしまった。

 土煙が舞い上がり、その中に消えていく。

 もはや、そこからは声が聞こえてこない。

 ゲオルグはまったく、自分のダメージを気にしていない。

 さしもの槍に一度や二度は刺されたことがあるし、痛みに対して強い。

 手を振り上げ、勝利を宣言する。

 脇腹から、流れ出る濃厚な漆黒の血に気づかずに。

 ぱらぱらとした喝采を受けながら、ゲオルグの顔色がどんどんと青ざめていく。

 大剣を落としてしまった。

 両膝をついて、見上げた先には、異国の男が微笑を浮かべて立っている。

 異国の男はぽっかりと口を開いて、血に塗られた白い歯を見せる。右手で口元の血を拭い、頬から耳元にまで一つの赤い線を引いていく。

「さすがに効いた、横腹の骨、何本いったかな」

 異国の男は突然、王国の言葉で話した。

 その左手に握られているのは、小刻みに脈打つ巨大な肝臓。

「これ、売っちゃっていい?」

「やめてください……」

「ま、肝臓って高く売れるんだよ。金に困ってるから売ることにするわ」

 大陸では、内臓の売り買いは当たり前だった。

 異国の男は胸から皮袋を取り出すと、肝臓からびゅっと飛び出す血を片手で止めながらそれに入れ込んでしまう。

 太いヒモで縛りつけ、胸の中にしまいこんだが、その服が大きく盛り上がっていて何度も痙攣しているのが見えた。

 白い服がじわりと黒く、にじんでいく。

 ゲオルグは、自分の肝臓が締め付けられるような思いだった。

 勝負は終わっていた。

 だが、異国の男は、抵抗力を失ったゲオルグに近づいていくと、奇妙な行動を取り始める。

 胸元から何枚も皮袋を取り出して、丁寧に伸ばしながら地面に置いていくのだ。

 隣の男性は、大賢者シシリに聞く。

「助けなくていいんですか?」

「命をかけると誓ったから、あの場所に立ってるんでしょ? 降参が対戦相手に了承されない限り、終わらないね」

「ファンだと聞いてたんですが、冷たいですね」

「色んな種類のファンがいるもんさ。というか、それにもう、ダメージ的に助からないでしょ?

 まぁ、それにしても興味深い。どっちが勝ってもおかしくなかった勝負。

 もしも、ゲオルグがもっと警戒していたら……まぁ彼が舐めてたフシがあるね。

 さて、余興も終わったし、ふたたび待ち人を探すことにしようかな」

 そういうと大賢者シシリは、立ち上がり小さな手を振る。

 出口のほうへ歩いていった。

 大陸の伝承にある修羅、化け物と見えし異国の男のその細身はコロッセウムの観客を戦慄させていた。すっかり静かにさせて、熱気という熱気を根こそぎ奪っていたのである。

 心臓を取り出すとき、腹を抱えて笑っていたことから、異国の男はこう呼ばれるようになった。

 心臓、と。




 伝崎は情報収集が目的だ、目的なんだ、と。

 自分に言い聞かせながら、うまくて安いと聞いた大衆居酒屋「そこなし酒場」のカウンターで太鼓腹を抱えながら、ゲップをふひふひ繰り返している。

「ひぃーうまかったぜ」

 計4700Gのオーダーだった。

 総資金7万3821G → 6万9121G。

 一ヶ月ぶりのまともな食事に、もう手がつけられなかった。

 一番安い酒、一番安い飯、一番安いおかずを選んだものの、食う量が多いせいでこれだけのコストが掛かってしまったのである。

 伝崎からしたら大損失であり、冷静になったときの後悔は半端ではなかった。

 が、今の伝崎は調子に乗っており、安い酒で顔を赤らめて、まるでそこらの金持ち旦那になったように振舞う。

「飲めや、歌えや」

 といいながら、カウンターの女主人エミリーを困らせる。

 妙齢の味わい深い空気と豊満さと、若い頃はぶいぶい言わしていたであろう言葉遣いと、その赤毛が妙にあっていて、伝崎はもうこの酒場ごと気に入ってしまっていた。

「あんたね、その態度は1万G使ってからにしてくれな」

「いいじゃねーか、いいじゃねーか」

 そんなこんなで、もう注文もろくにせずに踊っていたのである。

 しかし、伝崎は商人として、情報収集を忘れたわけではなかった。

 冒険者たちの依頼は、ここで請け負われたりすること。

 ギルドの存在、武器防具屋、市場、その他数多くの情報をさりげなく聞き出していたのである。

「あんた、その頭の赤いの似合ってるね。それに面白いときてるんだから……もう、一杯奢ったあげる」

 女主人エミリーも伝崎を気に入っているようだった。

「あんた商人だろ? いいこと教えてあげようか?」

 やはり。

 このハチマキは使える。

 伝崎は目を細める。

 目的は、一点にしぼられていた。

「そこでは何でも買えるのさ」

 女主人エミリーは、闇市場の存在を語る。

 十番通りの井戸から十二歩歩いたところにある家の扉の裏口に、地下室へと繋がる回廊があるらしい。

 そもそも女魔王が、どこからゾンビを買っていたのかという疑問があった。

 モンスター商人なんて、闇の中の闇。

 正規のルートで商売をしているとは到底思えない。

 どんな場所にも裏がある。

 裏でしか手に入らないものもあるし、裏でしか安く買えないものもある。

 これから商売をしていく上で、必ず必要な情報だ。

 しかし、なぜこうも呆気なく、知ることができたのか。

 伝崎は知っている。

 日本だって、この世界だって、同じこと。

 ――世間は、贔屓でできている。

 このハチマキには魅力を上げる効果があった。

 人間の魅力だ。

 その魅力によって、商売でも人間関係でも、すべてがすべて変化する。

 それを痛いほどに思い知らされてきた。

 この人になら教えてもいい、という魅力がない人間に、いつまで立っても扉は開かれない。

 平等という名の幻想を叩き殺して、今の今まで生きてきた。

 あのとき以来。

 伝崎は、苦虫をかみつぶしたような顔になる。

 すぐにぱっと笑顔に戻して、陽気に踊り始めながら、居酒屋の状況を洞察していく。

 いろいろな冒険者たちが集まっているものの、安い居酒屋だけあってレベルは知れていた。

 10レベルから20レベル後半ぐらいの人間しかいない。

 しかめっ面の下級騎士、やけに老いさらばえた魔法使い、破戒を行う若い僧侶に、女盗賊までいるときている。

 燃えるような赤毛の戦士にいたっては、おいおいと両腕で顔を隠して泣いている。

「何匹もゾンビが笑ってたんだよ! はじめてみた、あんなの。

 あんなの見たら、逃げるしかねぇじゃねぇかよ……騎士団もオレの話を信じねぇ、ちきしょう。どうしたらいいんだ」

 どこかで見たことがあるような気がするが、見なかったことにする。

 居酒屋の奥の席に、二人。

 異質な雰囲気の者たちがいる。

 さっきまで気づかなかった。

 まるで、アウラが放たれていないのだ。

 とても静かに飲んでいるのだが、見ただけでふっと胸の奥底をつかまれたような感覚があった。

 一人の男は、光が消え失せるほど黒い髪の持ち主。

 服は茶色いシミだらけで、元々は白かったのだろうが茶色い服になっていた。

 洗ってはいるのだろうが、落ちていない感じだ。

 もう一人の男はスキンヘッドで、鋭い目つきの持ち主。

 頭には頭蓋骨の刺繍が事細かに成されていて、見ただけで威圧される。

 上半身裸で、その後姿の筋肉は、やけに締まっていた。

 伝崎は額の第三の目といわれる場所に意識を集中する。

 洞察スキルを発動。

 黒髪の男はレベル38。

 スキンヘッドの男レベル34。

 冷や汗をにじませる。

 どうして、ステータスが分からない?

 女主人はカウンターに肩肘をついて話す。

「ああ、あの二人ね。来たときは大陸から来た異国の人って感じで目立たなかったんだけど……今は有名よ。

 黒髪の男は心臓っていってね、最近、闘技場で16連勝中。

 刺青の男は見た目通り頭蓋骨って言われてて、12連勝中ってところかしら。

 どっちも本名は誰も知らないって話よ」

「興味深いな」

「関わらないほうがいいわよ。あの黒髪の男は闘技場の対戦相手の心臓を取り出したことから、心臓って呼ばれてるんだから」

「また、なんで?」

「売るらしいわ……」

 伝崎は、ポンっと手を叩く。

 そんな儲け方もあったか、と。

 斜め45度の下方向に、伝崎は学んでしまう。

「しかし、なんでアウラが放たれてないのかね?」

「ああ、あれね。大陸の武術を使う者たちをリュウケン使いっていうんだけど、彼らは自分の実力を悟られるのを嫌がられるフシがあるの。

 洞察スキルってあるでしょ?

 あれって相手のアウラから読み取っているのよ。

 アウラの色や形にはその人の人格、能力、さらには職業的な性格まで内包されているの」

「レベルは見えるんだけど」

「どれだけアウラを隠したとしても、見えない程度に微弱なものが放たれているのよ。それでレベルや職業ぐらいまでは分かるってわけ」

「なるほど」

「人間は、みんな大なり小なりアウラを出しているわ。

 ここらでは、そもそもそんな隠す技術なんて今の今まで、あまりになかったのよ。

 だって、隠すよりも出しているほうがいざこざが少ないからね。

 自分が何者なのかって教えておけば、争わなくて済むでしょ?」

「ああー見えてきた」

「つまり、そうよ」

「彼らは争うことを前提にしてるってことか」

 ここらの人間たちからしたら、とてつもなく異質な人間たちなのだろう。

 しかし、伝崎からしたらひどく合理的に見えた。

 だいたい、他人をそんな簡単に信用するのはよくない。

 伝崎は、空になったコップを置く。

「いっちょ、やってみるか」

「えっ?」

 肩の力を抜く。目を細める。

 その場にいるのにその場にいないような感覚になる。

 こんなふうにするのは、何年ぶりだろう。

 いつだって、つきまとう。

 過去の記憶がよみがえる。

 すこしでも。

 その理不尽から逃れるために。

 伝崎の体の周りを覆うアウラが、ゆっくりと静かに小さくなっていく。

 そうして、体表に近づいていくと、薄皮一枚になる。

 次第にアウラが薄く薄く、無くなっていく。

 女主人は目を見開く。

「才能あるリュウケン使いでも、五、六年は高難度の森や山で命をかけて修行が必要だって……あなた商人でしょ? 何があったらそんなことができるようになるの?」

「俺は、小さい頃から強いられてたから……」




『クズが、てめぇにどれだけの金をかけたか記録してんだぞ』

 いつだって酔っていたあの人。

『ゴキブリ伝崎、ゴキブリ真、逃げ足だけしか取り柄がない』

 スピードを身につけた夏の思い出。

『悪いけどお前には優しくできないよ』

 妙に厳しい親友の言い草。

『マコちゃん、賢い人間って云うのはね、失敗しない人間じゃないんだよ?』

 むくむくと太り続ける彼女の言葉。

『彼女がコロコロになったとしても』

 ひとり、自室で頭を抱える。

『それでも生きるしかないから……』




 一時間も訓練すると、伝崎の体からはアウラが放たれなくなった。

 元々身に着けていた技術を基本としただけに、モノにするのは想像以上に早かった。

 居酒屋の中のひとりの客が消え失せて、カウンターには木製の机があるだけになったかのようだった。

 女主人エミリーが聞いてくる。

「あんた、まさか、大陸から来た人かい?」

 伝崎は改まったように話す。

「いえ……」

「いったい、何者なんだい?」

「異世界から来たとしか言えないな」

 女主人エミリーは、ますます興味をもったようで、両肘をカウンターにつきながら、顔を見合わせてきた。

 へぇー服装が変だと思ったら、とか色々とそこから話し込むことになった。

 もう一杯おごってあげるから話を聞かせてよ、といって、コップに酒を汲んでいく。

 アウラが出なくなったその間にも、興味深い異国の二人の会話に耳を傾けていた。

 魔王にぶち込まれた言語魔法のおかげで、彼らが何を話しているのかが分かった。

 心臓と呼ばれている黒髪の男は、天井を見上げて呟く。

「死屍累々思想(殺しまくってると思うんだ)」

「何々?(なにを?)」

「人死失果思議(人間は死ぬとどうなるのかなって)」

「気意無、其時事以食(気にしても意味ないって、そんなことより食え)」

「君飲気、良々(お前は呑気で、良いな)」

「亜亜? 馬拒行(ああ? バカにするなよ)」

 頭蓋骨と呼ばれているスキンヘッドの男は、肉にむしゃぶりつきながらも口調に怒気を込めた。

 心臓はそれに対して、りりしい顔で微笑む。

 いかにも馬鹿にしている態度だ。

 多くの情報を得られたし、ひさしぶりに満腹になった。

 伝崎は満足すると、居酒屋でお会計を済ませることにした。

 手持ちの銀貨から一枚一枚執拗なぐらいに、一枚一枚数えていると、後ろから突然にさえぎられてしまう。

「最近の依頼について聞きたいことがあるのだが」

 横から割って入ってきたのは、頭蓋骨だった。

 近くで見ると、その刺繍の細やかさに驚かされる。

 黒ずみで入れられた線は、頭頂部の隙間から口の歯のならびに至るまで詳細に描かれ、気持ち悪さすら抱いた。

 後ろには、無表情の心臓がいた。

 二人の威圧感から伝崎は一歩後ずさりたくなった。

 しかし、酔っていたせいもあってか気が大きくなっていたので後ずさらなかった。

「先客は俺だが……」

 伝崎はポーカーフェイスで苦言を呈し、カウンターを制する。

 女主人は、すぐに会計を済ませようとする。

 だが。

「最近の依頼について聞きたいことがあるのだが」

 頭蓋骨は、機械的にその言葉を繰り返す。

 場が、凍りつく。

 後ろにいた心臓が、じとりと頭蓋骨の肩に手をかける。

「止々(やめておけ)」

「何両々(なんでだ)」

 伝崎は、また銀貨を執拗なくらいに数え始めた。

 五枚数えたかと思うと、また一から数えなおしている。そして、また五枚数えたかと思うと、一から数えなおすのだ。

 傍から見ると酔っ払いの悪ふざけにしか見えないが、伝崎は大真面目にお金の会計を済ませようとしている。

 酔いも回っていたせいもあって、また伝崎は一から銀貨を数えなおしていく。

 頭蓋骨はこめかみに血管を一本浮かび上がらせ、右手をぎりぎりと握り締めていく。

 その隣で、また伝崎は銀貨を一から数えなおしていくのだ。

 もはや、ケンカを売っているようにしか見えなかった。

 いつの間にか、心臓が伝崎の真後ろにいる。

 心臓の無表情が、伝崎の肩の上。

 右耳の側に完全な無音のまま、突如として出現する。

 伝崎は、泡を吹きそうになった。

 早くしなければ殺されるという直感があった。

 だが、ポーカーフェイスを保ちながら、またお金を数えなおしていくのだ。

「いち、にぃ、さん、しぃ、ごぅ」

 伝崎の体を、冷気がゆっくりと支配していく。

 その状況下において、しまいには依頼についてまで伝崎は聞き出し始めた。

 ひどく酔っていたせいだ。

「ええっと、それはね」

 女主人の説明が始まった。

 冒険者レベル20を一ヶ月間護衛に雇うには、20万G前後が必要だとか。

 一日だけ護衛に雇うならば、レベル20でも1万G前後必要だとか。

 短期の場合は割り増しだな、とか。

 今雇いたいぐらいだな、とか。

 でも勝てる奴いそうにないな、とか伝崎は空々しく考えながら、銀貨を数えていくのである。

 討伐依頼の場合、レベル20の冒険者を雇うとして、数日の遠征でも60万G前後必要だということも判明した。

 別途、成功報酬も必要らしい。

 リスクが高い分、値も張るのだろう。暗殺依頼は、闇ギルドでしか受けてもらえないらしい。

 心臓は、本当に小さく、ふっと息を吐いて笑う。

 小さくしか笑っていないというのに、その秀麗な顔立ちは、ゆがみきっていた。

「お前を殺すのに三秒と掛からないのだが……金を数えるのにあと何秒必要だ?」

 心臓は、淡々と、ささやく。

 頭蓋骨は、自らのアウラをもはや隠しきれず、とげとげしい殺気を背中から放っている。

 右手には、吸引力のある赤黒いアウラを凝縮していく。

 伝崎は何食わぬ顔で言う。

「上等じゃねぇか……二秒」

「なんつった?」

「二秒」

 もはや、事態は収拾がつかなくなっていた。


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