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死力

『死んでいたのに蘇った。なくなっていたのに見つかった』

(『シシリの転生論』の第七章の一節)




「まだ終わってねぇ……終わってねぇ」

 頭蓋骨がうつむきながらぶつぶつと言っている。

 その体の傷はすでに三つほどになっていた。

 右横腹に大きな傷が斜めにひとつ、左肩に中くらいの傷が横一線にひとつ、右腕に小さめの傷がひとつ。

 筋肉を引き締め盛り上がらせることで傷口を小さくし、出血を抑えている。

 しかし、そのどれも完璧には血を止めることができず、じわりじわりと血があふれ出ていた。

 その血が中山服を緑色に汚し、足元にまでしたたっている。

 それでも出血多量で動けなくなるほどではなかった。

「終わってねぇ……」

 もっとダメージを受ければ、違うかもしれなかったが。

「これからだろうが!」

 頭蓋骨は顔を上げて叫ぶと、両脇に拳を引いて足を大きく構える。

 伝崎はゆらりと左手をぶら下げながら、ギアス・ガントレットを確かめるように握る。

 間合いは十歩手前、数メートルほどあった。

 ――二人の思惑が交錯する。

 頭蓋骨は自らの拳をにらみつけて。

(たった一発だ。たった一発当てられればいい。それで俺の勝ちだ!)

 伝崎は冷静な表情でナイフを確かめるように見て。

(あと二、三回、このナイフを深く入れればいい。鍛えてるとはいえ、すぐに限界が来るだろ)

 ――成人男性はその全血液の二分の一。およそ2Lの血液を失うと確実に死亡する。

 ただし、1Lの血液を失った時点で人体のありとあらゆる部位の機能が低下し始め、体温の低下、意識の混濁、視力の低下、など様々な症状をきたし、2Lの出血に至る前に死亡することは珍しくない。

 頭蓋骨は、すでに三つの傷口から150ml近くの血液を流していた。

 伝崎の推定通り、あと二、三回大きな傷を負った場合、戦闘不能に陥るのは時間の問題になる。

 頭蓋骨が、肩よりも上に足を上げて地面を踏みつけようとする。

 その脳裏には、心臓の言葉があった。

 ――あいつの隙は、踏み込みの終わり。

 的確に、伝崎の弱点を指摘するその言葉。

 ――足を継ぎ足すときに止まる癖がある。

(そこを狙う!)

 頭蓋骨が足を振り下すと、地面に小さなクレーターが生まれる。

 その力を利用して、左拳を前に構えながら突っ込み始める。

 敏捷S-。

 そのスピードは伝崎に一回り劣るとはいえ、並みのスピードでは無かった。

 踏み込み始めた瞬間。

 ガン、という音がなってから、すぐに目の前の視界にめり込むように入っていた。

 その勢いのままに殴りつけようと間合いを殺す。

 伝崎はそれを見つめたまま、セシルズナイフを逆手に構えている。

 頭蓋骨は、左の前拳を最短最速で突き出す。

 それは騙しの一手だった。

 伝崎がつられて即座にバックステップを決めると。

 頭蓋骨は追いすがり続ける。その一歩が終わる瞬間を見届けようとして。

 二人の背景は、超高速で闘技場の中央から端の方にまで変わっていく。

 伝崎のほうが明らかに早くその距離が伸びていくが。

 頭蓋骨は、目を鋭く細めて悪魔的な微笑を浮かべる。

「死にさらせや」

 予想した着地点に、拳を突き出す。

「なっ」

 伝崎は、カクンっと止まることなく遠くへ移動していく。

 手の届かないところに。

 地面を滑るかのように信じられないぐらいに長い一歩を踏んでいた。

 その足の靴から迫り上げられる風で、流れるようにして間合いをコントロールしながら距離を空けることに成功していたのだ。

 一歩が長すぎた。

 その隙が、装備で克服されていた。

「ふ、ふざけんな!」

 やけくそ気味に頭蓋骨が突っ込んでいく。

 伝崎は、まるで待ち受けるようにその場に留まっている。

 頭蓋骨が拳の届くところまで来る。

 二人は一瞬の間に、にらみあう。

 ぼっという空気を潰す音がして、右拳が突き出される。

 音と拳が同時に迫る

 伝崎は後ろに倒れながら、セシルズナイフを上に切り上げていた。

 体は瞬間的に後ろに飛び去っており、ナイフが差し出された場所自体もすでに変わるほどだった。

 さっきいた場所に。

 頭蓋骨の拳が何百と宙をかすめていく。

 伝崎は三歩近くの間合いを維持しながら下がりつつ、心の中で指折り数える。

(あと一、二回ぐらいか)

 頭蓋骨の右手首から血が空に向かって噴き出し始めた。

「ってぇ」

 頭蓋骨は苦々しい顔になると左手で右手首を抑えながら、それでも前進することをやめずに、足を高速で回転させて前へ前へと迫っていく。

 また、伝崎は立ち止まった。

 待ち伏せ。

 セシルズナイフを逆手に構えながら、その動きを冷静に、しっかりと見つめるようにする。

 頭蓋骨は高速で走りながら、その頭に「!」を浮かべる。

(見えたぞっ!)

 その豊富な格闘経験から何か答えを手繰り寄せる。

 頭蓋骨はなりふり構わず移動しながら、左手首の傷口から出てくる血を見つめて。

 口に含む。

 二人の距離が詰まる。

 伝崎が、そのナイフを先に振るおうとすると。

(そこ!)

 頭蓋骨が口から噴出させた。

 伝崎は「あっ」という顔をして、とっさに横に体を倒す。

 頭蓋骨が横にその噴出を広げていく。

 口からまるで炎を吐くかのように勢いよく噴出した毒液の部分だけ、リーチが伸びていく。

 伝崎の体は横に移動しているが、まるでひっついているかのように側に毒液があり続ける。

 その大半からは逃れることに成功するが。

 しぶきの中から八滴の毒が先行的にせり出してきた。

「っ」

 世界が、止まって見えた。

 事故の直前など死の危機に瀕したとき、人はすべてがスローモーションに見えることがあるという。

 ――たった一滴、それで終わる世界。

 伝崎は、見切りBを発動。

 その目の奥がきらりと光る。

 見切りDだったときは、結果の点だけが見えた。

 見切りCになったときは、線が見えた。

 今、見切りBのその目で見た。

 明確な立体感をもって白い線の軌道を描きながら迫ってくるのが見える。

 八滴近くの粒がしぶきの中から弧を描いて飛び出しており、液体独特の柔らかい丸みを帯びながら飛び散っていくのだ。

 一滴は、伝崎の左肩をかすめる軌道を描く。

 三滴は、横並びに右頬へ向かってくる。

 二滴は、額に。

 一滴は、鼻先に。

 もう一滴は、唇に。

 あまりにも拡散しすぎていて。

 伝崎は、左手のギアス・ガントレットを顔の前に振るう。

 銀色がきらめく。

 器用S。

 ガントレットの人差し指で、ぎりぎり右端の頬の一滴を針の先を通すように突き止めて。

 中指で、はみ出す額の一滴を、薬指でもう一滴を。

 さらに手の平で残りの頬と鼻先と唇の四滴をすべて受け流した。

 ガントレットが燃えるように白く輝く。

 直後、振り払った毒液を、白い光ではじき落としていた。

 緑色の点という点は、地面にすべて落ちた。

 内ポケットにいた妖精の女の子が効果を発動したためか円形の白い光を解き放っている。

 妖精の女の子が叫ぶ。

「意味無しっ!」

 伝崎は「はぁっはぁ」と息を上げながら、後ろに下がっていく。

 顔には、一滴の毒も掛かっていなかった。

 無傷の顔のままだった。

 その顔には、代わりに汗の粒がひとつふたつと浮かび上がっていく。

 観客席で、どっと波が競り上がるように声が上がる。

 次に驚嘆にも似た拍手が起こる。あまりにもおかしくて、まばらに笑いみたいなものも起こっている。

「なんとか……」

 器用さ、見切り、ガントレット、運、タイミング。

 すべてが噛み合うことによって成された。

 奇跡的な回避だった。

 もう一度、同じことをしろと言われてもできないレベルだった。

 その様を見つめる頭蓋骨はあっけにとられた表情で、手を前に突き出しながらもその場から動けない。

 なにをしても。

 今の伝崎には効かない、と。

 そんなふうに思い知らされた頭蓋骨は。

「だぁあああああ」

 頭蓋骨が赤子のように両手を上げて、爆発的に赤黒いアウラを放つ。

 体中から上空めがけて、燃え上るようにアウラが解き放たれていく。

 頭蓋骨はそのまま筋肉を驚異的なまでに肥大化させる。

 一回り、二回り、三回り、もはや別人と言っても過言ではないほどの体格になっていく。

 体中の鱗が、めりめりと地面に落ちていく。

「てめぇええ!」

 両拳を胸の前で握りながら前のめりに突っ込んでくる。

 洞察スキルを発動すると、全ステータスが一段階向上したのが見て取れた。

 耐久だけが二段階下がっていた。

 全力で、こちらに突っ込んでくる。

 伝崎は目を見開きながら、その様子を確かめつつ後ろに下がっていく。

 頭蓋骨はほとんど防御すらせずに前へ前へと迫る。

 限界点を超えて。

 乱暴に放たれる拳の数々が目の前を埋め尽くす。

 伝崎はそれを右に左にかわしながら考える。

 頭蓋骨が。

 ――命を賭けてきた。

 勢いが激しくなって、顔面手前にまで迫ってくる場面が多発する。

 そのたびに伝崎は後ろへ本気のバックステップを踏む。

 段違いに早く感じる。

 このステータスの土壇場の向上。

 ――なぜ、こういった現象が起きたのか?

 それは明白だった。

 逃げ場を失った人間が決死の覚悟を決めて、通常では考えられない火事場の力を発揮することがある。

 窮鼠猫きゅうそねこを噛む、という言葉がある。

 孫子兵法でも「味方を死地に追い込め」という記述がみられるのはこのためである。

 伝崎がすべてにおいて上回っていたために、頭蓋骨は命を捨てる覚悟を決めることができた。

 しかし。

 伝崎が後ろに体を流していくと、頭蓋骨は野犬のように追いかける。

 追いかけて追いかけて、拳を雨のように放つ。

 それでも、その攻撃は一つも当てることができていない。

 あまりにも早すぎるやり取りであり、会場の人間たちには一瞬二人が浮かび上がったと思ったら消える。

 また浮かび上がったと思ったら消える。

 その繰り返しにしか見えなかった。

 たとえ火事場の馬鹿力を発揮しても、今の伝崎にはスピード面で負けていた。

 なのに。

「はっは」

 頭蓋骨はなぜか楽しそうに毒液を口に含んでから吐く。

 伝崎は攻撃を加えずに、見計らったようにうまく距離を取って前に左に転びながら回避を成功させていく。

 試合を支配しているのは、伝崎だった。

 だが、伝崎は考える。

(このままじゃダメだ。攻撃しなければ終わらない。放っておけばもっと厄介になるだろ)

 回避に専念することによって、すべてをかわすことができていたが。

 防御だけでは相手の勢いが増していくだけだった。

 伝崎は、ひたすら右に左に攻撃をかわしながら、頭蓋骨の無数の拳の中に攻撃ポイントを探り続ける。

 頭蓋骨は必死に追いすがりながらも。

(お前の勝ちだよ! ここまで完全に負けると逆に笑えてくるんだな)

 あきらめていた。

 それによって導き出した動き。

 頭蓋骨は右拳を顔の前に引いてから、投げやりともいえる形で大げさに突き出す。

 隙だらけの攻撃。

 伝崎は、はたと目を見開く。

(あと一発で終わらせる……)

 伝崎はここぞとばかりに立ち止まってナイフを強振する。

 頭蓋骨が笑う。突然、攻撃をやめて十字架のように両腕を開いた。

「うらあっ」

 全身の傷口が一気に開く。

 リュウケン使い独特の身体操作によって、傷口を閉じることもできれば「開く」ことも可能だった。

 筋肉を自在にコントロールし、血液の流れを逆流させた。

 まるで噴火するかのように、全身から毒液を解き放つ。

 伝崎は攻撃中のせいで一瞬遅れてから、とっさに後ろに体を倒そうとするが。

 あまりにも距離が近すぎた。

 伝崎の全身にそれが襲ってくる。

 最速で片足を地面に突きつつ、左手のガントレットを全身全霊で振るう。

 頭蓋骨は、すべての力を失ったように大の字に倒れた。

「はははっは……楽しかったぜ」

 頭蓋骨の周り数メートルには、ありとあらゆる形で毒が染みわたっていく。

「完敗だわ……お前の……方が強いってことを認めてやる……けどな結果はこれ」

 空を見上げながら達成感に満ちたように話す。

「この出血量だ……俺はもうすぐ死ぬ……でもな」

 もはや目が見えなくなっているようで、瞳の焦点が定まっていなかった。

「引き分けだな……先に待ってるぜ」




「ぐ……」

 伝崎は両手を地面について、耳や口から血を吐き出しながら痙攣していた。

 壊れたテープレコードみたいにガクガクと震えて、頭を上下させている。

 目からも血が出てきて、ぼたぼたとしたたり落ちていく。

 まるで血の涙を流すみたいになっている。

 あまりにも異様な、毒以外ではありえない症状だった。

 顔には毒は掛かっていなかった。

 しかし、ナイフを持っていた右手の甲に毒が数滴掛かってしまっていた。

 じゅーという音を立てて、右手の甲から蒸気が上がっていく。

「ぐぁ……あ」

 セシルズナイフを持つ手がゆるまった。

「っ……」

 その手からナイフがあっけなく落ちて地面に突き刺さった。




 ただの洞窟の一番奥の部屋。

 小悪魔のリリンが水晶の前に顔を近づけて叫ぶ。

「そんな!」

 女魔王は目を細めて沈黙を守っていた。

「……」




 闘技場は、予想外の出来事に騒然としていた。

「こんなことあんのかよ……」

「まさかの引き分け!?」

 みな一様に信じられないといったふうで隣の人間と話をしている。

 顔を見合わせたり、首を傾げたり。

 竜覇祭はじまって以来の、とんでもない決着だという者もいた。

 強戦士ストロガノフは二つの席を陣取りながら気の抜けた声を出して。

「あーあ、つまんねぇの」

 ぶらぶらと両手を開いて首を振っている。

 賢者ユクテスは目を丸くしながらも沈黙を守っていた。

 その沈黙の隣で。

「当然、当然……当然だから……」

 ナコ姫は両拳を握って、軽く腰を浮かせそうになるのを耐えながら声を張る。

「私の予想した通り!」

 変に高くなった声でそう言った。

 しかし、ナコ姫は自分の中に別の感情を見出していた。

 ――胸がほのかに痛い。

 なぜかあの男が倒れたことに対して、一抹の寂しさみたいなものを覚えていた。




 大賢者シシリは、観客席に座りながら当たり前のように言う。

「ふーん、やっぱりこうなったか」

「あれ、ホント辛いんだよねー」

 誰かが合いの手を入れるように言った。

 いつの間にかその隣に座っていたのは。

 真っ赤な手袋が目立つ、灰色の髪の女。

 ――トリックスターのタルデだ。

 頭蓋骨の毒で死にかけていたはずだが、なぜか平然と隣に座っていた。

 彼女は灰色の髪を耳にかきあげて、伝崎の様子を見ながら「うんうん、辛い辛い」とうなづいている。

 健康そうなツヤツヤした白い肌で、頬も桃色に近く血色がよかった。

 ――すでに、毒は治っていた。

 大賢者シシリは、頭蓋骨の毒を治す方法を知っている。

 トリックスターのタルデは、同じ経験をした者として感情移入し始めたのか徐々に心配そうな顔になりながら。

「あのさ、あいつを」

 しかし。

 大賢者シシリは首を振りながら、いつもの癖のように聞かれてもいないのに独り言を始める。

「僕は助けないよ。ゲオルグのときだってそうだったし、これからもそう。

 僕はあくまで闘技場の戦いを楽しむ一ファンなんだから。

 それに、あの無職を助けるなら頭蓋骨も助けないとね。

 一方だけ助けるのはおかしいと思わないかい? 不平等だと思わないかい?

 闘技場ではそんな都合の良いことはないわけだよ。お互いに命をかけた結果なわけだ。

 何より良い感じで力を尽くした戦いの結果だよ? それを無に帰すなんて野暮、僕にはできないね」

 治す方法を知っているが、伝崎を助けるつもりなど無かった。

 タルデを助けたのは、可愛い後輩の絶対魔術師ヤナイに頼まれたからだった。

 あくまで例外。

 しかし、唯一頼むことができるその絶対魔術師ヤナイの行方は。


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