狂態
影忍リョウガは、闘技場近くの家の屋根から二人のやり取りを聞いていた。
短刀の取っ手に手を掛け、いつでも動けるように前傾姿勢になっている。
「そもそもお前、なんでレイシアに質問したんだ?」
伝崎はあえて問う。
「……」
ソノヤマは黙る。
レイシアは伝崎の背中でうなだれていた。
ほとんど意識がないようだが、呼吸はあった。
どうやら重傷ではあるが、致命傷を受けているわけでは無さそうだった。
伝崎は確認するように聞き直す。
「いや、普通に復讐遂げるだけだった問答無用で殺せばいいだけだよな?
何かを聞いたからって満足できる答えを得られると思うのか?
すげぇ不毛なことしてるなって思うんだ」
「……聞きたいのは」
ソノヤマがそう言いかけるが。
伝崎は首を振って、さえぎった。
「いや、違うな」
その続きは本音ではなく、必ず嘘になるとわかっていたからだ。
伝崎は核心を突くように言う。
「俺が問いたいのは、そんな不毛なことをなんで始めようとしたかってことなんだよ」
「………」
ソノヤマは何も言わなかった。
ただただ赤い槍を差し向けながら低く構えていた。
「満足できんのか?」
「……!」
「今まで復讐のために修練とか積み重ねてきたんだろ?
わかる。復讐するやつってそれで頭がいっぱいになって死にもの狂いで努力をするわけだ。
お前が強いのもそういうわけだろ? エリカの元にいたのもそのためだろ?
わざわざ従者までしてた」
ソノヤマから、赤い槍はいまだに差し向けられている。
伝崎はそんなこと気にせずに続ける。
「ところが、こんな呆気ない形で復讐を遂げられることになったわけだ。
すげぇ複雑だよな。達成感なんてゼロだろ?
今までの何の修練も努力も生かされないわけだもんな。
だから、その虚しさを補うために不毛だって分かってても質問してしまったんだろ」
ソノヤマは赤い槍を構えつつも、白面に片手を当ててその目の表情を隠した。
「……」
「俺が用意してやるよ」
「なんだと?」
「お前が満足できるような舞台をな。こいつと完全決着つけさせてやる。
少なくともそれは今じゃないと思うな」
こんなふうに弱ったやつを殺しても満足なんかできないだろう、と。
一対一ですべてを出し尽して戦えたら、そのとき勝っても負けても満足できる。
――それで勝ったら、生きていける。
と、伝崎は思っていた。
こんな形では、未来は無いとだけは言い切れた。
これから生きていくためには後腐れの無い完全決着がいい。
完全に満足できさえすれば過去のこととして忘れられる。
それがベストだ。
ソノヤマはその話を聞いても、赤い槍を相変わらず構えている。
構えていたが、すーっと建物の陰に溶け込むようにその場から姿を消した。
「くっ……」
レイシアは、宿屋のベットの上で目を覚ました。
窓からは闘技場が見える。まだそんなに時間が経ってないようだった。
ベットの周りには上級騎士が数名控えていた。
「レイシア様、ご無事ですか?」
その問いに対して、答えようとするが言葉に詰まる。
レイシアは背中の激痛に耐えながら、やっとのことで言う。
「問題、ない……」
問題ないわけがなかった。
今はハサミの鎧を着ていないために、ウソをついても大丈夫だった。
――こんな姿。
部下たちには見られたくなかった。
体中ボロボロで、騎士服は乾いた血にまみれている。
背中の骨は折れていないが、内臓に大きなダメージがあるのだろう。
腹を押さえて、うつむきたくなる。
すでに手当てをしてくれたのか、腰には包帯が巻かれていた。
重傷だったが、命に別状は無いと経験から分かった。
「外してくれっ」
上級騎士たちは「御意」とだけ言うと、そそくさと部屋から出ていった。
レイシアはベットに拳を叩きつける。
「貴様は私の何なのだっ。なぜ命を助けた?!」
伝崎のことだった。
――友人だ。
「違う! 私は貴様を監視していただけだ。
貴様を殺すかもしれなかった人間だっ」
――すこしでもまともに話したことがある人間は友人だと思うたちでな。
「まともに話した? まともになんかっ」
そこからの記憶は無かった。
ただただ、プライドがズタズタだった。
レイシアは両手で顔を覆う。
「あんな無職にっ」
王宮に仕える白騎士が、そこらの浮浪者に救われたとあっては面目が立たなかった。
ただ、それだけで死にたくなるほど恥ずかしいことだった。
レイシアは恥ずかしさで顔を真っ赤にしながら首を振る。
でも、当たり前のように差し出された手を見たとき。
胸が締め付けられる。
「あんな無職に……」
どうして、それを見たときに嬉しい気持ちがあったのだろう。
屈辱の中に、何か別の感情があったのか。
「――違う」
考えるべきことは一つ。
無職に背負われ、こうして生きながらえたこの命。
その使い方だけだ。
「絶対にアベルを見つけ出す」
そのことだけを考えるのだ。
あの男はもはや関係が無い。
しかし。
頭から離れなかった。
――友人だ。
その声を思い出す。
なぜ、気になるのだろう。
――命の恩人だからか?
何か、もっと違うものを感じる。
レイシアはとっさに自分の胸を押さえつけた。
「あの男は……どうでもいい。そうだ、あの男は何の関係もなかったのだ」
そう遠くないうちに。
ただの洞窟でレイシアと伝崎が出会うことになるのだが。
それはまた先の話。
「伝崎ぃ、お前さんなんで助けたんだ? らしくねぇぞぉ」
妖精のオッサンが聞いてきた。
伝崎は闘技場の一室の壁にもたれながら言い切る。
「信用だ」
そして、続ける。
「二人に恩を売っておけば一石二鳥だろ」
そう言いながらも、伝崎は自己矛盾を感じていた。
――本当にそうか?
二人して、さっさと潰し合わせたほうが得じゃなかったのか。
なぜ、自分は二人を助けようと思ったのだろうか。
――いいや、あの女はウソをつけない。
だから、最高の友人になると思っただけだ。
「一流の商人ってのは案外と友人を大切にするもんだからな」
第三回戦、頭蓋骨(リュウケン使い)VSシーサ(ソードマスター)の対決が始まっていた。
「切ってみろよ」
頭蓋骨はすでに変身しており、竜の姿で両腕を組みながら言う。
ソードマスターのシーサは、全身を黒装束に身を包んでいた。
しかし、黒装束を開くと、その内側にありとあらゆる西の剣から東の剣に至るまで何もかもすべてが何百本とその服に備えられていたのだ。
ソードマスターのシーサは、その剣を見ていきながら。
「お前が生身で耐えられる剣など無さそうだが……」
「いいから早く切ってみろって」
ソードマスターは一本の紅く鋭利な反りのある剣を取り出して構える。
頭蓋骨は聞いた。
「威力は?」
「1000はある」
「だめだな」
「なに?」
「今、お前が持ってる最高の剣で切りつけてみろよ。一発チャンスをくれてやるってんだ」
ソードマスターの男は見るからに眉をひそめて表情を変えた。
怒りを帯びているのがわかった。
ソードマスターは背中から剣をしなやかな手つきで引き抜いていく。
「これは、5000以上はある。本当に受けるというのだな?」
引き出されたのは、刀だった。
観客席の伝崎は驚く。
ほとんど日本刀と言っても過言ではない形状をしていた。
本当にちゃんと鍛えられたであろう刀身には美しい輝きがあった。
いくつもまばらな半円を描いて、そこから鋭利さを強調するように刃先を細めていた。
しかし、日本刀とは決定的に違う、すさまじい紫色の光を解き放っていた。
「……ああ、いいぜ」
ソードマスターは了承を確認すると、すぐさま踏み込む。
その刀が振り下ろされると。
頭蓋骨は突っ立ったまま腕を掲げて、全力で気のガードを凝縮していた。
鱗が盛り上がる。
そのまま受けるだけでは耐えきれないことは明らかで、気のガードを使いさらに防御力を向上させたのだ。
刀は、その腕に打ち止められた。
ソードマスターはゆらゆらと下がる。
刃先が欠けて飛んでいった。
「そんなバカな……」
頭蓋骨の鱗に、傷がついていた。
前腕に赤い線が入っている。
深さにして一センチぐらいだろうか。
すぐに血がじわりと浮かぶ。浅い傷だった。
「やるじゃねぇか……」
頭蓋骨は、筋肉を引き締める。
傷口から一瞬だけ血が噴き出すが、すぐに止まった。
――リュウケン使いは、筋肉を締めることである程度の傷なら出血を抑えることができる。
筋肉を締めたり緩めたり、この単純な操作で傷口の開きを変化させられるのだ。
頭蓋骨は、言う。
「じゃあ、次は俺の番な」
頭蓋骨が一瞬で接近すると、後ずさるソードマスターの腹に手を差し入れた。
ソードマスターは目が点になった。
頭蓋骨が腹から手を引き出すと、人体で最も長い臓器が大量の血と共にあふれ出した。
「くっははははははっははは」
頭蓋骨は嬉しそうに小腸を引っ張り上げながら。
「伝崎ぃいい!! 選ばせてやってもいいぜ!」
観客席を見ながら叫ぶ。
内臓をえぐり出されて死ぬか、毒で三日三晩苦しんで死ぬか。
この二択を選ばせてくれるということだろう。
伝崎は軽く引きながら観客席で言う。
「余計なお世話なんすけど……」
頭蓋骨の狂態を見て。
賢者ユクテスは、とっさにナコ姫の顔を覆い隠そうとするが。
「姫様、見てはいけませぬ」
「よい」
ナコ姫はそれを真っ直ぐに見据えながら、まったく表情一つ変えていなかった。
伝崎(無職)VSペンタ(鍛冶屋)
二人は闘技場の中央でにらみ合っている。
戦いの合図は下りていた。
「ワイの装甲はどえらい固いでっせ」
伝崎の対戦相手である鍛冶屋のペンタは、ものすごい重装備に身を包んでいた。
肩の横幅が二倍に見える青みがかった鎧。
黄金の角が生えた重厚な完全兜。
両手には一撃で屠るための大きな斧があった。
何よりペンタはものすごい大男でありながら、つぶらな瞳が兜の隙間から見えた。
彼が竜覇祭に参加したのは打ちたい業物があり、その材料代を手に入れるためだったが。
伝崎は胸元からセシルズナイフを取り出して、その刀身を見せながら言う。
「なぁ、鍛冶屋なら分かるだろ?」
「ひっ」
ペンタはガタガタと震えながら膝をつき、両手を合わせて命乞いをする。
伝崎はうなづき、それを受け入れた。
戸惑いながら審判が伝崎の手を挙げる。
孫子兵法の理想のように、戦わずして勝ってしまった。
真紅のセシルズナイフが大衆の前にさらされている。
それは予言のナイフと瓜二つだったが。
この場のほとんど誰もが理解できない決着に、闘技場が静まり返っていた。
賢者ユクテス(←予言を知らない。途中で仕官したため)は、「これは……」と不思議そうに頭をかしげる。
ナコ姫(←予言を知らない。国家機密のため聞かされてない)は、それでも表情一つ変えていない。
白騎士レイシア(←予言を知っている。しかし、宿屋で療養中)
宮廷魔術師ドネア(←予言を知っている。忙しくて竜覇祭に来ていない)
大賢者シシリだけが、「ふーん」と言いながらこの状況のすべてをなんとなく知っていた。
トーナメント表はさらに進行した。
「決勝戦までストロガノフが勝ち上がる予想は分かりましたが……
では、その相手として勝ち上がってくるのは誰だと思われますか?」
賢者ユクテスは、少々ながらあの無職の男が気になりつつあった。
それに対して。
ナコ姫が、ぽつり。
「頭蓋骨」
「と言われますと?」
「あの無職は頭蓋骨の毒で死ぬ」
「しかし、必ず毒が当たると決まったわけではないのでは?」
ナコ姫は壊れた人形のようにカクカクと手を左右に振って繰り返す。
「避けられない、避けられない」
「伝崎ぃ、今のお前なら頭蓋骨なんて余裕だろ? 余裕も余裕だろぉ」
妖精のオッサンがそう話すが、伝崎は闘技場の観客席で黙っていた。
少ししてから、思い立ったように言った。
「いや、あいつとは死闘になる……」
「なにぃ?」
「たった一発貰っただけで内臓をえぐり出されるんだぜ。どうして余裕があるって言える?」
「確かにそうだがよぉ、こっちがスピードが上だろぉ?」
伝崎は左手にはめられている銀色のガントレットを見つめる。
「飛び散る毒を防げるのがこのガントレットだけなんだ」
だからこそ、考えていることがある。
「今の俺とあいつは、あくまで五分五分」
ほんの「ラッキー」ひとつで展開が覆ってしまうほど。
実力が拮抗していた。
頭蓋骨のほうが戦闘経験が明らかに豊富。
地力が同じであればあるほど、ほんのちょっとのつばぜり合いの差で変な負け方をしかねない。
その戦闘経験の差で、「押し切られてしまう」かもしれない。
伝崎はセシルズナイフをぎりりと握り込む。
「ぶっちゃけ頭蓋骨に勝てるかどうか分かんねぇ。
どっちも決定打を持ってるわけだよな。
頭蓋骨は毒と手、俺はこのナイフ」
風の靴を手に入れたことでスピードはこちらが上になった。
だが、カウンター気味に飛んでくる毒がある。
それは必然。
実際の攻防で言えること。
「都合の良いことなんてひとつも起きない。ただ現実があるだけだ」
死力を尽くして、はじめて勝てるかどうか。
そんな戦いが待ってる。
突然、その思考を止める声が聞こえた。
「よぉお」
頭蓋骨が隣に座った。
体中、生々しく血みどろだったが、まるで気にするそぶりも見せずにいる。
妖精のオッサンがポケットに頭を突っ込みながら、「ひぃーー」と言っている。
他の客たちも恐れおののいていた。
「お前のクソナイフ、ちったぁ変わったみたいだが、俺の鱗はやれねぇよ。
バキバキに折ってやっから。そこから絶望した状態で、ひたすら拷問してやる。
楽しみにしてろよ」
妖精のオッサンは、ここぞとばかりにほくそえむ。「必ず見返してやるぜぇ」と小さな声で言いながら。
血まみれの頭蓋骨に今、ちょっと触れたら毒で死んでしまうかもしれない。
対戦相手から浴びた血の中に、頭蓋骨の毒が混じってるかもしれなかった。
しかし、伝崎は冷静だった。
――こいつは舞台を選ぶ。
ここで攻撃するのは、その誇りとメンツを重んじる性格が許さないだろう。
舞台は整っているのだ。あえて攻撃する必要も無い。
伝崎は、言葉を返した。
「どうかな、そっちこそ楽しみにしといてくれ……それより」
伝崎は闘技場の方を指差して。
「なぁ頭蓋骨、次の戦いどうなるか予想してくれよ? 心臓が勝つと思うか?」
「心臓が勝つ」
「なぜ、そう言い切れる?」
「練習の組み手をするに際して、必ず俺は変身する。
しかし、心臓は変身しない。
前に金的を当てることができたが、それは俺だけが変身していたからだ。
いつもいつもどんな相手にも力を隠すために手加減してんだ」
「へぇー、お前よりも強かったりするのか」
「悔しいが、腐っても心臓だ。だがな、ここ1年変身したところを見たことが無い。だから、イライラしてんだよ」
「お前の兄貴は、次の戦いを変身した状態から始めるだろうな」
リュウケン使い独特の「変身」能力。
そこにこそ、この戦いの流れを決定づける要素があると踏んだ。
「……」
頭蓋骨は黙っていたが、伝崎は付け足すように言った。
「ストロガノフは変身しなきゃやれない相手だからな」
初手で威圧スキルを喰らったら成す術もなく敗れることになる。
だからこそ、変身しておいて速攻で全力を尽くさなければならないだろう。
突然、歓声が上がり始めた。
闘技場の中央の門が開き始め、それを固唾をのんで見守る。
徐々に、心臓が出てくる道が見えてくる。
門から出てきたのは。
伝崎はそれを見て。
「って……」