プラス思考
ヤナイから差し出された魔法使い見習いのローブ。
それを目撃した伝崎が、超高速で考えていたことは。
今、目の前にしている人間は、国家レベルの戦争をたった二人で覆したそのパーティメンバーの一人。黄金のアウラを放ち、まるで聖人のような風格を兼ね備えながら、絶対的な力を保持している。
この世界の象徴的、最強。
もしも魔法使い見習いを殺したことを悟られたら……どうなるか。
その迫力に飲まれてしまったが最後、絶対にこの状況を覆すことことなどできない。
だが。
伝崎は、0,1秒の時間を3つほど重ねた時点で。
――ヤナイ、確かにお前はすげぇよ。
その動作を終えていた。
ポーカーフェイス。
伝崎は鉄の表情を作ると、一切の動揺を顔から封じていた。
泡を吹きそうになる自分を完全に抑え込んだのだ。
ただ一言、伝崎は抑揚のない声でその魔法使いの見習いローブを見つめながら言った。
「悪いが知らないな……」
乗り越えてきた場数の「種類」が違う。
日本社会では、どんだけ嫌なことがあっても表情に出さないように自然と訓練されるんだ。
会社との取引でも飲食店経営でも、同じこと。
伝崎は、微動だにしない表情を維持しながら。
――すこし、不自然にも見えるほどか……?
ヤナイは黙る。
黙り続ける。
完全な無表情のままで。
ふっと、口を開くと。
「……知らないですか」
微妙に含みを持たせた言い方のようにも聞こえる。
いや。
この異常な緊張感が、印象をゆがめてるだけだ。
ヤナイは、にっこりと微笑んだ。
本当に気づいてない、と伝崎は思った。
「お答えくださり、ありがとうございます」
そう言うと、ヤナイは頭をゆっくりと下げた。
伝崎は「じゃあな」と手を上げて、そこから背を向けて歩き始めた。
呼び止める声はしなかった。
ヤナイは、一層細めた目でその背中に視線を送り続けた。
「ひぃー、災難だったなぁ。オイさん危うく王都ごと消されるかと思ったぞぉ」
妖精のオッサンが肩の上で胸をなでおろした。
尾行されていないか何度も何度も後ろを確認しながら、相当離れた王都の片隅にまで来ていた。どうやら後ろには誰も付いてきていない様子だった。
妖精のオッサンは、周りをまた確認してから息を吐き出して。
「しっかし、運が悪いぜぇ。あんなのとばったり会うなんてなぁ」
妖精の女の子は、「なんなのよ、もう」と言ってポケットでうずくまっていた。
伝崎は、かっははははっはっは、と高笑いを上げながら言う。
「めちゃくちゃ運が良い!」
「っ?」
「俺たちはすごい運がある」
「どういうことだぁ?」
「いいからいいから」
そう言って、伝崎は相当な早足で隠れ階段を通って地下都市に入る。
すぐさまブラックマーケットを抜けていって、ある場所にたどり着く。
露店の店先には、赤鼻の商人ベンジャミンが相変わらず、売れもしない機械兵の前で客を呼び止めようとしていた。
伝崎はまったく動かない機械兵(札には値段553万G)の前で立ち止まると、それをしげしげと見つめて言った。
「これを買う!」
「へっ?」
商人ベンジャミンは間抜けな声を上げた。
妖精のオッサンも訳が分からないといった感じでその様子を見ていた。
ただの洞窟の前に機械兵を運び置くと、商人ベンジャミンは改めて聞いてくる。
「本当にいいんですかねぇ? そのままの値段で」
「いいから、これが売れたら共和国に行くって言ってたよな?」
「へ、ヘイ。共和国の方が儲かりますからね」
「さっさと行くんだ!」
「ヘイ!」
機械兵を買い上げた。
所持金610万1950G → 57万1950G。
ただの洞窟の中に運び込むと、身動き一つしない機械兵が宝の山の上に乗っかった。
このダンジョンに、新しい仲間が加わった。
リリンは不思議そうにそれを見つめ、「これはこれは伝崎様、また不思議なものを手に入れましたデスね」と言い、キキは魔法練習を止めて、興味深そうに機械兵のつるつるとした装甲をなでまわしている。
妖精のオッサンが耳元で聞いてくる。
「伝崎ぃ、こんなガラクタなんで買っちまったんだぁ?」
「いや、買わざるをえないだろ」
「説明してくれよぉ」
「あの魔法使い見習いのローブを最初に買い取ったのは、商人ベンジャミンだった。あいつはすべてを知ってる。もしも、ヤナイが商人ベンジャミンと出会ったらどうなる? ただの洞窟で買い取ったと言われたら……どうなる?」
一度、言葉を溜めてから。
「絶対魔術師ヤナイがただの洞窟に一直線でやってくんだよ」
「やばいぜぇえ」
「商人ベンジャミンは機械兵が売れたら共和国に行くって言ってたよな。だから、俺はすぐに機械兵を買った。確かに機械兵は使い物にならない。でも、これを買うことで証人を共和国に遠ざけることができる」
伝崎は機械兵の頭に手を置いて、ぽんぽんと叩きながら。
「確かにすげぇ出費だわ。でも、俺たちが運が良い理由わかったよな? 先にヤナイと話せたことで、商人ベンジャミンを共和国に送ることができたんだよ」
伝崎は両手を掲げて。
「もしも何も知らずに来られてたら、ダンジョン消えてたぜ。まじで助かったぁーーー」
なぜか、ゾンビたちも真似をするように両手をあげて喜びを表す。
妖精のオッサンもそれに合わせて喜びを表す。
「助かったぜぇ―」
でも。
伝崎の表情は、すぐに冷静なものに変わる。
いつか必ず。
――絶対魔術師とやらなければならない。
共和国のどこかで商人ベンジャミンと絶対魔術師ヤナイは話すことになるだろう。
来ることを先送りにしただけであって、決して完全に遠ざけられたわけじゃない。
商人ベンジャミンを消すことも考えられたが、ダンジョン外で誰かを殺すなんてことただの殺人鬼のやることだし、やりたくもなかった。
何より、商人ベンジャミンをここで消せば、下手に事態が連鎖していって問題が肥大化していく可能性もあった。商人ベンジャミンが誰かに何かを話していたとしたら……消えたことを不審に思って。それは予測できないこと。
証拠を消そうとして、さらに証拠ができてしまうかもしれなかった。
それだけじゃない。
いつか戦うことにもメリットがある。
絶対魔術師を倒せば、莫大な金を手にいられる。
あいつを倒せてこそ、このダンジョンは完成したと言える。
究極の目標。
最大にして最後の敵。
だから、これがベスト。
でも、どうやったら勝てるのか今は想像もできなかった。
――あんなやつ勝てんのか……?
いや、勝てるようなダンジョンを作るんだ。
伝崎は両手を体の前で振るって、腕を交差させて背中を叩いたりしてストレッチする。
「まずは目の前の問題だよな。竜覇祭の準備を終わらせるぞ」
――運は向いてきてるんだ。絶対にうまくいく。
そう伝崎は心の中で自分に言い聞かせる。
その考えは、神々から見てもある意味で正しかった。
機械兵を手に入れたということ、そのものに意味があった。
女賢者ビゼパフは、紫色の長髪を背に流しながら地下室で実験にいそしんでいた。
「ふーーん、これじゃ動かないかね」
機械兵のお尻部分に、炎を起こして充てたりしていた。
しかし、動力源にはならない様子だった。
「なら、これならどうっ?」
詠唱を唱えて手に電撃を作ると、それを背中部分に流した。
びりびりと電流が機械兵の体内に流れていく。
機械兵が突然目を光らせた。
「$%”#$#&”」
不自然な電子音で何かを口走る。
女賢者は異世界の本を開いて、機械兵の言葉を翻訳しようとする。次々と言葉の意味を合わせていって。
「$%”#$#&”(ショキセッテイを入力してください)」
その言葉の意味を解読した。
「なるほどねぇ」
凶悪な力を有する機械兵の起動に、女賢者は成功してしまった。