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セシルズナイフの変化

 夜闇。キピルの領域の奥深く。

 フルーツが取れる森の広場。

 円形に開けた場所に巨木が一本あって、その周りに浅瀬の湖がある。

 たいまつの火が照らし出す下で。

 浅瀬の手前にある岩場の上に、ロープでグルグル巻きにされ、たゆんたゆんとその身を揺らしている物体がある。

 ――スライムだった。

 あまりにもロープできつく縛られているために、その緑色の半透明な肉体がゆがみ、すこし胴体部分が細くなっている。

 伝崎はガントレットの左手をスライムの体に添え、その体の末端となる部分にセシルズナイフを入れる。

 切り取ったのは、わずか3センチにも満たない微小なサイズ。

 それをえぐり出して、岩場に置く。

 ゼリー状の小さな体内にハート型が生まれ、別個のスライムとなる。

 伝崎はその小さな小さなスライムに、セシルズナイフを突き刺し、一撃で倒す。

 そして、また両腕で抱えきれないほどの堂々たるスライム本体から、3センチにも満たない微小なサイズの肉体を切り出し。

 簡易モンスター図鑑には、スライムの性質についてこう書かれていた。

 ――千等分まで分裂させることができる。

「すぅーーっ」

 伝崎は大きく息を吸ってから調理の腕前よろしく、切って切って切って切って、切りまくる。

 卓越した器用さから繰り出される高速のナイフさばきが、小さなスライムを生み出し、倒し、生み出し、倒し、体から蒸気が出るほどの熱量を放ちながら、驚異的な作業工程をこなしていく。

「うらぁああああああああああ」

 圧倒的な速度で、セシルズナイフの殺害数が増大する。

 453、546、767、989。

 とうとう1000以上の殺害数となると、スライムは縛れないほどに小さくなってしまう。

 無理やりそれでも縛るとロープ部分で、その肉体が覆われてしまうほどになる。

 とどめを刺し、辺りを見回す。

 フルーツが取れるこの場所には、毎日14匹ほどのスライムが湧いている。

 まだ、生存中の13匹のスライムがのそのそと暗闇の中で動き回っているのが見えた。

 また次のスライムをロープを投げて捕まえると、ぎゅうぎゅうと縛り上げて切り出していく。

 切って倒し、切って倒し。

 超高速作業。

 まさにここは飲食店の調理場のごとく。

 伝崎のアウラがスライムを殺しまくることで節目節目で光り、レベルが次々と上がっていく。16、17、18、19、20。とめどなく上がり続ける。短刀スキルも向上し続ける。

「ニ、二、三。三、三、四」

 レベルが上がるごとに、伝崎は何かを数えるみたいに言葉を口走る。

 すべてが終わる頃には、セシルズナイフの殺害数は「14048」になっていた。

 岩場の上には、ドロドロの液体だけが残っていた。

 伝崎は立ち上がるとセシルズナイフの刀身の液体をハンカチでふき取り、妖精のオッサンを見て軽く言った。

「な? できるだろ?」

 妖精のオッサンは言葉を失ったように、伝崎の肩の上で立ちすくんでいた。

 妖精の女の子はなぜか両手で顔を覆って、服のポケットに突っ伏していた。

 伝崎は両腕を広げて。

「まぁ、一応説明しとくわ。14000近くの殺害数だから、今日だけで1400以上攻撃力を上げられるよな。で、明日もここのフルーツがある場所にはスライムが14匹確実に湧いてるから倒しにくるだろ。そのとき倒せば28000以上の殺害数になる。その日、攻撃力は2800上がる。さらに、その次の日も殺して、4200攻撃力が上がる」

 1400(1日目)+2800(二日目)+4200(三日目)=8400。

「合計、三日間で8400以上の攻撃力となるって算段だ」

 妖精のオッサンは何度も言葉を詰まらせながらも、やっと聞くことができた。

「お、お、おめぇさん……なんで思いついたぁ?」

「モンスター図鑑とかに書かれてたからな。スライムは分裂するってさ。あと一応、ここらへんのスライムが毎日湧くか確かめてたんだよ。前あっただろ、そういうの?」

 そう、フルーツを定期的に取りに来るときに確かにスライムが毎日14匹湧くことを見ていた。

 モンスター大全のスライムの記述にも、こう書かれていた。

『ある場所に群生しているスライムは倒しても次の日に蘇る。どこから湧いてくるのかはいまだに分かっていない』

 それでも、妖精のオッサンはその発想が生まれたことが納得できないように言う。

「ありはしたがよぉ……」

 伝崎は身支度を整えつつ、たいまつを持ち上げて話し始める。

「あれだ。俺が飲食店を経営してた頃、店の回転率を調べてたんだよ。

 まぁ店のスペースは基本的に限られてる。

 つまり、そこに入れられる客の数は決まってるわけだ。客の平均単価も売り物でだいたい決まってる。だから、回転率を必然的に上げたほうが利益が上がる」

 伝崎は、帰り道の木のしるしを確かめながら話を続ける。

「これは完全に飲食店経営の話だけどな。

 新客は長居しない傾向がある。しかし、満足度を上げて常連になってもらいたい。そこで店の奥の個室に通す。

 常連は逆に長居する傾向がある。そこで出入りの激しいカウンター席の前に案内する。カウンター席は馴染みの店員とも話しやすいし、たったと満足してもらって早めに帰ってもらう。

 そうすると客の満足度を落とさず、店の回転率は必然的に上げられる」

 伝崎は、軽快な足取りで帰り道を歩きながら当然のごとく言う。

「こういう時間当たりにどれだけの客を捌けるか、それをいちいち考えてた。これが時間効率なわけだ。それと比べたらこうやってスライムを捌くとか、セシルズナイフのそういう効率を考え出すのなんてのは」

 伝崎は、あっけらかんとした笑顔を作って言う。

「簡単だろ?」

 だから、思いつきえた。

 だから、それが分かった。

 と言わんばかりに、当たり前のようにそれを成し遂げた。

 頭蓋骨の貫けない強皮を貫く。

 たったの三日間で、それを成し遂げなければならない時間制限。

 盾と矛と書いて、矛盾。

 不可能。

 だが、伝崎は。

 圧倒的な攻撃力の向上を、セシルズナイフに実現。

 それが可能だと証明して見せた。

 現代の合理主義的な発想が、この世界の攻略法をあっけなく見つけ出させたのだ。

 伝崎の右手に握られたセシルズナイフ。

 その刀身には半端ではないほどの圧縮された赤。赤い赤いアウラのようなものが凝縮されており、もはや凝縮されすぎて光になっていた。

 刀身自体はまだ磨かれていないために、赤さは増してはいない。

 ほんのりとした赤さにとどまっている。

 しかし、その刀身から放たれる異質な輝きと、そして、今回の大量殺害の影響を受けた妖精のオッサンの頭の輝きが尋常ではないものになっていた。妖精のオッサンの頭は夜道でも足元を照らすぐらいは可能になっていた。

 例えるならば、ホタルである。

 一方、この夜道の中でセシルズナイフを振るえば、その刀身がいくつもの残像となってわずかに目視できるほどになった。

 もはや、ナイフは別物といっても過言ではない。

 以前は持っていなかった強烈な輝きが、その圧倒的な殺害数を物語る。

 今までに存在しえなかった最強最悪の攻撃力を実現する究極のナイフ。

 そのナイフは伝崎の手に収められていた。




 ただの洞窟の最奥。魔王の間の水晶にはすべての様子が写っていた。

(これが異世界人の考え方……いや、伝崎の)

 リリンは気づいた。

 伝崎の危険性は虚無のアウラにあるのではなく、その考え方にあると。

 異世界人の発想や考え方が、この世界の根本的な真理ルールを解き明かす。

 それを応用し、まったく違う使い方をする。いや、それよりも気づくスピードの速さ、そこにこそ問題がある。

 やがては、世界のあり方を覆してしかねないということ。

(魔王様、魔王様はただの洞窟を経営させるためだけに、連れてきてはいけない種類の人間を連れてきてしまったのではないデスか?)

 何より、あのナイフの攻撃力。

 これから向上し続けたら、どうなるのだろう……いや、こんな人間がただの洞窟を経営し続けたら……という純粋な興味。

 ――ただの洞窟は、どんなふうに成長していくのデス?

 もはや、そんな考えばかりが頭をよぎってしまうほど。

 リリンは頬をひくつかせながら、半ばあきらめの心境に達していた。

 一方、女魔王はふにゃふにゃの顔を最大限に赤くし、水晶を大きな胸に埋もれさせて撫でまわす。

「たまらん……たまらん……」

 主に水晶に映る伝崎の頭を愛おしげに撫でまわしていた。

「伝崎様がおれば、いろいろできそう……」

「いろいろ、デスか?」

「伝崎様は私のことも考えてくれてるしな」

 そう言うと、女魔王はキンキンに冷えたフルーツをむしゃぶり食らうのだった。




 伝崎はその日の深夜ごろにただの洞窟に帰り、ダンジョン経営の稼ぎを回収して、そのまま眠った。

 所持金469万4432G→610万3450G。

 夜の間、妖精のオッサンがセシルズナイフを研ぎ続けた。



 ・セシルズナイフの変化について。

 攻撃力が「341」のときに岩石を切りつけた場合。

 ガツっと当たると、そのままナイフは岩石の表面で止まってしまう。

 なかなか力を込めて、切りつけてみても、かたいかたい手ごたえが取っ手の部分に伝わって止まる。そうして、刃が欠けてしまいそうな不安が生まれるのだ。

「おいおい、その辺にしとけぇ」

 と、妖精のオッサンに止められた。

 セシルズナイフの刀身はまだほんのりと赤みを帯びている程度だった。

 前に拾った手持ちの頭蓋骨の鱗に突き立ててみるが、表面で刃先が止まってしまう。


 次の日、攻撃力が「1745」のときに岩石を切りつけた場合。

 サスっという音が出ると、ナイフの半分近くが岩石の中に刺さってしまった。しかし、なかなか抜き出すことができない。

 そのまま引っかかったように岩石の中に刀身がめり込んだままになった。

「剣術の達人みたいな気分だぜ」

 伝崎はちょっと調子のいい感じで声を上げた。

 セシルズナイフの刀身は露骨な赤みを帯び始め、そのナイフにはまだら模様の黒味が残るだけになった。

 それから何とか引っこ抜いて、手持ちの頭蓋骨の鱗に突き立ててみたが、いまだに表面で止まってしまう。特に変化はなかった。




 現在の伝崎真のステータス。

 レベル16 → 25

 筋力C++ → B+

 耐久EE  → D+

 器用AA+ → S-

 敏捷S   → S+

 知力A   → A+

 魔力F+  → FF

 魅力BB+ → A

 特殊スキル。

 交渉B+。洞察B++。迷宮透視D。懐剣術EE+。見切りB-。心眼E+。煙玉E。転心A。投げ縄E。道しるべE。

 武器スキル。

 短刀C+ → B

 セシルズナイフの殺害数「48」→「14048」(極大アップ)

 セシルズナイフの現在の攻撃力は「1745」

 伝崎のコメント。

 レベルがかなり上がったことによって、全般的にステータスが向上したようだ。あと、注目すべきはスライムの耐久性のおかげで、ちょっと耐久が他よりも上がったことだろうな。




 ヤナイは王都の片隅を歩きながら、大賢者シシリの話を思い出していた。

『この女、治してもいいよ』

『では、お願いします』

『でも、ひとつ頼みがあるんだよね。いやいや、神殺しはもういいよ。それよりさ、試したいことがあるんだよ』

 大賢者シシリが手のひらに載せて、これみよがしに見せてきたのは。

 異様なほど四角くて黄色い宝石が付いた指輪だった。

 ロミーフォーチュン。

『この指輪、いっぺんはめてほしいわけだ』

 すべての魔力を「運に変換する」という特別な指輪。

 絶対魔術師ヤナイは、大賢者シシリよりもはるかに優れた、いや、すべての人間よりも優れた極限の魔力を有している。

 もしも、その魔力をすべて運に変換したら……いったい何が起きるのだろうか。

 大賢者シシリでも想定不能なことであり、知りたいことのひとつだった。

 今、王都を歩く中。

 絶対魔術師ヤナイのその左手の指には、黄色い宝石が付いた指輪があった。彼の黄金のアウラは体からは一切放たれず、その指輪に吸い込まれていく。

 指輪からは、おめでたい感じの七色の光が凄まじいほど放たれていた。




 3月2日。竜覇祭本大会開催まであと、2日。

「順調順調っ」

 伝崎は朝日を受けながら、王都の大通りのど真ん中を上機嫌で歩いていた。

 妖精のオッサンがポケットから顔を出して。

「まだまだ準備は万全じゃないだろぉ? これからはどうすんだぁ?」

 伝崎は澄ました表情になると、あごに手を置いて。

「優勝は、あいつを倒せるかどうかに全部かかってる」

「あいつっ?」

「強戦士ストロガノフ・ハインツ」

 伝崎は大通りの人々や馬車を避けながら歩いていく。

 片手を広げて。

「あいつの威圧スキルがやばい。あれを食らったら動けなくなった。いや、会場のほとんどすべての人間が実際に動けなくなってた。たとえ、それが数秒間と言えども、対戦なら絶対的に一発を貰うわけだよな」

「あれはやばかったなぁ。オイさんも動けなくなったぞぉ」

「ぶっちゃけ、一対一タイマンならストロガノフが最強だと思う。タイマンって条件を満たせば、女魔王や絶対魔術師ヤナイを倒すことができるかもしれないレベル。

 竜覇祭を優勝するために生まれてきたような人間だな。

 本当の戦士といってもいい。この世界で出会った『戦闘』にすべてを振った純粋な人間」

 妖精のオッサンは、しかめっ面で両腕を組んで。

「どうやって勝つんだよぉ、そんなやつに」

「一番は、威圧スキルの性質を見極めること」

 そう言うと、伝崎は街中で洞察スキルを発動する。

 驚くべきことに気づいた。

 道行く人の、特に力が強そうな人間、チンピラみたいな人間、そういうタイプの人間は当たり前のように「威圧スキル」を持っていたのだ。

 習得すること自体、造作もないスキルなのだろうと推察できた。

 しかし、どのスキルもEからDぐらいで極められているものはなかった。

 伝崎は人差し指を立てて。

「完璧な人間がいないように、完璧なスキルなんてないと思う。威圧スキルを理解すれば必ず穴があるはず。つまり、情報を集めることだ。そこで俺は情報が集りそうな大きめの酒場を目指してるわけだ」

「まだ、朝だぜぇ」

「いいんだよ。マスターは話をよく聞いてて物知りなはずだから」

 街中を歩いているうちに、大きめの酒場が見えてきた。

 伝崎は酒場にたどり着くと準備中であることも無視して中に入り、カウンターのマスターの男に交渉スキルを使って話しかける。

「威圧スキルなんて誰でも使えますからね。みんな知ってますよ」

「できれば教えてくれないか」

「……こういうことでこんなものなんですよ」

 伝崎は、マスターから説明を受けて威圧スキルを理解した。

 ――威圧スキルは、自分よりも筋力が低い相手を数秒間怯ませることができる。

 その成功確率は威圧スキルの錬度に依存するとのこと。

 ストロガノフの威圧スキルはSSSだった。そして、ほとんどの人間の筋力を上回っていた。ゆえに、食らったのだ。

「あいつの筋力を上回るのはさすがに難しいだろうな」

 もうひとつ重要なことが分かった。

 一発食らうと、その次は食らう確率が半減するということ。

 二発、三発、と食らえば食らうほど半減していくということ。

 その日のうちは、成功確率が下がり続ける。

 しかし、また次の日になると効くようになるという。 

 伝崎はマスターの説明を咀嚼するように、オッサンに対して話す。

「たとえば、ストロガノフの威圧スキルが100パーセントの効果だと仮定しよう。

 一発目は、100パーセント食らう。二発目は、50パーセントの確率になる。

 三発目は、25パーセントの確率で食らうということだな」

「なるほどだぜぇ」

「その日は使えば使うほど、成功確率がどんどんと下がり続ける。次の日になると、また元に戻って最初の一発目は100パーセント食らうってことだ」

 理由は定かではないが、威圧を何度もされていると慣れてしまって効果が下がるという説があるらしい。しかし、次の日になると、またその慣れを忘れて効果が戻るということらしい。

 また、威圧スキルは主に対人間に有効であり、モンスターなどでも効くものは限られているらしい。無機物系や機械系のモンスターなどは威圧されても、精神的に怯むということがない。

 伝崎は誰もいない酒場のカウンター席に座りながら、安い酒(500G)をひとつ頼んで。

「この理屈で言えば、本大会のトーナメント方式だと可能性が出てくる」

「なんでだぁ?」

「トーナメントはその日のうちに行われる。俺とストロガノフは決勝戦まで当たらない。それまでに二回必ず対戦がある。威圧スキルを決勝戦までに二回以上使ってくれれば、俺が食らう確率がぐんと下がる。俺が観客席でひたすら威圧スキルを食らい続ければいいんだよ」

 あの効果範囲なら観客席で食らうのは可能だった。

 実際に、食らっていた人間がいる。

 伝崎は、確信したように話を続ける。

「ストロガノフの威圧スキルが仮に100パーセントの威力があるものでも、三回目には25パーセントまで下がってる。勝機はそこにある」

 伝崎は片手に酒を持つと、一気に飲み干して言う。

「こういうことは、ストロガノフが予選で威圧スキルを使ってくれなかったら分からなかった。つまり、あいつが賢かったらこんなふうに絶対に勝算なんて見い出せなかっただろうな」

「それでも25パーセント食らう可能性があるんだろぉ?」

「ああ……あるさ。でも、今は金がある。もっと武器防具を買って強化したりもできる。まだまだ強くなれる可能性はいくらでもあるわけだ」

「おう、おいさんは信じてるぜぇ」

 伝崎は考える。

 ――あの強戦士の穴は、知性。

 逆説的に言えば、あの強戦士に知性が備わったとき、どんな化け物になるのだろう。参謀的なものでもいい。そんな人間が側にいて指示を出すのでもいい。もしも、そうなったら誰も手が付けられない存在になってしまう。

 ただあの強戦士を。

 ――使える人間がいればいいんだ。

 ふとダンジョンマスターとして、そのようなパーティが来ることを想像してしまう。そして、ただの洞窟で戦うことになったとき、勝てるのだろうかと疑問を抱く。

 そんなくだらないことを一杯の酒で悪酔いしながら考えていた。

 酒場の出入り口から、きぃーと扉が開く安っぽい音が聞こえた。

 振り返ると、そこには緑色のローブを着込んだ目の細い黒髪の青年が一人。片手からは信じられないぐらいのまばゆい七色の光を放っている。

 絶対魔術師ヤナイだった。

「おーう、久しぶりだな」

 伝崎は手を挙げて、大きく振った。

「これはこれは……」

 絶対魔術師ヤナイはすこし困惑したように、しかし、懐かしいといったふうに愛想笑いを作った。

 伝崎は酒場にもう馴染んだように、カウンター席に片肘をついて話しかける。

「こんな朝早くから酒場に来るなんて、よっぽどだろ」

「頼まれ事がありまして、その情報収集といったところです」

「忙しそうだなぁー」

「ええ、私には償わなければならないことがありますから」

「償わなければならないこと?」

「はい」

 絶対魔術師ヤナイがそう言って、カウンター席のマスターの前に行こうとする。

 伝崎はまた安い酒(500G)を頼むと、すぐにヤナイの前に差し出して隣の席に来るように手招きして。

「聞かせてくれないか?」

 絶対魔術師ヤナイはぴたりと立ち止まる。しかし、その好意に気づいたのか安い酒が置かれた前に座ると、こう言った。

「すこし長くなりますよ」

 伝崎はカウンター席に背中をもたれかからせながら言う。

「いいさ」

「先の大戦をご存知でしょうか?」

「いいや、知らないな」

「やはり、経緯から話しましょう」

 伝崎はすこし乗り出すようにして、絶対魔術師ヤナイの話を聞こうとする。

 ヤナイは自然と話を進める。

「先の大戦では、共和国とこの王国が戦ったのです。

 共和国側は工業を主体にしており、自由民を欲していました。ゆえに獣人奴隷解放を理想に掲げたのです。

 それに対して王国側は農業を主体としており、農園経営に獣人奴隷が必要だと主張しました。

 かくして二国間の関係は悪化し、戦争と至ったのです」

 絶対魔術師ヤナイは、当時のことを思い出すように少し黙ってから続ける。

「国力差は明白でした。決戦時に共和国側は20万の軍隊を揃えたのに対して、王国側は5万足らず。

 王国には、優秀な魔法使いがいるといえども多勢に無勢でした。

 最新式の装備を揃えた20万の軍隊の前に成すすべもなく、王国は敗北しました。

 無防備となった王都に共和国軍が向かっている最中、勇者と私は王様に呼び出されました。

 そして、王直々に懇願されたのです。参戦して欲しい、と。

 私たちは王国で活動していたとはいえ、戦争には無関係の存在でした。しかし、ほとんど道楽とも言っていい理由で参戦することになったのです」

 ヤナイは、先の大戦に参戦した理由を再現するように話した。

 勇者が語っていたこと。

『王様がさぁー、なんでも三つだけ願い叶えてくれるって言うじゃん。俺さぁーすべて手に入れてきたからぶっちゃけ欲しいものないんだわ。でもさぁー王様に無茶ぶりしたいじゃんか』

『無茶ぶり?』

『無茶ぶりしたいじゃんか』

 勇者は川辺の小石をスライス回転を掛けて投げながらそのように言ったらしい。

 伝崎は、ちょっと理解できないと言った感じで言葉を繰り返す。

「無茶ぶり……」

「私たちは参戦することにしました。その結果、共和国の軍隊は全滅。王国側の勝利となりました」

「たった二人でか!?」

「ええ、私たちは二人パーティでしたから」

 伝崎はただただその話に驚きを禁じ得なかった。

 ――ありえねぇ……

 どれだけの『力』があれば、たった二人で国の戦争結果を覆せるのだろうか。

「私たちが王国を勝利に導いたことによって、獣人の奴隷制は残ってしまいました。だからこそ私は獣人奴隷に対して償わなければなりません。もうひとつは共和国への償いもあります。この二つが大きなものです」

「なるほどな」

「今、その償いの方法を模索しているところです。頼まれ事を解決しながら、ですが」

「よくわかったよ。あんたが償わなければならないこと、いや償いたいことがな。でも……」

 伝崎はカウンター席にもたれかかりながら、もう一杯の酒を飲み干すと流すように言う。

「めんどくさいな」

「はい?」

「償いとかさ。ただの気持ちの問題だと思うけどな」

「あなたの言う通りだと思います。自己満足かもしれません」

「自己満足かもしれないってわかってるなら、今からでもよく獣人たちや共和国が本当に求めてることを考えることだな」

「本当に求めてること……ですか」

「ああー、なんかあれだ。正しいって思ってやることが案外と間違ってたりするからな。正義だと思ってすごい殺したりとかな。あんたありそうだぞ。そういうの。もっと考えたら良いことがあると思うな。あの、あれだあれ。あれ」

 伝崎は、久しぶりに飲んだ安い酒のせいでかなり酔っていた。




 老賢者ロイアンビートは、市井の隠遁者である。

 長年研究に明け暮れたせいで、ひどい腰痛となって背中は曲がり曲がっている。

「なんなのじゃこれは……」

 街中にある巨大な金貨の塔を見て、その近くの酒場の窓をのぞいてしまった。

 その窓の先の奇妙な光景こそ理解できなかった。

 そこらへんにいるような無職にしか見えない男が、救国の英雄である絶対魔術師に微妙に説教している様を見て。

 腰痛が悪化した。




 絶対魔術師ヤナイの逆鱗に触れれば、この王都ごと吹き飛ぶということを伝崎は知らない。いや、酔っているためにストッパーが外れたように本音を言ってしまうようになっているとも言うべきか。

 しかし。

 絶対魔術師ヤナイは、大変に感心したように言った。

「そのように私に意見を言ってくれたのはあなたが初めてです」

 心から感謝したように頭をゆっくりと下げた。

「まぁ、あんたには言えそうにないもんな」

 妖精のオッサンが肩を思い切り叩いてきた。

『酔ってる場合かぁ!』

 伝崎にだけ聞こえるような小さな声でそう叱咤した。

「わ、わりぃ」

 伝崎は会計を済ませると、すぐに席から立ち上がる(1500Gの支払い。所持金は610万3450Gから610万1950Gになった)

「良い話が聞けたわ。ありがとうな」

 酒場からさっそうと出ると、伝崎は腰を抜かした。

 それを指差して叫ぶ。

「な、なんだありゃーー」

 王都の天空を貫く巨大な金貨の塔が荷車の上に立っていた。その周りには緑色の風がすごい勢いで吹いており、タイフーンのように金貨をまとめ上げていた。

 絶対魔術師ヤナイが、酒場から顔を出して言う。

「このお金ですか……なぜか歩いてたら増えましたね(汗)」

 ヤナイの所持金21億2343万G → 44億2343万G。

 伝崎は腰を抜かしながら振り返って。

「な、なぜか?」

「なぜか、です。いえ、もしかしたらこの指輪が原因かもしれません。私の魔力を運に変換する云々……どうもこれを付けてからおかしいのです」

『利子だ利子だ!』

 天から声が聞こえた。

 空から大量の金貨が降ってきて荷車の山に加わっていく。

 風の中からあふれ出るようにして金貨が周りに落ちると、王都の人々がその周りに群がってくる。しかし、絶対魔術師のものだと誰かが叫ぶと、恐れ多いのか逃げおおせる人々。王都が吹き飛ぶぞという者もいて、誰もその落ちていく金貨に触れられなかった。

 次第に金貨が周りにあふれていくと大通りの道を圧迫し始める。人々がさっと引いていき、代わりに金貨が左右両方にたまり始めているのだ。

 もはや大通りの道を金貨がふさいでしまうのは時間の問題だった。

 絶対魔術師ヤナイは、平静な様子で。

「銀行に預けているわけではないのですけどね」

「いやいや、冷静に言われても」

「しかし、利子にしては多いと思いませんか?」

「そ、そういう問題じゃないだろ。このままだと交通が止まっちまうぞ!」

「さすがにこの指輪はもう外した方が良さそうですね……ここまで来るのにいろいろありすぎましたし……」

 本当にいろいろあった感じで言った。

 ヤナイは指輪を外した。

 金色のアウラが体からゆっくりと放たれ始める。代わりに片手から出ていた七色の光が無くなった。

 突然、空から降ってくる金貨の流れが止まる。

 それからヤナイは一息ついて、何も唱えずに、手から緑色の風を出した。

 それこそ当たり前のように。

 その緑色の風はすごい勢いで、周りに落ちてしまった金貨を吸い上げるように集め出した。次第に道が開けるようになってくると、代わりに荷車の上にある塔の高さが伸びていく。

 伝崎は目を見開き、息を飲んだ。

 衝撃を受けていた。

 ――こいつ詠唱せずに魔法を使ったのか……

 ――まさか、魔法使いの唯一の弱点を克服している!?

 それがどれだけのことか。

 以前、ケンカを売りかけたことを思い出して、伝崎は体中にじんわりと汗が噴き出すのを感じた。

 絶大な威力を誇る魔法を、ノーモーションで撃たれたら勝ち目なんかない。

 これが絶対魔術師。

 これがレベル99。

 道理で国家レベルの戦争を覆せるわけだと理解した。

 このようなクラスの人間がもしも、もしも、いつかただの洞窟に来ることになったら……(もしも倒すことができれば莫大な富が手に入るが……しかし)

 伝崎の酔いが一気にさめて、体中から嫌な熱が出ていく。

 ゆっくりと立ち上がって体についたゴミを払うと、手を振ってこの場から立ち去ろうとする。

「そろそろ行くわ」

 そう言って、ポケットに両手を突っ込むと歩き始める。

 絶対魔術師ヤナイは思い出したように手を叩いて。

「そういえば、私が酒場に来たのは色々と聞き込みをして情報を集めたかったからです」

 伝崎は酒場の手前で立ち止まって振り返る。

「ああ、そうだったな……」

「一応、あなたにも聞いておきましょう。実は探している方がいるのです。

 ある魔法一家の少年であり、行方不明となっておりまして、それをどうしても見つけ出してほしいと頼まれました。

 なんとか手がかりのようなものを見つけまして、その行方不明になった現場に行こうと思っているのですが」

 絶対魔術師ヤナイは、スっと服の中からそれを取り出して見せた。

「この魔法使いのローブを見たことがありませんか?」

 ヤナイの両手の上に魔法使い見習いの何の変哲もないローブが出された。

 強いて特徴を言うのならば、だぼだぼなぐらいだ。

 しかし、そのローブの首元からのぞける名前の刺繍を見て。

『マシュー・イースター』

 それはいつかただの洞窟で倒した魔法使いの少年のローブであり、最初に倒したためにしっかりと覚えていた。

 伝崎は泡を吹きそうになった。



 極限の運によってもたらされたアクシデントに近い出会いだった。


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