刹那
予選会。闘技場の円形広場。
数メートル四方の白い線を四角く引いただけの場所が八箇所あって、そのひとつひとつの場所で次々と戦いが繰り広げられていた。
今大会の盛況ぶりは凄まじく、予選会にも関わらず観客席は満員といっても過言ではなかった。今、戦士の一人が倒れこむと、どっと歓声が上がる。
伝崎はその四角く白い線のひとつの中に立っていた。
オッサンがポケットから顔を出して、きょろきょろと周りを見ながら聞いてくる。
「もう一度聞くけどなぁ。あんなふうに大見得切ったけど、本当に優勝できるのかぁ?」
会場の四角のひとつには、心臓が対戦相手に走りこんでいく姿があった。
伝崎は、それに目線を送ることも無く冷静に話し始める。
「前も言ったけど参加者次第。心臓に頭蓋骨、そしてレイシアの参加。実力者がこれだけ参加した以上、以前なら無理だと言い切れた。でも、今の俺は違う。状況も違う。今のところ、優勝の可能性は半々ってところだ」
「半々? すげぇ自信じゃねぇかぁ」
「まぁな。だが、もしも俺が今考えてることができたなら、もっと話が変わってくるぜ。七割近くに跳ね上がる」
目の前には、でっかい狂戦士が背中を丸めて両手を地面につけ、自らの強面に影を差しながら立っている。
伝崎は、じわりと夜色のアウラを体にまとい始める。
やがて、彼がアウラを集中させた場所は。
「揃ったんだよ」
目だった。
狂戦士が二メートル近くの巨体から大剣を振り上げる。
すると、それを支える上腕が盛り上がり、顔には血管が浮かび上がった。
満身の力を込めて振り下ろしてきた。
一気に剣が加速し、風を巻き込んで伝崎の頭上に降りてくる。
伝崎は、両目の奥を輝かせていた。
見切りB-。
大剣の軌道が自分の体を真っ二つにするラインを見い出す。
それが静かに質感を持って、イメージが体をかすめそうになると伝崎は両足の片方に全体重を預ける。
その預けた足を外し、同時に鍛えあげたもう一方の足を押し込む。
そうすると、倒れこむ体がカクっと超絶加速する。
重力と脚力。
敏捷A+、転心Aによって全身が数十センチそれる。
残像を描いて伝崎が右に高速移動。
ブンっという大層な音が鳴って、さっきいた場所に大剣が爆ぜる。
闘技場の床が土煙を巻き上げる。
つんのめるようにして狂戦士が大剣を振り下ろした場所に入っていく。
伝崎は足を継ぎ足しながら身を止めて、翻して、後ろにゆらゆらと下がりながら、改めて狂戦士のステータスを洞察スキルで視る。
狂戦士LV63のステータス。
筋力A-
耐久B+
器用E
敏捷B+
知力D
魔力E
魅力D
特殊スキル。狂化B++、見切りC。
武器スキル。大剣B+、斧C-。
伝崎はそのステータスを見て思考をめぐらせる。
(こいつの強さはまさに中級冒険者のそれ。だとするなら、この戦闘は試金石になる。いつかただの洞窟にやってくる中級冒険者の力を測る試金石に!)
狂戦士がこちらをぎろりと見て言った。
「すげぇまぐれだ……」
それは伝崎が避けたことに対する称賛ではなく、見下す言葉だった。
伝崎は何も答えなかった。
それが気に食わないのか狂戦士が勝手に話し始める。
「どっからどう見ても戦う感じじゃねぇ。まるで枯れ草みてぇなお前が息を繋げたのが奇跡って言ったんだよ」
ある種の挑発なのかもしれない。
レベル16のどこの馬の骨とも知らない無職っぽいやつに避けられたことが不可解なのかもしれない。
伝崎は片手をポケットの中に入れながらつぶやく。
「そう思えてる間は幸福だな」
狂戦士は、顔を真っ赤にした。
赤いアウラが一瞬光り、その赤さを増させる。
狂化スキルを発動。
狂戦士の顔の赤さが全身に広がり渡り、肩から蒸気が立ち上るほどになる。
燃え立つように体の赤いアウラが激しく揺らめく。
狂戦士LV63のステータス。
筋力A- → A++
耐久B+ → B-
器用E
敏捷B+ → BB
知力D → E
魔力E
魅力D
(なるほどな)
狂化は耐久や知力を犠牲にして、筋力と敏捷を向上させるスキルのようだ。
狂戦士は突然、すべてを切りおおせるように大剣を水平になぎ払う。
さっきよりもスピードとパワーがのっているが大振りだ。
伝崎は下にかがむ。
上空を大剣が通り過ぎると、徹底的にバックステップを踏んで四角のぎりぎりまで下がる。
十メートル近くの距離を作った。
伝崎は、笑った。
「あんたにもう用はねぇよ」
狂戦士は、大剣を構えて突き刺すようにして吠えたけりながら突進してくる。
「死ねぇえっ」
それは熊や猪のような本能に任せた全力の突進。
どんどんと加速していき、すごいパワーがそこにのっていくのがわかる。
(日本にいたときはできるなんて思いもしなかったけどな)
狂戦士の周りに風が渦巻き、伝崎との間合いが詰まった。
伝崎は、大剣の先が顔面すべてを貫く寸前で体をわずかに左に開いた。
見切りスキルを発動しながらの行動だった。
伝崎の脳内の処理速度は、世界をスローモーションにする。
大剣が頬の皮一枚をなぞりながら通りすぎていく。
心の余裕を存分に使って、その剣先ひとつひとつの古傷を伝崎は数えながら、顔と体を旋回させていく。
やがてその剣の大本。
柄の部分に相当する場所にまで達すると、伝崎は顔をのけぞり気味に左手を差し出した。
見切りスキルに使用していたアウラを、その左手。
その手に完膚なきまでに込める。
それは、矢をつかむ要領の延長線上の行動。
狂戦士の大きな大きな熊のような手を、伝崎はそっとその左手でつかんだ。
左手に空間がゆがみそうになるほど、アウラが黒く、渦く。
そして、体を翻して交錯する。
お互いに手と手をそえて、まるでケーキに入刀するような格好ができあがる。
そうなると、ときが止まったかのようになった。
狂戦士が無抵抗となり、力を返され、空中を回転していた。
スローモーションが伝崎の中で無くなる。
直後、狂戦士の背中が地面に叩きつけられた。
「がはっ」
という息が潰れる声を狂戦士は上げて、大剣を放り投げながら地面に大の字になった。
相変わらず、伝崎は狂戦士の手だけは離さない。
息を吹き返した狂戦士は必死に抵抗しようとする。
が、伝崎に手を押さえつけられているだけで体中のアウラを吸い上げられて何もできない。手にほとんど力が入っておらず、どれだけ伝崎の手を振り払おうとしても無力だった。
立ち上がることすらできず、両足を赤子のようにじたばたさせるだけで。
「ぐぁああ、なにが……起きてやがるんだ……」
伝崎は、素早く右手のポケットからセシルズナイフを取り出して、すこしだけ赤黒くなりつつあるそのナイフを首元に軽く当てた。
狂戦士は、首を一瞬だけビクっと上げて血の気が引いた声で。
「ま、まいった……」
審判の男が割って入ってきて伝崎の手を上げた。
あざやかな勝利だった。
会場の観客達が伝崎に拍手を浴びせていく。ほとんど、それは喝采に近かった。予想外の勝利。レベル16の無がレベル63の狂戦士を破ったことが驚きだったのかもしれない。
観客のひとりひとりが立ち上がっていく。
伝崎の戦い方は、合気道の達人のような自然な投げと押さえ込みに近かった。
以前も確かに夜色のアウラによって力を無効化することはできた。
だが、以前の伝崎ではこういった芸当はできなかった。
なぜなら、攻撃をかわすことが確実にできたわけではないからだ。
見切りスキルを鍛え上げ、攻撃を見切ることができるようになり、そこに器用さが合わさり、矢がつかめるようになった。その矢をつかむ要領に高い敏捷による回避を加え、夜色のアウラの「つかみ」を組み込んだのだ。
相手をカウンター気味につかみ、無力化して勝つ。
それは合気道的だった。
だが、伝崎は合気道のような武道を日本で習っていたわけではない。
あくまでも、その器用さによって力を返して投げに入れた。
器用、敏捷、見切り。
そして、夜色のアウラ。
すべてが高いレベルで揃ったことによって、実現しうる高度な技だった。
伝崎の大会での勝算のひとつ。
それは、このやり方(合気道的な戦い方)で敵の体をつかんで無効化し、セシルズナイフの攻撃力によってトドメを刺すというもの。
伝崎が服を軽く払っていると、妖精の小さいオッサンがポケットから顔を出して。
「おいおい、すげぇ勝ち方をしたじゃないか」
「案外とうまくできたな。まぁ、七割って言うのも伊達じゃないだろ?」
「確かに、確かに優勝できっかもしれないぞぉ。おいさんは、お前さんに賭けてもいい気分になってきた」
「賭けてもいいさ。これはあくまでも序章、こっからの取り組みのほうがはるかに重要なんだからな」
「まだ何かあるのかぁ?」
「素晴らしい! 素晴らしい!」
銀髪の美しい少年が頭の上で拍手をしながら高らかに声を上げる。その水色の瞳には、伝崎の姿が映っている。
大賢者シシリだった。
もっぱら大賢者シシリは闘技場観戦を趣味としており、こういった大会には目がなかった。
実に期待感に満ちている様子で大賢者シシリは言う。
「今年は運が良い。とてつもなく運が良いよ。だって、こんな人材豊富な年なんて滅多にないんだから」
一般庶民の青年がその独り言に耳を傾けて、うなづく。
大賢者シシリはいつもながらの解説じみた独り言を続ける。
「まぁ、運が良いのはこの指輪を手に入れたからかもしれないけどね」
何の変哲もない白い法衣に際立つその指輪。
大賢者シシリの小指にはまっている金色の指輪には、異様なほど四角くて黄色い宝石がついていた。その宝石自体がアウラを持っている様子で周囲に向かって黄色い光を放っている。
ロミーフォーチュンという運が上がる女神の指輪だった。
その人自身の魔力を完全に「運」に変換するという奇妙な指輪だった。
大賢者シシリは二百年以上生きていることもあって強大な魔力を有しており、運に変換している魔力の量は尋常ではなかった。
今、大賢者シシリの銀色のアウラには、幸運の極めて明るい黄色のアウラが加わっている。
青年は、ふと気になって大賢者シシリに質問した。
「今年は誰が優勝すると思いますか?」
大賢者シシリはすこし考え込んでから。
「うーん、そもそもその質問自体がちょっと間違ってると思うな。結局のところ、彼が現われてから竜覇祭ってひとつの楽しみ方しかないからね」