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その名

 ヒナナの奇妙な歌声がきっちり三十秒で聞こえなくなった。

 リュッケは酒場の外を見てみる。

 広場にいた三百人以上の冒険者たちの頭上に大量の小さなヒヨコが回っている。

「ぐぉおお」「やれえええ」

「くらええぇええ」「やめてくれぇええ」

 三百人以上の冒険者たちがお互いに血みどろの殺し合いを始めた。

 剣や斧が振り下ろされて手や頭が飛び上がり、火矢や魔法が飛び交ってその場で燃え上がる者が続出し、そこかしこに炎と血しぶきが上がる。

 黒騎士が黒いエネルギーを込めた斧を全方位に振り回して血の海を発生させる。

 そこに凶戦士の槍が飛んできて黒騎士の頭部を貫通させたかと思ったら、凶戦士の背中に大量の矢が刺さり倒れていく。

 小さな教会の上の風見鶏で蒼髪の若き忍者だけが高みの見物をしていて、その斜め下の路地裏でレッドビショップが詠唱を終えたのか爆炎をぶちまけて広場の一角をイスごと十数人吹き飛ばす。

 攻撃がありとあらゆる形で入り乱れ、ばたばたと人が倒れていく様はもはや戦争。

 冒険者の頭数が三百から二百七十、二百から百八十と数分間でハイペースに減っていく。

 死に方は虐殺現場の形相だ。

 ヒナナは酒場の入り口の影で涙目になりながら地面をばんばんステッキで叩く。

「あはははは! サイコー」

 無茶苦茶だった。

 ストロガノフとはまた違った方角に頭がぶっ飛んでいた。

 何より、混乱に陥るのをほとんど誰も防げなかったということがやばかった。

 ケイマルがカクテルを飲み干してから解説する。

「ヒナナが育ったローグ家っていうのはバカみたいに長い歴史(三千年の系譜)を持ってるからね。

 変な魔法の一つぐらい伝わってる。

 あの踊り魔法を見て耐えられる人間なんてローグ家以外でそうそういない。

 ま、しいて言えば踊りを見ないことかな。妙に気になるから見ないのは難しいけど」

 酒場のほうにも火矢が飛んでくるが、そのたびにバーテンダーが水をかけて消火にあたっていた。

 ヒナナは何かに気づいたのか振り返る。

「あ、ストロガノフさんをどうやって回収したらいいかな?」

 広場の中央。

 戦いの真っ最中でストロガノフは皮袋の中に閉じ込められ、直接攻撃を受けてはいないものの踏みしだかれていた。

「ケイマルさん、なんとかしてくださいー」

「はぁ、とりあえず今回だけね。この子は罠解除用だから他の用途で使いたくないんだけどな」

 ケイマルが黄色いアウラをにじませて紳士服の胸元から細い糸を何十本も出し、どこからともなく赤い帽子をかぶった子どもぐらいの貧相な人形を取り出す。

 そして、ストロガノフが詰まった皮袋に向かってその人形を放つ。

 カウンター席に座りながら指を細やかに動かし、合間をぬって三十メートル以上先に人形を飛ばして歩かせていく様は信じられないくらいに器用だった。

「ピペットくん、あれだよ」

 人形は冒険者が踊り狂う中をすいすい通って意志を持っているかのように皮袋に抱きついた。

 リュッケにはどうやったら糸がそんなふうに伸びていって人形が機能するのか理解できなかった。

 元はと言えばケイマルは人形使いをしており、小さな劇などに出演していたのだが。

 ある日自分の器用さがダンジョン攻略に有効であることに気づき、転職した。

 人形を代わり身に罠解除をさせればリスクゼロで罠に対処できるということを発見したのだ。

 ケイマルは重たそうに五芒星の皮袋を酒場の中に引きつけた。

 人形に皮袋を開けさせようとすると電撃がバチリと走る。

「ええっと、この類の術式は逆の形でやれば相殺されるわけだから」

 そう言いながらペンを取り出し、皮袋に正反対の五芒星を描いていく。

 すると、皮袋が一瞬だけ青く光って五芒星自体が掻き消えてしまった。

 手際の良さが罠解除のプロそのものだ。

 ケイマルは繊細な手つきでストロガノフの顔を皮袋から出す。

 ストロガノフは半ば目を開いていた。

 口枷を取ってもらうと声をひねり出す。

「ひえぇえ、何が起きたんだ?」

 ストロガノフは事の経緯を忘れているようだった。

 ケイマルはストロガノフの鎖やロープを解いている最中に何かを思い出したのか酒場の窓に駆け寄る。

 太陽が真上から西にずれこんでいた。

「ああ、もう昼過ぎだ」

「わかりましたー」

「ってことはだな」

 ストロガノフは皮袋から立ち上がり、ヒナナは自分の小物を整理して、ケイマルは会計を済ませると、酒場から出ていく準備を始める。

「さて、解散」

「ど、どういうことですか!?」

 リュッケはとっさに問いかける。

 ケイマルは人差し指を立てて。

「ああ、言ってなかった? 偽勇者には仮眠と本眠りっていうのがあって、仮眠は半日しか寝ないんだけど本眠りは一ヶ月近く目覚めない。

 だからこのパーティは偽勇者が本眠りをすると解散されるんだ。

 偽勇者は昨日の夜から今日の昼過ぎまで寝ているわけだから本眠り確定。よってパーティは解散されるわけだ」

 ヒナナが真っ先に酒場の裏口から出て行く。

「久しぶりに実家に帰ろーっと」

 その後ろにストロガノフが大斧と袋を手に続いて背伸びをしながら出て行く。

「ああーなんか頭がスッキリしたな。

 ぐ、その代わりに体の節々がやけに痛むな。

 筋肉痛か? とりあえずレベルアップでもしとくか」

 広場の戦争には気づかない様子で、すみやかに別行動を取っていた。

 決闘が許されている荒野の街ビザンビークでは、住民たちですらその戦いぶりを無視して遠目に通りすがっていく。

 厳密には、無視している風で狙っていた。

 住宅付近の損壊の元を取るために冒険者たちが死に絶えた後、その装備品を盗もうとしていたのである。

 ケイマルはこざっぱりした仕草で手を上げると。

「僕たちはそれぞれ元の生活に戻る。少なくともパーティの再結成は一ヵ月後だよ。それじゃ」

 酒場から出ていった。

 リュッケはただただ立ち尽くしていた。

 広場の戦争は刻一刻と進み、徐々に生きている人が減ったせいで静かになってきた。

 その代わりに大量の死体が生まれていた。

 なぜか酒場の片隅に残された逆十字架の棺から声が聞こえてくる。

「フヒヒ……亡骸の再利用が楽しみぞよ」

 一方で、蒼髪の若き忍者が虎視眈々と教会の上から見下ろしていた。

 混乱しながらも勝ち続けて高レベル高能力になった冒険者たちを。




 偽勇者パーティはダンジョンの各所や様々な人から曰くつきの特殊な装備を集めたり奪ったりしていた。

 そのため、偽勇者パーティの装備総額は約8400万Gにものぼる。

 初級パーティの平均的な装備総額は8万G前後。

 中堅パーティの平均的な装備総額は60万G前後。

 上級パーティの平均的な装備総額は400万G前後。

 偽勇者パーティはレベルの平均値では中堅パーティに分類されるが、その実力は装備総額共に上級パーティを凌駕していた。




 夕暮れ。

 ボイヤンのピラミッド型の入り口からヤナイが出てきた。

 その後ろに、ぞろぞろと裸の人を何百人も引き連れて。

 中には冒険者やダンジョンマスターもまざっており、ダンジョン内のすべての人が出てきたようだった。

 風魔法により、二日以上掛かるルートを数時間足らずで戻ることに成功したのだ。

 荒野の街ビザンビークの家族たちがヤナイの噂を聞きつけたのか総出で迎えに来ていた。

 何千人もの人たちが大手を振って歓声を上げ、連れ去られていた家族との再会を喜ぶ。

 荒野の街ビザンビークに戻ると祝いの宴が始まった。

 街のはずれには大きなキャンプファイヤーが燃やされ、飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎが始まる。

 街ではヤナイの活躍を称えた垂れ幕が掲げられ、祝福の安売りが始まり、祭りが盛大に行われる。

 宴の中心にヤナイは座り、困惑した表情で酒盃を受ける。

 タルデも巻き込まれ、その隣で英雄の一人として接待を受けることになった。

 相当にぎこちない表情で頬を引きつらせながら。

 日が徐々に暮れつつあった。

 純粋そうな子どもが聞いてくる。

「ヤナイ様はどうやって奴らを倒したのですか?」

 街の人たちが何かあやかろうとヤナイの頭や肩を触りまくっていて、ヤナイは成されるがままにもみくちゃにされる。

 それこそ服も髪も引っ張られながら、平静に答える。

「いいえ、倒しておりません」

 ヤナイは普通にそう話した。

 周りの人間たちが爆笑する。

 あまりにもおかしかったのか転げまわる者がいた。

 またまた冗談がお上手だと言わんばかりに肩を叩く者もいた。

「ですから、機械神も機械兵も倒しておりません。彼らを傷つけるようなことはしておりません。何とか説得しようとしたのですが」

 キャンプファイヤーは消化され、垂れ幕は下げられ、安売りの商品は逆の意味で破格になり、祭りの後の雰囲気となって、街の住民たちはひざまづいて号泣し始めた。

 荷車を押して夜逃げの準備を始める者もいた。

 太陽が地平線の向こうに消えていく。

 夜になれば機械兵がダンジョンから出てくる。

「ヤナイ様ぁああ!」

「お助けを!」

「助けてくださいぃいいい」

 ヤナイの服にすがるものが山ほどいた。

 それでもヤナイは目を細めたまま沈黙している。

「このままではこの街は終わりなんです」

「ヤナイ様!」

 緑色のローブがのびるだけのびる。

 ヤナイは額に汗をかきながら沈黙している。

 周囲は夜になった。

 すがる者の中にタルデもいて、ちゃっかりとヤナイの服を引っ張っていた。

 タルデは急き立てるように声を荒げる。

「機械兵を破壊できる冒険者はあなた以外にいません! 誰も止めることができないんです!

 このままではあのダンジョンを拠点にして機械兵に世界を滅ぼされてしまいます。

 人々が虐殺されることになってもいいんですか! 私たちを見殺しにするんですか!」

 ヤナイは目をつぶると。

「わかりました。やむをえません」

 ヤナイの黄金のアウラが一気に変色する。

 その色が夜空の青に近くなった。

 それでいて星々を帯びるように輝き出す。

 すると、ヤナイは何も唱えずに手のひらの上に小指大の炎を作り出した。

 ――それは火の最下級魔法『ヒノ』だった。

 ヤナイはその小指大の炎をボイヤンに向けて放つ。

 その小さな炎がヒューと飛んでいって荒野の地平線の先に見えるボイヤンの入り口に入っていくのが視力のいい人間には見えた。

 二秒経っても何も起きなかった。




 大賢者シシリは弟子たちから執拗な質問を受けて、ヤナイについて証言する。

『だから何度も言ってるじゃん。あいつがいくら丸くなったからって、やり方までは変わらないわけ。ヤナイはどこまでいってもヤナイだよ。めんどくさくなったら、いつもこう』




 ボイヤン内部に到達した小さな炎がその突き当りの壁にぶつかる。

 信じられない高熱だった炎が壁を溶かしたかと思うと、はじけてしまった。

 瞬間、白い閃光を放つ。

 地面が、ざわつき始める。

 円形の光が盛り上がり、一瞬にして周囲の壁を蒸発させてその体を拡大させながら辺りを飲み込んでいく。

 数倍、数十倍、数百倍と範囲を広めながら。

 ピラミッド型の入り口も、一階の頑健な石畳の床も、地下三階に生い茂っていた部屋の草も、十六階にあった嫌らしい針の罠の数々も、それを調査しようと頭を下げていた機械兵も、機械兵の殺戮がなされた三十七階の空っぽのモンスター部屋も。

 最下層に眠っている数百体の機械兵も。

 完成間近の巨人の機械も、機械神の少年もろとも地中深く渦迫った爆発が何もかもすべて飲み込んでいく。

 その爆発は大地をめくり上げながら巨大な雲を天空に立ち上らせる。

 地平線の向こうの荒野にあった『超人の住処』まで迫ってそのぎりぎり手前まで吹き飛ばす。

 一方で荒野の街ビザンビーク近郊までも迫り、突風が人々を転倒させた。


挿絵(By みてみん)


 ――その魔力、ダンジョンごと吹き飛ばす!

 ヒノは、火の最下級魔法に過ぎない。

 下級魔法使いが使うような代物であり、通常の威力ならば小指大の炎を起こすだけ。

 せいぜいロウソクに火をつける程度のもの。

 まともな戦闘に使えるようなものではない。

 しかし、ヤナイの絶大な魔力は最下級の魔法の威力でさえも極限にしてしまう。

 それがゆえに歴代最高の魔法使いと謳われ。

 『絶対』の名を欲しいままにした。

 ヤナイがまとうアウラは特殊な性質のために自然と魔力が向上する。

 先の対戦の時点で絶大な魔力を有していたが、さらにそれが向上していた。

 その上、『無詠唱』で魔法を使うことが可能であり、上位の魔法を一瞬にして使って世界を吹き飛ばすことも簡単になっていた。

 そのため大賢者シシリが神殺しパーティ編成に真っ先に思い浮かべたのは勇者ではなく、ヤナイだった。

 その魔力で、夜を昼に変えた。

 大爆発を見ていたボイヤンの四代目が口をぽかんと開きながら、その日、その瞬間、決意した。

 ――二度とダンジョンを商売になどしない。

 ダンジョンの意味すら否定するほどの力を目の当たりにした。

 ダンジョンマスターの中のダンジョンマスターと呼ばれた達人の心をヤナイが粉砕した瞬間だった。

 大爆発の炎がゆっくり失せていく中、きのこ雲だけがその余波を伝えている。

 ヤナイはその様子を見つめながらすこしだけ暗い顔になって言う。

「この罪はすべて償います」

 タルデが起き上がってツッコミを入れる。

「いやいや世界を救ったんですよ! あなた様は世界を救ったんです」

 それでもヤナイの表情は暗かった。

 そのアウラは黄金の色合いに戻り始める。

 街の住民と商会の人間がせっせと大きな袋を持ってきて差し出す。

「この街は救われました。これはほんの気持ちです。どうぞ受け取ってください」

 中には大量の金貨が入っていた。

 ヤナイは首を横に振る。

「いえ、あくまでも人助けのためにやったことですから。

 それに、ボイヤンを破壊してしまったことであなた方の街の経済に影響を与える可能性があります。

 どうか街の再建に当ててください」

 代表らしき中年が前に出てきて目を輝かせながら話す。

「いいのです! あなた様のおかげで家族が帰ってきました。平和が戻ったのです! すでに今回の事件で我々はお金よりも命のほうが大切だと気づかされていました」

 ヤナイは人々に取り囲まれ、称えられる。

「ありがとうございます! あなたは救世主だ」

「いや、神だ!」

『すげぇわ、すげぇえ』

 人々の声に混じって神の声が聞こえた。

『神に匹敵する者』

 ヤナイに称号が与えられた。

 全ステータスが一段階上がり、尊崇という謎のスキルが与えられた。

 別の方角からボイヤンのダンジョンマスターも従者と共に大きな袋を持ってきて、いくつも差し出してきた。

 ヤナイは申し訳なさそうに頭を下げて話す。

「私はあなたのダンジョンを破壊してしまいました。とても依頼の報酬など受け取れません」

「もう自分にはこんな大金など無用なものですから」

 ボイヤンのダンジョンマスターは迷いが無くなったようにスッキリとした顔でそう言った。

 老舗の四代目という重圧から解放されたように見えた。

 目は前を見据えていた。

 ヤナイは何かを感じ取り、ダンジョンマスターの報酬を受け取ることにした。

 商会の報酬も街の住民の好意ごと受け取ることにした。

 しめて、2億3850万Gの収入。

 側には金貨がパンパンに詰め込まれた袋が山積みになる。

 ヤナイは本来の目的を思い出して両手を上げて喜ぶ住民たちに質問する。

「ベンジャミンという商人をご存知ではありませんか?」

「おい、ベンジャミンって知らないか?」

 男が周囲に聞くと街中総出で探し始めた。

 ベンジャミンが見つかれば、マシュー・イースターの居所は知れるだろう。

 ヤナイは淡い表情で空を見上げる。

 そうして、年若き宮廷魔術師のことを思い出す。

 ――ドネア、君なら迷わなかったかい?




 二体の機械兵だけが荒野の隅のほうを散策していた。

 住処を失ったことにも気づかずに。




「エアロバイク、エアロバイク」

 宮廷魔術師ドネアは古びた赤い装丁の本を片手に持ち、壊れかけの自転車に乗っていた。

 立てかけで後輪を浮かせて、こぎまくっている。

 すべて異界の穴から拾ってきた代物だった。

 そこは宮殿の最奥。王子の豪奢な部屋。

 鼻水をたらした王国の第一王子が聞いてくる。

「エラロバイクってなにぃ?」

「王子様。エアロバイクというものはですね。異世界の者どもが食べ過ぎたときに乗る代物なのでございます」

「食べすぎな人が多いのん?」

「ええ、この世界では考えられないことですが、宮廷料理並みのそれはそれは脂肪分にあふれたものが平民どもの一般的な食事になっており、太りに太っているのです。

 逆に富裕層のものたちはなぜか野菜ばかりを食い、痩せに痩せているという。

 まさに、あべこべの世界なのでございます」

 王子はぷっくぷくに太りきった頬をゆがめて笑う。

「おもしろーぃ」

 突然、黒装束に身を包んだ者がドネアの後ろに立った。

 耳打ちをするとドネアの表情がサングラス越しににわかに変わる。

「王国の南西で大爆発? 荒野の三分の一が吹き飛んだ? 原因はわかってるのか?」

 黒装束の者がぼそぼそとささやく。

「何らかの魔法使いがやった? そんな魔力の持ち主なんて数えるほどしか」

 ドネアは指折り数えていく。

「レミート先生でしょ、勇者様、ヤナイ先生、女魔王。

 うーん、レミート先生は年取りすぎて隠居してるはずだし、勇者様は自殺したともっぱらの噂だし、ヤナイ先生も先の大戦以降隠居してるはず。なら……女魔王の可能性が」

 ドネアは、にやりとした。

「しかし、これはあくまでも消去法。実際の情報を確かめるほうが賢明だなぁ。人員に糸目はつけない。近くの街の者たちに聞き取りを行ってくれ」

 ドネアは赤い装丁の本を頭の上にかかげて。

「この、孫子兵法というやつにも書いてあるしね。情報が大切だって」

 ドネアは黒装束の者が立ち去るのを見送ると、古びた自転車から降りて部屋の扉のほうへ歩き始める。

「王子様、それでは失礼いたします」

「またねぇい」

 王子は丸々した体と一緒に手を振った。

 九歳にして、体重は成人男性を上回っていた。

 ドネアは宮殿の長い長い廊下を歩きながら、ひとりでに話す。

「うーん、妙な雰囲気になってきた。共和国も風の噂で復調してきていると聞くし、確かめる必要がある。

 古今東西、異世界の歴史書も読み漁ってきたけど、これは戦争の予感がしますな」

 ドネアは歩をゆるめず、独り言をつぶやき続ける。

「まぁ、その歴史書を読んでわかっていることは最高クラスの英雄はだいたい人材を集めてる。

 対処する人材次第で情勢が変わることは明らかだとして、ならば、ならば、僕も人材探しをしたほうがよさそうだな」

 ドネアは脳天に人差し指を当てながら。

「魔王の捜索に打倒、共和国潰し、あとあの予言を封殺するための人材か。

 というかあの予言、実際のところどうなんだろ」

 白騎士レイシアが両腕を組んでこちらを見ていた。

「相変わらず、丸聞こえの独り言を言うんだな」

「まぁ、わざとです」

「なぜ、そこまで明け透けもなく自分の考えを口に出すんだ?」

「僕の独り言を他の方々にも聞いてもらって勉強してもらいたいと思っているのです」

 宮殿の柱の影にはさまざまな階級の者たちがいた。

 従者から召使い、上級騎士から宮廷魔術師に至るまで。

 おおっぴらな独り言はドネアの特殊な処世術のひとつでもあった。

 白騎士レイシアは半ばあきれながらも感服したように言う。

「お前みたいなのが陰謀を張り巡らすのは難しそうだな」

 ドネアは偽善者じみた屈託の無い笑顔を作って言う。

「そんなこと僕がするわけないじゃないですか」

「そんなことしそうな顔で言うな」

 白騎士レイシアは黒鎧をがしゃりと動かして言った。

 ドネアはニコニコしながら予言にも関連があることを質問することにした。

「ところで、白いゴブリンは発見できましたか?」

「お前の言った通り、地下都市のブラックマーケットをくまなく探したが見つからなかった」

「では、他の場所に売られたということですかね」

「調査中だ」

「うーん、そうですか。わかりました。引き続き調査をお願いします」

「言われなくてもやる。それしか手がかりがないのだからな」

 ドネアは白騎士レイシアを背に宮殿の長い廊下を突き抜けた。

 様々な準備を始めようと執務室に入る。

 山積みになった書類の整理をやろうと思ったが手につかず、また孫子兵法を読み始める。

「彼を知り己を知れば百戦危うからず……うんうん、おもしろい。

 やっぱり情報が大切だよなー。

 何でもわかってれば百戦したって負け戦なんかとか避けられるしね。

 え、ちょ、待てよ。情報が大切だとして、じゃあ、それを集める方法をちゃんと確立しないといけないじゃん」

 執拗なくらい同じ箇所を読んでは、そのことに同意していた。

 ドネアの勉強法はすこし特殊で、たった一文でさえも何度も読み直しながら、そのことに思索をふけらせるという。

 ただたにそれだけでなく、独自の考えと実践を成り立たせることができるまで延々と同じことを考えるタイプであり。

 つまり。

 かなり、しつこい性格だった。

 孫子兵法は極めて簡素な書物であり、解釈が問われる書物でもあって、ドネアの性格と相性が良かった。

「情報が大切だとして、となってくると、ああーそうだ。御布令おふれを出そう」

 ドネアは召使いに木の板を持ってこさせ、御布令おふれを作る。

『とにかく、見聞きしたことを宮廷魔術師ドネア様に何でも伝えよ!』

「む、これじゃあ分かりづらいか」

『王国にとって危ないと思ったことは何でも宮廷魔術師ドネア様に伝えよ! 白いゴブリンを目撃した者はその情報を提供せよ』

「なかなかいいな」

『有力な情報を提供したものには金塊一つ(2500万G相当)を与える』

「これだと来るかな。でっち上げもありそうだけど、ちゃんと確認させればいいか」

『ちなみに関係なく賢い奴や能力のある奴は全員取り立てる! 家柄も前科も問わない』

「どうせだから人材集めも兼ねておこう。将軍の能力も勝敗に影響するからな。

 在野の人材集めも積極的にやるか! というか、それ以前に今の王国の人材事情を把握するのも大切じゃん」

 ふーん、ドネアは数秒間考えてから。

「孫子兵法に書いてあるとおり、やっぱり情報が命だな。

 もっと完全に完璧に素早く情報収集がしたい。情報さえ手に入れば正確な判断がつく。

 正確な判断がつけば決断ができる。

 素早く情報を集められれば機先を制することもできる。情報があれば人材も集められる。勝敗とはかくして情報戦によるとして、なら」

 ドネアはその日のうちに有名な忍者一家のじいさんを呼び寄せた。

 引退していたホウセツという名のじいさんだ。

「最高に優秀な忍者を紹介してもらいたい」

「へ、ヘイ、リョウガという孫がおりましたが」

 耳がずいぶんと遠く何十回と言って、やっとそう答えたのだった。

「ここに連れてきて欲しい」

「へ、リョウガ? 今は何しとるか分かりません」

 ドネアもわずかにその名前を聞いたことがあった。

『リョウガ』

 それは誰も見たことがない忍者と云われている。

 正確には「他人が」というべきか。

 六歳になったある日、忍者一家の家族たちですらその姿を見ることができなくなったという。

 深夜に屋根裏から声が聞こえてきて会話するのがやっとになり、だからといって屋根裏をくまなく探しても姿を見つけることはできなかったとか。

 十歳になると声も聞こえなくなり、それ以来消息不明。

 まさに伝説の忍者だ。

「ああ、リョウガが欲しいなぁあ! 伝説が本当なら精鋭の忍者部隊を編成させたい!」

 もしも手に入れることができれば最高の諜報者になること請け合いだった。

 リョウガ率いる忍者部隊なら最速で確実に諜報を成功させてくれるだろう。

 つまるところ、情報がいくらでも真っ先に手に入る。

 白いゴブリンの情報だって手に入れば、どうとでもできるはずだ。

 ドネアはホウセツのじいさんに詰め寄る。

「リョウガの特徴みたいなものを教えてくれたまえ」

「ヘ、リョウガ? 確か、髪が蒼かったような」

「それ以外は?」

「覚えておりません」

「それだけ!?」

「ヘイ」

「がぁあああ、厳しいな」

 ドネアは頭をかきむしる。

 仕方がないと言いつつ、木の板に御布令を書き込んでいく。

『髪の蒼い忍者っぽいやつを報告せよ。有力な情報を提供したものには金塊三つ(7500万G相当)を与える!』




 ただの洞窟の奥深く。

 女魔王は途中から水晶でヤナイの動向を食い入るように見ていた。

 一部始終を見終えて、女魔王が肩を小刻みに震わせている。

 リリンは口をぱっくり開けて、その様子に驚愕する。

 女魔王がイライラしている以外で震えているのを初めて見たからだ。

 魔界のいにしえの眷属けんぞくに対してさえも幅を利かせ、どんな存在にさえも屈服することがなかった方が震えているのだ。

 女魔王が片方の頬を上げてヤナイを映す水晶に言う。

「マジ、武者震いが止まらんわ」

 リリンは心の中で問いかける。

 ――本当にソレは武者震いなのデスか?

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