帰還、そしてもろもろ
伝崎はキキと白ゴブリンを引き連れて、ただの洞窟に帰還した。
キキと白ゴブリンにただの洞窟を案内しながら、伝崎は頭の中を整理していた。
ダンジョン経営はシンプルに言ってしまえば、たった二つのテーマしかない。
――財宝強化と戦力増強である。
今、先にできることは戦力増強だろう。
人材育成から開墾に関することまで、すべて戦力増強に結びついている。
ただの洞窟を歩いていくと広場が目に入る。
その広場の真ん中にゾンビたちが密集するように整列していて出迎えてくれた。
「けいれぃいぃい」
金髪ゾンビこと軍曹が敬礼すると、一斉に敬礼するのである。
隊長としての自覚が、その腐った顔の骨ににじみでてきていた。
キキが緊張したように後ろに隠れて服をつかんでいたが、白ゴブリンのじいさんは「ふぉふぉ、これはこれは面白いですなぁ」と話した。
リリンが何か落ち着かない顔で広場の片隅に立っていた。
すこしだけ、うつむき加減で居心地が悪そうな感じだった。
何をそんなに警戒してるのか、あるいは変な考えがあるのかはわからなかったが。
すぐに伝崎は近づいていって最初に笑顔を見せた。
「ただいま」
リリンはぎこちなさを隠せずに答える。
「お帰りなさいデス……」
伝崎はいきなり後ろからキキを前に押し出して紹介する。
ざっくりとした紹介を済ませると、最後のほうに付け加えるように言った。
「この子の教育係りをお前に任せたいと思う」
「あ、あたしにデスか?」
「そうだ。無理か?」
「そんな、誰かを教育したことなんてありませんデス」
「魔法を教えてやってくれたらいいさ。たとえば、そうだな。
氷魔法がお前は得意だろ? だったら、氷の初期魔法をまずは教えてやってくれよ」
キキは顔のやり場に困っていた。
赤布を顔前面に両手で押し付けて、頭隠してお尻隠さずの状態になるほどだった。
伝崎がキキの肩に手を置いて、やさしく語りかける。
「ほらキキ、お前も頼んでみろ」
キキは猫耳をたたんで何分か黙っていたが、あきらめたようにおずおずと一歩前に出て勇気を振り絞るように「お」と声を出す。
リリンはもうすでに応援するように両手拳をにぎっている。
キキは赤布から目だけをのぞかせて言う。
「おばさん教えて」
「おば、おばさんって!」
「おばさん」
「それは、人間からしたらおばあさんの年齢デスけど、これでも悪魔としては十代後半のぴちぴちギャルデスよ!」
相性のよさそうな二人だな、と伝崎は思って安心した。
それからリリンが簡単なレクチャーを加えながら、初級の氷魔法の詠唱を始める。
詠唱から数秒後、壁に向かってリリンの指先から青い光が一本解き放たれる。
その光を受けた壁の水分がすこしだけ凍ってしまって白っぽくなった。
直径三十センチぐらいの範囲にわずかに霜がついたみたいになった。
「アイスンという初級魔法デス。
この光を敵に当てると水分のあるところは凍傷を起こし、鈍足にできるデス。
ダメージは高くありませんが、ちょっとは使える魔法デスよ」
キキは目を白黒させながら見ていた。
詠唱方法や構え方などを教わって再現するようにする。
ゆらゆらとアウラをまといながら、ちぐはぐに詠唱を始める。
その時間、三十数秒。
すると、魔法が発動してキキの手のひらから眼前に青い光の線が一本立った。
しかし、その光の線はさっきのアイスンより明らかに太い。
さっきのが指先一本の太さなら腕一本近くの太さだ。
周りの空気が白くなって冷気が伝わってくる。
青い光が壁に当たると、がちがちという音がなって白の氷結が広がっていく。
洞窟の壁を凍らせ、直径三メートルぐらいの円を描く。
つるつるのかちこちにしていくのである。
勢い余ってキキの手から青い光の軌道がぶれてしまって天井にぶつかると、そこかしこに不規則な氷結が広がっていった。
「え、教えてないのにアイスルンが使えてるデス!? 氷の中級魔法デスよ!」
手のひらから青い光が小さく尾を引いて消えていく。
キキは魔法を撃ち終えると呼吸をすこしだけ上げて、膝を折って地面にへたり込んでしまった。
魔力をだいぶ消費してしまったようだ。
一瞬だけキキの体が光る。
伝崎はステータスを見るために洞察スキルを発動しようと、額にアウラを集中させる。
が、なぜか霞み目みたいになってステータスがだぶって見える。
洞察スキルがちゃんと発動しなかった。
疲れてるのかなと思いつつ、もう一度やろうとすると何とか洞察スキルが発動したのか、はっきり見えた。
今までに経験値が何らかの形で溜まっていたのだろう。
キキの魔力がCからC+に向上していた。
それにしても、素質の片鱗を見てしまった気がする。
「すげぇ有望っていうか、明らかに天才だわ」
自分の目に狂いはなかったと、伝崎は思うのだった。
そんなこんなで、リリンにキキの教育は任せることにした。
伝崎は女魔王がいる奥の部屋に報告に向かった。
どちらにしても言えることは、謁見前の緊張感はいつになってもなくならないということ。
その原因はあの理不尽極まる態度なのだが、今日の今日とてそれが変わらないのだとしたら。
――やはり命がけだ。
なんとしてでも、うまく報告をして切り抜けなければ死の危険があった。
ダンジョンにプラスの成果が山ほどあったのだ。
その成果をこんこんと語れば、女魔王も納得してくれるはずだが。
「おめぇ、もっとただの洞窟にいろや!」
女魔王がドスの効いた怒声をあげ、リンゴみたいな果実を投げつけてくる。
かなりのスピードでカーブがかかりながら迫ってくる。
ぶつかると柔らかく砕け、ぴしゃりと伝崎の顔に黄色い果汁が飛び散って、スーツがそれはそれは果実の残骸で汚れるのだった。
完全なる土下座を繰り広げながらも成果を報告しているのだが、しょっぱなから問答無用だった。
(あたりが強すぎっ! なんか前よりもひどい。すごい、すごいわ。
ここまで来たら、なんかもう、なんかもう、なんかだわ。なんかだ)
次はかなり硬そうな持ってるだけでぺちぺちいう野球の硬式ボールみたいなメロン色のフルーツを手で弄んでいる。
(やべぇええ!)
伝崎は冗談抜きで身の危険を感じた。
もしも直撃すれば、耐久力のない自分がどの程度のダメージを受けるか想像できる。
最悪、とんでもないことになる。
腰をやや浮かせて避ける準備をするが。
『わかってるよな? 避けるなよ』
と言わんばかりの目で女魔王がにらみつけてくる。
そして、その硬球のごときフルーツを手投げフォームで投げつけてきた。
勢いがないと思った直後、くいっと魔力を乗せたのか剛速球に変化。
――ど真ん中ストレート。
ものすごい伸びで迫る。
避けることもできないが、そのまま受けたら死ぬ。
伝崎は頭を両手で隠しつつ差し出す。
ごつっという鈍い音がなる。
右手の甲が砕けたように感じた。
衝撃がめりこんできた。
手で防御してもなお、頭が真っ白になった。
ぐにゃりぐにゃりとただの洞窟の床がゆがんで見える。
(こりゃあかんやつや)
女魔王は台の上のフルーツをつかもうとして宙をにぎってしまう。
「あ、私のフルーツ、なくなってしまったじゃん。私の大好きなフルーツがさ。お前のせいで」
と意味のわからない責め方をされるのである。
言い訳が許されない以上、一方的に攻められ続けるしかない。
「もっと私の世話をしろや!」
ふつふつと湧いてくるものがある。
確かに色々な上司がいる。
日本にいたときも飲食店の店長になる前、会社に勤めてたときは、すごいのがいた。
それはそれは天才的な理不尽さだった。
でも、ここまでひどいのは初めてだ。
お手上げとかのレベルじゃない。
いつか、こいつだけは殺さないといけないと思うレベルだった。
世界的に見ても図抜けて優秀な日本のブラック企業を凌駕している。
ダンジョン経営をして欲しいのか。
それとも召使いが欲しいのか。
――どっちなのだ。
「もっと私の側にいろよ!」
とはいえ、女魔王という圧倒的暴力装置に歯向かうことは不可能なことであり。
額をすりつけて許しを請うしかない。
どんなことをしてでも、この事態を打開しなければならない。
彼女がいったい何を望み、この理不尽さを押し付けてくるのか把握しなければ明日はない。
伝崎はわずかに顔を上げて、女魔王の面をのぞく。
女魔王はその顔にわずかに微笑を浮かべる。
間違いなく殺される。
ほんの手違いでも死ぬ。
ダンジョン経営もしなければならないが、女魔王の機嫌もとらなければならなかった。
家政婦は見た状態で扉の隙間からのぞいていたリリン。
退席を許可されるとすぐさま扉を押し開けて、伝崎はリリンに詰め寄る。
ただの洞窟の細長い道を歩きながら何回も後ろを振り返って、聞こえてないだろってところまで来たら、伝崎は問いかけることにした。
「なんで、あんなに当たりが強いんだ? なんか俺が悪いことしたか?」
「クク、素直になれない乙女心というやつデスよ」
「は?」
どういうことなんだ、まじそれわからねぇ、と伝崎は思った。
鈍感な男子たちが俗に言うところの恋心に気づかないときのセリフなのだと伝崎は知っていたが、知っていたのだが。
どう考えてもそれはない、と思った。
(あのアマ、まじで限度超えてるぞ)
あのイカれた態度からは、好意のひとかけらも感じられなかったのである。
好きだから厳しい態度を取るとかの次元じゃない。
明らかに殺意が感じられる。
硬式野球ボールのような硬さのフルーツを好きだから剛速球で頭に投げるとか常識の範疇外。最悪、死ぬぞ。
伝崎は後ろから寒気のようなものを感じて、ぶるぶると背筋を震わせる。
「それより女魔王の好みのフルーツを教えてくれ! 頼む」
「この近場にそれはそれは実っているところがありますが、モンスターが出ますデス」
「いいからいいから」
「キピルの領域というところです」
「おおーどんなところなんだ?」
「このただの洞窟がある地点はただの森に過ぎないんデスが。
王都とは反対方向に斜めに斜めに進んでいくとキピルの領域という森に行き当たります。
その入り口付近には動物系の弱小モンスターしかおりません。
ですが、奥に行けば行くほどレベルの高いモンスターが出ますデス。
スライムもときどき出ますデス」
「なるほどなるほど」
「あの、その奥にしかフルーツはなってないんデスよね」
「奥に奥に行ってやるよ。面白いことになってきやがった」
「気をつけてくださいデス。
キピルの領域を間違って突き抜けてしまうと、山岳地帯があって『竜の棲む山』がありますデス。
生半可なモンスターは棲んでおりません。灰竜やら毒竜、中には俊竜などもおりますと聞きます。
今の伝崎様ではおそらく生きては帰れないでしょう」
「おうおう、わかったわかった。安心しろ。俺が欲しいのはフルーツだかんな」
女魔王のご機嫌とりだけでなく、レベル上げもできそうだ。
一石二鳥になりそうな予感があった。
伝崎は、リリンにフルーツの場所を聞いた上で出発する前に大切なことを済ませておかなければならなかった。
栽培に関する話だ。
白ゴブリンという最高の人材を得た以上、この栽培に関する話は考えるだけでワクワクしてくる。
ただの洞窟の広場を歩きながら、白ゴブリンと話すことにした。
整列したゾンビたちは笑顔で槍スキルの訓練を行っている。
「いらっしゃいあせ!」という掛け声とともに槍を一斉に突き出す。
それはそれは以前に増して素晴らしく良い声が出せるようになってきた。
それを聞きながら伝崎は片腕を広げて、ただの洞窟の広場を示す。
縦横六メートルの広場は今の兵員を運用するには十分に感じるが、この広場に田畑を耕すとなると不足だろうと思いながら。
「俺が考えていることがひとつ。そもそもこの広場をでかくし続けたら、栽培は可能か? とにかく大量の食料を確保したいんだが」
白ゴブリンは「えー、そうですな」と考え込んで、天井を仰ぎながら基本的な話を始める。
「栽培するためには太陽がいります」
伝崎はリリンを呼びつけて、光の球を作らせる。
それを天井にいくつか備え付けるとそれなりに明るくなったが、しかしやはりまだまだ薄暗く、すべての存在が黒っぽく見える。
白ゴブリンはすーっと息を吸い込んで考え込んだ様子であごに手をそえる。
「確かにこの明るさでも育つ食物がありますのう。
が、その食物を基本的な食料とするには無理がありますかな。
せいぜい前菜程度。大量の食料を作るには強い光がいりますぞ。
何よりも栽培には水がいります。良い土がいります」
そういって白ゴブリンはただの洞窟の床に敷き詰められた土をつかむ。
匂いをくんくんとかいで、それを口の中に入れて食べた。
伝崎はげぇーまずそうだなと思いながらもそれを洞察して、こいつはやはりプロだ。プロだぞと思った。
白ゴブリンは土を飲み込んだ後に、にがにがしそうに。
「この洞窟の土では厳しいものがありますな」
やはりか、と伝崎は思った。
それに聞くまでもないことだが太陽や水や土以前に立地的に厳しい。
場所が狭い。
洞窟を広げ続けて田畑にするよりも開けた平地でやったほうが労力がかからないのだ。
広い場所、広い場所。
待て、そういやあったなそんなのと思い出す。
「すこし付いて来てほしいところがあるのだが」
「いいですとも」
ただの洞窟から旅立って向かった先は。
以前に攻略した「丘の洞窟の分かれ道」だった。
「わざわざダンジョン内に田畑を作る必要なんてないわけだ」
かなりの早足で進んだので三十分と掛からなかった。
森の視界が開けていく。
緑々しい丘が眼前いっぱいに広がった。
なだらかな傾斜に青々とした草が生えている草原のような立地。
森近くには前に切り倒しまくった切り株の数々。
開拓の余地を感じさせる。
さんさんと太陽が降り注ぎ、とても新鮮な空気が鼻に満たされて気持ちがよかった。
「ここを田畑にしてほしいんだが、できるか?」
白ゴブリンはしわくちゃの怖い顔になって、土草を調べ始める。
最初に草を引っこ抜いて、それをむしゃりむしゃりとヤギのように食べ始める。
それでも怖い顔は変わらない。
その草の周りを丁寧に掘っていって、草の根っこを傷つけないように抜いた。
そして、根っこに今度はかじりついた。土が飛び散る。
白ゴブリンの表情がみるみる明るくなっていく。
「これは素晴らしい豊かな大地ですぞ」
ほぐれきった顔で白ゴブリンは草の匂いをかぎつけながら、周りをちょっと探索し始めた。
栽培者の勘ともいうべきもので丘の傾斜にそって進んでいき、川を見つけてしまったのだ。
それはよくよく見てみると伝崎がガブ飲みした川のひとつの支流だった。
「もう一度問う。栽培できるか?」
「できます。これはできますぞ」
白ゴブリンが鼻息荒く断言したのだ。
伝崎は田畑を耕すのに、何と何が必要かを考えていた。
道具がいるだろう、要員がいるだろう、種がいるだろう。
なかなかのコストだが、道具と種は金がありさえすればいい。
問題は要員の配置。
「労働力、つまり働ける奴がどれくらい欲しい?」
「いればいるほど開拓も栽培もできます。
しかるべきお金と三十人の人員があれば、今年の十月までに百五十人分の食料を作って見せますぞ。
今は確か二月十五日。つまるところ、八ヵ月後に収穫となりまする」
「なるほど」
百五十人分の食料。
つまり、八ヵ月後には百五十人分の獣人を雇えることになるのだ。
しかし、人を雇うわけにはいかない。
「そもそもそんな人を雇う金はない」
下級騎士の初任給と呼ばれる20万Gを毎月払うはめになったら、速攻で破産だ。
どれだけ値切っても月10万G以下で働く人夫などいないだろう。
だからといって、ゾンビやスケルトンなどただの洞窟のモンスターたちを開拓のためにここに割けば、ただの洞窟ががら空きになる。
ひとつの問題として考えていたこと。
その答えは伝崎の知識の中にあった。
「屯田制でも採用するかな」
「なんですかな、それは?」
屯田制とは、兵士たちに田畑を耕させる制度。
平時は農業に従事させ、戦闘時には軍隊に従事させるというもの。
その説明を白ゴブリンは、こんこんと聞いていた。
それはそれは面白き発想で、と言った。
地球の歴史から持ち込んだ考えだから当然といえば当然。
しかし、これを採用するためには、ただの洞窟とこの田畑との移動時間を考えなければならない。
王都からはただの洞窟まで徒歩で片道約三~四時間。
それはつまり、冒険者がただの洞窟に来るまでの時間と同じ。
調べてみると、偵察兵の白狼ヤザンが王都からただの洞窟を通り越して田畑予定地(丘の洞窟の分かれ道の手前)に辿り着くまでに一時間ちょっと。
ゾンビたちに田畑で耕させといて、白狼に伝令をつたえさせたとする。
白狼の一時間を差っぴいて考えると、二時間~三時間ぐらいの移動時間があることになる。
ただの洞窟から田畑まで伝崎の駆け足だと三十分。
伝崎のスピードだと往復可能だ。
しかしちょっと待てよ、という考えが伝崎の頭に浮かんだ。
ゾンビってめっちゃ足が遅いんじゃね?ということである。
そのことを考慮に入れていくと、もしかしてもしかすると。
ものは試しようだった。
夜になるまで待った。
ただの洞窟からゾンビたちが出られるのは夜の間だけだ。
肌が太陽に当たらないようにぶかぶかのローブでも買ってあげれば昼間も活動できるだろうが、今は買ってあげられないので夜まで待たなければならなかった。
「うぃーうぃいい」
と言いながら、ゾンビたちの森の中の行軍が始まった。
リリンに作らせた光球片手に、伝崎はゾンビたちの行軍を見守る。
その顔が影でちらちらとなる中、見る見るうちにその表情が暗くなっていく。
ゾンビたちは道なき道に苦戦しながら後についてくるのだが、それはそれはもう遅かった。
片足ひきずって、木にぶつかったり、枝にひぃひぃ言いながら、立ち止まったりするのである。
スケルトンは楽そうにかんからかんと先頭を進んでくる。
木にあたってよろけたりして、スピードが落ちているものの余裕を感じる。
金髪ゾンビこと軍曹が部下に激を飛ばしている。
「おまえたいうぃい、しっかりしろぉお……」
ゾンビたちの先頭を行く軍曹でもスケルトンにスピード的に負けていて、ぜいぜい息があがって太ももに手をつきながら歩いているのである。
片道に三時間十分もの時間がかかったのである。
完全にオーバーしてる。
最低でも二時間~三時間に収めなければならないのに、だ。
できれば二時間をきりたかったが、ゾンビでは明らかに無理だった。
そのあと、スケルトンだけの時間を計ると、一時間五十分ぐらいだった。
白ゴブリンは現実的な一言をいう。
「ゾンビたちで屯田制をするのは難しいのではないですかな?」
今、スケルトンは二匹しかいないし、九匹のゾンビたちにも田畑を耕させたかった。
いっそのこと夜はダンジョンの営業を中止にするか。
いやいや、コンビニを見習いたいところだ。
人的コストが掛からないなら、なおさら二十四時間営業していたい。
白ゴブリンはダメ押しの一言をいう。
「ゾンビたちの動きを基準にしますと最低でも十匹の要員を割いてもらわねば、今期の収穫すら難しいですぞ。
季節的に要員確保の期限は今から一ヶ月半以内ですな。
それまでに要員を確保してもらわないと収穫は来期に持越しです」
手持ちの金でスケルトンを買うといっても、アイリスの店のスケルトンは転売してしまったし。
またアイリスが集められるのに時間が掛かる。
どれくらいか予測がつかない。
普通の店では、手持ちの8万1404Gじゃ八匹もスケルトンを買えない。
まずい。
間に合わないかもしれない。
今期は絶望的なのか。収穫は来年からか。
いやいや、ここで知恵をふりしぼるのが経営者なのだ。
そもそも考えろ。
なんで、ゾンビたちはあんなに時間が掛かったのか。
木とか枝に邪魔されて、ろくに前に進めてなかったわけだ。
伝崎はふと森を見渡して澄ました顔になる。
「道を作るぞ……」
ほんのワンアイディアだった。
ただの洞窟から田畑までの道を作り、移動時間を短縮。
屯田制を実現するのだ。
白ゴブリンは「その手がありましたか!」と言って渋い納得顔になった。
「きぇえええええええ」
考えたら即実行。
伝崎は奇声を発しながら左手にセシルズナイフを持ち、木の根元を切りつける。
ガシリと手ごたえがあって一発で切り倒せる。
以前は二回ぐらい切りつけなければならなかったのに。
セシルズナイフの黒い刃の部分に赤色のギザギザ模様がしみ込んでいた。
明らかに攻撃力が向上していた。
ここ一週間ぐらいでセシルズナイフの攻撃力267から287ぐらいになったのがわかった。
殺害数も「30」になっているだけあって、妖精のオッサンの磨く能力が上がっていたのだろう。
オッサンがいかにも嬉しそうな顔で胸を張り、「どうだ、すごいだろぉ」と言っている。
その言葉に気をとめず、すごいぎりぎりで木の根元から切り倒していく。
木が地面に倒れると土が舞い上がる。
「もっと大事に扱え、扱えよぉ」という妖精のオッサンの抗議の声が上がるも無視しつつ、ただの洞窟から田畑予定地に向かってぐんぐんと平たい切り株の道を伸ばしていく。
日が転がり、朝が来て、昼が来て、夕方が来て。
一日中切り続けた日には、三百本以上は切り倒していた。
森の中に一本、切り株の道ができていた。
見直してみると、案外とかわいらしい平たい切り株が点々とある道になった。
スキップしながら切り株を飛び越えていけば、幸せな気分で田畑に迎えるんじゃないかと思える。
つまづかないぐらいの高さだ。
最高にランナーズハイだぜ、という状態で汗だくの伝崎は田畑予定地の前に座り込んでいた。
短刀スキルはCからC+になった。
「扱い上手くなってますわ。こりゃ、うまくなってます」
妖精のオッサンが肩の上でそう話した。
伝崎はちょっと頭がおかしくなるぐらいの疲労を抱えていた。
左腕が棒になっていた。
「しかしよぉ、なんで左手しか使わなかったんだ? 持ち替えればいいじゃねぇかよぉ」
妖精のオッサンがそう聞いてくる。
「まぁ俺、実は左利きだから……」
「なんだその隠れ左利き。実は左利きでしたとかでカッコつけてるつもりかよぉ」
伝崎はそっと右手をポケットの中に入れた。
実は、完全に右手の甲が砕けていた。
女魔王に硬めのフルーツを投げつけられたときに手で頭をかばった。
そのおかげで命は助かったが、右手の骨がぐちゃぐちゃになってしまった。
洒落になってなかった。
右手で軽くナイフを持つことすら不可能なほどだった。
今、もしも右手側から踏み込まれたら、がら空きの横腹をさらすことになるだろう。
一人相手ならいい。
だが、二人相手になると途端にむずかしくなる。
持ち替えが不可能な現状で挟み撃ちでもされたら。
その後、夜が来てゾンビたちに移動させてみると、かわいらしい切り株の上を一直線に進めるおかげか目覚しいほど移動時間が短縮された。
三時間十分から、二時間ぐらいになっていたのである。
これなら屯田制は可能な時間だった。
王都から冒険者がただの洞窟に着く前に、ゾンビたちがただの洞窟に移動できる。
ゾンビたちに鉄のくわを十本買い与えた。
所持金が8万1404Gから、3万2340Gになった。
さらに種代として25万Gを白ゴブリンに要求されたが、今は手持ちになかった。
「十匹以上の要員は確保できましたな。
あとは25万Gの種代を渡してくだされば、年間二十人分の食料が作れるでしょうな。
ほかにも開墾要員を増やしたり、お金を下されば、余った農地でより多く栽培できますぞ」
「そうだな。一石という概念を導入するか」
「それはなんでしょうか?」
「一石っていうのは、成人一人が一年間に消費する食料のことだ」
「なるほど。では、年間二十人分の食料が取れるというと二十石ということになりますな」
「そのとおり。で、書いてもらいたいものがある。
どれだけの要員とお金でどれだけの食料が生産できるのかという表だ」
白ゴブリンが切り株の上に取れ高表みたいなものを描いていく。
要員十匹。コスト30万G(道具と種代の合計)。生産量二十石。
要員二十匹。コスト60万G。生産量四十石。
要員三十匹。コスト90万G。生産量六十石。
十匹の要員と30万Gを追加するごとに二十石生産が増えるということだ。
この世界が近代的でない以上、要員とコストに対してしょっぱい生産量に見えるが当然といえば当然だった。
ゾンビなどアンデッド系特有の鈍重な動きを基準にしているために通常よりも倍近く要員がいるのだろう。
「もうひとつ、大切なことがありますぞ」
さらに白ゴブリンは土地の整備表のアイディアを描いていく。
・肥料導入。
『肥料などを取り入れることによって育つ量は明らかに増えます』
要員十匹。工事期間一週間。コスト45万G。
食料生産量が一,二倍になる。
・畜産導入。
『家畜を買い入れることによって生産の幅が広がります』
要員五匹。要員は常時必要。コスト200万G。
食料生産量が一,五倍になる。
伝崎は整備表に付け足す。
「こういうアイディアもどうだ?」
「それは面白いですな」
伝崎が白ゴブリンに教えたアイディア。
・灌漑導入。
『水を川から直接引いてくることによって飛躍的な生産量増大を実現します』
要員三十匹。工事期間一ヶ月。コスト750万G。
食料生産量が二倍になる。
伝崎は一本の木を取って、切り株に付け加える。
「そこにゾンビの肌を太陽から守るローブ代も付け加えるといいだろう」
・アンデッド系モンスターのためのローブ代。
コスト一匹当たり3000G。
『アンデッド系モンスターが二十四時間耕作が可能になり、一人が二人分の働きをする』
「ふむ、これで完成ですな」
農耕予定計画ともなった切り株を二人で眺めながら、伝崎は白ゴブリンを雇って本当に良かったと思った。
知力が高いおかげで話が分かりやすく、それでいて展望が開けていく。
「最高だ」
どれだけのコストをどれだけ費やすか、考えようによっては農地も大きな可能性を秘めている。
ダンジョンで稼いだ金をただたにモンスターに当てるだけでなく、農地にも当てれば面白いことになりそうだった。
農作物を売って儲けるという方法も考えられるのだ。
時間が掛かるので選択肢としては優先順位が低いが。
これからもアイディアが出れば整備計画を追加しよう。
夜の暗やみ。
鎧を脱いだゾンビたちが汗も流さず雑草を抜き取り、くわを大地に突き刺している。
スケルトンは白ゴブリンの周りの手伝いをしている様子で、変な草を抱えて運んでいた。
すがすがしい光景だ。
リリンはキキを教育し、白ゴブリンはただの洞窟のモンスターを使って田畑を耕す。
まさに、いろいろなことが回り始めた。
・現在のただの洞窟の食料生産力。
0石(最初は25万Gの種代を白ゴブリンに渡せば、二十石に増える)
・現在のただの洞窟の通常戦力。
ゾンビ九匹。スケルトン二匹。
・現在のただの洞窟の戦力及び人材。
伝崎。リリン。キキ。白ゴブリン。
・伝崎の食料価格についての計算。
成人の一ヶ月の食費=3万G
成人の一年間(十二ヶ月分)の食費=36万G
一石(成人の十二か月分の食料)の市場価格=36万G
十石を市場で売り捌いたら=360万Gの利益になる。
二十石=720万Gの利益になる。
コストが30万Gしか掛からず、ゾンビ代などを合わせて差し引いても二十石作れるのは半端ではなかった。
ゾンビたちに食費が掛からず、給料を支払う必要すらないためにすさまじい純利益(年間675万Gの純利益)が出る。
実は、とんでもない生産力だったのだと計算してみて、伝崎は理解した。
白ゴブリンの優秀さと立地の良さ、何よりもゾンビに開墾させるという禁じ手な感じがそれを成し遂げさせているのだろう。
農業で儲けられる。
生産した食料を獣人たちの部隊に費やすか、それとも農業でボロ儲けするのか選択肢が現われたようだった。
今はまだその決断のときではなく、とにかく食料生産力を上げればすごいことになる。
それだけは確かだと伝崎はワクワクしながら思った。
のちに、とある賢者が伝崎のゾンビ農業を目撃して述懐している。
「通常はゾンビを農業に使おうと普通は思わない。
死人を働かせるくらいならば自分が働いたほうがいいと思うだろう。
あの鈍い動きを見ればなおさらだ。いや、しかし、ゾンビなどを人が扱うなど。
ましてや奴隷を使うとして、本来なら獣人にやらせることをゾンビにやらせるその考え方が明らかにこの世界の人間とは違っていたのだ」
ときどき様子を見に行っていたリリンは眉をひそめていた。
「伝崎様は国でも作るつもりなのデスか……」
そのつぶやきは誰にも聞こえなかった。
優秀な人材を集め、新たな考えを吹き込み、道を作り、田畑を耕す。
その様は、ダンジョン経営としては度を越しているようにリリンには見えた。
さらにキキの才能に接することで、その将来に対する期待よりも不安が勝っていくのである。
「もっと魔法教えて」
キキは、リリンから知識をむさぼるようにもうすでに三つの魔法を覚えてしまった。
アイス(拳大の氷の塊を飛ばす初級魔法)
アイスン(一部を氷結させる初級魔法)
アイスルン(一人の敵を完全氷結させる中級魔法)
一年掛かる修行過程を一日二日でものにしていく様は、化け物じみた天才と評してよかった。
頭の先から足の先まで魔法を扱うために生まれてきたような存在だと思った。
ただの洞窟でキキは青白い魔方陣を手のひらの先に浮かび上がらせている。
今はアイサー(氷柱を飛ばす中級魔法)の練習中だ。
キキが二十秒近くかけて詠唱(リリンは七秒でできる)を終えると、魔法陣の先から氷の塊がメキメキと音を立てて顔をのぞかせる。
しかし、なかなか氷柱にならず、氷の石ころみたいな塊が伸びていく。
キキがふっと息を吐いて集中を解くと、いびつな氷の塊は地面に落ちた。
尖らせる形状を作るのが難しかった。
実習で魔法を繰り返したことにより、キキの魔力はC+からC++に向上していた。
詠唱スキルがFからF++になっていた。
キキは振り向くと肩を落として言う。
「疲れた……」
「休むデスか?」
「うん」
キキは洞窟の壁にもたれかかって淡々と言う。
「アイサーよりも強い魔法が知りたい」
「今はこれで十分デス」
キキはリリンの顔をのぞきこんで言う。
「おばさん、一番の魔法は隠してる?」
「な、なにいってるデスか!?」
二重の意味でリリンは声を荒げた。
キキは伝崎の前では無口だったが、二人になるとドキリとするようなことを言ってくる子だった。
リリンには手に取るように未来が予測できた。
どんな冒険者もここまで徹底されたら屈服するだろう。
ダンジョン経営もここまですればうまくいくだろう。
いったい、誰が伝崎を止められるのか。
伝崎の力が増した暁には何が起こるのか。
キキをはじめとして伝崎直下の手下が育てば育つほど、魔王様の危険が増しているように感じた。
リリンの苦悩に伝崎は気づかず、片手を腰に当てながらゾンビたちの働きぶりを眺めていた。
田畑の雑草が端のほうから切り開かれて、土が顔をのぞかせていく。
希望に満ちた気持ちになっていた。
一通りやるべきことが終わった。
これからについて考えるとして真っ先にやらなければならないことは、やはり女魔王のフルーツである。
金策に走るのはその後でもいい。
女魔王の当たりの強さを考えただけでただの洞窟から冷たい風が吹いてきて寒気がする。
汗でこびりついた服のせいかもしれないが、その寒気は尋常ではなかった。
女魔王が機嫌を崩したら、何かの手違いみたいな死に方をする。
砕けた右手がその証明。
もしもフルーツの探索に出かけるとしたら、ひとりで行くか。
それとも誰かを連れて行って育成するか。
キキのレベルを上げたいところだが、今は魔法をちゃんと教えてもらって魔力を上げといてほしい。
魔力に成長限界が来てからでも、あの子のレベル上げは遅くない。
ふと、そんなことを考えながら周りを見ていると。
金髪ゾンビこと軍曹は、田畑を真面目に耕しているのだが、何かぎこちない様子だった。
他のゾンビがうまく草の生えた地面にくわを突き刺すのに対して、金髪ゾンビは石に弾かれたのか尻餅をつく。
やたらめったら、石に出くわして尻餅をつく。
世の中には向き不向きがある。
部下にもそれはある。
ならば、だ。
伝崎は軍曹に近づいていって片手を差し出す。
尻餅をついていた軍曹は、あっけに取られた顔で見ていた。
すこし気まずそうに頭を下げて口を開こうとする前に伝崎は語りかける。
「一緒に冒険に行かないか?」
「しかしぃ、かいたくぅが……」
「要員は一匹余ってる。スケルトンに鉄のくわを渡してやればいい」
「で、ですぅがぁ……」
「モンスターは進化するらしいな。もし、ゾンビが進化するのだとしたらお前を一番最初に進化させたいと思う」
軍曹は腐った目を輝かせて声を張り上げる。
「あぁりがたきぃ、しあわせぇ!!!」
軍曹が差し出した手を取った。
伝崎は急に力が抜けたように地面に膝をついて倒れこんだ。
「ただ、今日は寝る……」
疲労が限界を超えていた。
伝崎のゾンビ化まで二ヶ月と二十日。
その期間が終わるまでに、ただの洞窟の評価を-FからDにしなければゾンビ化は免れられなかった。
夜、ゾンビたちとスケルトンが畑仕事に明け暮れる中。
ただの洞窟の広場の真ん中。
大の字になってガァガァといびきを立てて伝崎が眠っていた。
ひとりで眠っていた。
キキはキキでただの洞窟の奥のほうのところで草をひいて眠っていた。
今、ここで目を覚ましているものはリリン以外にいなかった。
そっとリリンは小悪魔的に手の爪をむきだしにしている。
ゆっくりと伝崎の草の枕元に膝をついて、細長い爪を首元に差し向けている。
防御力の低い伝崎。
か弱そうな爪といえども、悪魔の爪。
切り裂くことは可能だった。
リリンは震える手を押さえ込みながら、その手をひこうとしていた。
今なら確実に殺すことができる。
魔王様の最大の脅威となりうる存在。
たとえ魔王様の反感を買い、反逆罪で殺されることになったとしても、やらなければならなかった。
ふと思い出す。腕相撲のときを。
――伝崎は危険すぎる。
やっと手の震えをおさえこむことができた。
もう、リリンに迷いはなかった。
この手で今、伝崎を殺す決意を固める。
肩をひいて、その動きを始めようとしたとき。
伝崎がむにゃむにゃと言いながら寝返りをうつ。
「すまん……すまん、リリン」
――なんで。
なぜか伝崎が寝言で謝ってくる。
それに胸が締め付けられるような思いがした。
――謝らなければならないのはこっちのほうなのに。
そう考えているうちに、リリンの表情は冷たいものから優しいものに変わっていた。
そっと立ち上がり、ただの洞窟の奥の闇に消えていく。
伝崎は寝言を続ける。
「すまん、時給を払ってやれなくて、本当にすまん」
その声はリリンには聞こえなかった。
地下都市のブラックマーケット。
ぼろいバラックの防具店の前に、絶対魔術師ヤナイは両目を細めて立ち止まっていた。
その手には、だぼだぼの魔法使い見習いローブが広がっていた。
そのローブの内側には刺繍が描いてあった。
『マシュー・イースター』
イースター家の一人息子。
行方不明になっていた少年のローブ。
ヤナイは、とうとうブラックマーケットの片隅で見つけ出した。
神は知っている。
それがヤナイを『ただの洞窟』へと導くものだと。