質問
伝崎は、うなるアウラをおさえながら考える。
――殺気を隠しきれなかったのは失点。
だが、ヤナイが対話しようとしたが最後。
魔法使いは魔法を使う。そのときに女魔王でも必要なこと。
問題は、やはり間合い。先手を取れる三歩以内の場所に入れれば。
――詠唱を終える前に倒してやる!
本棚の間の狭い通路の六歩先。
ヤナイは両手を後ろでに組んで、すべてを承知しながら何も知らないって顔をして歩み寄ってくる。
魔法使いが嫌うであろう二、三歩の間合いを自ら越えてきたとき、ゆるやかな時間が流れる。
そばかすのある無防備な横顔が側を通り過ぎて。
手が出せなかった。
ヤナイは紳士のようにわずかに頭をさげて、キキの顔をのぞきこむと話しかける。
「あなたは伝崎さんを慕ってらっしゃるのですね」
キキは、震えるのをやめる。
それを見てヤナイは演じるような、してやったり顔になって。
「やっぱり、そうですね。大丈夫、あなたが望む道を進んでください」
――キキを連れ去ったりするつもりはないのか……
ヤナイはこの場の状況を一瞬で変えてしまった。
伝崎が迷っている間に。
何らかの能力に裏打ちされた絶対的な余裕なのか。
それとも、自らが殺されることを受け入れてしまっているのか。
思い切りの良さだけならば誰にも負けない自信がある伝崎を躊躇させるほどの大胆な行動だった。
――普通、殺気を放つ人間の側をゆうゆうと歩けるか?
伝崎は力んだ肩を落として敵意を向けたことを詫びることにする。
「すまん。勘違いしていたようだ」
「人間誰しも勘違いはするもの。私もあなたを勘違いしていたようですし」
ヤナイは満足したように両端の口角を上げて手を振ると、未来を暗示するような言葉を残して立ち去る。
「この子を見て判りました。伝崎さん、あなたもいつかある日、世界の見方が劇的に変わるのを見るでしょう」
伝崎の目の奥にはヤナイのささやく口の動きが、あざやかに残った。
「私がそうだったように」
彼が立ち去った古書店は静かになった。
カウンターのじじいは何度も首をかしげ、キキはとぼとぼと側から離れて距離をあける。
本たちは寸分たがわず、ずれたりしていなかった。
伝崎は何食わぬ顔で乱れた服を整えながら、ふと思う。
もしも間合いを問題にしない魔術師ならば。
――ヤナイって女魔王より強いんじゃないか?
最強を倒せば最強になれるけど、そもそも相手は最強なんだから倒せるわけがなかったか。
しかし、あのクラスの魔術師が本気でダンジョンを攻略しに掛かってきたら。
どうすればいいのだろう。
ふいに手の先で微妙にゆらめく黒い液体みたいなアウラを眺めながら、そのことを考えていた。
絶対魔術師ヤナイは、地下都市のマーケットの中で考え事をする。
(彼は、勇者に似ている。そう思っていたら、そこにいたのは昔の自分だったのですから。
面白いものです。私も彼も人だ。
しかし、あのアウラは人にどうこうできるものではないと思われますが……)
・鍛錬白書に載っていたアウラの色の説明
アウラの色合いは魂の性質によって決まるといわれています。
その色合いに応じて性格から職種、クラスまでだいたい分かるといわれています。
しかし、これらはあくまでも適性や傾向であって実際の職業とは違う場合があるので、どんな職業を目指して修行するかの参考程度にしてください。
赤色≒戦士、騎士。熱血、行動派。(力持ちになりやすい。丈夫になりやすい)
青色≒魔法使い、賢者。冷静、知性的。(賢くなりやすい。魔力が伸びやすい)
黄色≒弓士、狩人、罠師。弱気、繊細。(器用になりやすい。素早くなりやすい)
オレンジ色≒商人、芸人。人懐っこい、世話好き、裏表が激しい。(魅力的になりやすい)
緑色≒神官、巫女。寛容、おっとり、天然。(癒しの能力が高くなりやすい)
黄土色≒農民。地味、堅実、頑固。(大いに丈夫になりやすい)
白色≒勇者、天使。純粋、万能、他人から影響を受けやすい。(すべての能力が伸びやすい。能力限界がない)
アウラの下敷きとなる色。
黒色≒悪魔、魔族、アンデッド。死の象徴。
透明色≒人間、生物。生命の象徴。
他にも多種多彩なアウラの色があって、これに分類されないものがあります。
複数のアウラが混じっていることもあり、単色であるとは限りません。
そんなこんなで伝崎はキキを連れて、エリカの豪邸に来ていた。
聞かなければならないことを頭の中で整理しながら、ソノヤマの案内を受けて広大な廊下を歩いていく。
ランプの光があやしくゆらめき、大理石の床と赤い絨毯を照らし出す。
伝崎は廊下を踏みしめ、ふと疑問に思ったことを聞く。
「前々から気になってたんだが、ソノヤマはどうしてエリカに仕えてるんだ?」
見上げる形で、ソノヤマの顔をのぞきみる。
彼は無愛想に足音無く歩き続ける。
問いかけに対して、いささか考え込んでいる様子で長い間が生まれた。
ソノヤマはそっと白手袋をした手で白い面を押さえ込んで。
「オレが生まれた家には『返礼』という言葉があってね」
静かに、そう答えた。
廊下の向う側まで響いていく声は、どこか重々しく予断を許さないものがある。
ソノヤマは小刻みに震える手で白い面をカタカタと押さえる。
「とある人に返さなければならない礼がある……」
声は震えていなかった。
しかし、彼が彼自身の言葉で興奮しているようにも見えた。
それでいながら、アウラを一切漏れ出さない脇の固さ。
伝崎は軽く指摘する。
「礼というよりも借りを返したいように見えるけど」
天井を見上げて想像力を働かせてみても分からないことを聞く。
「そのこととエリカがどうも結びつかないが」
「恩人の周りはいつもにぎやかだ。
その恩人がレベルを上げるために通うのはちょうどAランクダンジョン。
その中でも周りを払えるのはエリカ様のダンジョン」
ソノヤマは白い面をおさえるのをやめてマントの中に手を隠し、淡々と語った。
オミナ家の伝統と彼が持つ背景とがあまりにも結びついていて、その強さと掛け合わさっている。
「そこで待つのがいい」
ソノヤマはしびれるほどに冷たい声で加えた。
やっと伝崎は納得できた。
(なるほど、復讐ってわけか)
どういった経緯をもってして、ソノヤマがそういう決意を持ったのかは知らない。
が、これだけは言えることがある。
伝崎は後頭部を両手で抱えて、なんともなしに話す。
「復讐なんざ、1Gの得にもならないことだと思うけどな」
「あなたにはわからないだろうな」
ソノヤマは足を止めなかった。
エリカのいる場所へ案内するために。
そうして何歩か進んだ後、ふと彼は独り言のように言葉を紡ぐ。
「あなたのように生きられたら、オレはもっと楽だったと思うことがある」
伝崎は、からっと明るい声で返す。
「今からでも遅くないさ。人生は常に分岐点だ」
その言葉に対して、ソノヤマは何も答えずに静かに歩き続けた。
大きな扉を開けると、大量の工具と鉄の部品と小さな歯車が無造作に散乱している部屋が広がった。
罠師というクラスの職人たちが三人いて、厳しい顔で台の上の細かい作業に勤しんでいる。
その横で、罠師見習いの少女が自分の両足もつかない大きな箱の上に座っていた。
ガスマスクみたいなものを顔につけていて、白い髪を頭の真上で一本にくくったエリンギ頭だ。
黒猫を膝の上に大事そうに乗せている。
エリカの後姿が見える。
鉄仮面をつけて罠の製作を見守り、ときには罠に対して注文をつけたりしている。
おびただしい数の罠が壁に立てかけられていて。
エリカは時折罠に対して「惚れ惚れする、ああ惚れ惚れする」といった発言を繰り返しており。
直感する。
――人生の分岐点が来た。
逃げ出すならば今だ。
しかし、ここで引くわけにはいかなかった。
ダンジョン経営のことで聞きたいことがある。
まず第一に、ギルド新聞の評価基準。
何にしたって、当面の目標は三ヶ月以内にダンジョンの評価をDランクにすることである。
女魔王との約束から一週間が経っているので、今や二ヶ月と二十三日しか日数がない。
Dランクダンジョンにしなければゾンビ化は避けられないのだ。
エリカは鉄仮面をとると、長い金髪を振りほどいて額の汗を拭う。
「久しぶりだね」
評価基準の質問をぶつけるとエリカは答えてくれた。
「冒険者の評判をアンケート方式で集めて公正に決めてるとかいわれてるけど、実際その内容はどうやって決まってるのかは分かってない。
でも、冒険者の評判をあげればいいのは確か」
エリカはソノヤマから水の入ったコップを手渡され、それを飲み干すと。
「冒険者が求めてるものって何だと思う?」
「お宝? レベルアップ?」
「その通り。実は、そのたったの二つしかない」
「なるほど、見えた」
「ダンジョンの評価を上げたかったら、その二つを充実させる。
私の場合はレベルアップもできるようにしてるけど、それ以上に財宝を重視したかな。
それこそ、命をかけてもいいと思えるくらいに」
「なるほど、なるほど」
「実際、成長限界がどうのといったって冒険者の大半は富のためにリスクを冒しているから」
レベルアップと財宝。
この二つの魅力を強化していけばいいわけか。
まぁ、モンスターを消耗品扱いするのは嫌だから、財宝重視で攻めよう。
しかし、良い話が聞けた。
ほとんどダンジョン経営の要点は知れたといってもいい。
山ほど宝を集めて、ダンジョンに置いておく。
それでもって、その情報を広まるようにする。
それだけのことじゃないか。
戦力増強は下位ダンジョンとしてはかなり進んでいるので、今は財宝だけだ。
その財宝も風の靴をすえたら、Cランクダンジョン級の評価になるだろう。
なんという情報、なんという恩恵、ありがたい限りだ。
食料コストについてもエリカに聞くことにした。
「生物を雇うとどうしても食料コストがかさみそうなんだが、エリカはどうしてるの?」
「私の場合は、そもそも生物の割合を低めに設定してる。
アンデッドや食料が不要なモンスターが九、生物が一。
まぁ実際、私のダンジョンの主戦力は罠だけどね」
「なるほど」
「でも罠は罠で点検コストが発生するから、ちゃんと運用しないといけないけど」
今のところ原始的な罠以外は設置不可能だから、どっちにしたってアンデッドを主力にすることになるだろう。
もうひとつ質問してみる。
「生物モンスターには何を食わしてる? 冒険者を食わせたりとか?」
「うーん、冒険者自体は安定した食料にならないかな。
私みたいな上級者向けのダンジョンになると量よりも質。
ひとりひとりの儲けの単価が高いから、お金で解決しても気にならないかな」
儲けの単価が高いとか料理屋みたいな発想だな。
一応、対策についても相談することにした。
「畑を作ろうと思ってるんだが」
「どこに?」
「ダンジョンの西側の平地あたりに」
「耕作は誰がやるの?」
「もちろん、雇ったモンスターだ」
思い切りよく答えた。
すると、エリカは人差し指を立てて。
「あのさ、そのモンスターは本来ダンジョンの戦力になるはずだよね?
食料コストを下げるためにダンジョンの戦力を割くのは本末転倒だと思わない?」
「確かに。じゃあ、どうすりゃいいんだ?」
「ダンジョン内で畑を作るって手もあるかな。実際にそうしてるダンジョンもあるみたいだし」
「なるほど、その手があったか。そうすれば耕作と戦闘を両立できる」
「でも、あんまり期待しないほうがいいと思う。
ダンジョンってそんなに広くないわけだから大きな収穫も期待できないし」
むむ、問題が浮上した。
大きな収穫を期待できないのならば、大規模な生物による部隊の編成も難しい。
確かにダンジョン内の広さではとてもじゃないが、大きな収穫は望めない。
かなりダンジョンを広げて耕作しても、数人養うのが精一杯だと素人でもわかる。
でも、耕作と戦闘を両立できればいいんだな。
となると、うまく工夫すれば大きな農地も作れるかもしれん。
あと考えるべきは、ダンジョンの構造について。
今は聞かなくてもいいか。
商売や仕事の成功法則、富士山に脚立を持っていく。
これは絶対にやる。
ただ、今は小山に脚立を持っていきたい。「ゴブリンたちが風をさらう巣窟」を模倣し、改良を加えていくことでCランクダンジョン以上には確実に辿り着ける。
その頃には挑戦するスキルも資金もあるはずだ。
そこからが本当の勝負。
Aランクダンジョンを研究対象にしよう。
どちらにしても十分な話を聞けたので、最後にスキルを教わることにする。
エリカのスキルを何から教わろうか。
洞察スキルを発動する。
罠設置A++、罠解除C、交渉B、洞察B、迷宮透視B、道具の心得C、堅牢B+、煙玉B-、脅威への耐性A-、闘争本能C、見切りB+、的確な一撃C、防腐処理B、呪詛A、洞窟の使者C。
改めてみると、エリカはどんな才能限界してるんだ。
何かとてつもない禁呪みたいなものをやってないと無理だろ。
どうやらエリカは罠探知を覚えてないようだ。
自分のダンジョンの罠の位置は全部把握しているのだろう。
ダンジョンマスターには必要ないといえばないか。
やはり才能限界もあることだし、絶対必須のスキルを先に教わりたい。
「できれば罠解除を教えてもらえないか?」
「あのさぁー」
エリカは質問攻めに嫌気が差してきたのか、腰に両手を当てて横柄な態度になった。
それはそうだ。
ウィンウィンの関係とは言いがたかった。
なんでもできることがあるならば。
「あんたを何のためにペットにしたと思ってるの?」
エリカは部屋の奥に行くと、台車をキコキコと引いてきた。
その上には円形の鉄製の輪に、まがまがしいほどにひねくれきった歯形のくわみたいな何かが乗っかった紫色の魔法石がびりびりと電気をうならせている。
「これ新作。わかってるよね?」
エリカは、にんまりと悪そうな笑みを浮かべる。
「ぎゃあああああああああ」
体感的に気の遠くなるような時間を、電撃の中で暮らすことになったのは言うまでもない。
そうして、キキが心配そうに見ている最中。
これからダンジョン経営でおさえておかないといけないことを整理していくのだった。
やっぱり白ゴブリンは参謀と技術者を兼ねられる優秀なレアモンスターだから早く買わないと誰かに買われてしまうな、とか。
今思うと、アイリスの店をおさえておかないと誰かに買い占められそうだな、とか。
エリカ曰く、出会ったときに「最高の実験台」だと思ったそうである。
また次には、よくわからない迷路みたいな部屋に押し込まれて、そこでその罠に掛からないようにしてみろと言われたものの。
またもや電撃の中で暮らすことになったのは言うまでもない。
エリカは真剣な顔で呟く。
「かなり、調整しないとだめかな」
伝崎は体から白い蒸気を立ち上らせながら、迷路の部屋から出てきて地面に突っ伏す。
意識がもうろうとして、体に力が入らなくなっている。
「もう無理そうだね」
エリカは罠を台車に乗せると奥の部屋にしまおうとする。
しかし。
「実験はもう十分なのか?」
伝崎は片腕をついて立ち上がろうとする。
こんなことでスキルを取得できるならば安いものだと、無理やり自分の感情をたたき起こして、しびれてしまった体を起こそうとする。
よろよろと。
隠していたアウラが漏れ出し、夜の無機質な色合いが背中に現れる。
キキはぽつんと突っ立ったまま大きく目を見開いて、まばたきひとつしない。
職人たちは仕事に集中しており見向きもせず、ソノヤマは白い面のずれを片手で押さえて直す。
エリカは第三の目がある額を光らせ、洞察スキルを発動させていた。
「あんたのアウラ、底らしきものが見えないんだけど」
「それはどういう意味だ?」
「才能限界がないように見えるってこと」
「なんだと!?」
伝崎は目を見開く。
エリカは部屋の奥から七色の光を放射するクリスタルを持ち出してくると、それに手を当ててみろといった。
バーミヤンクリスタルと呼ばれるそのアイテムは才能限界を見る上で使える道具らしい。
その限界の容量に応じて赤、橙、黄、緑、青、藍、紫、どれか単色に変化する。
赤がほとんど才能限界に達したことを意味し、紫がまだまだ開発の余地があることを意味する。
手始めにキキが触れてみると、徐々に紫一色に染まった。
伝崎が触れると一瞬で紫色になり、次の瞬間にどす黒くなってなっていってクリスタルが砕け散った。
エリカは両腕を組みながら鼻先を高く上げて。
「ふーん、なかなか生意気なアウラになってんじゃん」
他の変化も見つかった。
側に立っていたキキの青緑のアウラと夜色のアウラが、その接点でわずかな異常を起こしている。
凝視しなければ見逃すほど、小さな毛の先以下の変化。
本来ならば衝突し交じり合う境界線で青緑のアウラのほんの一部だけが、別世界に吸い込まれるように消えている。
エリカは鼻でソノヤマに指図する。
ソノヤマはすぐさま前に出てきて、その長身で立ちはだかる。
白い面に、黒マントに隠れた全身。
絵空事の消え入りそうな姿かたち、立ち方。
体の軸が通りきっているせいか見た目以上に身長が高く感じ、王都の上空にまで達しているような印象を抱く。
エリカは堂々と片手を上げて解説する。
「ソノヤマの筋力はA-。それだけじゃない。
オミナ家独特の身体統一法によって並みの力は崩せるようになってる。
つまり、彼と同じ筋力があっても力負けするってこと。まさにオミナ家の武術を体現してるわけ」
エリカは四角い木の机をソノヤマと伝崎の間に置いた。そして、人形のような細い腕を差し出し、肘をつけるフリをして首を軽く傾ける。
「ほら、力比べ」
あっけに取られて見ていると。
エリカがうながすように長い金髪を指に巻き込みながら言う。
「ソノヤマに勝てたら、ひとつどころじゃないよ。いくらでもスキルを教えてあげるから……」
机の先には、オミナ家の伝統を背負ったソノヤマがいる。
立ち方から想像できない何十年、何百年という重みを感じる。
その男と腕相撲をしてみろ、と。
「まず勝てないと思うけどね」
エリカはそう言った。
伝崎は思う。
――俺の筋力はC-。
しかも武術の素人。力の処理の仕方も知らない。
しかし、右手の半透明の夜のようなアウラを見つめる。
モヒカンの大男をほとんど抵抗無く持ち上げたことを思い出す。
この未知の能力で挑め、と。
伝崎は不敵に片頬をあげて。
「やってやろうじゃないか……」
机の上に、右肘をつけた。